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その1 深夜のご奉仕

 ハラジュクで発生した騒動の余韻は、夜になっても収まる気配を見せない。

 戦闘の行われた現場は、破壊された家屋の撤去を行う作業員や、破壊活動の捜査を行う警察官、各メディアの取材スタッフたちでごった返し、照明機材に照らされた街路は昼間と変わらぬ喧騒に満ちている。

 現場付近の病院や診療所では医師やスタッフが怪我人の対応に追われていた。

 そうした病院のひとつであるシブヤ区公立医療センターには、合計12名の重軽傷者が搬送され、21時を過ぎてもなお病院全体が慌ただしい雰囲気に包まれている。

 3階の手術待合室では老年の男女と若い女性が長椅子に座りこんでいた。3人は鷹羽に暴行され重傷を負った警察官の家族で、血の気の失せた顔は絶望と疲労感に染まっている。

 彼らが病院に駆けつけてから4時間以上が経過し、今なお手術の成功を祈り続けていた。

 怪我の状態について大まかな説明を受けてはいるがほとんど覚えていない。「脊髄損傷」、「半身不随」、「昏睡状態」、「後遺症」といった不吉なワードだけが頭の中で反響し、動揺と混乱が収まらない。

 身内を襲った突然の悲劇、それもあまりに非常識なできごとを前に立ち上がる気力すら尽きていた。

 先ほどまでいた同僚の警察官たちも痛々しい家族の姿にいたたまれなくなり、一刻も早く犯人を逮捕するため現場へ戻っていった。

 重苦しい空気が充満した待合室の前を、ひとりの少女が通り過ぎていく。きらびやかなドレスをまとい、腰には剣を佩いている。

 明らかに場違いな格好だが、廊下を行き交う看護師や医師たちは誰ひとりとして気にする素振りもない。

 少女はそのまま手術室の前まで来ると、ごく自然に扉を開けて中へ入っていった。

 室内では執刀医と数人の看護師が長時間に及ぶ手術の真っ最中だったが、少女が入ってくると一斉に手を止め無言のまま部屋の壁際までさがった。

 繊細な彫刻を思わせる少女の手が優雅な曲線を描くと、患者の身体につけられていた心音計やカテーテルなどの機器類が一斉に取り払われ、全身に刻まれた傷あとや手術の跡が消えていく。

 少女が手をおろしたときにはすべて終わっていた。数瞬前まで青白く横たえられていた身体が、今はみずみずしいまでの生気に溢れている。

「僭越ではありますがトゥルノワ関係者を代表してまいりました。このたびは不慮の災難に遭われ、さぞや驚かれたことでしょう。魂魄に重大な損傷はなく軽症で済んだのは不幸中の幸いでした。外傷はすべて治療いたしましたので今後の生活に支障はありません」

