その1 ガラスの少年
「現在判明しているアキオの特性については以上です」
カナンが説明を終えると、数秒の静寂が客間を支配した。
「……つまり無敵ってこと?」
最初に沈黙を破ったのは透だ。ソファからやや身を乗り出し、上座にいるカナンに体ごと向き直る。
「そうですね。あくまで直接的な攻撃に対してですが」
「ん? どゆこと?」
「あ、そうか、スペルは……」
今度は透と智環が同時に声を発した。
「そうです。スペルの中には、闘技兵を強制的に退場させるものもあります。そしてそれらのスペルは、往々にして相手のポシビリティが低いほど効果を発揮しますから、暁雄などはひとたまりもないでしょう」
カナンの横に控えていたリヨールが智環の言葉を補足する。
「なるほどねぇ。までも、スゴイじゃん。ね?」
「……え? ああ、そうだな……」
それまでずっと押し黙っていた暁雄は、対面の透から水を向けられようやく顔を上げた。カナンのマンションに来たときからどこか上の空で、隣で心配そうに見つめる智環の視線にも気づいていない。
それもそのはずで、暁雄の関心はまったく別のことに向けられていた。
(そんなことより委員会の返事はまだなのか? いつまで待たされるんだ!?)
暁雄が「トゥルノワから排除されるかも知れない」と聞かされてから、もう3日が経っていた。その間、委員会の反応や途中経過らしきものは一切知らされず、いわば生殺しの状態にあった。
不安に苛まれ続けていたおかげで、この3日間、自分がどう過ごしてきたのかすらろくに覚えていない。
カナンたちに問いただそうにも週明けから連休に入ってしまい、今日になってようやく顔を合わせることができたのだ。
事前の呼び出しの際にも「詳細は当日全員に説明する」と言われただけで、何も教えてもらえない。その素っ気なさが暁雄の不安を一層かきたてた。
そして、ようやく話が聞けるかと思えば、さらに厄介なことになっているのではないか。
(不死身? 無敵? それって高速召喚より、もっとヤバイってことじゃないのか……?)
管理委員会の審査に怯える暁雄にしてみれば、強力な特性の発見は吉報とは言いがたい。
カナンの説明を受けている間、暁雄は罪状を聞かされている気分だった。このあとに待ち構える排除勧告が現実味を帯びてくる。
「なに? どしたのアキ。なんか暗くない?」
「……いや、べつに……」
「大友くん、どこか具合でも悪いの?」
トゥルノワから排除される可能性について、暁雄は透と智環には黙っていた。「心配させたくない」などという殊勝な気持ちからではない。
口にすることが怖かったのだ。誰かに話すことで現実になるような気がした。
それゆえ智環と透がそれを知ったのはこの日が初めてであった。
「アキオの特性は、その原因も含め異例づくめのことで、管理委員会も審議に時間がかかりました」
「審議?」
透と智環が異口同音に問い返すと、カナンは、先日暁雄にした説明を繰り返す。
「は、排除? 大友くんが?」
2人の視線が暁雄に集まる。暁雄は青ざめた表情で、何もないテーブルの上を見つめていた。
「大友くん……」
あまりに突然のことで、智環もそれ以上何も言えない。悄然とする友人たちを眺めていた透は、軽く肩をすくめるとカナンのほうを見やる。
「でさ、その審議ってのは、まだしばらく結論が出ないの?」
「いえ、昨晩連絡がありました」
暁雄たちの間に無音の緊張が走る。暁雄はテーブルの上から視線を外せず、両の手を固く握りしめている。智環と透が注視するなか、カナンは普段と変わらぬ口調で告げた。
「管理委員会はアキオの特性を適正と判断しました」
「……!」
頭の中で三度カナンの言葉を反芻し、暁雄はおもむろに顔を上げた。優雅に腰掛けたカナンの黄金の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「……てきせい? それは……、でも、つまり……?」
「問題ない、ということだ」
