その5
「終わりました」
始めてから3分も経った頃だろうか。杉山智環が、球を覗きこんだままの姿勢でそう告げた。
「で? どうだった、俺の星は? 何か分かった?」
「主座星が小機、副座星が中周。経験と理論を重んじ、根拠の曖昧な事柄や無謀な行動を好みません。自分と他者との間に明確な線を引く一方で、多様な価値観を受け入れるだけの包容力にも優れています。奥座星が大魁で、従星が均等に散らばっています。コミュニケーションが得意で、多くの友人に囲まれ、他人と他人を結びつける能力にも長けています」
占いの結果を語る杉山智環の口調は、よどみなく流暢で、さっきまでとは別人のようだ。
(誰にでも当てはまる言い方で褒めちぎって、相手をいい気分にさせるんだ。バーナム効果とかいう話術を応用した、接待占いの常套手段だな)
手の内を見きったつもりの暁雄だが、女子から面と向かって褒められて嬉しくないわけがなく、つい頬が緩んでしまう。
「スゴイね。何かほめすぎな気もするけど、思い当たることばかりだよ。他には何か分かった?」
「えっと……、一番得意な科目は数学。好きな食べ物はカツカレー。今ハマってる漫画は週刊ダッシュの『蒼きエルフ』。毎週木曜日にはザ・ハンドレッドの深夜ラジオを聞いている」
「おぉ~っ! そんなことまで分かるの!?」
趣味や好みをピンポイントで言い当てられ、暁雄は、さきほどよりも派手に驚いてみせる。だが、じつはこれも予想の範囲だった。
(確かホット・リーディングだっけ? ずいぶん本格的だなぁ)
ホット・リーディングとは、他者を誘導する会話術の一種で、事前に調べあげた情報をもとに相手の秘密や悩みを言い当て、さも自分が超常能力の持ち主であるかのように装うのだ。
これに対して、事前の下調べをせず、会話の流れの中で巧みな言い回しを駆使し、相手に意識させることなく秘密を引き出す話術をコールド・リーディングと呼ぶ。
おそらく杉山智環は、暁雄が友人たちと交わした雑談の中から情報を拾い集めておいたのであろう。暁雄が驚いたのは事実だが、それは杉山智環の手際の良さが意外だったからだ。
現実的に考えれば、この暁雄の推測は正しい。あることを見落としている点をのぞけば。
杉山智環の手の内を読んでいい気分になった暁雄は、ちょっとイジワルをしてみたくなった。
「ほんとスゴイよ。全部当たってる。じゃさ、次は未来を視てもらえるかな? 明日起こることとか、将来どうなってるかとか」
それを聞いた杉山智環は、申し訳無さそうに首を左右に降る。
「ごめんなさい。まだそこまで上手くないの。未来を視るのは、星視の魔法の中でも一番難しいから」
(無茶振りをかわす口実も用意済みか。やっぱかなり慣れてるな)
断られた以上、あまりしつこくすると機嫌を損ねてしまう。とはいえ、あっさりかわされたまま終わっては負けた気がするので、暁雄は、もう一度だけ食い下がることにした。
「じゃなさ、昔のことはどう? 子供の頃によく出かけた場所とか。遊んでいたオモチャとか、わからないかな?」
「過去ですか? それならたぶん……。でも……」。
可能であることを認めながら口ごもったあと、少し恥ずかしそうに言葉を続けた。
「時間を遡るにはスゴく集中しないといけなんですけど……。私、まだヘタなので、視ることに気を取られすぎて力の加減がおろそかになって、魔法が暴走することがあるんです」
「暴走? 暴走するとどうなるの?」
「どんどん深いトコロまで視てしまうんです。でも、暴走している間、自分ではそのことに気づけなくて。だから、大友くんがもういいと思ったら、そこで止めてくれますか?」
「ああ、なんだ、そんなことか。オケ、分かった」
暁雄の快諾を得ると、杉山智環は先ほどと同じように、球に手をかざし中をのぞきこむ。
しばらくすると、球の中でゆっくりと回転していた結晶が動きを止め、やがてそれまでとは反対の方向へ回転を始めた。しかもその速度はどんどん早くなっていく。
(どんだけパターンがあるんだコレ? どこで操作してるかも分からんし。……ん?)
