その4
(くそ、話ってなんだよっ。脅迫でもしようってのか?)
杉山智環の呼び出しが気にかかり、その後の授業はずっと上の空であった。
(言いたいことがあるなら、さっさと言えってんだ! そもそも、驚かされたのはこっちだぞ。なんでビクビクさせられなきゃならねーんだ)
心の中で虚勢をはったところで、誰に聞こえるわけでもない。
(わざわざ班活の部屋に来いってことは、他の班員の前で何かするってことか? こっちはひとりだってのにズルいだろ。……つーか、それって、そこにいる奴らには、もうバレてるってことじゃん!)
暁雄の胸中では、午前中に台頭しつつあった楽観論はすっかり鳴りを潜め、再び悲観論が勢力を盛り返していた。むしろ一度浮き上がったぶん落差が激しく、マイナス思考に拍車がかかる。
(バックレるか? いやダメだ。先延ばしにしたって何もいいことない。向こうの心証を悪くするだけだ)
悶々としたまま時間だけが過ぎていく。帰りのHRが終わり、教室の清掃も片づいてしまえば、あとはもう暁雄を足止めしてくれるものはない。杉山智環の呼び出しに応じるしかなかった。
例の部屋へ向かう間、暁雄は処刑台に向かう罪人の気分であった。4階に続く階段は、まさに13階段そのもので、一歩、また一歩と、重い足を引きずるように登っていく。
放課後の人気のない廊下を進み、呼びだされた部屋の前まで来た。教室からここまで長い道のりに感じたが、実際には10分と経ってない。
部屋の入口には、今日もゴテゴテとした装飾が施されてる。
(こんなモンがあったせいで!)
不気味な装飾に好奇心をそそられたのは、誰でもない暁雄自身だ。分かってはいるが、事実だからこそ余計に忌々しい。引きはがしてやりたい衝動にかられるが、かろうじて堪えた。
(我慢だ。耐えろ。主導権を握られている以上、怒らせるだけ損だ)
一度深呼吸して頭を冷やし、おもむろに扉に手をかけた。
「お?」
扉を開けると、まばゆい照明灯の光の中で、机が並ぶだけの殺風景な室内のようすが目に入った。昨日と同様、真っ暗闇を予想していた暁雄は、いきなり意表を突かれた。
部屋のほぼ中央あたりに杉山智環の姿があった。さりげなく視線を左右に走らせたところ、他には誰もいない。これも暁雄の予想外であったが、内心ではホッとしていた。
「あの、どうぞ……」
暁雄を見て、椅子から立ち上がった杉山智環は、自分の対面の席へ暁雄を促す。
「は、ども、失礼します」
モゴモゴとつぶやきながら暁雄が勧められるまま席につくと、杉山智環も腰を下ろした。
「……」
「……」
20秒ほどの間、部屋が沈黙に支配される。壁にかかった時計の秒針音がやけにハッキリと聞こえた。
(なんなんだよ。もったいつけやがって)
杉山智環は顔を伏せたままで、暁雄のほうを見ようともしない。
静寂に耐えかねた暁雄が用件を尋ねようとした矢先、杉山智環が顔を上げた。
「あー……」
「あのっ!」
絶妙すぎるほど気まずいタイミングで2人の声が重なった。
「は?」
「え?」
「ああ、杉山さん、どうぞ」
「あ、いえ。大友くんが先に……」
その後、ニ、三度譲り合いが続き、トリオ芸人の持ちネタのような流れにうんざりした暁雄が折れた。
「いや、俺は、話を聞きたいなって思っただけで。なんで呼ばれたのかなって」
「あ、そ、そうですよねっ。すいません……」
だが、そう言ったきり、杉山智環は、再び顔をうつむかせて黙りこんでしまう。
「いや、話さないのかよっ!」
と喉まで出かかった言葉を、暁雄は寸前で呑みこんだ。
杉山智環の様子がおかしいことに気づいたからだ。こわばった肩は小刻みに震え、伏し目がちの視線を左右に走らせている。心なしか顔も赤くなっているようだ。
(……もしかして、緊張してるのか?)