 完治が絶望視されていた怪我を少女は軽傷と言ってのけた。

 患者の命を救おうと数時間に渡って悪戦苦闘していた医師たちには聞かせられない言葉である。

「なお、右膝と内臓に慢性的な損傷が見受けられましたので、それらも合わせて処理しておりますが、何か不都合はありましたか?」

 手術台の男は何も反応しない。だが少女にはそれで充分なようだ。

「では私はこれで失礼いたします。忠良な献身に相応しい、良き報いがありますよう」

 少女は軽く会釈をして部屋を後にした。室内に残された人々が意識を取り戻し事態を把握したのは、少女が立ち去ってから数分後のことであった。

 手術室で起きた騒ぎは音量を落としながらも待合室にまで届き、息子夫婦の将来を案じていた老年の男の耳をかすめた。

 人声のさざなみで放心状態から覚めた男は弱々しく口を開いた。

「ああ、もうこんな時間か……。……なぁ典子さん、君はもう帰ったほうが……」

「そ、そうね……、手術が終わったら連絡するから……」

「……いえ、お義父さん、お義母さん、いまは隆さんのそばにいさせて下さい。お願いします」

 被害者の両親とその妻がおたがいをいたわりあっていると、白衣を着た女性と若い看護師が部屋に入ってきた。

 看護師のほうはさきほど容態を説明した人物で家族と面識があった。その看護師から紹介を受けた執刀医が家族に挨拶をする。

「佐々木さんのご家族ですね」

 医師は明らかに動揺しており、家族たちは不吉な予感に襲われた。だが、医師の口から語られたのは予想外のことであった。

「息子さんが、目を、覚まされました」

「……あ、そうですか、では、手術は成功したんですね。よかった、ありがとうございます」

「ああ、いえ、そうではなく……、あー……、息子さんはまったくの健康体です」

「……? ……けんこう? 何がです? どういうことですか?」

 憔悴しきっていた被害者家族は自分たちの耳を疑った。説明の内容は理解できたが、医師と看護師の困惑した表情を見ていると、喜んでいいのか嘆いていいのか分からない。

「ですから運びこまれたときの傷も、私が手術した跡もありません。本当に一瞬で消えたんですっ。何が起きたか私にもまったく分かりません! 今詳しい検査をしていますが、息子さんは意識もはっきりしていて、どこにも痛みはないと言っています。……こんなこと常識的にありえない! まるで魔法でも使ったかのような、奇跡としか言いようがない!」

 話している間に医師も興奮を抑えきれなくなり、だんだんまくしたてるような口調になっていく。同時刻、同じようなやりとりが都内の複数の病院で行われていた。

 ドレスの少女は騒然とする院内を優雅な足取りで歩いていく。夜間にも関わらず明かりのついたままのロビーへ来たところで、制服姿の美少女の出迎えを受けた。

 言うまでもなくこの2人はカナンとリヨールの主従である。

「ここで最後でしたね」

「はい。お疲れになられましたでしょう。まさか地球人(こやつら)がこれほど手際が悪いとは」

 ハラジュクの騒動で負傷した人々は近在の病院や診療所へ分散搬送されており、2人はそれらを一軒一軒回ってきたところだった。

 魔法を使えば移動は一瞬で済むが、他のプレイヤーに察知される可能性があるため多用はできない。

 大きな事故や災害などで大勢の被害者を出した際、付近の施設に分散搬送するのは当然の処置だが、リヨールたちからすれば無駄に手間をかけさせられたことになる。

「お車はすぐそこに止めております」

 リヨールは周囲を警戒しながらカナンを駐車場まで先導する。

「リヨールにも苦労をかけましたね。すべて調べ上げるのは大変だったのではありませんか?」

「いえ、とんでもございません。姫様のご苦労に比べれば」

 実際、リヨールにとっては造作もないことだった。

 現場で捜査にあたっていた警察官を洗脳して捜査本部を聞き出し、そこで指揮を取っていた人物に命じて被害者の人数や氏名、入院先など、必要な情報を集めさせたのだ。

 リヨールの気苦労は別のことにある。

(お嬢様はお優しすぎる。このような些事にお心を煩わす必要などないのに)

 戦闘が終わったとはいえ、どこに敵の目があるか分からない。リヨールとしては、リモシー人ごときのために危険を冒す必要はないと思っているのだが――。

「私の自己満足です。やらせてください」

 主君にそう頭を下げられてしまっては何も言えなくなるリヨールであった。

「疑似クリスタルの残りもわずかになってしまいましたね」

 車内のソファに身を沈めながらカナンが疑似クリスタルの在庫を確認する。

 怪我の治療には魔法が欠かせないため各施設ごとに感知防止の結界を張る必要があり、シブヤの戦いで得た疑似クリスタルをほぼ使い切ってしまった。

「はい。拠点が集中しているため、プレイヤーも疑念を抱くでしょう。うまく偽装すれば彼らの注意を引きつけられるかも知れません」

 2人が乗りこんだのは、見た目は一般的なRVだが、車内空間は魔法で拡大されている。

 4層各120平方メートルに及ぶ室内には、ラウンジやキャビン、サロン、浴室などが完備されており、広壮な内装は大型クルーザーにも引けを取らない。

 リヨールが無言で指示を出すとRVは自動的に動き出した。

「そうですね。せっかく用意したのですから、うまく利用してみましょう」

 戦略的に言えば、これほど狭い範囲に複数の拠点を密集させるメリットは乏しい。それを承知でリヨールはあえて利点のみを語り、カナンはそんなリヨールの配慮を嬉しく思うのであった。

「ご入用のときは私がいくらでも集めて参ります」

「ええ、頼りにしていますよ、リヨール」

 病院を出たRVは、固い絆で結ばれた主従を乗せ夜の街を疾走する。

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