10.0話 覚醒後、初の面会
「……眠ってるんですね」
NSを経由し、入室。中央付近の簡素なベッドに近付くなり、優の姉は寂しそうに呟いた。姉は優の変化を受け入れているように見えた。
弟が妹に。
事実を伝えた当初、最も強硬に『有り得ません!』と否定したのが、この姉・愛だった。しかし、今ではこの姉と、母・幸の2名が現実を受け入れているように島井には見えた。
母と姉に対し、父・迅と兄・剛は、いつも一歩下がり、母や姉の声掛けや手を握ったり……と言う行動を見守っていた。
「はい。自発的な行動は、2度目に目覚められた時だけです。以降、自分から始める行動は見られていません。食事は介助を嫌がった為、自身で食されました。これから起床されたらプリンを提供してみたいと考えます。最初の食事では、素粥が悪かったのか、延々と無表情で食べられていましたので……」
母が感激し、「まぁ、食べる事が出来たんですね!」と、笑顔を見せた。この母は強い。これが島井の印象だった。納得しない家族へ絶対の証拠である再構築の経過画像を見せた時にも『これがあったから優は生きてるのよ?』と他の3名を励ましていたほどだ。
「えぇ。お水の摂取では軽いムセが見られましたが、大きな嚥下障害は見られません。経口摂取を継続すれば、次第に問題が無くなっていくでしょう」
「優ちゃん? 良かったわねぇ? これからまた私のご飯を食べて、大きくなろうね?」
幸は眠る優にそう語り掛ける。もはや、完全に受け入れているのだろう。
姉の愛には、少し疑問が残る。「相変わらず可愛い寝顔ね」と、慈しむ目を向けるが、どうにも違和感を感じてしまうのだ。
「大事な話があります。宜しいでしょうか?」
家族の観測に明け暮れている場合ではないと、島井は要件を切り出そうと前置きを入れた。
「はい。お願いします」と真っ先に返事をしたのは姉だった。続いて、母、兄、最後に父が頷き、同意した。
愛は積極的な人物だ。一歩引いたままの男家族は優のキーパーソンとして、難しいと思う。幸はどこか、家族に任せようとする姿勢が窺われる。子どもたちの成長を待つ、そんな母の目をしているのだ。
これから先、優のキーパーソンはこの愛が担うことになる、そんな予感を感じた。
「優さんは自身の体の変化に気付いておられません。これに気付かれた時、パニックなど、精神面から何らかの発症があるかも知れません。そこで、彼女について、これからも全面的に私にお任せ頂く、許可を頂きたいのです。現に最初の覚醒では、夢見が悪かったのか、過呼吸を起こされました。よって、これから先、自身の変貌に気付いた時、記憶について探る時……、様々な局面で、精神面の不安定さを露呈する可能性がありますので……」
同意書も取らない。無理に生命を繋ぎ止めようとした事も、再構築の過程も表に出す可能性は下げたい。
単なる口約束に過ぎないが「……はい。お任せします」と、愛は答えた。
愛は聡明な人物だと感じている。言葉の奥に秘めた拘束の可能性を受け止めてくれたと思う……が、それさえも同意してしまったのかも知れない。
「拘束……。精神疾患の診断を下し、危険と判断すれば、ベッドに繋ぐ事も有り得ますが……」
だからこそ、はっきりとさせようと厳しい言葉を発した。
愛は、数秒だけ躊躇った。だがそれだけで「……はい。構いません。全てをお任せします」と言い切った。そんな愛に幸は微笑みの中、少しだけ困った様子を見せたがそれだけだった。むしろ、困惑を隠せないのは迅と剛だった。
少年から少女へと変貌を遂げた優をベッドに拘束する。その時の優の恐怖心は想像出来るのだろう。
島井は、何かを察したようだ。それでも「ありがとうございます」と、家族の理解に感謝を示した。更に「これから如何なさいますか? 食事もまだでしょう? 優さんはいつ起きるか判りませんので……」と続けた。
言葉通り、今日のこれからを伺ったのだ。
「もう少し、優を見ていていいですか? 父さん、大丈夫だよね?」
「あぁ……。そうだな。みんな構わないね?」