そう思ったらスッと心が軽くなり、相手を観察する余裕が生まれた。暁雄の視線を感じたのか、杉山智環は、ますます体を縮こまらせたが、やがて意を決したのか、顔をあげ暁雄の目を見つめながら口を開いた。
「なぜ、分かった、んですか?」
「え? 何? どれのこと?」
「この部屋の扉、です。ちゃんと、隠していたのに」
「隠す? あれで? いや、思いっきり目立ってたよ?」
あの不気味な飾りつけは、扉を隠すことが目的だったのか? だとしたら本末転倒も甚だしい。あれだけゴテゴテ飾り付ければ、確かに扉そのものは見えなくなるが、余計に注目を引くだけだ。
「そうじゃ、ありません。あれは、おまじない、なんです。人の目から、隠す、ための。普通の人には、見えないはず、なんですっ」
緊張のためか、杉原智環は、話している間に何度も声をつまらせるが、それでもしっかりと暁雄の目を見ながら言葉を紡いでいく。
「扉が見えた、ということは、大友くんも、普通の人じゃない、はずです」
いったん言葉を切ったあと、最後の躊躇いを振り切るかのように、杉山智環は、今日一番の声量で一気に言い放った。
「アナタも魔法使いなんですか!?」
「…………はぁ!?」
杉山智環の言葉が暁雄の耳に入ったあと、脳内で解析されるまでに数秒の時間を要した。
(あの異様な飾りがおまじないで、俺が魔法使い? 何言ってんだ?)
話が突飛なうえに急展開すぎて、理解が追いつかない。無意識のうちに額に手を当てたのは、めまいを感じたような気がしたからだ。
杉山智環のほうといえば、言いたいことを言い切ったようで、期待のこもった目で暁雄の返事を待っている。
とりあえず、脳内で会話の冒頭からリフレインし、一語一語、自分なりの解釈を加えつつ要点を整理してみたところ、暁雄は次のような結論に達した。
(要するに、コイツは、魔法使い気取りの中二病で、俺を同類だと思ったわけか? いや確かに、入部したいって言ったけどさ……。扉の飾りを見たときからヤバイ感じしてたけど、ここまでドップリ染まってるとはなぁ)
額に当てた指の隙間から杉山智環の様子を伺うと、あいかわらずキラキラと輝いた瞳を暁雄に向けている。
(なんだよ……、そんな期待されたってさ……)
暁雄の人生において、女子からこれほど熱い視線を向けられたことはない。それに気づいたとき、胸がドキドキし、顔が熱くなっていく。
(……せっかく期待されてるんだし、ちょっとくらい、ノッてやったほうがいいよな? スネられたら説得どころじゃないからな。そう、これは作戦なんだ、仕方ないんだ)
にじみ出る下心を得意の理論武装でコーティングしてしまえば、もうためらう理由はない。日頃培った妄想力をフル稼働し、杉山智環の語る中二病設定にあう人物像を作り上げていく。
暁雄は30秒ほどで基本設定を練り上げると、精一杯のキメ顔で杉山智環に向き直る。
「そこまで見ぬかれてちゃ、もうごまかせないね。そう、じつは、うちの家系も魔法使いの血を引いているんだ」
「やっぱり!」
「このことを知っているのは一族のなかでもごく一部で、本来なら絶対に明かしていけないんだ。だから学校では秘密にしておいてくれよな?」
「もちろんです! でも、嬉しいな。私、祖母以外で魔法使いに会うの初めてなんです! 大友くんはどなたから魔法を教わったんですか?」
「それは、あー、親戚の家が神社でね、宮司をしている伯父から教わったんだ」
「そうだったんですね。祖母も言ってました。『まだ日本にも、数人くらいは魔法使いがいるだろう』って。だから、大友くんを見たとき、そうじゃないかって思ったんです。大友くんは、どんな魔法を使えるんですか?」
「あ、えーっと……」
杉山智環の畳み掛けるような質問攻撃に、暁雄は防戦一方となる。まるで即興劇の舞台上に放り出された気分だ。
(待て待て! グイグイ来すぎだろ! もうちょい時間をくれよ!)
