その4 土煙を巻き上げ再びやって来る
暁雄が闘技兵になってから一週間が過ぎようとしていた。この数日間は、暁雄にとって久しぶりに心身ともに充実する日々であった。
心理面でいえば、ずっと軽い興奮状態が続いていた。正式にカナンたちの仲間になり、トゥルノワを戦い抜くという使命感がそうさせていた。
身体的には充足感どころではない。契約書にある週三日の訓練に暁雄も参加することになったわけだが、これが実にハードな内容だった。
「立ち回りの基本は足にある。体力作りも兼ねて、まずは徹底的に走れ」
訓練初日、暁雄は目の前に立つリヨールの顔をまじまじと見つめた。
「……しばらくは座学っていってなかったか?」
「それも行う。だが知識を活かすにも最低限の力が必要だ。まさか今のままで通用すると思っているのか?」
「いやそれは……、思ってない、けど」
「だったら言われたとおりにしろ。心配するな。実戦向けの訓練は当分先だ」
というわけで初日から体力の限界に挑むはめに。
短距離ダッシュに始まり、急斜面の登り降り、構造物の登攀、匍匐前進、水中や泥地の移動などなど、およそ2時間近くの間、徹底的に走らされ、一日の仕上げとしてそれらの要素をすべて満たす障害物コースを周回させられた。
リヨールが宣言した通り、訓練の内容は基礎的なものばかりだ。地味な作業を繰り返すだけで、中学時代の陸上部のメニューとたいして変わらない。
違うのはそのボリュームだ。途中に休息を兼ねてテキストを使った学習時間が設けられたものの、そのくらいで消耗しきった体力が回復するわけもない。
最初の訓練が終わったときには足がフラフラで、翌日は激しい筋肉痛に襲われた。
しかし、それでも暁雄は闘技兵になったことを後悔していなかった。内申書のためにやっていた部活とは違い、この訓練は暁雄自ら望んだものだ。
「これをやりとげれば俺だって強くなれる! 一人前の闘技兵になれる!」
そう思えば身体を酷使することが苦にならない。流れる汗の一滴一滴、泥にできた足跡のひとつひとつが、己の血肉になるという実感を持てた。
さらに暁雄は自主トレーニングを始めた。毎日一時間ほど早く家を出て、登校前まで林研の森公園内をランニングするのだ。
コピーされたエリアなので人目につかないし、園内の施設も自由に使えるから練習後の身支度にも困らない。今の暁雄にとって最高の練習環境だ。
「自己満足なのかな、やっぱ」
無人のジョギングコースを走りながら、ふとそんな考えが頭をよぎったりもする。トレーニングといっても軽く流す程度だから、どれほど効果があるかは分からない。
「けど、やらないよりはマシだよな。少しでも取り戻せるかもだしさ!」
小学生で人生を悟った気になり、効率という名の手抜きを覚えた。あのとき夢を諦めなければ、もっと別の未来があったのではないか。必死になればなるほど、浪費した時間が惜しく感じられ、過去への後悔が募る。
できることなら、無駄にしてしまった時間をリセットして小学生からやり直したい。だが現実はゲームではない。失った時間はもう取り戻せない。
「それなら、今できるコトをやるしかないじゃん!」
智環やカナンたちと出会ったことで暁雄の内面に変化が生まれていた。このようなポジティブ思考はニヒリストを気取っていた頃の暁雄にはありえなかった。
内面の変化は普段の言動にも現れるらしく、暁雄がそれと気づいたのは、ある日の昼休みのことであった。
「アキ、最近何か始めたんか?」
「ん? いや別に? なんで?」
暁雄は口元まで運びかけていた箸を止め、さりげなく征矢の表情をうかがう。
(なんだ? なにか知ってるのか? あ! まさか透のヤツが余計なこと言ったか?)
