その6 泣いた赤男
「!? ま、待ってくれよ! そんないきなり! システムのほうを修正すればいいコトだろ!?」
暁雄は、顔を覆っていたマスクを煩わしげに脱ぎ去りカナンに詰め寄る。
「それは無理ですね。これはシステムの根幹に関わる問題ですから、もし修正を施すとしたら、現在リモシー全土を覆っているすべての魔法を書き換えることになり、そのためにはトゥルノワは中止せざるをえません。それどころか公平性を期すために最初からやり直すことにもなるかも……。そこまでの労力をかけるくらいなら、混乱の元凶を排除してしまえばいい。私が委員会の立場ならそう判断します」
「は、排除? そんな、それじゃ、俺は……」
無情な宣告に暁雄は目の前が真っ暗になり、手から離れ落ちたマスクが地面で乾いた音を立てる。
「アキオ?」
長年抱えていたトラウマを、ようやく捨てられると思っていたのに。本気で打ちこめるものが見つかったのに。こんなあっさり失われてしまうのか?
「じゃあ、この一週間は何だったんだ! 浮かれまくって、必死に汗水流して、こんなの、ただのピエロじゃないか!」
暁雄の目から涙がこぼれ出した。
「一度認めておいて不具合が出たからリストラ!? そんな勝手な話があるかよ!」
「? アキオ、どうしたのです?」
暁雄の中で、悔しさや悲しみ、怒り、不安といった様々な感情が入り乱れ、抑えが効かなくなっていた。すぐそばにいるカナンの呼びかけも耳に入らない。
「こんなのありかよ! またかよ! また俺は居場所を無くすのか! こんな簡単に奪われるのか!?」
頭を抱えて両目を塞ぎ、暁雄は子供のように泣き喚く。
「なんでだ!? なんで俺ばっかり、こんな……、こ……、え!?」
突然、柔らかな温もりが、涙で濡れた暁雄の両頬を包んだ。
それがカナンの手のひらだと気づいたとき、少女の秀麗な顔が至近に迫っていた。わずかでも首を傾ければ鼻先が触れ合わんばかりである。
「え? あ、あの……?」
間近で見るカナンの黄金の瞳は、陽光に輝く湖面のようにまばゆい。精緻な光の粒子が幾層にも連なるさまは、まるで数多の星々を抱く星雲のようだ。
その深く澄み渡る煌めきに射すくめられた暁雄は、呼吸することすら忘れ黙りこんだ。
「落ち着きなさいアキオ」
煌々たる双眸が暗闇に凍りついた暁雄の心を溶かしていく。千切れんばかりに乱れていた感情も、いつの間にか鎮まっていた。
「そのようなことは無いと言ったでしょう? 召喚手順を省略する方法は他にもあります。アキオの特性には、闘技のバランスを崩すほどの優位性はありませんから、管理委員会も容認するはずです。私の言葉が信じられますか?」
まだうまく言葉の出ない暁雄は小刻みに何度もうなづく。
「よろしい」
カナンは満足げな微笑を浮かべると、優雅な仕草で路面のマルクを拾い上げ暁雄に手渡す。
マスクを受け取りながらも暁雄はまだどこか上の空だった。涙の乾いた頬には、少女の微香と温もりが名残を留めている。その余韻に浸りかけたところで頬が熱くなるのを感じ、慌ててマスクを装着した。
「いずれにせよ、管理委員会の裁定が下るのは、この闘技が終了してからです。今はこの一戦に集中してください」
「わ、分かった……」
まだ不安は残るものの、今の暁雄にはカナンの言葉にすがるしかない。
「その先の手前の角を曲がって商店街まで戻ってください。そうすれば右手にゴーレムの姿が見えるはずです」
カナンの指し示した通りは100mほど行った先でT字路にぶつかり、その途中で左に折れる道が2本あった。
「まだ戦う必要はありません。離れた位置から見張るだけで構いません。あの手のゴーレムは、移動速度が時速40kmを越えることも珍しくありません。決して近づかないように」
「わかった」
