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その3 『狗面ランナー シヴァ』

「うわぁ~、何これ。すっごいねぇ、学校のホールと変わんなくない?」

 カナン邸のホールに透の喚声が響き渡る。エレベーターを降りてからずっとはしゃぎっぱなしだったが、吹き抜けの中央ホールに入ったところで興奮は最高潮に達した。

「はぁ~、すごいすごい! お城みたい!」

 幼なじみだからというわけではなかろうが、透が口にした感想は、暁雄のそれとほぼ同じであった。

「おーい、荷物こっちに置いとけ」

 さっさと休憩スペースまで移動した暁雄が、カナン邸の間取りや決まりごとについて説明する。

「打ち合わせするときはいつもココだから、荷物はそのへんの棚を適当に使ってくれ。そこのショーケースの飲み物は好きに飲んでいいってさ。一番近いトイレはそこ。あと、上階はプライベートエリアだから、基本的に階段は使用禁止な」

 一通り伝え終えたところで、タイミングよくカナンからお呼びがかかる。

「ではトオル、始めましょうか」

「ほいほい、いつでもどうぞっ」

 透は手足を屈伸させながら、緊張感のない声で応じる。その様子にリヨールはかすかに眉をしかめたが、口に出しては何も言わなかった。

 召喚の段取りについて口頭で説明されたあと、お手本として先に智環が召喚されることになった。

「では、チワ、こちらへ」

「はいっ」

 返事と同時に智環の姿が消え、模擬フィールド内に魔法少女姿の智環が現れる。

「おぉ~! かわいい! なんか見たことある気がする!」

 透から拍手を浴びせられ、智環の顔が真赤になる。

「このようにフィールドに召喚されると姿形が変化します。理想とする姿があるのであれば、頭の中で強く思い描いてください」

「理想? う~ん……、オッケィ! 決めた!」

「早っ!」

 暁雄がツッコんだときには、もう透の姿は消えており、フィールド内に新たな人物が出現していた。

 肩や胸のあたりに赤褐色のプロテクターをつけ、両腕と両足は白一色、手にはシルバーカラーのグローブ、足には同じくシルバーのブーツ、そして顔を覆うのは犬をモチーフにしたマスク。

「『狗面ランナー』かよっ! それもシヴァって!」

 即座に反応したのは暁雄だけだったが、そのツッコミを聞いて智環も子供の頃の記憶を掘り起こされた。

 『狗面ランナー』とは、子供向け特撮番組に登場する変身ヒーローの名前だ。

 制作時期によって主人公の名前や設定、世界観は異なるものの、「ランナーシリーズ」としては実に40年以上の歴史があり、同じ時期にスタートした「戦団シリーズ」と共に特撮ヒーローの双璧をなす存在だ。

 『シヴァ』は、近年の大幅リニューアルによって誕生した新世代ニュージェネレーションランナーの記念すべき一作目であり、その特徴ともいえる巨大な手甲まで再現されている。

「おお~、カッコいい!」

 魔法の鏡に映る自分の姿を見てはしゃぐ透に、暁雄のダメ出しが飛ぶ。

「いやいや、百歩譲ってランナーはアリとしても、なんでパワー系のシヴァなんだ? 女子人気はカインがダントツだろ」

「やだ。カインはナヨナヨしててキライ。アタシ、マッチョがタイプだもん」

「言うほど違わねーだろ……」

 新世代ニュージェネレーションの目玉のひとつに、若手イケメンの主役起用が挙げられ、今では新人男優の登竜門とも言われている。

 『シヴァ』で主演を演じた四代丈助は、空手の有段者だそうで確かに体格は良かったが、『カイン』の主演男優である港上利一にしても、小学校から高校まで野球をやっていたスポーツマンであり、「なよなよ」と言われるほど貧相な体ではない。

(透はああいうのがタイプなのか、知らなかったな。そういや、その手の話、したことないもんなぁ)

 幼なじみの意外な一面を知った暁雄は、俳優の彫りの深い顔を思い浮かべながら、感慨深げに何度も頷いた。

「うわぁっ、体が軽い! すごいすごい!」

「筋力と耐久力が大幅にアップしていますね。高い攻撃力とタフネスを兼ね備えた格闘家タイプ、といったところでしょうか」

 高層マンションの一室で、特撮ヒーローが所狭しと飛び跳ねたり、シャドーボクシングをするさまは、かなりシュールな光景だ。

 だが、オリンピック選手顔負けの軽捷な体さばきや、一挙手一投足が巻き起こす旋風のごとき風切音は、テレビの中の「本物」と比べてもまるで遜色が無い。

「初めてでこれだけ動き回れるとはな。思っていた以上にできそうだ」

 何かと辛口なリヨールでさえ、先ほどまでの渋面が消え、称賛混じりに独語するほどである。

 一同が見つめるなか、一通り体を慣らし終えた透は、少しばかり本気を出してみることにした。暁雄が感心していたこれまでの動作は、彼女にとっては準備体操に過ぎなかったのだ。

