20.0話 家族の苦しみと優の笑顔
―――1月1日(日)
「優は……未だに面会謝絶なのか……?」
元日。優の家族4名は帰省していた。
父・迅の出生の地である、一歩、路地を外れれば田園風景の広がる……。そんな、どことなく古き良き田舎の雰囲気を残した小さな街である。
「あぁ……。状況が掴めないんだ……」
父は実の両親と兄に嘘を付く。優は、女性となり、目を覚ました。一家全員が知っている真実である。
この日の帰省について、島井に話した時、彼は優の回復について、口を閉ざすよう強く依頼した。
―――目覚めた事は喜ばしい事だが、女性体となった変貌の過程が問題だ。それは医療の常識を覆す。全世界の注目を浴びてしまう。その上、人々に嫌悪感を抱かせる恐れがある。外部に知られては、この先、平穏無事に暮らすと言う選択肢は消え去ってしまう可能性がある……と。
これを踏まえた上で、島井は1つの提案を行なった。
――優の変貌を公表すると言う、もう1つの選択肢。
公表すれば、『再構築』した優は格好の研究材料と見做されてしまう。医学界だけではなく、各方面からの干渉を受けることになる。
これは既に説明済みだ。
今回の島井の提案は、優を公表することで、家族は莫大な富を得、優を然るべき機関に預ける事により、その身の安全だけは確保出来る……。そんな提案だった。
父と母は、動揺を見せる姉兄を制すると、この提案をやんわりと断った。
『優ちゃんがどう思っているのか、まだ分かりません。でも、私としては普通に暮らして欲しい』
母が、自らが産み落とした愛し子である、優との生活を望んでいると意思を示してみせた瞬間だった―――
「せめて、ひと目、見せて頂きたいんですけれど……」
幸も主人である迅の嘘に乗った。愛と剛は、じっと俯き加減で黙りこくってしまった。目の前の祖父母は孫たちを間違いなく愛していた。
特に孫たちの中で、最も年少の優を猫可愛がりしていた。
「迅……。そう暗い顔を見せるな。子どもたちに移ってしまっているぞ? 大きな事故だったんだろう? ……にも関わらず、優くんは生きている。奇跡を信じるべきじゃないか」
「……そうだな……。ありがとう……」
迅を励まし、力付けるように声を掛けたのは迅の兄だ。この兄と弟は一時期、互いに口を利かぬほど、険悪となった。
迅が生まれ育ったこの街を捨て、蓼園市に移り住んだからである。
そんな2人だったが、曲がりなりにも兄弟だ。迅と幸の結婚招待状に『ふざけるな!』と返事を返し、以降は何も言わず結婚式、披露宴に出席。『おめでとう』と久々に声を掛け、兄弟は関係を改善させたのだった。それが今から25年以上前の出来事である。
この兄弟、結婚は弟の方が早く、第一子を賜った時期も弟・迅が早かった。つまり、愛が孫の中で最年長と言う事になる。姉と末の優の年齢差は10もあり、兄の子どもたち……。優の従兄妹は愛と優の年齢の間に収まっている。
従兄弟2名の長子・豊は剛と同じ二十歳、下の子は18歳の女子・舞。今年度、高等学校と卒業となる。
「優ちゃん……。もう逢えないの……?」
優の従姉弟……従姉妹だろうか? 少女の長い睫毛が戦慄いた。迅の帰郷の回数は少なく、滅多に逢えなかったが、明るく朗らかで少しシャイな優をこの従姉も可愛がっていた。
幼い頃には虫取りなど、連れていった。同じお風呂で騒ぎ、一緒に叱られた。
そんな優の事故。半年以上経過したにも関わらず、未だに意識不明、面会謝絶。
彼女の中で、優との思い出が渦巻いているのだろう。
「……そんな事にはならな「逢いたいっ!」
自身の父親の声に舞は言葉を被せた。まるで駄々っ子のような、それだったが優の伯父は黙した。静かに眼差しを弟に送る……と、迅はゆっくりと頭を振った。無論、横に……だ。
「我が儘言うな……。親でさえ、逢わせて貰えないんだぞ……。少しは控えろ……」
優の従兄……。舞にとっては兄の言葉に、舞は涙を必死に堪え、無言で立ち上がり、居間を飛び出したのだった。
そのすぐ後、優の姉兄が舞を追い掛け、合流し、語り合った。
更には、この元日の内に実家を発ち、蓼園市へととんぼ返りを果たしたのだった。
無論、優の事を放っておく訳にはいかないからだろう。
但し、その理由はそれだけでは無いはずだ。長居すればするほど、誰かが口を滑らせる恐れがある。
……それよりも大きな理由は、肉親に対し、嘘を付き通さねばならず、居た堪れなかったからに他ならない。
