22.0話 自分の顔とご対面
―――1月3日(火)
一家総出で面会があった。
そして、この日、ついに優は姿を変えて以降、初めて鏡なる物を見た。
洗顔はどうしていた? ……と、言われれば、専属が用意してくれる清拭用のタオルで顔を拭いていた。歯磨きはベッド上で行なっていた。ガーグルベースを利用し、左手で時間を掛け、一生懸命に歯磨きしている。
……一生懸命に見えるのだ。実際は必死こいてまで歯は磨いていないだろう。
そんな、何をやらせても一生懸命に見える、ある意味で得する外見となった優は、広いこの部屋を自由に歩き回っている。
本人が意外と慎重であり、何メートルか進んでは、各所に配置されている、4本足の丸椅子に腰掛ける。またすぐに立ち上がり、本人が見定めた目標の丸椅子まで歩く……。こんな動作を何度も何度も、行なっている。
初めてこの動作を繰り返し始めた祐香が夜勤の日には、看護師の使命と捉え、絶えず付き添っていたが、島井は付き添いの必要無しと判断。優はVIPルーム内での自由を得たのである。
優は、木目美しいローチェストに向けて歩き出した、
家族も目を細め、その『リハビリ』の様子を見守っていた。元来、頑張り屋であった優は、少女となってもやっぱり頑張り屋さんだ。汗を掻きつつ、一歩一歩、歩いていく。杖も何も使っていない。時間を掛けて使用方法を説明すれば、その時は上手に使いこなす……が、その次の使用では方法を忘れていたり……と、何かと危なっかしい。
よって、彼女は何も使用せず、自らの体のみで前進していく。
姉・愛は、総帥が差し入れたフルーツバスケットから林檎を取り出し、皮を剥き始める。優に食事の制限は無い。しっかりと食べられるだけ食べ、力を付けるべき……と、むしろ積極的な食を勧められている。
冒頭の鏡の件は、そんな時に起きた。
チェストの上にあった鏡を目指し、優は歩いていたらしい。歩いては休み、歩いては休み、そこに到着したのである。そこにあった鏡は、向きを上下に変えられる金属製の物だ。金属部分は銀色である。もしかしたら本物の銀かも知れない。
優は、ローチェストに両手を突き、不安定な体を支えると、そっとその鏡を覗き込んだ。向きは変えない。変えられる事に気付いていないのだろう。
家族の暖かく見守る目も、病院関係者の観察する目も、いつの間にか優に集まっている。
誰も傍に寄り添っては居ないものの、気になるのだ。誰もがチラリチラリと優の様子を伺っており、全員が鏡を覗き込む瞬間を目撃した。
「――んぅ?」
優は小首を傾げる。もちろん、鏡から目は離れない。鏡の中の美少女も優の動きに合わせ、小首を傾げた。
……鏡の中の優のタイミングがずれたり、傾げなかったりすれば、それはホラーだ。タイミング良く傾げて当たり前である。
「――あ、れ――?」
不思議なようだ。事故前の優とは、顔付きは別人なのである。ごくあっさりと「へー」などの反応を示したとすれば、その方が問題だ。自己認識に問題大ありとなる。
「――だれ?」
……鏡を認識出来ていない訳ではないだろう。
「の――?」
この日もVIPルームに入り浸っている渡辺も、当然のようにここで過ごす島井も、優の近くまで移動している。
……この先、何が起きるか分からない。恐れるモノはパニックだ。
「かわいい――?」
傾げた小首を戻したり、再び傾げたり……。時にはべーっと舌を出し、その小さな舌を戻したかと思えば、照れたように笑ってみたり……と、しばらく鏡で遊んでいた。
その時間、およそ5分ほど。
飽きもせず、鏡と戦っていたが、ふいに鏡から離れ、近くの丸椅子めがけて進み始めた。
……立ったままがしんどくなったのだろう。
丸椅子に腰掛けても、ぼんやりと鏡を眺めたままの優を見て、島井はその丸い置き鏡を手に取ると、「どうぞ?」と手渡した。
優は、右手が弱いことを記憶していたのか偶然か、両手でその鏡を受け取ると、またも鏡を覗き込み、遊び始めた。顔芸の練習中にも見える光景に、VIPルームの者たちは安堵したようだ。安堵どころか、ほんわかとした優しい空気が一層強まったようにさえ感じる。癒やし系の素養を持ち合わせている事は間違いない。
……特別、混乱する様子も見せていない。ただ、一心不乱に自分の新しい顔で遊んでいる。
そんな行動は、飽きるまで悠に30分ほど。
言葉も発する事無く、延々と続いたのだった。
「何がしたかったんでしょうね?」
立花家の面々は優の覚醒後、初めて訪れた時に目覚めを待った……。何ともややこしい。
言い直そう。意識を取り戻したと一報を受け、面会した時には、優は入眠していた。その際、目覚めを待った時は面会時間が長かったが、その時を除くと1、2時間ほどで立ち去っている。医師、看護師への配慮なのだろう。
その家族の面会終了後、島井と渡辺は考察を開始した。
「もっと驚いてくれると可愛かったんでしょうけどねぇ」
「あ……。わかります。でも、鏡で遊ぶ優さんも、色々な顔を見せてくれて可愛かったですよ!」
本日の夜勤者である恵も話に乗っている。このVIPルームでは医師と看護師の壁は、院内の他のどこよりも薄い。
島井が専属となった看護師たちに、頭が上がらない事が大きな要因の1つだろう。
それはさておき、考察だ。
「………………」
島井は黙してしまった。考察どころでは無いらしい。憂が自らの顔で遊んでいる姿を思い出したのだろう。ほんのりと頬が赤い。渡辺は、そんな島井に気付くと嬉しそうにほくそ笑んだ。
いじり倒す気、満々の渡辺は「ご家族さんに今の顔は見せられませんねぇ。我が娘に赤くなるオジサンと同室で過ごしてるんですから」と切り込んだ。
「可愛いのは本当だから仕方ないと思いますよ?」
恵は裕香とは違う応対だ。裕香の場合は渡辺に乗っかり、一緒にいじり始める節があるが、この茶髪の看護師は島井派とも謂えるのかもしれない。裕香は、救急救命に所属していた頃からの部下であるが……そのせいなのだろう。きっと。
「……やはり、女性になった事よりも、他の気掛かりがあるのだろうね」
「あ。話変えた」
「渡辺せんせ?」
「ごめん。本人に聞いてみましょう? 一番、手っ取り早いですよ?」
そして聞いてみた。
「鏡に熱心だったね」と。
そう言われた憂は……。赤くなった。
もしかしたら、見られていた事に気付いていなかったのかも……と思った島井はそれも聞いてみた。
「――みられて――た」
目を泳がせながらそう呟いた。本当に周囲の人物の存在を忘れていたらしい。
憂は肩を落としてしまった……が、恵に例の鏡を手渡され、「私もそんなに可愛かったら見ちゃうかも……」と、慰められていたのだった。再度、鏡を手にした優は、恥ずかしそうにチラリと覗き込んだだけだった。
……周囲の人たちを認識したからなのだろう。
そんな事しか、特筆するべき事の無い、平和な1日だった。
……この翌日に、大事件が勃発するとは、誰1人として予測していなかった。