「ぃよっと!」

 軽い掛け声と共に、左足を力強く踏み出し、引き絞った矢の如く右腕を突き出す。

 直後、ほぼ同時に2つの破壊音がホール内に鳴り響いた。

 豪速の拳圧が疾風となって魔法の壁に激突した音と、透の左足が床のフローリングを踏み砕いた音である。

「うわわっ、ご、ごめん!」

 陥没した左足を中心に小さなクレーターが生まれ、クモの巣状の亀裂が床一面に広がっている。

「バ、バカっ、何てことするんだっ。他人ひとん家だぞ! 少しは加減しろよ!」

「しょうがないじゃん! 初めてなんだから! ゴメンね、カナンっ」

 透は、床板を踏み抜いた姿勢のままで、後ろにいるカナンを振り返り頭を下げる。

「トオル、心配には及びませんよ。先ほど説明したように、この中で起きていることは、すべて幻のようなものですから」

 器用な真似をする透に失笑を誘われたカナンは、笑いをこらえながら擬似フィールドを解除する。

 透や智環の姿が元に戻り、磨き上げられた床には傷ひとつない。

「ふ~……、そっかそっか。は~……、良かった」

 透は、肺が空になるほど大きなため息をつくと、暁雄をにらみつけた。

「アンタが変なこというから、メッチャ焦ったじゃん! 驚かせないでよね!」

「アホか! それはこっちのセリフだ! 馬鹿力が!」

「フフッ、トオルが力を振るうには、この部屋では狭すぎるようですね。今日はここまでにして、次はもっと広い場所で行いましょう」

「そうですね。この際ですから室外がいいかもしれません。アキオ、この近くで、そのような場所に心当たりはないか?」

「えっ? いきなり言われてもなぁ……」

 リヨールに問われた暁雄は、少し考えてから、高校の近くにある公園の名前を挙げた。

「広さでいえば、林研の森公園がちょうどいいんだろうけどなぁ……」

 林研の森公園とは、明治末頃、政府の林業研究所が置かれた場所で、昭和の末期に施設が移転されたあとは公園として整備された。

 東西700メートル、南北250メートル、総面積1万2千平方メートルの敷地には、約7千本の樹木が植えられ、大小の広場と池がある。都会のオアシスとして地元住民からも愛される人気スポットだ。

「ああ、いいじゃん。班活でも使うけど、あそこなら体動かすのに手頃でしょ」

「無理に決まってんだろ。あんな人目につくところで、狗面ランナーが暴れたらすぐ騒ぎになるわ」

「いえ、ここにしましょう。これだけ広ければ十分です」

 公園の公式サイトを眺めながら、カナンが満足そうに告げる

「待て待て、話聞けって。平日でも近所の人たちでいっぱいなんだって。人前でさっきみたいな真似してたら、あっという間に噂が広まるぞ?」

 暁雄の忠告にもカナンは平然としている。

「人目は気にしなくて構いません。この公園全体を同軸上にコピーしますから。私たちはコピーしたほうを使えば、誰の目にもとまりません」

「えー!? カナンの魔法って、そんなことまでできるの!?」

「はい。準備に2、3日かかりますが。ですからみなさん、明日予定していた訓練は日曜日に延期したいのですが、ご都合はいかがですか?」

 空間そのものを複製するなんて、同じ魔法使いである智環にも荒唐無稽な話に思えるのだが、クァ・ヴァルト人にとってはノートをコピーするようなものらしい。

 カナンに予定を聞かれた暁雄と智環は、無言で顔を見合わせたあと首を縦に振った。口を開かなかったのは、常識外れな話に言葉を失っていたからだ。

「とくに問題は無いようだな。では、それまでに手頃な対戦相手を見つけておこう。初めての実戦になるが、不安がる必要はない。まずは慣れるところか始めるといい」

「おっけ! 楽しみにしておくよ」

 応じる透の声には緊張感の欠片もない。対戦相手について問う気力すら失せている暁雄たちには、その陽気さがとても頼もしいものに思えた。

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