その2 『シンの名は』
5月も半ばを過ぎ、一学期の中間試験が始まった。
すでに数日前から班活動は停止となり、生徒たちの多くは試験対策の準備を進めてきた。むろん例外はあるが。
そんな大事な期間中でも闘技兵としての訓練は行われている。
(ホント便利だよなぁ、魔法って)
そう実感するのもこれで何度目であろうか。
暁雄がこうして自室の机に向かっている最中も、林研の森公園に展開中のフィールド内では、その精神の一部はカナンの指導を続けている。
部屋にかかった時計を見ると18時になろうとしていた。
(そろそろ訓練が終わる頃か)
折しも公園では、地面で大の字になった透が傍らにいる智環にぼやいていた。
「苦難の日々も明日で終わり。そう思うと嬉しさ満点なんだけど、数学がなぁ……。なんで最終日に残すかなぁ~」
「私は地理のほうが心配。暗記が苦手だから」
「でもあと一日だしね。シンボウ、シンボウ。これが終われば日曜日が待ってるし」
「ふふ、楽しみだね」
2人で話しているところへ、本日のメニューを終えた暁雄がやって来る。
「なんだ? 日曜に何かあるのか?」
「ふっふっふ、デートだよ。チワと」
「デートぉ!?」
暁雄が大下げさに驚いてみせると、少女たちの笑い声が弾けた。
「今、スゴイ人気の映画がやってるでしょ? いっしょに観に行こうって透ちゃんと話してたの」
「ちょうどテスト明けの日曜日、訓練も休みだからね」
「いつの間にそんな仲良くなってたの?」
「ふっふ~ん。うらやましいだろ。何ならアキもいっしょに行く?」
「え? いいのか?」
「大勢の方が楽しいしね。そうだ、カナたちもどう?」
智環は少し離れた場所にいるカナンとリヨールに呼びかけた。
「映画、ですか? 確か芝居の映像を流す娯楽でしたね」
口ぶりからしてリヨールは明らかに興味が無いようだ。
「その場にいない役者の芝居など見て、何が楽しいのですか?」
「何って……。映画ってそういうもんだし……」
「まぁまぁリヨール。せっかくのお誘いですからご一緒しましょう。私も映画とはどういうものか興味がありましたし」
返答に詰まった暁雄に助け船を出したのはカナンであった。この世界の文化や娯楽に興味があると聞いていたが、どうやら本当のようだ。
「シブヤで観るつもりだけど、それでいい? 都合悪い人~?」
透の提案には誰からも異論は出ず、当日はキアイ像前に集合となった。
「では今日の訓練はここまでにしましょう。各自、試験勉強のほうもがんばってくださいね」
カナンがそう告げると公園に展開していた模擬フィールドが解除され、その場に留まっていた暁雄たちの意識は自宅にいる本体と再結合する。
「クラスの女子と映画鑑賞か。何気にリア充イベントだよなぁ」
勉強の手を止めて、暁雄は軽く伸びをする。
「メンツに新鮮味が無いからそんな感じはないけど……」
そこまで言いかけたところで、智環の顔を思い浮かべた暁雄は頬を緩める。
「いやいやいや……!」
頭を振って雑念を払うと試験勉強を再開した。右手のシャーペンが勢い良くノートの上を走る。口ではとぼけていても、モチベーションが上がっているのは火を見るより明らかであった。
そのおかげもあってか数日後に発表された試験の結果はまずまずであった。
そして迎えた日曜日。
朝からソワソワしていた暁雄は、約束より20分も早く待ち合わせ場所に到着してしまった。手持ち無沙汰のまま、石像の前で行き交う人の群れを眺めていると、数分遅れで智環がやって来た。
「あ、大友くん、もう来てたんだ。早いね」
「いや、そっちこ、そ……?」
呼びかけに振り返った暁雄は智環の姿を見て息を呑んだ。てっきりいつも通りの控えめな服装で来ると思っていたのに、今日はまるで雰囲気が違う。
ノーカラーのジャケットに、レース飾りのチュールスカートの組み合わせはどこか大人びて見え、髪もゆるくウェーブがかかっている。もしかしたら軽くメイクもしているのかもしれない。
暁雄が何も言えずにいると、智環も恥ずかしそうに顔を伏せる。
「あ、あのコレ、透ちゃんに選んでもらったの……。だから、その」
「そ、そうなんだ。あー……、似合ってるよ、うん」
「! あ、ありがとう……」
それを最後にどちらも黙りこんでしまい、会話が続かなくなってしまう。
(や、やばい……! どうする!? 何を言えばいい? つーか何でこんな焦ってんだ!? さんざんいっしょにやってきたろ!)
焦れば焦るほど会話のネタが浮かばない。
キアイ像の前で、肩が触れ合うほどの距離で並びながら、気まずい時間が流れていく。沈黙が限界に達しかけたとき、ようやく透たちが現れた。
「おや、チワにアキオ、もう来ていたのですか」
「すみません、お待たせしたようですね」
「ああ、いや、俺らも今来たばかりだから」
「おっ、チワ、カワイイね~」
「ありがと。魅麗ちゃんに教えてもらったとおりにやってみたの。ちょっと失敗しちゃった」
「全然だよ、カワイイカワイイ」
「ええ、お似合いですよチワ」
はしゃぐ女性陣たちの陰で、暁雄はこっそり安堵のため息をもらす。
落ち着くを取り戻したところで、暁雄は、周囲が妙にざわついていることに気づいた。理由はすぐに分かった。人々の視線が物語っている。
(ああ、そうかコイツらが……)
カナンたちの容貌が周りの注目を集めていたのだ。
この一ヶ月の間に暁雄はすっかり慣れてしまったが、カナンとリヨールの美貌は男女問わず注目の的だ。加えてスタイルの良さでは透も2人に引けを取らない。
往来の激しい駅前でにこれだけ目立つ3人がいて注目を集めるなというのが無理な話だ。
「おーい、そろそろ移動しようぜ」
周囲の状況に気づかない女性陣の背中を押すようにして、暁雄はその場を離れた。
映画館に着いたあとも3人は人々の関心を集めたが、通行人がいないだけ駅前よりははるかにマシだった。席についてしまえば、さすがに人目を引くこともない。
やがて館内が暗転し、無関係な予告映像が数本流れあと、ようやくお目当ての作品が始まった。
内容は評判通りの出来栄えだった。
一部の映画通が指摘するように細かい部分の粗は散見されたが、暁雄がそれに気づいたのは、後日、ネットの感想を見て廻ってからのことで、鑑賞中は一切気にならなかった。
王道と斬新さの絶妙なバランスのうえに成り立つストーリーもさることながら、多彩な登場人物たちの誰もかれもみな魅力的で、作品からほとばしる圧倒的な熱量が余計な雑念を吹き飛ばしてしまった。
スクリーンの向こうに映る世界にどっぷりと浸り、エンドロールが終わって館内の明かりがついたとき、暁雄は長い夢から覚めたような気分であった。
映画館を出たあと、まだ時間も早いということで、女子に人気と噂のカフェへ向かうことになった。
店を提案したのは透である。
「よくそんな店知ってたな?」
「ちゃんとミレイにリサーチしておいたからねぇ~」
「ミレイって誰だよ」
「魅麗ちゃん、シブヤ詳しそうだもんね」
「知ってるの!?」
またしても透と智環の意外な親密ぶりに驚かされる。
(くそぉ、俺もウテナに聞いておけばよかった。そうすりゃいいトコロ見せられたのに!)
今さら後悔しても遅い。リア充イベントに浮かれすぎて、せっかくのチャンスを逃してしまった。