暁雄はカナンの言葉に何度も頷きを返し、指示された方角へ駆け出していった。その背中が曲がり角の向こうへ消えると、カナンの背後から別の人物の声がした。
「何もあのような真似までなさらなくてもよろしかったのでは?」
建物の陰――ちょうどフィールド圏外に位置する場所に姿を見せたのはリヨールであった。
「アキオなりに、このところよくやっていましたからね。ねぎらってあげてもよいでしょう」
「はっ……」
わずか一週間かそこらで努力を言い立てるなど滑稽の極みである。そのような惰弱な輩など切り捨てられて当然だとリヨールなどは思うのだが、カナンはそうではない。
「そのアキオの特性についてですが、やはりシステムの誤作動では無さそうですね。リヨール、貴方の予想が正しかったようです」
「いえ、私も理論上の可能性を考えただけですので……。まさか本当にこのようなことが起きるとは」
「仮に高速召喚とでも呼びましょうか。行きがかり上の契約が思わぬ拾い物になりました。そう思いませんか?」
「はい。ですが用途は限られそうですね」
魔力を使わずに召喚できるといっても、しょせんそれだけのこと。戦闘力に欠ける暁雄にできることといえば、せいぜい先行偵察くらいが関の山。
リヨールとしては「それすら満足に果たせないだろう」と考えている。
「足の遅いアキオが敵陣に接近できた頃には、とっくに守りを固められているでしょう」
暁雄には、リヨールのような翼も無ければ、智環のような透視能力もない。そんな暁雄が敵闘技将の居場所を探し出すまでに、いったいどれほどの時間がかかることか。その間に護衛役の1体でも召喚されてしまえば、暁雄にはもう為す術がないのだ。
宝の持ち腐れだとリヨールは思う。しかしカナンの考えはやや異なっていた。
「その点については、私の手腕が問われることになりますね」
暁雄に戦闘力が無いことを自分たちは知っているが、対戦相手にはまだ知られていない。そこに利用価値が見いだせるのではないか。そうカナンは考えている。
「こちらの手札が少ないなかで贅沢は言えません。アキオの高速召喚は偶然の産物であり、私たちは幸運にもそれを知ることができた。この運を活かせないようでは、到底トゥルノワを勝ち抜けない。私はそう思います」
「アキオにも有用な使い道があると?」
「セオリーにこだわる必要はないのです。例えば……っ」
何かに気づいたようにカナンは言葉を切り、右手の人差指を額に当てる。
「いかかがなさいました?」
「……アキオがフィールドから消えました」
「!」
闘技将に伝わるのは、闘技兵がリタイアしたという情報のみのため理由までは分からないが、おそらくゴーレムの攻撃を受けたのだろう。
カナンと別れてからわずか数分後のできごとである。
「……予想以上に使えない男ですね……」
暁雄の失態を聞いたリヨールは呆れるよりも先に怒りを覚えた。
(ゴーレム相手に身を隠すこともできないのかっ。寛容なお嬢様だからこそ無能な貴様をお見捨てにならないというのに、そのご期待に背くとは……!)
リヨールが頭の中で暁雄の首を締め上げていると、彼女の主が再び驚きの声を発した。
「!? これは……! まさか、いえ、しかし……」
「どうされたのですか? お嬢様」
カナンは困惑の表情を浮かべながらも、最も信頼する友の疑問に答えた。
「アキオが……、フィールドに戻っています……!」
「!? どういうことですか? いったい何が起きたのです?」
「分かりませんっ。ですが、アキオがフィールドに戻っているのは確かです。一度切れたはずの魔力回路も復活している。いったい何が……?」
あるいはこれも暁雄のポシビリティが原因なのか? 2人はほぼ同時にそう思い至ったが、それは多分に直感的なものであり、原因の究明には何の足しにもならなかった。