球を眺めていた暁雄は、首筋のあたりに冷たいものを感じた。外から風が吹きこんだのかと思ったが、暗幕は揺れていない。
どこかでエアコンのスイッチが入ったのだろうか。さっきまでなんともなかったのに、なぜか肌寒い気がする。
「<見えてきました>」
老婆のようなしゃがれた声に驚き振り向くと、声を発したのは杉山智環だった。本職の霊媒師さながらに声を作っている。
「<これは中学生の頃……? この学校の中等部だったんですね……。ほかにも知っている人たちが見えます……。所属していたのは陸上部……夏休みの合宿……とてもキツそうです……。修学旅行は京都……>」
(おいおいおい、そこまでやる? ずいぶんと凝ってるじゃん。どんだけ練習したんだよ)
杉山智環の芸達者ぶりに感心し、暁雄は、心のなかで拍手を送る。
だが、のん気に構えていられたのはそこまでだった。
「<もっと前へ……。これは小学生の頃ですね……。あれは……なに? なにか隠れている……。心の一部に蓋がされている>」
蓋と聞いた途端、暁雄の顔に影がさし、言いようのない不安に襲われた。
「<見えてきました……。ボールで遊んでいます……。とっても楽しそう……一生懸命で……。これは野球? ……違うバスケ? ……いえ、サッカーですね>」
杉山智環が一言発するたびに、暁雄の心の中の古傷が疼いた。心臓を握られたような息苦しさを覚え、思わず両手で胸を掻き抱く。
「<本当に一生懸命……。毎日、朝早くから夜遅くまでボールを蹴ってる……>」
(なんだ……、どうして……!)
「<部屋のポスターは……憧れの選手ですね……。外国の……アルゼンチンの方……。小柄な体格……緩急自在なドリブル……正確無比なシュートが持ち味……>」
(なんで知ってる!? そんな、誰が……!)
見えない力で締めつけられたように胸が痛い。ショックと混乱で言葉が出ない。その間にも、杉山智環の言葉が刃となって、暁雄の心を切り刻んでいく。
「<将来の夢は……サッカー選手だったんですね……>」
(違う、やめろ……、そうじゃない……っ。黙れ!)
「<隣にいるのは……お友達ですね……。今も同じクラスの……。そうですか、彼にサッカーの楽しさを教えてあげたのはあなた……。練習につきあってあげて……お友達はどんどん上達していきますね……。上級生より巧いかも……。まるで、あのポスターの選手みたい……>」
(黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!)
「<楽しみにしていた試合がもうすぐ……。レギュラーの発表……。選ばれたのは……>」
「だまれっ!!!」
全身から吐き出されたような怒声が部屋中に響き渡る。
乱れた息を整えながら、暁雄は、魔法の集中から解放された杉山智環を睨みつける。その目は、怒りと羞恥と屈辱で燃えたぎっていた。
「誰だ!? 誰から聞いたっ!? そんなことして面白いか!? 俺の、人の古傷えぐって楽しいのかよ!」
「そんなっ! ちがっ……! ご、ごめんなさい、私……!」
杉山智環は、魔法の集中が途切れた瞬間、自分の犯した罪を自覚した。前にも同じ失敗をしたことがあった。他人が踏みこんではいけない場所に入りこみ、土足で踏み荒らしてしまったのだ。
「ふざけんなっ! ちょっと遊びに付き合ってやったら調子に乗って! 何が魔法だっ! 全部インチキじゃないかっ! デタラメばっか並べ立ててっ! くだらない真似してんなっ!!」
激情の赴くまま一気にまくし立てると、暁雄は、椅子を蹴倒し部屋を出て行った。
あとに残された杉山智環は、遠ざかる足音が聞こえなくなるまで身動きひとつできずにいたが、やがて震える両手で顔を覆う。小さな肩が小刻みに揺れ、微かな嗚咽が部屋に響いた。
一方、部屋から飛び出した暁雄は、怒りが収まらぬまま玄関ホールまで来ていた。
もはや杉山智環との交渉は諦めるしかなかったが、そんなことはどうでもよかった。魔法だ占いだといって、人の秘密を暴き立てて得意気になるような人間と親しくできるわけがない。頭を下げて頼むなどもってのほかだ。
(二度と顔も見たくないが、同じクラスだからな)
などと考えながら、下駄箱を兼ねたロッカーの扉に手をかけたところで、さっきの部屋にカバンを置き忘れていたことに気づいた。
(くっそ! 今日はもうさんざんだな!)
