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その1 『アストロフェアリーズ』

(うう~、まだかな、まだかな……)

 豪華客船メティス・プリンセスの応接室に通された毛利もうり星河せいかは、そわそわしたようすでしきりにドアの方を気にしていた。

 緊張のあまり、いつもならすぐに手を伸ばすはずのケーキにも興味を示さない。

「落ち着けモーリ軍曹」

「は、はい……!」

 星河の真向かいに座る少女が緑色の瞳を向ける。ベージュの髪に包まれた肌の色は雪のように白い。

 星河の上官にあたるリーナは、部下とは対象的なほどリラックスしていて、すでに自分の分のケーキを平らげ、今は星河の分のケーキを手にしている。

「どうしてそこまで緊張しているんだ? 格好のせいか? 場所のせいか?」

「両方です……!」

 星河たちは、今、薄地のアンダースーツしかつけていない。胸や腰のあたりに申し訳程度にプロテクターが付いているものの、身体のラインがハッキリ見えてしまい、年頃の少女にはかなりこたえる。

「いい加減慣れろ。何度も出撃しているだろう」

「戦闘中は誰も見てないじゃないですかぁ。こんなステキな船の中じゃ場違いすぎて……。せめてカグヤくらい付けたままでも」

「武装したまま乗船許可されるわけなかろう。だいたい、お前はケンシンに乗ったことがあると言っていなかったか? だったらたいして変わらないだろう」

「ぜんぜん違いますよぉ! ケンシンは軍艦じゃないですかぁっ!」

 星河がさらに泣き言をいいかけたとき、部屋のドアがノックされ、この船の使用人が顔を見せた。

「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」

「よし。行くぞ、軍曹」

「は、はい……っ」

 さっさと席を立つリーナに遅れまいと、星河も慌てて部屋を出る。

 船内とは思えないほど広々とした通路を歩き、乗船したとき最初に通された大部屋まで戻ってきた。メティス・プリンセスのメインダイニングを改装したホールだ。

 細緻な彫刻の施された扉が開かれると、まず真っ先に目に飛びこんできたのは磨き上げられた大理石の床で、白く輝く床には、入り口の扉から奥い向かって真っ赤な絨毯が一直線に伸びていた。

 真っ直に伸びた絨毯の先には、一段高いスペースが設けられ、その壇上の席に、この船の主であるエトゥネ・シーゲンの姿があった。

 絨毯の左右には歴戦の風格を漂わせる闘技兵アパリティオたちが整列し、エトゥネの横には彼女の一の騎士として知られるナリオン・ヴァルクモートが控えている。

(あう……、さっきより人多くない……?)

