その8 逃げ恥
接近する暁雄の足音に気づき、闘技隷が振り返る。
視界に暁雄をとらえるや、それまでショーウィンドウのマネキンの如く微動だにしなかった闘技隷は、いきなり暁雄に向かって突進してきた。
ここに至り、ごく初歩的なミスをしたことに暁雄は気づいた。相手は背中を見せていたのだから、こっそり近づけばよかったのだ。
周囲には駐車車両や店の看板など身を隠せる物はいくらでもある。さんざん練習させられた隠密行動の基本すら忘れていた。
いつ新たな闘技隷が出て来るかも、という焦りがあったのは確かだが、それ以上に、カナンに頼りにされたことで舞い上がっていた。
「おわぁっ!」
低い姿勢で突っこんできた闘技隷を、暁雄は寸前でかわした。
目標を失った闘技隷は、そのまま道路脇に停車中の車に激突する。車体の後部が大きくへこみ、リアウインドウが派手な音を立てて砕け散った。
闘技隷も激突の反動で道路に倒れたが、何事も無かったかのようにゆっくりと起き上がる。
その間にできるだけ距離を取りながら暁雄は思った。
「痛覚無さ気なところといい、ガード無視の攻撃といい、ゴーレムそっくりだ、な!」
そう言って暁雄が身をかわすと、そのすぐ横を闘技隷が駆け抜けていく。
「けど、スピードやパワーは大したことない、か? 元が人間だからか?」
大したことはないといっても、あくまで超重量級のゴーレムと比較しての話であって、暁雄が喰らえばひとたまりもない。
しかし、さんざんゴーレムに叩き潰されてきたおかげで、はるかに小さくパワーも劣る闘技隷には恐れを感じない。
反撃するまではいかないが、闘技隷の攻撃を避けながら、その挙動を観察する余裕があった。
[アキオ、もう始めてしまったのですか?]
暁雄が闘牛士の気分に浸っていると、カナンが戸惑いがちに問いかけてきた。
[え? 何かマズかった?]
[始める前に強化用のスペルを使うつもりだったのですが……]
[先に言ってくれよ!]
反射的に抗議してみたものの、指示を受ける前に暁雄が先走ったのだから、ただの逆ギレにすぎない。カナンが取り合わないでくれてホッとした。
[仕方がありませんね。ほかは間に合いませんが]
不意に暁雄の右手に青白く発光する片手剣が現れた。ギャレットが劇中で使うメーザーブレードそっくりだ。
[攻撃力を上げました。それでも倒せないようなら、いったん引いても構いません]
[わ、分かった!]
撤退を許可されたが、暁雄の内心は複雑だ。二重にミスを犯したまま逃げるのはあまりに情けない。ここは何としても闘技隷を倒し、失地回復といきたい。
だがあまり時間はかけられない。次の闘技隷出現まで、そんなに猶予はないはずだ。
(どうする? どうすれば勝てる?)
敵の攻撃をかわしながら暁雄は必死に頭を働かせる。そのとき、視界の片隅に、闘技隷の体当たりで破壊された車が目に入った。
「……やってみるか」
暁雄は作戦を思いつくと、素早く左右に視線を走らせる。少し離れた場所に、作戦におあつらえ向きの車が見つかった。
「よしアレだ!」
暁雄は、突進してくる闘技隷をいなしながら、ある地点に向かって相手を誘導していく。神経を使う作業だが、敵の思考が単純なのが救いである。
何度目かの攻撃を暁雄にかわされた闘技隷が、勢い余ってビルの壁に激突し、派手に転倒する。そのスキに暁雄は全速力で移動し、先ほど目をつけていた車の前に立った。
駐車中の車を背にして振り向くと、闘技隷がゆっくりと体を起こしている。彼我の距離はおよそ10mほど。
立ち上がった闘技隷が暁雄の姿をとらえた。地面を蹴りつけ向かってくる。
機械的な動作で突っこんでくる敵を、暁雄を静かに待ち構える。見た目ほど落ち着いているわけではないが、努めて冷静にタイミングを測る。
(まだまだ……、あと少し、もう一歩……、いまだ!)
