その5 ディスクドッグ
「……?」
星河は襲いかかる激痛に耐えるべく、目を閉じて身構えていたが、いつまで経っても痛みがこない。少し離れた位置からガリガリと固いものを削る音だけが聞こえてくる。
「え? なに!?」
おそるおそる目を開いた星河は驚いて声を失った。
四方が土の壁で囲まれている。壁は地上から伸びてきたものらしい。足下を見下ろせば深い穴がどこまで続いていて、頭上は20mほど上方で閉ざされている。
まるで大きな煙突か井戸に放りこまれたようだ。
「魔法? でもこんな壁……!」
手のひらに光弾の輝きが生まれる。と、壁の向こうから星河の知らない声がした。
「あの、大丈夫ですか!? ケガはありませんか?」
「あなた誰? いったい何のつもり? ここから出して!」
「は、はい、すぐに! あの、でも、大丈夫ですか? ちゃんと戦えますか?」
「邪魔してるのはあなたじゃない。早く出して! 出さないなら……」
「落ち着いてください。本当に準備はいいですか? 壁を消したらあの子の武器も動き出しますからね?」
「え?」
謎の声は星河の意表をついた。誰かは分からないが朏の仲間ではないようだ。
壁の向こうからはあいかわらずガリガリと何かを削る音が聞こえる。今ならわかる。この壁が竹とんぼの接近を妨げているのだ。
(そうだ、大尉が……! 早く助けに行かなきゃいけないのに! 落ち着け、落ち着け)
壁の向こうからの忠告で星河は少し冷静になることができた。深呼吸を繰り返したあと、周囲にバリアを展開する。
「もう大丈夫です。頭が冷えました。壁を消してください」
「分かりました」
謎の人物が応じると壁が音もなく消えていく。視界が開けた途端、壁に抑えられていた竹とんぼが突進してきたが、カグヤのバリアが苦もなく防ぎ止める。
だがこのとき、星河の意識は竹とんぼではなく、謎の人物に向けられていた。声の主は見知らぬ少女だった。可愛らしいヒラヒラのドレスを着て、杖のようなものにまたがっている。
「えっと、あなたは……」
名をたずねようとした星河の声は朏の怒声に遮られた。
「あー、やっと消えた! もー何なの! せっかくいいトコだったのにぃ!」
土壁に囚われていたのは朏も同様だったようだ。
「あれぇ? なんで増えてるの? ダレダレ?」
新たな参戦者を前にしても動じた様子は見られない。とはいえのん気に構えているわけでもなかった。
少女の正体は分からなくても、星河の敵でないことは一目瞭然だ。
(てことはあたしの敵に決まってるワケ)
謎の少女を警戒した朏は、攻撃中の竹とんぼを呼び戻す。だがその隙を星河は見逃さなかった。
「はっ!」
掛け声とともに勢いよく発射されたバリアは、巨大な砲弾となって6つあった竹とんぼをすべて破壊し、勢いそのままに朏に迫る。
「あっ、ひどーい!」
不満をもらす前に朏は行動に出ていた。屋根から飛び降りて巨大光弾を避けると、隣接する家屋の隙間に滑りこむ。いったん身を隠してようすをうかがう――つもりだった。
「えええ~、なにこれ!」
朏が入りこんだ隙間は目の前で塞がれた。何の前触れもなく地面から土壁が浮かび上がったのだ。
「アイツかぁ!」
気配を感じた朏が上方を振り仰ぐと、杖にまたがった少女と目が合った。
「……っ!!」
魔法で土壁を作った謎の少女――杉山智環は、幼女とは思えない朏の鋭い眼光にいすくまれる。
(ちっ、呪術使い2匹はメンドくさいなぁ)
ただでさえ、異世界の人間と戦うのは神経を使うのに、いっぺんに2人も相手にするのは骨が折れる。 (やっつけるのが好きなだけで、負けるのは大嫌いなんだよね、鷹羽と違って。……ん?)
