その1 トラップミス
このままではミノタウロスに追いつかれる。暁雄は狭い路地をもがくように走っていく。
[アキオ、どうですか?]
[気づかれた! 見つかった! 追いかけられてる!]
[それは分かっています。逃げ切れそうですか?]
[逃げるったって……!]
悲鳴混じりに暁雄が振り返ると、意外なことにミノタウロスはまだはるか後方にいた。体が大きすぎて路地の壁に体がつかえているのだ。
(なんだ、これなら……う!?)
楽観的になりかけた矢先、路地から見える狭い空を何かの影が横切った。その影にはコウモリに似た羽が見えた気がする。
暁雄は咄嗟に建物の壁に張りついた。
[羽のヤツまで来た! 俺を探してるっぽい!]
[そうですか。ではそのまま移動を続けて敵の目をひきつけてください。その間にステージの破壊を進めます。できますか?]
[!? ……分かった。けど、できるだけ早くしてくれ!]
通信を終えると、暁雄は、右手の剣で手近な窓ガラスを叩き割る。割れた窓から中に転がりこむと、そこは賃貸オフィスの一室だった。
(ビルを利用しながら逃げよう。それならミノタウロスに追いつかれることはないハズ!)
できればその間に臭いを消す方法も見つける。そうやって暁雄が逃走ルートを必死に模索していると、カナンの召喚口上が再びフィールド内に響いた。
「その身に受け継ぐは
誉れも高き勇者の似姿!
心に宿るは
燃えたぎる不滅の闘志!」
召喚口上が始まると、新たな魔法陣がシブヤ警察署前に現れた。
「おい! あそこ見ろ! 光ってるぞ!」
明治通りに溢れていた見物人のひとりが魔法陣の光に目ざとく気づく。声の主の振り上げた指先をたどって、何百という視線が街の一角へ注がれる。
「猛る覇気を拳に乗せ
立ちふさがる敵を打ち砕け!
召喚! 狗面ランナー・シヴァ!」
カナンの呼びかけに応え、純白の全身スーツに赤褐色のプロテクターをつけた特撮ヒーローがシブヤ警察署前に現れた。
「アタシ、見・参! なんてね」
シヴァの決めポーズでフィールドに出現した透は、後方の人垣に向けて手を振ってみせた。
「あそこに誰かいるぞ!」
「狗面ランナーって言ったか?」
「よく見えない!」
非常線ギリギリで騒ぐ群衆の中には、各テレビ局が派遣したニュースキャスターやスタッフの姿も見られ、大小無数のカメラが透の姿をとらえようと躍起になる。
だが、ここでも騒動が起きていた。
「おい何してんだ! まだカメラは直らんのか!」
「何が原因か分からないんですよ! ほかは全く問題ないのに、あっちを映そうとすると映像がぼやけるんですから!」
ド派手なニュースを聞きつけ現場まで駆けつけたのに、機材のトラブルに見舞われ、中継どころの話ではなかった。
スタジオからも仕切りに催促され、苛ついたディレクターが、もたつくカメラマンを怒鳴りつけると、相手も困惑したようすで言い返す。
「他局のカメラも同じなんでしょ!? 絶対変ですよコレ!」
「くそっ! いったい何が起きてるんだ!」
フィールドの障壁には、トゥルノワの公平性を保つための対策が施されている。機械による撮影や録画も例外ではないのだが、クァ・ヴァルトの者ではない彼らには知る由もない。
[……以上が作戦内容です。何か不明な点はありますか?]
