その7 門門門
「ふむ、先に動いたか……」
カナンの召喚口上が始まると、シブヤ区役所の上空で光が瞬き、直径2mほどの魔法陣が現れた。
その輝きは、シブヤ10Qの屋上に陣取っていたヒディンからも視認できた。
「無明の世界を照らし出した一条の灯火!
不毛の地で古の叡智を受け継いできた民!」
召喚口上による召喚は、その闘技兵のルードスキル使用条件が緩和されるというメリットがある一方、相手に手の内をさらすというデメリットがある。
「思慮の浅い闘技将のようだのう」
ヒディンのつぶやきには失望感がにじみ出ていた。
闘技では、序盤は相手の動向を窺いつつ自軍の戦力を整えることを優先し、召喚口上の使用は中盤以降というのが定石なのだ。
「予定外の遭遇戦で気が急いたか」
拙速めいた相手の行動から、ヒディンはそのように推測し、久方ぶりの闘技が面白みのないものになりそうだと落胆した。
「異郷で巡り会えた友よ! 私に光を!
召喚! 魔法少女アリス!」
直後、カナンの呼びかけに応え、区役所上空の魔法陣からファンシーな姿の魔法少女が現れた。フィールドの外にいる見物人たちがざわめく。
「誰か出てきたぞ!」
「女の子だ!」
「コスプレか?」
「何か見たことある!」
ただでさえ内気な性格の智環は、大勢の視線にさらされて、みるみるうちに顔を紅潮させる。慌てて屋上に設置された機器の陰に隠れると、手にしたステッキをかざして魔法を唱えた。
「フ、フリット!」
杖にまたがり屋上から飛び去っていく智環の姿を見て、見物人たちはさらに大声で騒ぎ立てた。
「飛び降りた!?」
「違う、見ろ! 飛んでるぞ!」
「ホンモノだ! ホンモノの魔法少女だ!」
いったん上空へ舞い上がった智環は、見物人たちの視線から逃れるため、速やかに建物の陰へ回りこむ。しかし建物の間を縫うように飛ぶ智環の姿を、上方から目撃する者たちがいた。
「魔法少女アリス? 聞いたことないわね。ナリオン、貴方は?」
客船メティス・プリンセスのデッキチェアに身を横たえながら、エトゥネが戦いの模様を見学している。
このとき雲海に漂うメティス・プリンセスの巨体は、地上に対して垂直にそそり立っていた。常識ではありえない光景は、もちろん魔法のなせる技であり、船内の重力を制御していることは言うまでもない。
「いえ、存じ上げませぬ」
エトゥネの隣りに控える端正な顔立ちの青年騎士が首を左右に振る。
「ただ、あの戦闘装束は、パムラク人のそれに似ているように見受けられます」
フィールドに施された対魔法障壁のおかげで、内部の様子は肉眼でしか確認できない。エトゥネの視力ではそこまではっきりとは視認できなかった。
「そうなの? パムラクねぇ……。パムラクの闘技兵を使うプレイヤーというと、誰だったかしら?」
頭上でそのような会話が交わされていることなど知るよしもなく、智環は、魔法の杖に乗ってシブヤを滑空する。
透視能力と魔法の力のおかげで、暁雄とは桁違いの移動速度である。路地裏や建物の隙間などを選び、あえて遠回りなルートを取りつつも、わずか数分のうちにシブヤ駅の地下でカナンと合流を果たした。
「さっそくお願いできますか、チワ」
「はい!」
智環は目を閉じて精神を集中し、フィールド内にある魔力の位置を探る。訓練を重ねた結果、この程度の広さならば数分とかからない。
「分かりました。ここから西の方角に魔力の固まっている場所が3ヶ所、そしてそのさらに奥、フィールド境界ぎりぎりの位置にも魔力の反応があります」
「一番奥にいるのが闘技将でしょう。魔力が固まっている場所の詳しい状況を教えてもらえますか?」
「はい。えっと、約150m間隔で散らばっていて、1ヶ所につき魔力の反応が3つずつ……、あ、いえ、左端でひとつ増え……、あれ? 真ん中でもひとつ……、あ、全部で4つずつになりました……」