「ん~、いや、なーんか、ちょっとシマッたように見えるからさ」
「……ああ、そういうコトね……」
征矢の他意のない言い方に暁雄は緊張を解いた。
(考えてみれば、魔法の契約のせいで話せるわけなかったな)
いくら訓練がキツイといっても急に外見が変わるとは思えない。征矢が言っているのは、あくまで雰囲気的なものだろう。
「コレといってなぁ……。そーいや、そっちはどうなん? レギュラー取れそうか?」
「いやいやいや。さすがにまだ分からんよ。ウチは層が厚いからな。けどBには入れたし、次の練習試合で結果出せればイケる気はするね」
征矢の所属する武蔵大付属校サッカー班にはA~Cのクラスがあり、Bクラスとはいわゆる二軍のことだ。一軍であるAクラスとの入れ替えは頻繁に行われているため、一年生でBクラス入りを果たしたということは幸先のいいスタートといえるだろう。
「すげぇな! けどユキならやれると思ってたぜ。次はレギュラー入りだな」
「……!」
少し前ならば、友人の活躍談に嫉妬を覚えたであろうが、もうそんなことはない。地道な努力を重ね、結果を出している征矢を素直に賞賛できる。
「……ああ、そうだな。デビュー試合を派手に決めて、速攻でA入りしてやるさっ」
一瞬間を開けたあと、征矢は、いつもより5割増の快活さで応じた。そのことに暁雄も気づいたが、購買部から戻ってきた(うてな)が衝撃のニュースをもたらしたため、そちらに気を奪われた。
「なぁなぁ、聞いたか? 来週から購買のメニュー変わるらしいぞ。キンカツ無くなるかもって」
「マジで!? そりゃねーだろ。ドコ情報だよそれ」
「キンカツ」とは、特大の肉厚ヒレを薄パンで挟んだ「キング・サイズ・カツサンド」のコトだ。
黒豚独特のジューシーな甘さ、キャベツのシャキシャキ感、特性スパイシーソースが織りなす渾然一体の味わいに加え、3つセットで400円という超リーズナブルなお値段から運動部を中心に絶大な支持を得ている。
その一方、女子生徒を中心にした低カロリー派からは白眼視されている代物で、それどころか「限りある陳列スペースを圧迫している」として、メニュー変更が検討されるたびやり玉にあげられている。
たかがパンひとつといえど育ち盛りな男子高校生には死活問題だ。暁雄たちがキンカツの重要性について熱い議論を交わし始めると、話を聞きつけた数人の男子生徒も加わった。
その同じ教室の一角では、カナン、リヨール、智環の3人が、クラスメイトたちと机をつなげて昼食をとっていた。
魔法の保護を受けているカナンとリヨールはもとより、智環もだいぶグループに馴染んできていて、相槌をうつだけでなく自分から会話に加わっていた。
近頃では、カナンたちが授業を抜けることはなくなった。闘技兵探しは一時中断とのことで、放課後に校内を勧誘して周ることもない。
おかげで訓練の無い日は闘技の勉強に費やせるようになった。
「なぁ、このスペルの種別で、イェナンとルルァってどう違うんだ? 両方ともフィールドに効果を及ぼすんだろ?」
「まず効果時間が違う。イェナンは規定の時間が過ぎれば効果が切れるが、ルルァは一度発動すれば闘技終了時まで持続する」
「あ、そうなのか」
「次に効果範囲だ。イェナンは起点からの距離が明確規定されているが、ルルァはフィールド全体に効果を及ぼす」
「え、そうなのか? でも、ルルァのとこに『ステージ』ってあるけど? これって効果範囲のことじゃないのか」
「そうではない。ルルァを発動する際には、その発信源となるオブジェクトをフィールド内に設置する必要がある。そのオブジェクトを『ステージ』と呼ぶのだ。したがって、ステージを破壊されるとスペルの効果も消失する」
「あ~、なるほど。それでステージの配置がどうこうって言ってるのか……」
座学の指導ももっぱらリヨールの担当だが、ときにはカナンや智環が請け負うこともある。
いちおう自習用に初級者向けの教材を渡されてはいるが、魔法に無知な暁雄にはテキストを読み進めるだけでも一苦労なのだ。
幼い頃から独学で魔法を学んできた智環は、カナンの指導を受けたこともあり、すでに中級並の力がある。暁雄の勉強を見るくらい造作も無いことだ。
この頃では、放課後にカナンたちが不在のときは班室で勉強会を開くようになっていた。
「杉山さん、ごめん、ちょっといい? このへん何かゴチャゴチャしててよく分からないんだけど……」
「どれどれ……。あ、ここはルード・スペルというより、魔法全体の説明になってるから飛ばしてもいいと思うよ」
「そっか、サンキュ」
「ううん。……あ、大友くん、ここ見てもらっていい?」
「ん? ああ、漢文か」
「そう。たぶん来週読み下しが当たると思うんだ」
「そっか。……こっちはこれで合ってるんじゃないかな。で、次の文だけど、最初の四文字は四字熟語になってるくらいだし、そのままでいいと思うよ。なんで『捲土重来、未だ知るべからず』かな」
暁雄が闘技のテキストを読み進める横で、智環が予習や宿題を片づける。これが勉強会の定番スタイルであった。
2人きりの班室で女子と椅子を並べて勉強するなんて、ちょっと前の暁雄にとっては夢のようなリア充ぶりだ。
憧れの環境ということは、つまり耐性がないわけで、良いことばかりではない。テキストを黙読していたはずが、いつの間にか隣にいる智環の横顔を眺めていた、という呆れた事態が頻発していた。
(くそっ、ダメだダメだ! 余計なコト考えてるな! 集中しろ! 集中!)
理性では分かっていても、ついつい繰り返してしまう。思春期真っ盛りな高校生の悲しい性であった。