「そうねぇ……。途中になった作りかけご飯は明日に回せばいいわね」
それから2時間。優は今なお眠ったままだ。
ついに恵が行動を開始した。家族の前でもあり、可能な限り粘った……が、それでもオムツの中を確認せねばならなかった。体位の変更もしたかった。
恵の家族の気持ちはよく解っていた。自分もそうだった。家族は優の起きた姿をひと目だけでも見たいのだ。
島井も「起こしてみては?」と促してみた。しかし、父はあれだけの事故に遭い、ようやく目覚めた優を、それでも眠りたいだけ眠らせてやりたい……、と拒否した。父は息子が娘となり、戸惑ってはいるものの、紛うこと無く自身の子と想っているのだろう。
2時間の間、姉と母がベッドを挟み、会話を交わし、時折、父と兄に振り、団らんとも謂える時を過ごしていた。
そんな中、人見知りをする恵が割り込むには、些か勇気が必要だったとようだが、「失礼します……。オムツの中を確認させて頂いてもいいですか?」とボソボソ呟くように入っていった。
断る理由などどこにも無い。
母と姉は、1mほど離れた優の足下側で、父と兄は更に離れて背を向けた。
恵は緊張の面持ちだ。
看護師にも看護助手にも介護士にも降りかかる試練の時だ。これからパッド交換の手技を観察される事になるのだ。
家族側がじっくりと食い入るように見詰める気持ちも解る。家族としてはこれからは自分たちがこの役目を担うことになるかも知れないのである。それはもう、全ての技術を盗まんとばかりに突き刺さるような視線を送ってくるのだ。
恵は前開きの患者衣を開き、バリ……と、オムツのテープを剥ぐ……と、「お父さん? 剛ちゃん? 見させて貰っておきなさい?」と幸の声が聞こえた。母と姉は、初めて見る訳ではない。恵の時は初めてだが、裕香の時に見ているはずなのである。その時は、たまたまパッド交換のタイミングで面会に訪れたのだそうだ。裕香から、直接、そう聞いている。
「……でも、よ」と兄の剛が渋ると、「剛、見ておこう。必要になる時が来るかも知れない」と父が様子を見る決意を見せた。
恵は余計に緊張するからやめて欲しい……と、思ったはずだが、迅の言葉は『正にその通り』としか言えない。
オムツを開き、パッドを外す恵の手を家族全員が見守り、その家族を島井が観察する。そんな妙な構図が生まれた。
「マジで女の子なんか……」と、剛が顔を背け、それを「目を離してどーすんの」と姉が窘めた。
兄の戸惑いは絶大なもののようだ。妹となった優を受け入れられていないと島井の脳内に保存されてしまった。
優の陰部を覆っていたパッドは濡れていた。尿失禁してしまっていたのだ。
「ごめんなさい。横、向きますね……」と、声に出しながら、恵は優の小さな体を横に向け、濡れたパッドを抜くと、即座に新たなパッドを敷き、体を元と仰向けに戻した。「んぅ――」と声は出たものの、起きる事は無かった。
続いて、ディスポタオルを開くと陰部を拭いていった。恵の手技は淀みなく、パッドを当て、オムツを修正し、スムーズにパッドの交換を済ませたのだった。
患者衣を整え、白い毛布をかけ直すと「失礼しました!」と、そそくさと離れていった。「ありがとうございます」と言った母の言葉が虚しく響いた……が、人見知りをしている恵には、それどころではなかったのだろう。
「量は?」
汚染パッドやらを廃棄し、戻ってきた早々、島井に問い掛けられた。
「2回分あったかもです」
「……と、なると……」
「はい。起きてた時に出ちゃってたんだと思います」
「ふむぅ……。尿意は無い……か……」
ヒソヒソ話だった。流石に家族の前では言いにくい。断定出来る状態で無くては家人には言い難いものなのである。
「……そろそろ体位交換を……。忘れていたね?」
「あ……。ごめんなさい」
睡眠時の体動が無ければ、自重による圧迫で褥瘡を生じる。その為、寝返りが打てない人には、他者の手により、体位の変更が必要となるのである。恵は早く離れようとする余り、失認していたのだろう。
「……手伝うよ」
島井は柔和に笑って見せたのだった。