いくら妄想好きといっても、しょせんはひとり遊び。会話しながら、つじつまの合う設定を考えるのは容易なことではない。
「いやぁー……、まだ、そんなに大した魔法は使えなくて……。そうだ、杉山さんは? 杉山さんは、どんな魔法が使えるの? 扉を隠すやつ以外で」
「え? 私ですか? 私もまだ修行中で……。アレのほかに使えるのは、星視の魔法くらいかな」
「星視って?」
「人や物に宿る星の運行を視る魔法。星の運行を正しく理解できれば、対象の本質を深く識り、過去や未来まで見通せるの。私はまだ落とし物を探すくらいだけど、祖母は、この魔法で大勢の人の悩みを聞いてあげていたそうです。行方不明になった人の捜索を手伝ったこともあるって」
「ああ、なるほど、聞いたことがあるよ」
といっても、暁雄が知っているのは魔法とは関係ない。「霊能力者が事件の捜査に協力する」という内容のテレビ番組を何度か見たという程度だ。
リアリストを気取っている手前、この手の話を頭から信じる気にはなれないが、全くのデタラメと切り捨てられるほどドライにもなれない。
(要は、占いか。まぁ、手軽にオカルト気分を味わうにはちょうどいいわな)
教壇にかけられた布や机に置かれた燭台も、占いに関係した小道具なんだろう。それらを眺め回していた暁雄は、どんな占いなのか興味を持った。
「じゃあ、それ、やってみてくれない?」
「え? 今からですか?」
「そう。俺の星を見てくれない? まだちゃんと見てもらったことがないんだ。ダメかな?」
「そうなんですか。いいですよ、私でよければ」
そう言うと、杉山智環は、席から立ち上がり星視の準備を始めた。
教壇にかけられていた布を外して、暁雄たちのいる机にかけ直したあと、その上に小さなクッションを置き、さらにそのクッションの上にソフトボールくらいの球を置いた。
定番の水晶球かと思ったが違った。球体の素材は石か金属のように思われ、乳白色の表面は、なめらかに磨き上げられている。
「じゃあ、この球の上に手をかざしてもらえますか?」
「上? こう?」
暁雄は机の上に身を乗り出し、球のほうへ腕を伸ばす。手のひらを開いたまま球の上1cmあたりまで近づけると、球がぼんやりと発光し、徐々に色が変わり始めた。
最初は乳白色だった球は、だんだんと色が薄まっていき、乳白色から白、白から透明へと変化を続ける。
「はい、もういいですよ」
杉山智環に言われ球体の上から手をどかした暁雄は目を疑った。手の下から出てきたのは、乳白色の球ではなく、虹色の光彩を放つ透明な球であった。球の内部では、極小の結晶が無数に乱舞していて、これが照明灯の明かりを反射し、七色の光を生み出しているのだ。
極小の結晶はゆっくりと右方向に回転していて、まるで宇宙の一部を切り取ったかのようだ。
「うわぁ……、なんだこれ……、すげぇ……」
「これ全部が大友くんの宿している星です。では星視を始めますね」
そう言うと、杉山智環は、球体から少し離れた位置に両手をかざし、球体の内部に目を凝らす。中で遊弋する結晶の動きを目で追っているようだ。
(最近の占いグッズって凝ってるんだなぁ。コレ、いくらするんだ?)
のっけからド肝を抜かれた暁雄は、球にどんな仕掛けがあるのか気になった。占いというより手品の類だが、どっちも魔法を演出するにはもってこいだ。