問題を解決するのにちょうどいい戦闘狂がすぐ身近にいることを朏は思い出した。
「なぁんだ、鷹羽に押しつけちゃえばいいんじゃん♪ アイツが始めたコトだからトーゼンだよね」
騒動を起こした張本人に責任を取らせることにした朏は、ポケットから小袋を取り出す。
袋の中にはクルミほどの小さなボールがぎっしり詰まっていて、赤や青に塗り分けられたボールは先端に短い導火線がついている。
「そーれ、レインボースモークぅ~♪」
朏は小袋の中のボールをつかむと無造作に四方八方へ投げ始めた。
投げ放たれると同時にボールの導火線に火がつき、落下した先で本体内部の火薬に着火、たちまち赤、青、緑といったカラフルな煙が当たりに立ちこめる。
「あっ!」
勢いよく湧き出した煙幕が朏の姿を覆い隠し、上空の智環から見えなくなってしまった。煙の中から絶えず新たなボールが飛び出し、その範囲を拡大させていく。
「あの、どうします? 隠れちゃいましたけど……あれ?」
星河の判断を仰ごうと智環が振り返ると、そこに少女の姿はなかった。リーナの身を案じた星河はシールドで朏を牽制したあと、すぐにその場から移動していたのだ。
素早い判断であったが、星河よりも先に現場に駆けつけた者がいた。
鎖で出来た鉄の塔はミシミシと不気味な軋み音を立て、先端に捕らえた獲物をじわじわと締め上げている。
その生々しい感触は鉄鎖を通して鷹羽の手にも伝わっていた。鎖にかけた指をわずかに引くだけでリーナの頚椎は折れ、彼女が抱きかかえる男児の身体は潰れる。
(だがまだだ。まだいけるよなぁ?)
せっかく捕らえた獲物だ。楽に死なせてはもったいない。
「ケハハハ! どうしたよ? もうシメぇか?」
締め付けを加減しながら2人を少しでも長くいたぶってやるつもりだった。
苦しむリーナたちの姿に興奮し舌なめずりした鷹羽は、その直後、背筋に冷たいものを感じた。
(やべぇっ!!)
そう思ったとき、鷹羽の身体は前によろめいていた。頭上から迫る殺気に押し出される形での行動だったが、そのおかげで初撃を避けることができた。
一瞬前まで頭のあった位置を強烈な手刀が駆け抜け、ほぼ同時に荒々しい音を立てて何者かが鷹羽の真後ろに着地した。凄まじい風圧が鷹羽の後頭部を叩く。
「テメェ!? 何も……ぐおっ!!」
頭上からの一撃はかろうじて回避できたが、幸運はそこまでだった。
後ろに向き直った鷹羽は、突き上げるような一撃を両腕に受け、たまらず鎖を手放す。そしてがら空きになった胸部に鋼のような双拳がえぐりこまれた。
凄まじい衝撃波が路地を駆け抜け、ビルの窓ガラスがビリビリと震える。
「ぐっはぁっ!!」
激痛が衝撃となって鷹羽の全身を駆け抜け、その身体は数m後方の民家に頭から突っこんだ。
鷹羽の手から鉄鎖が離れたことで鉄の塔もかき消えた。
気絶する寸前だったリーナは、拘束が解かれ浮遊感を感じるや否や男児を抱きかかえたまま仰向けになる。自分の体をクッションにして衝突の衝撃から男児を守るためだ。
しかし地面に叩きつけられる前に誰かがリーナの身体を抱きとめた。
「生きてる?」
「こ、子供は……」
まだ意識が混濁しているリーナは、助けてくれた人物――透に子供の安否を問う。しばらく返事はなかったが、やがて確認がとれたようだ。
「大丈夫みたい」
「……そうか、よかった……」
会話を交わすうち意識がハッキリしてくる。身体のあちこちが痛むが、戦闘継続に支障はないようだ。




