その2 窮鼠、食うか食われるか
「き、来ました……!」
「そうですか。ではカウントをお願いしますね」
緊張で声が震える智環とは対照的に、カナンは落ち着き払っている。
そのカナンたちを狙うヒディンの闘技兵たちは、シブヤスクランブル交差点を囲むようにして、駅地下5番出口から8番出口までの4ヵ所に分散していた。
地上への逃走経路をふさぎ、地下へ追い詰めていく構えだ。
「ギギ!」
ヒディンの号令で一斉に突入してから数分後、8番出口から降りたベスベルミアが、フロアの壁に身を寄せる2つの人影を発見する。
その報告はすぐさまヒディンに伝えられ包囲の輪が狭められていく。
[雑魚には構うな。闘技将だけを狙うのだ! 行けぃ!]
ヒディンの攻撃指令を下るや、地下をうごめく異形の怪物たちがターゲットめがけて殺到する。
「あと20m……10m……3、2、1、入りました!」
「スペル発動! <強熱の火彩流>!」
智環の合図で、カナンが高らかに宣言すると、その直後、怪物たちが築きあげた包囲網の中心で光が灼熱し、燃えたぎる炎の波濤が地下通路を駆け抜けた。
熱風の濁流に巻きこまれた闘技兵たちは、逃げる間もなく焼き尽くされた。彼らを飲みこんだ炎が地下通路出口から吹き出す様は、離れた場所からも確認できた。
「! しまった、私としたことが……!」
ヒディンは罠にかけられたことを悟った。
ヒディンの闘技兵が発見し、追跡していたカナンたちは、スペルで作り出した幻影だったのだ。その幻影を囮にして、<強熱の火彩流>が設置された場所までおびき寄せられたのだ。
「してやられたっ。こんな初歩的な策に……!」
何と言おうと後の祭りである。ヒディンは歯噛みして悔しがるが、その怒りの矛先は迂闊な己自身に向けられていた。
仕掛けた側からすれば、戦果を上げたのだから、初歩的な罠といって非難されるいわれはない。
「全部倒したよ、カナちゃん。上手くいったね!」
「チワが精確に指示してくれたおかげです」
そう褒め称え合う2人は、交差点から少し離れた雑居ビルの一室にいた。
戦闘中に敵の目を逃れながら潜伏場所を変え、同時に敵を特定の場所へ誘導するのは、スペルを駆使したとはいえ容易なことではない。
これほど鮮やかに成功したのは、カナンの高度な戦術眼と智環の優秀な探知能力があってこそだ。
だがヒディンにはそのような事情は分からぬし、分かったところで何の慰めにもならないであろう。
「読まれていたというのか。こちらの策が」
ヒディンは本職の闘技将ではないが、何度か公式大会で優勝した経験があり、そこらの闘技将に負けるはずがないという自負があった。
それだけに、こうもあっさりと手玉に取られたことにショックを受けずにはいられない。
<傀儡の厩舎>を囮とすることで敵の焦りを誘い、守りの手薄になった闘技将を叩く。ヒディンの得意とする戦術であり、確実性の高さから多くの勝利を収めてきた。
だが今回は完全に裏をかかれた。相手を罠にかけたつもりが、罠に踏み入っていたのは自分たちのほうで、闘技将を討つためにそろえた闘技兵たちをすべて失ってしまった。
こちらが多くの手駒を失ったのに対して、相手にはまったく損害を与えられずにいる。最初に<傀儡の厩舎>を破壊した闘技兵も、いまだに倒せていない。
「あるいはあれも囮だったのか? おそらくそうだろう。いたずらに戦力を分散させてしまった」
明らかにヒディンは劣勢である。このまま相手を調子づかせれば、その勢いに呑みこまれてしまうだろう。
「そうはさせぬ」
ヒディンは守りを固めるより、あえて攻勢に出ることにした。相手方に傾きかけている勢いを押し返すにはそれしかない。
「ヨルク卿のお力を借りよう。エトゥネ様から指揮権をお譲りいただいていてよかった」
ヒディンは空を仰ぎ見た。自然ならざる奇怪な雲がシブヤの街を覆っている。その雲中から観戦している主人に一礼すると、ヒディンは視線を眼下の街並みへ戻し、口を開いた。
「恐れを知らぬ勇猛なる騎士!」
ヒディンの召喚口上がフィールドを駆け抜ける。
道玄坂沿いにある総合ディスカウントストア「サンチョ・パンサ」の屋上に魔法陣が出現する。
「その威は雷火の如く四空に轟き!
