その2 憧れの船上パーティー
リーナたちが個室に案内されてから2時間ほどが経過し、時計の針が夕方の5時を過ぎた頃、部屋のドアがノックされた。
室内に入ってきた使用人たちは、大型のドレスハンガーを2つ用意していて、2部屋あるベッドルームに1つずつ運び入れた。
「それは?」
「主から仰せつかり、お召し物をご用意させていただきました。お気に召すものがなければ、別の物をご用意させていただきます」
案内役の使用人がリーナのそばまで歩み寄り礼儀正しく応じた。
回転式のハンガーには、形状や装飾の異なるドレスが数種類用意されていた。使用人によれば、サイズやカラーはこの場で自由に調整できるのだという。
「それはまた……、お気遣い感謝する」
「わー! すごーい! こんなにあるの!? 」
星河のように飛び上がって喜ぶことはなかったが、リーナも驚きを隠せない。
宴の話が出たところで、着替えくらいは用意してもらえるものと期待していたが、まさかこれほどの気配りを示されるとは思っていなかった。
数あるドレスの中からリーナが選んだのは、いわゆるフィット&フレアータイプで、色はネイビーに変えてもらった。使用人たちの手を借りて、着替えとメイクを済ませる。
リーナがリビングエリアに出てくると、ちょうど星河も着替えを終えたところだった。
星河が着ているのは丈の短いバルーンタイプのドレスで、トップのベージュとスカートのライトグリーンが、星河の若々しい雰囲気によく似合っている。
「大尉、とってもお似合いですよ」
「そうか。ところでなモーリ」
「はい? なんですか?」
「……いや、お前もよく似合っているぞ」
「ありがとうございます! こういうの憧れてたんです!」
「『服装によって迎える』とは、よく言ったものだ」
「え? なんです?」
「気にするな」
ドレスに着替えた2人は、使用人の先導で会場となるホールへ向かう。
着慣れない服装のためか、はじめのうち星河の歩き方にどこかおぼつかないところがあり、慣れるまでの間、リーナがエスコートしてやった。
「うわぁ~、すご~い!」
ホールに足を踏み入れた星河は、飾り立てられた室内の装飾と、まるで装飾の一部であるかのように華やかな彩りを放つ料理の双方に目を輝かせた。
ここでも、ホストとゲスト、それぞれの出身国の料理が用意されており、ルーシ帝国の意匠に彩られたオードブルスタンドには、サーモンのマリネを包んだブリヌイ、一口サイズのチキン胸肉をバタークリームで包み揚げたカツレツ、ニシンとジャガイモのマリネサラダ、2種のチーズで包んだチーズパンなど、リーナには馴染みのある料理が並んでいた。
「わ~、どれから食べようかな! あ、これ美味しそう!」
無邪気にはしゃぐ部下を横目に、リーナはホールの隅々に視線を走らせた。どうやら懇親会は立食形式で行われるようだ。
(エトゥネ卿は……、あそこか。ふむ、ナリオン卿やヒディン卿の姿がないな。後から参加するのか?)
