その1
「ごめん!」
部屋に通され席についた暁雄は、開口一番、机に手をついて頭を下げた。
「え!? あの……」
「俺、嘘ついてた! 俺は普通の人間! 魔法なんて使えないし、さっきのは全部作り話! それと疑ったことと、ヒドイこと言ったのもごめん!」
「いえ、あの、いいんですっ。悪いのは、私、なんです……。大友くんが、謝ることなんて、ないですから」
「いや、杉山さんはなにも悪く無いだろ? ホントに魔法が使えるんだから。星視の件だったら、ちょっと暴走しちゃっただけなわけだし」
「だから、です」
杉山智環は顔を伏せたまま、消え入りそうな声で語った。
「私、前にも、同じこと、したんです。それで、祖母にも、キツく叱られて。二度としないって、決めたのに……。浮かれて、調子に乗って……、大友くんを、傷つけて……。だから、私が、悪いんです……!」
よく分からないが、さっきの件では、なぜか杉山智環も罪の意識を感じているようだ。
とはいえ、謝罪を受け入れてもらえないと、暁雄としてもスッキリしない。勝手な言い草だが、行き場のない罪悪感を持て余してしまう。
「あー……、じゃあさ、こういうのはどう? おたがい悪かったってことで、おあいこってことにしない?」
「……?」
「杉山さんはさ、自分のせいだっていうけど、でも、星視をやってくれって頼んだのは俺なわけだし。そもそも俺が魔法使いだなんて嘘つかなきゃ、そういう話にもならなかったわけで。それで、俺が怒ったのはただの逆ギレなわけだし。……だから、どっちもどちのあおいこってことで水に流す……ってのは、どうかなって……」
暁雄は最後まで言い切ることができなかった。
杉山智環が潤んだ瞳を見開いて、暁雄を見つめていたからだ。
「……いいんですか? 本当に? 許して、くれるんですか?」
「いやぁ……、許して欲しいのは俺のほうなわけで……。むしろ、かなり厚かましいこと言ってると思うんだけど……」
「そんなこと、ないです……」
「そ、そう? じゃあ、まぁ、そういうことで……」
「は、はい……」
なんとも奇妙なことになった。
杉山智環が暁雄の提案を受け入れたということは、謝罪は済んだことになる。だが、許してもらえたという実感がないため、暁雄の中でのモヤモヤが収まらない。
杉山智環のほうは、前のときのように椅子の上で縮こまり、ずっと下を見ている。
とりあえず暁雄の用件は済んだはずなのだが、部屋を出ていってよいものか判断がつかない。
「あ、あー……、そうだ! 魔法、お祖母さんに習ったっていってたよね? お母さんは? 杉山さんのお母さんは、魔法は使えないの?」
「あ、はい。祖母の話では、一族の血が、薄くなっているんだそうです。祖母の代でも、魔法を使えるのは、祖母だけで、母の代は、ひとりも、いませんでした……。たぶん、私が、最後になるだろうって……」
「あー……、そうなんだ。それは……、なんか残念だね。あ、でも、じゃあ、杉山さんが生まれたときは大騒ぎだったんじゃない? 久しぶりに魔法使いが生まれたって」
暁雄の感覚では 、「失われつつある先祖伝来の力が、隔世遺伝によって現代に蘇る」というのは、かなり燃えるシチュエーションだ。
だが、杉山智環は憂いのある表情で首を左右に振る。
「私が、魔法使いの血に、目覚めたのは、5歳のときでした。それを知ったとき、母は、とても悲しがっていました。『なんで、よりにもよって貴方なの』って……」
「え? なんで? 名誉なことじゃないの? お祖母さんはいろんな人の手助けをしてたって……」
「祖母の力は、有名でしたが、そのせいで、母は、幼いころから、嫌な目に遭っていた、そうです。同級生に、イジメられたり、ご近所さんから、白い目で見られたり」
ありえそうな話だ、と暁雄は思った。
杉山智環の母は、中学を卒業したあと遠方の高校へ進学し、それ以来地元へはほとんど戻らなかったという。多感な思春期に辛い体験をした彼女が、魔法嫌いになったとしても無理からぬことであった。
「それでも、私が、魔法を習うことは、許してくれました。魔力の使い方を、身につけておかないと、危険だからって、祖母が、説得してくれて……。人前では、ゼッタイに使わないって約束で。それなのに、私が、約束を破って……。たくさんの人に迷惑をかけて、母を傷つけてしまいました。あのとき、もう二度と繰り返さないって、誓ったはずだったのに、また同じ失敗をして……」
せっかく話題を振ってみたものの、ピンポイントで地雷を踏んでしまいあえなく終了。
杉山智環の犯した失敗について気になったが、気安く触れていい話題ではないように感じ、暁雄は別の話題を探すことにした。
「えー……、あー! そうだ、他の班員の人たち、来ないね? 今日、班活じゃないの?」
「……班員は、私だけ、です」
「え? そうなの?」
「魔法を、練習できる場所が、欲しかったから……。作りました……」
「へー、すごいじゃん。杉山さんって行動力あるね。……あれ? 班って1人でも作れたっけ?」
後半の疑問は半ば独り言であった。オリエンテーションのときに、何か聞いたような気がしただけだ。
「……ホントは5人必要、なんです。でも、どう集めていいか、分からなかったから、魔法で、ごまかしちゃいました……」
「え? そんなことまでできるの?」
魔法の効果もそうだが、杉山智環の行動にも驚かされた。
杉山智環という少女は、暁雄が想像していたより、だいぶ大胆な性格なのかもしれない。
「扉にかけた魔法の、応用、みたいなものです。相手の認識を、意図的にズラすんです……」
「はぁー……」