戦斧の一薙は百の兵を打ち砕く!
我らが敵を圧倒し、粉砕し、摩滅すべし!
降臨せよ、嶺崩ヨルク!」
それまで神妙な面持ちで耳を澄ませていたカナンがハッとなる。
「ヨルク!? では彼女が……!」
召喚口上で告げられた闘技兵の名にカナンは心当たりがあった。彼の闘技将は、カナンのよく知る人物だからだ。
サンチョ・パンサ屋上の魔法陣から現れ出た人物は、厚みのある肉体を無骨な甲冑で覆い、派手な装飾の巨大な戦斧を肩にかついでいた。
身長は2mほどで、オーガやミノタウロスに比べれば小柄だが、全身から放たれる威圧感は比べ物にならない。
[で、何をすればよいのだ? 狗面ランナーとやらを倒すか?]
[お頼み致します。まずは敵の主力を落とし、その気勢を削ぐことが肝要かと]
[心得た]
そう言うが早いか、ヨルクは、軽々とした動作で屋上伝いにビルからビルへと疾走し、大通り沿いまで出たところで地上めがけて飛び降りた。
落下地点にあったトラックの荷台が重圧に潰れ、その断末魔の悲鳴は、少し離れた路地にいる暁雄の耳にも届いた。
(嘘だろ!? こんな近くに!?)
新たな敵が間近に出現したことを知り暁雄は愕然とした。
(まさか、こっちに来ないよな?)
そうでなくても暁雄は危機的状況にあった。
建物に隠れながらミノタウロスの注意を引きつける、という暁雄の作戦は、途中までは上手くいっていた。相手がミノタウロスだけなら振り切ることもできただろう。
しかし、後から現れた2体のベスベルミアの存在は計算外だった。
どれだけ物陰を上手く利用したところで、上空からでは丸見えだ。雑居ビルから別のビルへ移動しようと、とあるオフィスの窓から出たところを、旋回中のベスベルミアに発見されてしまった。
そこからは、もう敵のなすがままだった。
あっという間に包囲されて袋叩きにあい、すでに3回ほど死んでいる。斧で手足を叩き切られるわ、牙で首元を食いちぎられわと、さんざんだ。
暁雄も相打ち覚悟で応戦してはいるのだが、実力に差がありすぎて、まともに攻撃を当てることもできない。
リタイアせずにいられるのは、暁雄の不死身の特性があればこそだが、それもいつまで通用するか分からない。
(さすがに何かおかしいって気づいてるよなぁ……。ネタバレする前に何とかしないと……!)
ミノタウロスたちは先程から攻撃の手を止めていた。何度倒しても立ち上がってくる暁雄に不気味な物を感じているのか、遠巻きにするだけで襲いかかってこない。
(この隙に……、ってわけにもいかないか?)
周りには逃げこめそうな窓も扉も見当たらず、左右の道はベスベルミアにふさがれている。
(強引に突破するならどっちがマシだ?)
すると探るような暁雄の視線に触発されたのか、ベスベルミアの1体が奇声をあげ飛びかかってきた。
「くそっ!」
暁雄が慌てて防御の構えをとったときには、もう遅かった。ベスベルミアの爪が暁雄の頭上から降りかかる。
暁雄は反射的に目をつぶった。




