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11.0話 主治医の観察眼

 


 島井と恵の手により、仰向けだった優が左向きへと体位を変えた。もとい、換えられた。


「仙骨部、大転子部、踵など、寝転がった時に地に当たり易い個所は、長時間圧迫される事により、傷となってしまいます。この傷を褥瘡と呼びます。重度の褥瘡になると、皮膚にぽっかりと穴が空き、骨まで見えるほどです」


「……うわぁ」


 島井による『何故、体交が必要か』の即席講義中、重度の褥瘡を想像したらしく、思い切り顔を顰めて見せたのは愛だった。


 そんな愛をフォローするように「でも優さんは、1度目覚めてからは、寝返りをしようとはされていますよ。筋力が落ちてしまっているから出来ないだけです。きっと、すぐに体交の必要は無くなりますよ」と、自身の推察をひけらかしたのは恵だった。


 姉・愛の物言いは丁寧ながらもどこか気さくであり、人見知りの恵も多少、慣れてきたようである。

 何を隠そう、この茶髪のナースは慣れてさえしまえば、よく話すのだ。


 島井と恵に教えを乞うたのは、愛だ。やはり積極性は家族随一らしい。


「そうですね。私もそう考えます。日中の活動時間も今は短いですが、徐々に伸びていくでしょう」


 この言葉に強く反応を示したのは、母の幸だ。心底、嬉しいとその表情が物を言っている。


 その言葉を胸に刻んだかのように優を見ると……、目が合った。ばっちり合った。クリクリっとした瞳が母の姿を捉えていたのだ。


「あら? 優ちゃん、おはよう?」


 島井も恵も驚いた。優が開眼していた事に。何より、一向に驚いた様子を見せず、冷静そのものの母の姿に。


 そして、クッションに囲まれた左向きの姿勢のまま、枕に頭を押し付けた。傾げようとしたのかも知れない。


 足元に居た父と兄が、更に反対側……、優の小さな背中側で見守る形となっていた愛が回り込んできた。

 その瞳の開いた優の姿をひと目見る為に。


「母さん――? ――おはよ――」


「優ちゃん、おはよう」


「優ちゃん! おはよ!」


「はよ……」


「おはよう」


 優を省き、幸、愛、剛、迅の順だ。彼らの顔は一様に輝いている。5月6日の事故以来、ついに瞳の開いた優との対面が叶ったのだ。その感動はひと言では言い表せられないほどだろう。


 そして、父と兄の表情は、また更なる変化を見せた。感動したのも束の間、やはり姿形の違う優への違和感が拭い切れないのかも知れない。何とも複雑な笑みへと移ろってしまったのである。


 仕方の無い事だと、島井は思う。性別どころか、印象、雰囲気、顔立ち……、何もかも違う末っ子をそうも容易く、受け入れられるはずはない……、と。


 むしろ違和感を禁じ得ない相手は、母と姉だ。


 母に関しては、天性の何かだと思える。そんな誰とでも仲良くなれる雰囲気をこの母は醸し出している。

 問題は姉だ。この姉は本当に優を受け入れているのだろうか、と疑問を持つ。表面上、受け入れているようにも見えるが、生じる懸念は拭う事が出来ない。




 ―――時は遡ること、3週間前。


 病院は優の面会謝絶を解いた。秘密裏に、である。

 家人からは幾度となく、面会の申し出があった。再構築を終え、多少なりとも、脂肪が付いてきた。回復途上だった。いずれは目覚める予感すらあった。だからこそ、今のうちにと、長く続いた家族への秘密を解禁したのだ。



 家族全員と、この蓼園総合病院地下駐車場で合流し、エレベーターに乗り込み、最上階に到着した。廊下からNSを経由せず、直接、VIPルームに入室し、『信じられないかも知れませんが、この子が優くんです』と、真実を告げた。


