その6 ダッシュ&ダッシュ
カナンが発した闘技の申込みは、管理委員会を介して、ほぼ瞬間的にエトゥネにもたらされた。
「あら、こんな辺鄙なところにも誰かいたのね」
申請をうけたとき、ちょうどチョコレートキャラメルを手にしていたエトゥネは、動じることなく最後の一口まで食べ終えた。
「まさかこのへんで暮らしてるのかしら。誰だか知らないけど、随分ともの好きだこと」
闘技を挑まれたことに驚いてはいるものの、敵手への恐れなど微塵もない。
エトゥネが挑戦に応じようと腰を浮かせかけたとき、その背後で空間が揺らぎローブ姿の人物が現れた。
「よろしいですかな、エトゥネ様」
「どうしたの? ヒディン」
背後に現れたのは、堀の深い細面な顔立ちをした壮年の男性であった。
「ここしばらくイェータの相手ばかりで少々退屈しておりました。この闘技、私にお任せいただけませんか?」
長年侍従長としてエトゥネに仕えてきたヒディンは、さまざまな事物に通じた人物で、このトゥルノワでは彼女の参謀役を務めている。
それほど信頼厚い家臣からの申し出だけに、エトゥネも無碍には出来ない。
「あらそう? まぁ別にいいけれど。負けたらダメよ?」
「はっ。つきましてはヨルク卿のお力もお借りしたいのですが」
「いいわ。指揮権を譲渡します。存分におやりなさい」
「ありがとうございます」
ヒディンは一礼し主の前から姿を消した。
両陣営の闘技将から闘技の受諾が確認されると、交差点を覆う雲のさらに上空に巨大な魔法陣が現れた。
化物から逃げるのに必死だった群衆も、空中に綴られた不可思議な文字の列を見上げて唖然となる。直後、魔法陣の中心から地上めがけて白い閃光が放たれた。
閃光は地表で弾け飛び、さらに無数の光条に分かれて、地面に魔法陣を描いていく。
「なんだこの光は!?」
「気をつけろ! 当たると感電するぞ!」
「こっちに来る!」
落雷とそれに伴う放電現象と勘違いし、慌てふためいた人々があちこちでぶつかり合う。パニックを起こした人の群れは、もつれ合い、絡み合い、とても収拾がつきそうにない。
だが、渋谷駅を中心とした直径1km四方に魔法陣が完成した途端、その場にいる者たちは、一斉に向きを変え範囲外に向けて移動を開始した。
それまで混乱の極にあった群衆が、急に秩序だって動き出したのは、魔法陣に付与された人払いの効果であった。
建物内にいる者たちには、これとは逆にその場に留まりたいという心理効果が働いている。
こうして魔法陣の範囲内で人々の排除が進むのに合わせて、建物や道路などが仮想物質へと変換され、戦闘フィールドが形成されていく。
すべての行程が終了したとき、暁雄は、宮益坂にある郵便局の前に出現していた。背後のざわめきに振り返ると、100mほど離れた場所に人だかりができている。
おそらくそのあたりがフィールドの境界線なのだろう。道路はパトカーで封鎖され、さらに立入禁止を示すバリケードデープも張られている。周囲には警察官たちの姿も見えた。
[アキオ、自分がどこにいるか分かりますか?]
[え、え~っと……]
急なカナンの問いかけに、暁雄は慌てて周りを見渡す。土地勘のない場所だったが、坂の下のほうにシブヤ駅を発見したため、おおよその位置は把握できた。
[ああ、分かった。さっきいたビルの少し後ろみたいだ]
[そうです。敵の闘技将は駅前交差点より向こうのエリアに出現しているはずです。まずは駅を目指してください]
[お、おう!]
返答がかすかに震えた。何しろプレイヤーとのバトルはこれが初めてだ。負けたらそこでカナンのトゥルノワは終わってしまう。そう思うと足が震える。
[気を楽にしなさい。アキオは訓練通りにやればいいのです]
緊張を見透かされたことに気恥ずかしさを感じながらも、暁雄はすこし気が楽になった。一度大きく深呼吸すると、物陰を利用しながら移動を開始した。
その暁雄の出現位置から300mほど離れた蒼山高校付近にカナンの姿があった。暁雄に指示を済ませると、カナン自身も早足で歩き出した。
シブヤの街を進むカナンの足取りには、まるで迷いが感じられない。十数m進むごとにその周囲にマナゲートが浮かび上がっていく。
魔法の使用には高い集中力を必要とする。歩きながらの使用は誰にでもできる芸当ではない。さらにカナンは適宜ルード・スペルの準備も進めていた。
「ディプレシオ!」
暁雄が交差点を過ぎた頃、カナンは、準備していたスペルのひとつを発動させた。
闘技兵が通った場所に魔法の警戒網を敷設するスペルで、誰かがそれに触れると、その情報がカナンに伝わるのだ。
「それ、あんま意味なくね?」
最初にスペルの効果を聞いたとき暁雄は首を傾げた。フィールド内にいる敵の位置や数は、智環の能力で分かるからだ。
「杉山さんを召喚するまでのつなぎってことか?」
それくらいなら、他のスペルを使ったほうがいいんじゃないか。暁雄はそう思ったが、それは早計だった。カナンたちには明確な戦略的意図があった。
「そうではありません。より確実に相手の動きを把握するためです。チワひとりでは、索敵する範囲にも精度にも限界がありますからね」
「移動した距離の分だけ、勝利に貢献すると思え。倒されるまで一歩でも遠く長く走れ」
訓練中に何度も聞かされたリヨールの言葉を反芻しながら、暁雄は無人の街をひた走り、すでにシブヤ駅構内に入っていた。
敵がどこから見ているか分からないため、暁雄は視界の開けている道路は避けることにした。
郵便局をスタートした暁雄は、いったんアカリエに入ると、その2階にある連絡通路を使って駅までやって来た。このまま駅構内を横切り、シブヤ・サインシティイーストを目指すつもりだ。
連絡通路まで来たところで、暁雄は床に伏せ、乱れた息を整えながら窓の向こうを注視する。
「いないな。もう少し奥か?」
経過した時間を考えると、相手も闘技兵を召喚しているはずだ。
この先にあるサインシティは、通路が入り組んでいるうえ、フロアには大小幾つものショップがひしめき合っていて待ち伏せにはもってこいの場所だ。
試しに耳を澄ませてみたが物音一つしない。国内有数の繁華街であるシブヤが、真っ昼間にも関わらず静まり返っている。
フィールドの効果であることは承知しているが、普段とのギャップが生む不気味さは拭いきれない。
「けど、行くしかないよな……」
立ち上がった暁雄がフロアの奥へ進みかけたそのとき、カナンの玲瓏な声がフィールド全体に響き渡った。
「この出会いをもたらした運命に感謝しよう」
詩の朗読を思わせるそれは、闘技兵の召喚を宣言する召喚口上だ。フィールド内にいる敵味方はもとより、フィールドの外にいる者たちの耳にまで届いていた。