分かったようで分からない説明だが、暁雄の関心は、別のことに向けられていた。
「魔法の練習って、ひとりでもできるの? お祖母さんに教わらなくても?」
「祖母は、亡くなりました。私が、小学3年のときに……。それからは、ずっと、ひとりで……。これを見ながら……」
そういって杉山智環がカバンから取り出したのは、百科事典ほどのサイズの古い本だった。表紙は皮でできていて、使われている紙も、普通より厚みがありそうだ。
「ずいぶん、昔のモノみたいだね」
「うちに伝わる魔道書だそうです。まだ、魔法使いの血に、目覚める前、祖母がくれたんです。『これが読めるようになったら、魔法使いになれる』って。その頃、魔法使いの女の子が出てくる、アニメが、大好きで、ずっと『魔法使いになりたい』って、言ってたから……。祖母は、冗談のつもりだった、みたいですけど」
「これ、見せてもらっていい?」
杉山智環から手渡された魔道書は、見た目通りかなり重い。貴重なモノのはずなので、できるだけ丁寧にページをめくってみた。
そこに描かれていたのは、インクを垂らしたシミのような図柄であった。
てっきりマンガやアニメで見たような、神秘的なルーン文字の列や魔法に関わる奇妙な図形があるだろうと想像していただけに、暁雄はかなり面食らった。
次のページも、その次のページも、まったく同じ。文字や絵らしきものは一切書かれていない。
「……これが魔道書?」
「そうです。文字に見えませんよね? 私も、最初はそうでした。でも、ある日、急に読めるようになったんです。不思議なんです。書くことはできないですけど、読むことはできるんです」
「へぇー……。ちなみに、どんなコトが書いてるの?」
「最初のほうは、魔法を学ぶうえでの基礎的なことですね。魔力のコントロールの仕方とか、周囲のマナの集め方とか。このあたりから、初級の魔法のページです。指先を光らせたり、火や水を作り出す魔法、あと扉にかけた錯覚の魔法なんかはココに書いてあります」
「へぇ~。あ、扉の魔法っていえば、アレ、スゴイね。本当に扉が見えなかったよ。あと、記憶もボヤケてたんだけど、もしかしてそれも魔法の影響?」
うなづく杉山智環のようすは、どこかぎこちないが、興奮気味の暁雄はそのことに気づかない。
「やっぱそうかぁ、スゴイな。ホントに、ザ・魔法って感じだなぁ。最初に来たときに看板が見えていたのは、魔法のかかりが弱かったの? なんか理由分かった?」
「魔法は、ちゃんとかかっていたから……。どうしてかは、分かりません」
「そうなの? でも、今は、ちゃんと俺にも見えなくなってるよ?」
「それは……。……別の魔法を、かけたから、です」
「別の?」
「大友くんから、見えなくなる、ようにって……」
「あー……」
「ごめんなさい……!」
「いやいや、謝ることないって! それフツーだって。あんだけヒドイこと言ったんだから! ホント、ごめん!」
「でも、悪いのは、私なのに。ちゃんと、謝らなきゃ、ダメだったのに……」
せっかく会話が転がり始めたと思ったのに、またしても地雷原に舞い戻ってしまった。
何やらBAD END一択の無限ループにハマった気分だが、元凶の自分が、ここで投げ出すわけにはいかない。
「いや、でも、ほら、……そう、カバン! カバン、届けてくれたじゃん! 俺が困ると思って、持ってきてくれたんでしょ? だから、杉山さんはいい人だよ!」
「……ありがとう」
「え? いや……、どーいたしまして……?」
咄嗟に返礼した暁雄だったが、杉山智環に感謝された意味が分からず困惑する。
(ありがとう? なんで? いい人って言ったから? それでお礼いうか? いや、それより次の話題! 何かネタはないか? 小学校の話聞くか? ダメだそれはまずい! せっかく持ち直してるのに、また落ちこませる! ん? 持ち直したっけか? ありがとうで? そういう意味に取れるのか? ダメだ、今はそれはどうでもいい……!)
口を閉ざした2人の間に、微妙な空気が生まれる。
混乱した頭では何も思いつかず、暁雄が手詰まり感を覚えたとき、休戦を告げるかのように下校のチャイムが鳴った。
「……帰ろっか?」
「うん……」
きちんと謝罪できただろうか。いまいち達成感を得られぬまま、暁雄はカバンをかつぎ部屋を出た。
その後ろから、魔道書でパンパンになったカバンを抱えて杉山智環が出てくる。
「あ、そうだ」
部屋の扉の施錠を終えたところで、杉山智環は、空中に文字を書くように指先を振る。すると、扉のあたりで、家鳴りのような微かな破裂音がした。
「何? どうかしたの?」
「さっきかけた魔法を消したの。大友くんにも扉が見えるように……。……だから、いつでも遊びに来てね」
それは疑いようのない和解の意思の表れであった。
「……あ、うん、ありがとう!」
杉山智環から笑顔を向けられたとき、暁雄は、ようやく心の重荷を下ろすことができた。
振り返ってみれば、朝から浮き沈みの激しい一日だった。
まさかクラスメイトが魔法使いで、その子と喧嘩して、仲直りするなんて、登校時には想像すらしていなかった。
平凡で退屈な日常を飛び出し、非日常の世界に足を踏み入れた暁雄には、これからどんなできごとが待っているのだろうか。それを考えただけで胸がワクワクする。
長く打ち捨てられ枯れ果てた水路に、新鮮な雪解け水が流れこむように、ずっと忘れていた高揚感が全身をかけめぐる。
(こんな特別な経験をしておいて、ほどほどの人生なんて言ってられないよな!)
そんな想いに駆られたとしても無理からぬことでろう。