自分の迂闊さをたっぷり呪ったあとで、これからどうすべきかを考える。
(今戻っても杉山がいるしなぁ。明日早めに登校して取りに行くか)
そんな考えも浮かんだが、すぐに打ち消した。
杉山智環が部屋を出るときに鍵をかけるだろうし、カバンの中に弁当箱や課題のプリントが入っている。いささかバツが悪いが、取りに戻るしかない。
(だいたい悪いのはアイツだ! なんで俺がビクビクしなきゃならないんだ!)
まだ苛立ちは残っているとはいえ、さすがに時間も経って頭がクールダウンしている。
そうなると、感情的に怒鳴りつけたことへの気恥ずかしさや後ろめたさを覚えずにはいられず、無理矢理にでも自分を奮いたたせる必要があった。
そうやって考えごとをしていたせいだろうか。来た道を戻ってきたつもりが、別の場所に出てしまった。突き当りの正面向かって左側にトイレはあるものの、右側はただの壁だ。
「おっと、階を間違えたか?」
まだ高等部の校舎に慣れてないせいもあり、授業前の移動でもたまにやってしまう。階段ホールまで戻り、下の階へ移動し、記憶をたどって廊下を進む。
だが、またしても違う場所へ出てしまった。
突き当りを正面に見て左手にトイレ、右手に特別教室。ここまでは合っているが、特別教室の扉には「第二音楽室」と書かれたプレートが貼られ、中からは楽器を演奏する音がかすかに聞こえてくる。
「あれ? 違う、上だったか?」
試しに最上階へ上がってみたが、どうも記憶の中の光景とズレがある。見覚えがあるようで無いような廊下を、右へ曲がり、左に折れ、と進み続けたが、確信が持てぬまま階段ホールまで戻って来てしまった。
「……っかしいな。階段ホールを出て、目の前の……。いや、最初はまっすぐ……だったか? あれ、その前に渡り廊下を渡った? いや渡ってない? んん?」
不思議なことに、部屋までの道筋が思い出せない。それどころか、記憶をたぐろうとすればするほど、映像がボヤけていくようだ。
「くそっ! なんなんだ!?」
他に行くあてもない暁雄は、とりあえず教室まで戻ってきた。あの「占い部屋」以外の記憶はいたって正常だ。
「落ち着け落ち着け。ちょっと頭に血が登りすぎてるみたいだ。落ち着け……」
自分の席につき、リラックスした状態で気を静めようとする。
ふと正面の壁にかかった時計を見ると、16時半を過ぎていた。杉山智環に呼び出されてから、30分以上あの部屋にいたことになる。
「ったく、中二病のペテンにつきあったせいで、時間を無駄にした!」
部屋でのやりとりを思い出し怒りが再燃する。
「クラスメイトの会話を盗み聞きして、ペテンのネタを集めるなんて高校生のやることかよ! ホントの詐欺師じゃないか。だいたい……ん?」
杉山智環の占いの様子を思い返していた暁雄は、ふと妙なことに気づいた。
「……そうだ、アイツ、いつ集めたんだ? 俺ら、いつも教室でくっちゃべってたわけじゃないよな? そんときアイツ、近くにいたっけ?」
さきほど暁雄が見落としていたのはこれであった。情報をこっそり集めるには相応の時間と手間がかかる。入学から日も浅いこの時期に、暁雄の個人情報をそこまで詳しく集められるものだろうか。