リーナが顔と名前を把握しているのは、エトゥネの闘技兵の中でも主だった者くらいだが、そうした名の知れた者たちの姿が見えないことが気になった。
しかし、リーナの抱いた疑問は、宴を始めるにあたって行われたエトゥネの挨拶によって明らかになった。
懇親会には、エトゥネの家臣団から30人ほどが参加していて、彼らのほとんどは、最近、クァ・ヴァルトから召喚された者や、数日前まで世界各地で情報収集にあたっていた者たちだという。
(名目は同盟の前祝いだが、家臣たちの慰安も兼ねているわけか。部下への行き届いた配慮、司令の学友だけあるな)
エトゥネは部下たちにねぎらいの言葉をかけると早々と挨拶を締めくくった。すると、それまで静寂に包まれていたホールのあちこちで、参列者たちの会話の泡が弾け出し、壁際に控えていた給仕たちも一斉に動き出す。
「もう食べてもいいですかね!?」
「いいんじゃないか。せっかくのおもてなしだ。存分に味わってくるといい」
「はいっ!」
リーナに送り出された星河は、目をつけていた料理のコーナーへ急ぐ。どうやら故郷である大和の料理から味わうつもりのようだ。
ほかの参列者たちも、それぞれに小集団を形成し、雑談の花を咲かせている。
リーナは、すぐ近くのテーブルに並んでいたアラジをひとつ手に取る。これは揚げたてのドーナツに、生クリームとジャムをかけたスイーツで、ひと噛みすれば口の中が柔らかな甘味で満たされる。
(この分だと主賓扱いされることはなさそうだな。思い過ごしだったか)
予期していた質問攻めを避けられた、と胸をなでおろしかけたリーナだったが、その判断は早計だった。
「失礼。よろしいかな」
呼びかけに振り返ると、青いドレス姿の女性が立っていた。
「エンサーキ様のもとから参られたテレシコワ大尉ですね。エトゥネ様にお仕えするヤヤネ・ライグと申します」
ヤヤネと名乗った人物は、女性としては背が高いほうだろう。見上げる姿勢になったリーナは、いささかコンプレックスを刺激される。
「かの有名なアストロフェアリーズに所属されておられるとか。空中戦での一糸乱れぬ集団戦技の素晴らしさ、我々も聞き及んでおります」
(……来たか!)
ワイングラスを手にしながら、リーナは心のなかで身構えた。
情報の収集と分析は戦術の基本だが、トゥルノワの場合、闘技の特性上、情報の入手には大きな問題があった。
戦闘フィールドを覆う対魔法障壁は、外部との人工的な通信を遮断する。魔法はもとより、電波や赤外線といった科学的な探査方法すら、この障壁を突破することはできない。
対魔法障壁は、文字通りの壁となって、部外者の情報収集を阻害するのだ。
(となれば、フィールドのそばで観戦する以外に手段はなく、それができないなら伝聞に頼ることになるわけだが)
ヤヤネの意図は明白だ。リーナに武勇伝を語らせることで、リーナたち自身に関する情報と、あわよくば彼女たちが知るトゥルノワ関連の情報も聞き出すつもりなのだ。
現在の戦力はどの程度のものか。闘技兵たちはどんな性格か。何が得意で何が苦手か。得意な攻撃パターンはなにか。これまでどんな相手と戦ってきたか。
いかにさりげない会話を装いつつ必要な情報を引き出すか。高度な話術が要求される。
無論、リーナとしても安々と情報を渡す気はない。逆に、相手の情報を引き出すチャンスでもある。
(腹芸は得意ではないが、ルーシ軍人として諜報で遅れを取るわけにはいかん)
型通りの挨拶を交わす間に、リーナの脳内では人名録のページが高速でめくられていく。幸いなことに、そこにヤヤネの項目があった。
「双雷の槍さばきといえば、我ら異世界の者たちの間でも有名ですよ。いつかお会いする機会があればと常々思っておりました」
「……恐れ入ります。これはとんだお耳汚しを」
ヤヤネがわずかに目を見張るのを、リーナは見逃さなかった。侮っていたわけではないだろうが、異世界の人間に自分の二つ名を言い当てられたことで、警戒心を強めたのだろう。
牽制が成功したところで、リーナは星河の様子をうかがう。案の定、彼女のもとにも、別の闘技兵が接触していた。
「そこで、相手の……えっと名前は、すいません、覚えてなくて……。えっと、こう、細長い棒のようなものからビューンと飛んで来る武器を使う人で、それを私がシャシャシャーッと撃ったんですね。そうしたらガガンってなって……」
「は、はぁ……」
「真ん中はダメだって少佐が……、あ、少佐というのはですね!」
星河の要を得ない話しぶりのせいで、相手が困惑しているのを見て、リーナはほくそ笑む。
(やはり釘を刺さずにいて正解だったな)
性根のまっすぐな星河は、腹の探り合いに向かない。無理やりやらせたところで、すぐに相手に見抜かれる。それならばいっそ、自由に話をさせたほうがいい。
(あいつの説明下手は筋金入りだからな。そのままでも十分撹乱できる。これもまた適材適所。さすがだなクロエ)
リーナは、自分たちを同盟の使者に選んだ直属の上司の顔を思い浮かべた。




