27.0話 外の世界のこと
―――優は憂となった。
優は死亡した事となった。
そして、総帥秘書はその人脈を駆使し、優に新たな戸籍を与えた。完全にクロである行為だが、この秘書は何ら躊躇う事無く、遣って退けた。総帥の為ならば、犯罪行為さえ厭わないのがこの女性の大きな特徴と謂えるのだろう。
さて、広いVIPルームの中央、簡素なベッド上、憂の細い手足は白いベルトにより、拘束されている。
代償だ。罪には罰が与えられる。これは、世の摂理である。
……が、この拘束はすぐに解かれる予定だ。
現在、新たにこのVIPルームに入院した篠本 憂の為、この部屋……、いや、この病院開設以来の備え付けの調度品の類いを撤去中である。
永く『再構築』を知らない者は入室を憚られていたが、この撤去に際し、ついに外部の者の入室が許可された。もちろん、外部と言ったが院内の事務の者たちである。
……とは云え、新たなVIP患者が入院している為、ごく少人数、しかも女性限定で入室許可が下された。もちろん、パーティションにより仕切られており、少女のプライバシーには配慮が成されている。
これは、優の戸籍を捨て、『憂』となった効果だ。彼女を隠しておく必要は無い。
……病院内の噂を一蹴する為、立花 優は亡くなったのである。
そのVIPルームの廊下では、前日、蓼園商会会長職を電撃的に辞した総帥閣下と、院長の川谷の2人に頭を下げる中年男女の姿があった。
立花 優の両親が、少年の荷物を引き上げるべく、この最上階を訪れたのである。
……今後の予定では、優の両親は、この荷物の引き上げ時、Nsの『憂さん』と呼ぶ声を聞き、興味を示し、総帥を問い詰める。
立花 優の事故に関して負い目のある総帥は、次の入院患者である『篠本 憂』について、両親に話す。
そして、誕生日や年齢など、偶然の一致を見せた身寄りの無い憂を是非、養子に……と、総帥に迫り、彼はその後見人として、了承する……。
こんなシナリオが描かれている。
もちろん、総帥は自身に対し、『どこからか拾ってきた少女を少年の代わりとして差し出した』と噂されてしまう事を心得ている。
また、両親も『息子を失った悲しみを関係の無い少女を養う事で穴埋めした』と陰口を叩かれてしまう事を承知の上である。
全てのマイナスを理解した上で、この決断に至ったのだ。
……それだけ、『再構築』の情報は世間に知られると『憂』にとって、まずいのである。
VIPルームの中央、医療用パーティションで四方を囲まれた中、裕香は『憂』に問い掛ける。
「憂さん? おしっこ……大丈夫……ですか?」
相変わらず、失禁を警戒し、リハビリパンツ着用だが、排泄はトイレで済ませている。何1つ、対応の方法は変わらない。ついでで申し訳ないが、憂は時折、間に合わず失禁してしまっている。脚力の低下、右麻痺、男性と女性の性差……など、原因は山盛りだ。
話を戻そう。
専属看護師の増員は無し。
既に会議の結果、そう決定している。新たな看護師の追加は危険性を孕んでいるのだ。憂がポカをやらかす可能性は高い。正常な判断に関して、疑問は確信へ……と、自傷行為により移ろった。もちろん、悪い方向に、だ。
そんな正常でない憂に秘密だと伝えたところで、その秘密を保ってくれるとは思えなかった。元が男子だった……などと口走り、バレてしまっては元も子もないのである。
「うぅ――ごめん――なさい――」
何を話し掛けても謝る憂に裕香は苦笑いすると、手足のベルトを外し始めた。一応、お手洗いへ連れていっておこう……と言う体で、VIPルームから危険な物を排除していく少数の女性たちに、VIPルームの新たな主は少女である……と、認識させるのである。
実は、もう、『何故、自殺を図ったのか?』と問われている。だが、憂は……いや、その頃は未だ『優』であったが、彼女は理由を決して話さなかった。
……迷惑を掛け、心苦しいから、やってみた。
……やってみたら、血が綺麗だったから。
もっと見たくなったから……。
そんな事は口が裂けても言えないだろう。だから憂は今もしきりに謝るばかりだ。
……拘束を解いて欲しいものと推測する。
……そんなこんなで、この日の内には、VIPルームに入った新しい患者、『憂』は噂となり、静かに病院内に知られていったのだった。
また、この憂の行為を重く見た脳外科医・渡辺はある1つの方針を転換した。
それは今まで触れなかった、病院外の話……。この今までの方針については、島井への提言と同種の物だ。無理に退院へと推し進めず、優本人の意思に任せる……。これに基づいた方針だった。
……が、そうも言っていられなくなってしまった。
原因がまるで分からない。
姉は話のタイミングから、自分が良からぬ事を言ったせいだ……と、自分を責めていたが、看護師の報告を統合すると、姉の自責の理由は甚だ怪しい。
原因が解らないこそ、憂をこの世に繋ぎ止めるべく、外の世界の事を覚えているのか。
……ついに問い掛けたのだった。
Q:「憂ちゃんは、どんな学校に通ってた?」
A:「――んぅ?」
憂は過去8年以上通っていた、『私立蓼園学園』の事を覚えていなかった。
Q:「部活は?」
A:「――バスケ」
拘束されており、俯くことは叶わず、顔を背け、はっきりと伝えた。なんとも悲しげな表情が印象的だった。憂は、もうバスケを本格的にプレイする事は叶わないと理解していた。
……などと考察している内に泣き出した。声は上げず、啜り泣いた。
Q:「親戚の事は覚えてる?」
A:「えっと――おじい――ちゃん」
「おばあ――ちゃん――」
気を取り直し、行われた質問だった。
憂はひと組の祖父母について記憶していた。だが、この時点では、立花の家族たちの入室はまだ認められておらず、詳細は後日確認となった。
そして、この次に重大なターニングポイントとなる質問が投げ掛けられた。
Q:「友だちの事は覚えてる?」
A:「――すこし――」
余りに曖昧な答えだった。はっきりとさせるべく、問いを追加した。
Q:「名前は覚えてる?」
A:「――拓真――勇太――」
2人も記憶していた……! ……と、島井も渡辺も喜んだ直後、憂は頬を染めた。
そして……「――千穂」と、1つの名前を追加したのだった。