まして小学生時代の話ともなれば、知っている人間も限られる。
(高校で知ってる奴なんて……。でも、アイツらが他人にしゃべる訳ない。そんなヤツらじゃない。じゃあ、杉山は、どうやって知ったんだ? ……まさかホントに? いやそれはありえんか)
「あの……」
不意に呼びかけられ、暁雄は椅子の上で小さく飛び上がった。平静を装い振り返った暁雄の眼前に、彼のカバンが突き出される。
「これ……、カバン……、忘れていった、ので」
カバンの影に隠れて見えないが、杉山智環の声に間違いない。
「……お、おう」
暁雄がカバンを受け取ると、杉山智環は身を翻して教室を出て行く。
最初から最後まで顔を伏せたままだったので、彼女がどんな顔をしていたのか分からない。ただ、背を向ける一瞬、目元が濡れていたように見えた。
「……くそ! 俺は悪くないぞ!」
なぜだか分からないが、暁雄は、彼女をこのまま行かせるのはよくない気がした。数秒間悩んだ末、席を立って杉山智環の後を追った。
廊下に出るとまばらとはいえ生徒の姿があり、彼らの前で杉山智環を呼び止めるのはためらわれた。
幸い、弱小とはいえ元陸上部である。平凡な女子の足に負ける気はしない。杉山智環も暁雄の姿に気づき足を早めたが、階段ホールに着く頃には、階段ひとつ分にまで迫っていた。
だが、杉山智環の後を追って4階のフロアへ出たところで、暁雄の足が止まった。
(そうだ! この道だ! 覚えてる! 思い出せる! なぜだ!? さっきまで忘れていたのに!)
そうしている間にも、杉山智環の背中が少し先の角に消えたのに気づき慌てて後を追う。
(おかしい! この廊下、さっきも来たぞ! そうだゼッタイだ! この先は行き止まりのはず!)
10mほど先を行く杉山智環は廊下の突き当りに達しつつあった。左側にはトイレがあり、右側には何もない。
(ほら、やっぱり行き止まりじゃん)
急ぐ必要はないと分かり、暁雄は足を緩めるが、その目の前で信じられないことが起きた。
杉山智環が右側の壁に手を当てると、あの異様な飾りつけが現れたのだ。当然、その下には扉がある。
「お、おお!? なに? なんだ?」
驚いて声をあげる暁雄をよそに、杉山智環は扉を開いて部屋に駆けこむ。
(やばい!)
このまま扉を閉じられたら、また忘れてしまう。もう二度と思い出せないかも知れない。そんな予感に駆られた暁雄は、現役さながらの猛ダッシュをかけ、閉じかけている扉に手を伸ばした。
「待って!」
一瞬の差であった。勢いよく閉じた扉と壁の間に右手が挟まれる。
「あイタっ!」
「あ、ご、ごめんなさい!」
杉山智環が慌てて扉を開く。勢いがついていたとはいえ、扉自体が軽いうえに、ゴム製ガードのおかげでたいした怪我ではない。
「あの……、大丈夫、ですか?」
寝転がったままの暁雄に、杉山智環が心配そうに問いかけるが、返事はない。暁雄は別のことで頭がいっぱいで、少女の声が聞こえていなかった。
「魔法……、ホントだったのか……」
陶然とした面持ちで異様な飾りを見つめながら、暁雄はつぶやいた。
――願いは叶えられた。
――たった今、平和で退屈な日常が壊れたのである。