「これからも闘技兵を続けられるということです」
暁雄の鈍さに呆れたリヨールがため息混じりに言い放ち、さらにカナンが温情のこもった言葉で言い添える。
「……そうかぁ……」
暁雄はそれだけつぶやくと、3日分の緊張から解放された体をソファに沈ませた。全身から力が抜けていく一方、その空いた隙間を伝って幸福感が体中に染み渡っていくのを感じる。
「大丈夫だって! よかったね! 大友くん!」
「なーんかズルい気がするけど、委員会が認めたならしょうがないよね」
「ああ……、その、ありがとう」
少女たちの対象的な祝辞に暁雄は頬を紅潮させる。
「アキオ、こちらを」
カナンがそう言うのと同時に、暁雄の目の前に羊皮紙の巻物が現れた。
「今回明らかになった特性をふまえ、報酬を改めたいと思います」
羊皮紙の所定の欄を見ると、月額報酬が5千円、戦闘ごとの追加報酬が1万円に増額されている。
前回と比べると大幅な値上げだが、暁雄にとって金額は問題ではない。闘技を続けられるなら、たとえ無報酬でも構わなかった。
「そちらで問題が無いようでしたらサインを……」
「したぞ! これでもう問題無いんだよなっ?」
カナンが言い終える前に暁雄は署名を終えていた。
「ええ。これからもよろしくお願いしますね」
カナンが回収した羊皮紙の署名を確認していると、その傍らに立つリヨールに透が声をかけた。
「でもさ、ちょっと残念だね」
「何がだ?」
「不死身の話。ネタバレしたら他のプレイヤーも対策練るわけでしょ。そうなる前に一回くらい驚かせてみたかったなって」
それを聞いたリヨールは、「ほう……」と喉の奥でつぶやくと口角をわずかに上げた。
「その点は問題ない。暁雄の特性も、それに関する委員会の判断も、他のプレイヤーに伝わることはない」
「え? なんで? いいの? 不公平じゃない?」
「そんなことはありません」
契約書を確認し終えたカナンが透の疑問に答える。
「この地の情報を集め、戦いに活かすこともトゥルノワの醍醐味のひとつだからです。アキオの件は私達が発見した情報ですから、まだ他のプレイヤーたちは知りません。当然ですがその逆もありえます」
「ただバトルするだけじゃないってことか。なるほど。ネタバレしてないならケッコウ役に立ちそうだね。よかったじゃんアキ」
「だといいんだけどな。まぁ、俺はカナンたちの作戦に従うだけだ。そのためにももっと鍛えないとな」
先日のゴーレム戦でも力不足を思い知らされたばかりだ。
あのあとフィールドに召喚された透と智環は、カナンやリヨールの手を借りることなく、たった2人だけでゴーレムを倒した。
しかもそのバトルの間にルード・スキルを1つずつ身につけている。着実に進歩している2人がうらやましいし、早く追いつきたい。
短期間でどうにかなることではないと分かっていても逸る気持ちは抑えられない。
「まだ始めたばかりだし、あせるコトはないよ。そうでしょ?」
「!」
穏やかな、それでいて芯のある智環の声が、高ぶりかけた暁雄の心を鎮める。それは、以前、暁雄が智環にかけた言葉だ。
「……ああ、そうだった。じっくりやらないとだな」
自分の発言を覚えていてくれた嬉しさと気恥ずかしさから、暁雄は照れくさそうにうなづく。
「なんならウチに来てもいいんだよ? みんな喜ぶし」
透の実家は道場を開いていて、暁雄もサッカーに夢中になる前の一時期通っていたことがある。
「それもアリかもなぁ」
正しい格闘技を身につければ少しはマシになるだろう。報酬が増えたおかげで道場の月謝くらいなら払える。
「まぁ、もう少し体力ついてからの話だな」
闘技兵である暁雄には、闘技で果たすべき役割があり、それは戦うことではない。
暁雄の枠割を決めるのはカナンだ。戦う役割を与えられないのは、暁雄にそれだけの力が無いからだ。
(認めてもらうには結果を出さないとな!)
そのためにもカナンたちが用意した訓練をこなせるようにならねばならない。すべてはその後だ。