闘技隷の頭が当たる寸前、暁雄は真横に飛んだ。直後、派手な音が鳴り、闘技隷の上半身がサイドウィンドウを突き破り、車中にめりこんでいた。
暁雄の狙い通りであった。
「! うぉらぁっ!!」
暁雄は、車から出ようともがく闘技隷の体に右手のメーザーブレードを叩きつけた。
まるで藁の束を殴ったときのような乾いた手応えを残し、ブレードの刀身は闘技隷の胴体半ばまで達する。
ブレードを引き抜くと、相手の身体に見た目上の変化は全くないが、暁雄は構わずブレードを振るい続けた。
「どうだ! コイツ! この野郎!」
動きが取れなくなっている間に倒さなくてはならない。また同じ作戦が通じるとは限らないのだ。
「クソっ! いい加減に! まだか!」
無我夢中で振り回し、腕が重くなり始めたとき、バシュッという破裂音が鳴ったかと思うと、闘技隷の姿がかき消えていた。
「!? はぁっ……、はっ……、はは……」
闘技隷を倒したのだ。暁雄がたったひとりで。
「やった……、ははっ、やったぞ……!」
肩で息をしながら、暁雄は胸の前で左の拳を握りしめ、初勝利の感動を噛みしめる。
[カナン、勝ったぞ! 俺、闘技隷倒したぞ!]
興奮が抑えきれず報告の声もうわずる。そんな暁雄に対して、カナンは至って冷静に応じた。
[そうですか。よく頑張りましたね。詳しいことは後ほど聞かせていただくとして、ステージのほうはどうしましたか?]
[! あ、すぐ! すぐ壊す!]
勝利の感動で当初の目的を忘れていた。慌てて門に駆け寄った暁雄がブレードを叩きつけると、闘技隷と同じように小さな破裂音を残し、門は消え去った。
[終わったぞ。次は? あと2回、同じことをすればいいのか?]
[そうですね。ではそこから……]
そこでいったんカナンの声が途切れた。向こうで何かあったのだろうか。暁雄が事情をたずねようとしたとき、カナンのほうから通信が再開された。
[アキオ、すぐにその場から移動してください。北東から敵1体が近づいています。魔力の大きさから見て闘技隷ではありません]
闘技隷との戦いに気づいたヒディンが増援を送りこんだのであろう。ギリギリで間に合ったわけだが、落ち着いてはいられない。
「逃げろって? 急に言われても!」
道路の左右どちらを見渡しても視界が開けている。しばし迷った末、暁雄は、来たときと同じビルへ逃げこんだ。
そして、暁雄が建物内にすべりこんだのとほぼ同時に、道路の反対側に位置する雑居ビルの壁が吹き飛んだ。
崩れた壁の穴から姿を表したのは、大ぶりの戦斧を持った異形の怪人だった。身長は3mほどもあり、首から上が牛の形をしている。
[牛頭人身というと、ミノタウロスで間違いでしょう。知能は高くありませんが、力はリモシー人の比ではありません]
暁雄から説明を聞いたカナンは、ファンタジーでおなじみの名前を口にした。
[ミノタウロスね。初めて見るけど、嬉しくはないな]
[知っているのですか?]
暁雄の反応はカナンにとって意外であった。クァ・ヴァルトで調べた限り、リモシーにミノタウロスがいたという記録はなかったからだ。
[そりゃあもう。有名人だからなぁ〕
[そうなのですか? 詳しくうかがいたいところですが、まずはそこから移動したほうがよいでしょう。まだ安全とはいえません]
[そうか? 隠れてればバレないと思うけど]
暁雄は部屋に置かれたオフィス家具に身を隠し、棚の隙間から外の様子をうかがう。
まだ崩れた壁の前に立ったままのミノタウロスは、しきりに鼻先を振り回しながら、辺りを見渡していた。
その仕草は牛というより犬を連想させ、見た目とはアンバランスな行動に、暁雄は吹き出しそうになった。
だが緩んだ頬はすぐにこわばった。ミノタウロスが暁雄の隠れている方を向き、一直線に近づいてきたからだ。
(まさか、鼻が効くのかよ! 牛のくせに!)
暁雄は知らなかったが、牛は嗅覚の鋭い動物である。もちろん、牛の特徴がそのままミノタウロスには適用されるとは限らないが、この場合は一致したようだ。
無知からくる悪態をこぼしながら、暁雄は床から跳ね起きると建物の奥へ急ぐ。乱雑な室内をかき分け非常口の扉に手をかけたとき、ミノタウロスが建物に侵入していた。
「ヴゥオオオオオオー!!」
入口が崩れ落ちる轟音と共に、凶猛な唸り声が部屋中にこだまする。暁雄は非常口から外へ逃げ出すと、後ろも見ずに逃げ出した。
狭い路地で身体のあちこちをぶつけながら暁雄は必死に走る。だが、20mも行かないうちに背後で大きな破壊音がした。嫌々ながら振り返ると、ミノタウロスが路地へ出て来るところであった。