[ナイナイ! その門ってやつをぶっ壊せばいいんでしょ? 楽勝だよ]
カナンから指示を受けた透は、すぐさま行動を開始する。首都高の下を走り抜け、シブヤ駅を迂回するようにして忠犬像出口へ至り、そのまま井之頭通りへ入った。
そこで最初の敵と遭遇した。近くを徘徊していた2体のベスベルミアが透を見つけ、前後から挟みこむようにして襲いかかる。
「ほいっ!」
軽い掛け声で透が体を一回転させると、2体のベスベルミアは弾かれたように左右に吹き飛び、そのまま道路沿いのビルの壁に激突した。
一瞬のできごとであった。
敵の意図を見抜いた透は、間合いとタイミングを見計らい、前から来た1体にカウンター気味の右フックを食らわせ、その勢いのまま旋回し、後方から迫る1体に豪快な裏拳を叩きつけたのだ。
「ギ、ギゲ……?」
ベスベルミアたちは、自分の身に何が起きたか理解できないままリタイアした。
「なんだ、コレで終わり? 案外もろいんだなぁ」
拍子抜けした透は、肩をすくめると先を急いだ。
あっけない幕切れに驚いたのは、スペルで戦いの模様を見ていたヒディンも同様である。
「ぬぅ、小癪な奴め」
負けるにしても多少の時間稼ぎはできると思っていた。どうやら新たに出現した闘技兵は侮れぬ相手のようだ。
「だがもう遅い。闘技将の居場所はとうに知れた。いまさら<傀儡の厩舎>を破壊したところで手遅れよ」
ヒディンのほうも、<傀儡の厩舎>の設置後、何もせずに相手の出方をうかがっていたわけではない。
索敵用のスペルと闘技隷を使って敵闘技将の潜伏地点をあぶり出し、すでに闘技兵を向かわせている。
さらに――。
「<傀儡の厩舎>は、それ自体が敵を引き寄せる餌となる。時をかけられぬと、焦れば焦るほど、こちらの思う壺よ」
敵の攻撃目標が分かれば、予めそこに戦力を集中しておける。ヒディンは、<傀儡の厩舎>の前で透を仕留めるつもりでいた。
「シヴァと言ったかしら? あの闘技兵、なかなかやるじゃない」
透の戦いぶりは、上空の船上から観戦中の2人からも好意的な評価を得ていた。
「はい。闘技値4000を越えているのは間違いありません。ですが、やはり聞き覚えの無い名前です。見たところレディル・デクサムの戦士のようですが」
「レディル・デクサム? 前の闘技兵はパムラクだったわよね? うーん……」
トゥルノワでは、敵が繰り出す闘技兵の傾向から、敵闘技将の正体を見抜くのが常だ。
敵の軍団編成に心当たりが無いエトゥネは、相手の正体をつかめず小首をかしげる。そもそも智環や透の出身世界を勘違いしているのだから、正しく推測できないのも当然なのだが。
船上の主従が興味深く見つめるなか、透は、2つ目の<傀儡の厩舎>設置地点にたどり着いた。
そこにいたのは、闘技隷だけではなかった。頭上では4体のベスベルミアが奇声を発しながら飛び交い、地上には3体の異形の怪物が待ち構えている。
カナンの説明によれば、みすぼらしい衣服をまとい棍棒を担いだ大男がオーガ、2本足で立っているオオカミはワーウルフ、馬ほどの大きさの黒い犬がヘルハウンドだという。
[おーおー、あれがオーガかぁ。へぇ~]
緊張感なく応じながらも、透は戦闘態勢に入っていた。
透の接近に気づいた闘技隷とヘルハウンドが、我先にと飛び出してくる。それを見た透も、足を緩めるどころか、さらに速度を早め、たがいの距離が一気に縮まる。
[先ほどアキオも同じようなことを言っていましたが、トオルはオーガを知っているのですか?]
[ん~? まぁたしなみ程度かな]
喉元めがけて飛びかかってきたヘルハウンドの牙を、透は足を止めることなく僅かな動作でかわすと、次の一歩を大きく踏み切り、遅れて迫ってきた闘技隷の頭部に膝蹴りを見舞った。
派手に吹っ飛んでいく闘技隷は、地上で二度ほどバウンドし、数m転がったあとフィールドから消えた。そのときすでに、透は新たな敗者を量産中であった。
4体のベスベルミアとヘルハウンドは、上下左右から透を取り囲むと、タイミングを合わせて一斉に飛びかかった。
練度の高さを伺わせる見事な連携だが、迎え撃つ透に動じた様子はない。しなやかな体さばきで敵の攻撃をかわしつつ、左右の拳を間断なく突き出す。
ゴーレムの巨体をも浮かせる透の突きは、鋭いだけでなく重い。ベスベルミアやヘルハウンドが喰らえばひとたまりもない。短い悲鳴だけを残して、片っ端に撃ち落とされていく。
厚い毛皮と筋肉で覆われたワーウルフですら、2発までが限界で、3発目がボディに突き刺さったところで崩れ落ちた。
最後に残ったオーガは、力任せに棍棒を振り回し、透を近づけまいとした。だが、下から強い衝撃を受け両腕が跳ね上がったと思うと、無防備な喉元や鳩尾を痛打されあっけなく倒れた。
相手の防御を崩し、がら空きになった急所に連打を浴びせる<驚濤裂岸>の技である。
警護役の闘技兵を蹴散らした透は、予定通り門を破壊した。戦闘開始からわずか1分余りのことであった。
「……闘技値2,000程度では相手にならぬか。召喚口上で呼び出すだけのことはあるな」
しばしの自失状態のあと、ヒディンは、絞り出すようにそう口にした。万全なはずの罠を破られ、動揺を隠せない。
だが、まだ勝負がついたわけではない。
「破られたとはいえ、餌に喰らいつかせた。今のうちに手薄な闘技将を叩けば……!」
そう自らを奮い立たせたヒディンは、敵闘技将を包囲している闘技兵たちに総攻撃の指示を下した。