親族全体、傷付いてしまった。そんな寂しい帰郷なのであった。
「これで良かったんか……?」
帰りの車中、助手席の剛が運転席に座る父に問い掛けた。
「……仕方が無いんだ」
父は物事の問題を心得ているようだ。その表情は鬱症状を発症したかのように、何とも暗い。
優には生活面だけで無い、無数の問題を抱えている。少年が少女となった。これだけでも、世界中の研究者、権力者たちの垂涎の的となる……が、それだけではない。優は間違いなく、若返った。この意味するところ。
迅はこの事を考えると頭が痛い。どうにかなってしまいそうなほど、初面会の日から悩みに悩んで、悩み抜いている。
それでも、平静を装っているのは男親としての意地と誇りなのかもしれない。
「でもよ。曲がりなりにもじいちゃんだったり、従兄弟だったりするだろ……? 理由、話せば分かってくれるだろ……」
剛は食らい付く。剛の言い分にも一理あるように思えたが、迅は「ダメだ……。リスクが高すぎる……」と一蹴してしまったのだった。
「剛ちゃん……? あなたも舞ちゃん追いかけていったけど、話してなんかないわよね?」
そんな言い分を耳にした幸も、我が子を信用していない訳ではないだろう。単に確認しただけの事に過ぎない。
「言ってねぇよ!!」
だが、分かっていても声を荒げてしまう剛なのだった。
この母としては珍しい失言に「……剛ちゃん。ごめん……」と謝った。
……どうにも暗い優の家族の一方で、優本人は笑顔を見せていた。
その要因は……。総帥が差し入れたフルーツ群である。
「変わった……物も……あるぞ?」
裕香も恵も、島井も渡辺も舌鼓を打つ。季節が外れた旬ではない果物も満載だが、それよりも何よりも、冬が旬の甘いフルーツと言えば、もちろん苺である。日持ちもしない為、持ち込んだその場で食べ始めているのだ。
その苺は沢山の種類を取り揃えられ、酸味のある甘酸っぱい香りを周囲に放っている……が、残念ながら優には届かない。
「優さま? こちらなど……如何……ですか……?」
一粒いくらになるか分からない小ぶりな苺を心底、幸せそうなだらしない顔で完食すると、総帥の秘書・一ノ瀬が桐の箱を開き、ベッド上、端座位の優に示した。
「んぅ――?」
優の小首が傾げられた。そのまま動きを止める。
「――いちご?」
反応は早かった。ただし、疑問形。
秘書が優に見せた苺はどこか不思議な苺だった。
「白いイチゴだ! 初めて見たー!」と、勤務時間の終了したはずの裕香が上擦った声を上げる。総帥の差し入れ以降、エキサイトしてしまっているらしい。
恵も「綺麗ですね……」と恍惚とし、呟いた。
「うれて――ない――?」
遥の表情は崩れない。鉄面皮。これは普段からの事だ。何も気にする必要は無い。おそらく、優の言った『うれる』は【熟れる】だろう。
「こう言う……品種……です……」
「――ひんしゅ――?」
次の言葉は通らない。眉間に力の入った者。頭をポリポリと掻く者。ナース同士で顔を見合わせる者たちも居た。
一同、思案の様子だ。
優秀な頭脳を持ち合わせる者が居並ぶこのVIPルームに於いて、まさかの言葉が見付からない状況。確かに『品種』と言う単語の説明は難しいように思える。いや、『品種』の説明を出来る人物は居るだろう。問題は、優に理解出来るよう、短く簡潔に出来ない事だ。
「優くん! まぁ、食べて……みたまえ!」
ベッドの隣に座る、この中で最年長であり、最高権力者が匙を投げたかのように、桐箱から一粒、摘まみ上げると少女に向ける。
少女は小さな両手を揃え、受け皿とすると総帥はそこに白い苺を載せた。白い苺に負けない、新雪のような儚い白さだった。
「でか――」
透き通った、質量を感じさせない声で少年のような言葉がこぼれ落ちる。
優の言葉の通り、その白い苺は大粒の苺だ。優の小さな手の握り拳ほどはある。
その苺を器用さを残す左手で掴むと、はしたなく大きく口を開け、かぶり付いた。なんとも苺が大きく見える。本人的に大きく口を開いても、常人よりも小さい。
さしたる分量は口に入っていない……が、優はングングと咀嚼を始める。
その5秒後……。
「うまっ――!」
多くの男たちを堕としてしまうような大輪の花を咲かせると、その隣では「遥くん! フルーツだ! 優くんはフルーツが好きらしいぞ!」とメタボリックな体を揺すり昂ぶっていた。