『……何を仰っておられるのか解りません』


 父の第一声がこれだった。

 目の前で眠る少年は、小柄だった優よりも更に小さく、どう見ても女の子であったのだ。


 そこで再構築の過程を見せた。当初、自らの戒めの為、再生期となると観察とその証明の為、一日たりとも欠かす事なく、撮り貯めた変貌の画像を。


『……よく解りました。あの少女は優なんですね』


『優ちゃんは凄いわねぇ……』


 父と母はすぐに理解を示した。


 姉は違った。


『どうしてこんな事になったんですかっ!?』


 こう叫び、島井に詰め寄った。島井は、通常行われない非道な処置を行なった事。その時には間違いなく狂気に駆られていた事。全てを包み隠さず話した。そうする事で贖罪としようと云う気持ちが心の片隅に佇んでいたのかも知れない。


 姉からは鋭い指摘も飛んできた。厳しい物言いもあった。


『意識不明の優を使って、どこまで延命出来るか実験したようなものじゃないですか!?』


『……その通りかも知れません。今まで救いたくとも救えなかった数多くの命。その失われていく命を1つでも減らす為の実験をしてみたい気持ちがあった事を否定する事は出来ません』


 それら全ての指摘や質問、全てに誠意を以て答えた。


 その誠意が通じたのか、最後に姉は『でも、これが無ければ優の今は無いんですよね……』と一定の理解を示したのだった―――




「島井先生? 姫……、憶えてるみたいですね……」


 その恵は、家族が誰1人、ここまで涙を見せていないにも関わらず、泣いていた。本人は否定するかも知れないが、明らかに泣いていたのだ。


「そうだね。記憶には問題がないのかも……」


 見ての通りだ。説明していないにも関わらず、優は母を母と認識した。これが意味するところは重要なウエイトを占めている。


「父さん――」


「姉ちゃん――」


「兄ちゃん――」


 家族たちに以前からの物であろう呼び方をすると、にっこりと笑顔を見せ、「おはよ――!」と目覚め後、初めて元気な声を聞かせたのだった。


 顕著な反応を示したのは剛だ。彼はグイと長袖で拭った。幸はにこにこと笑顔を見せている。父は、驚いたかのような表情だ。


 島井の危惧するところは、いつか優の体力が回復し、帰宅が叶った時、密かに行われるかも知れない虐待の可能性だ。戸惑っている内は良い。だが、あの変貌の過程から拒絶してしまった場合……。それを懸念し、島井は家族を観察し続ける。



「優ちゃん(・・・)……。やばい。めっちゃ可愛い……」



 島井の眉間には、一本の深い皺が刻まれていたのだった。












 姫……。優さんは私たちには見せてくれない顔をご家族に見せていました。

 嫉妬……。


 相手はご家族。私とは優さんから見れば、出会ったばっかり……。


 仕方ない事は解っています。


 解ってはいるんですけど……、感情は私の理性を奪おうとし、それを必死に押しとどめています。


 島井先生を横目で見ると、いつもと顔付きが違って驚きました。いつもの優しい表情じゃなくって……。

 でも、何度か見た表情。それは崩壊期の最中でしたね。


 決まって、生体監視装置が異常を訴えた時でした。ゆかさんが言ってた手術中は別人になるって話。あの顔の時がそうなんだと思う。

 いつもの優しい口調じゃなくて、命令形の口調だって、どんどん飛び出す。


 必死……なのかな……って。目の前の亡くなりかけてる患者さん。救いたいから……。だから必死な顔で頑張っておられるんだと思う。

 優さんの再構築って、島井先生にとって、大きな可能性なんですね。今まで見捨てるしかなかった人たちが居て、救急救命リーダーとして歯痒い思いを何度も何度もされて……。


 その表情が今、なんでここで?


「……島井先生?」


「ん? あぁ……」と、すぐに眉間の皺は消え失せた。そのまま「そうですね……。ご家族のおられる今の内に、何か食べて頂きましょうか」と話されました。至って、普通に……。


 先生はご家族に何を思ったんだろう?


 視野の広い島井先生には、何が見えてるんだろう?



 ……私は、姫のご家族の嬉しそうな顔が喜ばしいと感じて……、それと同時に、体を起こして……笑顔を向けて……、そんな姫の姿が悔しいって……。




 そんな私は……、看護師失格かも……です……。





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