 ここまで星河たちを案内してきた使用人は扉の横に控え、リーナと星河だけが中へ歩を進める。

 緊張で押し潰されそうな星河は、周りを見なくてすむよう、前を行くリーナの背中だけを見詰めた。

 同世代の女子と比べて小柄な星河だが、リーナの背丈は、その星河よりもさらに低い。したがって、リーナの背に視線を固定すると、無意識のうちに前かがみになっていく。

 前を行くリーナは、猫背気味な星河とは対象的に、全方位から注がれる無言のプレッシャーに臆することなく悠然と進む。

 小上がりの手前まで来たところでリーナの足が止まる。前方を見ていなかった星河は、危うくぶつかるところだったが、寸前で左によけてリーナの隣りに並んだ。

「テレシコワ大尉、毛利軍曹、参りました」

 口上と同時にリーナが敬礼すると、少し遅れて星河が続く。

 エトゥネは2人に手振りで応じてから本題を切り出した。

「ミーエさんから申し出のあった同盟について、検討させていただきましたが……」

 エトゥネの声は平静そのものだったが、結論が語られる寸前、リーナと星河の間には無言の緊張が走った。

「私にも異存はありません。喜んで申し出をお受けいたします」

 微笑むエトゥネを見て、使者の2人は緊張を解いた。星河が大きく息を吐く横で、リーナもかすかに安堵の息をもらす。

「詳細はこちらにまとめてあります。ミーエさんによろしくお伝え下さい」

 段下に控えていた召使いが、書状の載せられたトレイをリーナの前に差し出す。

 リーナは手にした書状を頭の高さまで掲げたあと、丁重におしいだく。

「同盟締結の前祝いとして、ささやかだが宴の準備をしている。使者殿におかれては、出立は明日にして、今日はゆっくりしていくと良かろう」

「!」

 宴と聞いた途端、星河の背筋が伸びる。先ほどまでの怯えた様子は消え去り、瞳をキラキラ輝かせている。

「お心遣い感謝いたします」

 リーナが丁重に頭を下げると、少し遅れて星河もそれに倣う。

(ち、面倒なことになった)

 リーナは顔をしかめた。頭を下げているため、エトゥネからは顔が見えない。

 このような場合、宴といっても字義通りには受け取れない。身内の食事会とはわけが違うのだ。しかし、前祝いを口実にされては断るわけにもいかない。

(如才ない御仁だ)

 再び姿勢を正したときには、その表情から不満の色は一掃されている。

 エトゥネの前を下がった2人は、再び使用人の案内で船内を移動し、宿泊用の個室へ向かった。

 2人に用意された部屋は、エクストラファミリースイートルームで、100平方メートル以上ある室内には、2つのベッドルームに、リビングエリアとシッティングエリア、バスルームなどがある。

 リビングエリアに置かれたテーブルの上には、クァ・ヴァルト産と思われる各種スイーツに混じって、ルーシ風チーズケーキのシルニキ、カリカリに焼き上げた生地をクリームで固定したムラヴェイニク、苺やキウイを使ったフルーツ大福など、リーナと星河の出身国の郷土菓子も並んでいる。

 窓の外には広々とした専用のバルコニーが設けられ、その向こうにはゆるやかにカーブを描く水平線が広がっている。

「ふわー……」

 室内に足を踏み入れた星河は、想像をはるかに越えた部屋の作りに圧倒された。

「すごーい……! 私の家より広いかも……。船の中とは思えないですね! すごいすごい!」

 大役を果たして安心したのか、星河は、はしゃぎながらテーブルの上に用意されたスイーツに手を伸ばす。

「あ、美味しい! 大尉、美味しいですよこれ!」

「モーリ、何か飲むか? なんでもありそうだぞ」

 壁際にはコーヒーや紅茶、ジュースなどのドリンクサーバーが並び、冷蔵庫も置かれている。

「ホレフヒフューフ?」

「落ち着け。分からん」

 リーナはミネラルウォーターの瓶を手にベランダに出た。

 現在、メティス・プリンセスの高度は海抜千メートルを越えるあたりのはずだが、風は涼しげで心地良い。

「あれはイベリアあたりか?」

 はるか水平線の彼方にある陸地を見ながらリーナはつぶやいた。なんとなくそう思っただけで、確証があるわけではない。

「キレイな眺めですね。船を囲っていた雲はドコ行ったんでしょう?」

 リーナを追いかけて星河もベランダに出てきた。右手には蜂蜜つきのシルニキ、左手にはオレンジジュースの入ったグラスを持っている。

「さあな。船内から見えないだけかも知れんぞ」

 そう口にしながら、リーナは別のことを考えていた。宴席での会話について、星河の注意を喚起したいのだが、具体的にどう指示すべきか。

(エヴァルトならまだしも、コイツに腹芸は期待できんからな)

 情報を隠していることを相手に悟られるのは構わない。それはおたがいさまだからだ。

 しかし、あまりに態度が露骨だと、相手に余計な疑いを持たれてしまう可能性がある。同盟相手に疑心暗鬼を抱かせるのは得策ではない。

 部下の顔を見上げながらリーナがため息をつく。

「素直だからなぁ、お前は……」

「なんで残念そうなんです!?」

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