その7 立つ鳥は跡を濁さず
街の一角を覆った煙幕が晴れるまでには数分を要した。その間に、道路には少しずつ人影が増えていった。
戦いの音がやんだことで、屋内で息を潜めていた住民たちが様子をうかがうため外に出てきているのだろう。
「この煙の出るボール、あの女の子が使っていました」
星河は路上に散乱した独楽と煙玉の残骸を見下ろしながらリーナに説明する。
「なるほど。策に乗せられてしまったようだな」
朏は星河と口論するふりをして一同の注意をひきつけ、玩具たちが目的の位置につくまでの時間稼ぎをしていたのだ。
「すみません、もっと早く気づいていれば……」
智環が発見の遅れを謝罪すると、リーナは穏やかな口調でいたわった。
「いや、貴兄らのせいではない。こちらの油断だ」
「私のせいです……! あの子のやり口は分かっていたはずなのに」
そこで星河は思い出したように智環に向き直り頭を下げた。
「あの! さっきは助けてくれてありがとうございました!!」
「い、いいえ、いいんです。たまたま上手くいっただけで……」
「お礼も言わずに離れてしまって、すみませんでした!」
「気にしてないですから、ホントに。仕方ないです、あんな状況でしたしっ」
星河と智環のやりとりを見たリーナは、おおよそを察し透に向き直る。
「どうやら部下も世話になったようだな。改めて礼を言う」
「まぁ、それはお互い様だから」
「ふむ……」
リーナは神妙な面持ちで仮面の人物を見返す。
「先ほどもそのようなことを言っていたな。どうやら貴兄らも闘技兵のようだが、ひとつ聞いてもいいか?」
「いいよ、答えられないこともあるかもだけど」
「なぜ我々を助けた?」
「ん?」
「貴兄らにとっては我々も敵のはずだ。奴らと我々、いずれが勝つにせよ、敵の戦力が減ることに変わりはない。静観を決めこめば良いところ、なぜ危険を冒してまで我らに味方した? 理由はなんだ?」
トゥルノワの参加者としては当然の疑問であったが、それに対する智環と透の回答も明快だった。
「お2人が街の人たちを守ってくれたからです」
「だね」
「……それだけか?」
思いがけない返答にリーナは目をしばたたかせる。
「それで十分だよ。何なら『アイツらが気に入らなかった』でもいいけど」
「……! よもや貴兄らは……」
リーナは奇妙な2人組の正体をつかみかけたが、寸前で追及の手を止めた。
「いや、余計な詮索だな。貴兄らは恩人だ。今はそれでいい」
仮に疑問を口にしたところで2人が真実を答えるとは限らないし、そもそもリーナには真偽を判断する材料がない。それならばこの場は感謝の気持ちを伝えるだけでいい。
「この後はどうするつもり?」
透は周りを見回しながらリーナたちにたずねた。路地の周りに人だかりができつつある。透たちの存在に気づいた住民たちが集まってきているのだ。
街に鳴り響くサイレンの音から察するに、相当数のパトカーや救急車が駆けつけているようだ。
「どうやらこれまでのようだな。モーリ、行くぞ」
「え? でも、まだケガ人が……」
素直な星河には珍しく上官の命令に難色を示したが、リーナは叱らなかった。
「諦めろ。この警報音はおそらく官憲だろう。我らが留まっていると知れば身柄を押さえにくるぞ。それが任務だからな。そうなればどうせ治療どころではあるまい」
それは頭ごなしの命令ではなく、部下の苦悩を理解したうえで優しく教え諭すものだった。
「お前はできることをした。あとはこの世界の医者に任せるしかない。わかるな?」
「……はい」
リーナの言葉にうなづいた星河は、両手で抱きかかえていた男児を透たちに差し出す。
「あの、この子のコト、お願いしていいですか? ケガのほうは大丈夫だと思いますけど、念のためお医者さんに見てもらってください」
「わかりました。ありがとうございます」
星河と智環が子供の受け渡しをしている間に、リーナと透は別れの挨拶を交わす。
「そちらはどうするのだ?」
「戦闘が終わったらすぐ引き上げるように上から言われている。それに従うよ」
「そうか。では、次に会うときまで壮健でな」
「そっちもね」
リーナが羽衣ユニットを起動し地上から飛び立つと、星河も後ろ髪を惹かれる思いで後に続く。2人の姿はあっという間に見えなくなった。
リーナたちを見送った透たちは、人目を避けるため手頃なマンションの非常階段に移動し、そこで変身を解除したあとカナンに戦闘終了の報告をした。
「分かりました。お2人は念の為すぐにその場から離れてください。後続の部隊が来ないとも限りませんから」
「うん、わかった、じゃあ……」
「なんだって?」
智環がカナンと電話を切ったときには、透も魅麗との連絡を取り終えていた。
「やっぱり、すぐに離れたほうがいいみたい。また来るかもしれないからって」
「そっか。あっちを手伝いたかったんだけどな」
透の視線の先では、瓦礫の撤去作業をする消防隊員や怪我人を搬送する救急隊員、通行人を誘導する警察官たちが忙しそうに動き回っている。
「カナちゃんには何か考えがあるみたいだけど……」
変身できる今の自分たちなら何か役に立てることがあるはずだ。その思いは智環も同じだが、彼女たちに力を与えてくれたカナンの判断をないがしろにはできない。
マンションから出た2人は気絶した男児を救急隊員に預けたあと、ひとまず駅へ向うことにした。
「魅麗ちゃんは? ケガしてない?」
「今電車だってさ。騒ぎが起きる前に離れてもらって正解だったよ。ん? どした?」
「……せっかくの休日なのに悪いことしちゃったなって。買い物につきあってもらっただけで終わっちゃったから」
「今日のはしかたないよ。あんなのがいるなんて思わないじゃん。また誘えばいいんだって。ミレイも言ってたでしょ。ヘンにエンリョしちゃダメダメ」
「うん、ありがと」
ケータイで駅の方角を確認していると、遠くのほうから聞き覚えのある声がした。
「あ、いたっ! いたよ!! みんな、こっちこっち!」
透と智環が声のしたほうを振り返ると、切迫した様子の少女がこちらへ向かって来るところだ。
「あの、さっきは、どうも! ありがとうございました!!」
全速力で走り寄ってきた少女は、思わず身構えた透と智環の前で急停止するやいなや、頭が地面につくほどの勢いで深々と頭を下げた。