説明する智環は急な変化に困惑していたが、聞き手のカナンは落ち着き払っている。
「おそらくスペルの一種でしょう。その魔力が固まっている場所に何があるか視てもらえますか? 3ヶ所のうち、どこでも構いません」
「あ、はい」
智環は天井の一点を見据えて精神を集中する。透視と望遠の能力を備えた視覚は、天井を透過し、地面をすり抜け、建物の壁をひとつひとつ突破しながら、やがて目標の地点に達する。
「……視えました。全身真っ黒な人たちが3人いて、何か、門のようなものを囲むようにして立ってます。でも、どうして道の真ん中にあんなものが……」
「やはりそうでしたか。それはおそらくルルァスペル<傀儡の厩舎>。フィールドに設置されている間、その門から闘技隷が送り出されて来ます」
「じゃあ、この黒い人たちが闘技隷……」
闘技隷とは、闘技兵の一種で、本人の同意なく契約させられた者を指す。
自分の意志を持たず、闘技将の命令に従うだけの戦闘人形にすぎないが、スキルを覚えない変わりに召喚コストが低く、露払い役にはもってこいとされる。
「1つならばともかく、3つもあると看過できませんね」
カナンは少し考えこんだあと、敵闘技将の位置を追跡するよう智環に指示を出してから、暁雄に連絡を取った。
[アキオ、相手の位置が判明しました。まずはその建物から出てください]
[わ、分かった。……一気に闘技将を狙うのか?]
[いえ、その前にやってもらいたいことがあります]
カナンが暁雄に作戦の詳細を伝えていた頃、ヒディンの側にも新たな動きが見えていた。
3ヶ所で増殖した闘技隷たちが、その場に1体だけ残して移動を開始する。フィールド内に散開し、カナンたちを探すためだ。
さらにヒディンはベスベルミアを1体召喚し、上空からも探索を行わせる。
「せっかく召喚したアリスとやらは出てこぬようだな。時間をかけるつもりならばそれも良かろう。闘技隷はいくらでも増え続けるからの」
<傀儡の厩舎>を介して召喚される闘技隷はマナゲートを必要としない。いったん設置してしまえば、あとは契約した闘技隷の数が尽きるまで自動的に召喚し続けるのだ。
カナンとしては、敵の数が増えすぎないうちに破壊しておきたい。幸いスペルの発信源であるステージの破壊は容易で、腕力も魔力も必要としない。
〔ですからアキオが適任なのです]
[その理屈は分かる]
道玄坂沿いのオフィスビルに潜む暁雄は、慎重に外の様子をうかがう。カナンから言われたように、左右2車線の道路の真ん中に門があり、それを守るように闘技隷が1体いた。
駅側からの侵攻を用心してか、闘技隷は暁雄に背を向けている。
[けど、闘技隷のほうはどうするんだ? アイツ、さっきから全然動かないぞ?]
そんなやり取りを交わしている間に、門から新たな闘技隷が出て来た。すると、それまで立っていた闘技隷は駅の方角へ駆け出していき、出て来たばかりの1体が門の前に立った。
[やっぱりステージの警備をしてるみたいだ]
[では倒すしかありませんね。自信はありますか?]
[え? 俺が?]
問い返しはしたものの、話の流れから予想はしていた。ただ、まだ覚悟ができていなかった。
これまで、偵察役としての訓練しかしておらず、ゴーレム相手の戦闘でもまともに活躍できたためしがない。はっきり言って自信はない。
だが、戦闘要員として期待されているのは素直に嬉しかった。
[その闘技隷は、おそらくリモシー人でしょうから、基本ステータスはそれほど高くないはずです。不死身能力があるだけ、アキオのほうが有利とも言えます]
[そ、そうか。……よし! やってみる!]
カナンの言葉に勇気づけられた暁雄は素早く周りを見渡す。先ほど交代した闘技隷はもう見えなくなっている。今がチャンスだ。
(……行くぞ!)
暁雄は隠れていたビルから走り出た。




