その7 自覚完了?
カナンたちが作業を終えたのを見て、リヨールが暁雄に声をかける。
「確認作業は終わった。もう向こうを見ても問題ないぞ」
「あ、そう? わりと早かったな」
「実践的な話をするには時間がかかる。智環には、明日からここへ通ってもらうことになるだろう」
「ああ、そっか。そりゃ、そうだよな……」
そう応じる暁雄の声は微妙に歯切れが悪い。
「なんだ? 待っている間、手持ち無沙汰なら、お前も闘技兵になればよいだろう」
「いや、それはいいんだけどさ」
宿題や予習をやっていれば1、2時間などあっという間だし、それも済んだらゲームをするなり、暇つぶしの本を持ちこめばいい。
「練習の邪魔になったら悪いなと思ってさ。例えばだけど、ホールの真ん中あたりを衝立みたいなので仕切って、そこにフィールドを作るのって無理? そうしたら俺からは見えなくなるし、杉山さんも集中できるだろ?」
「……なるほど。それは良い案だ」
暁雄とリヨールがそんな会話を交わしていたころ、智環とカナンの間でも密談が行われていた。
「あの、さっきの格好なんだけど、何とかならないかな……? もう変えられないの?」
「フィールド内の姿は貴方のイメージ次第ですよ。召喚されたタイミングで、しっかり自分のイメージを固めておけば大丈夫です」
「そうなんだ、よかった……」
ほっと胸をなでおろしたあと、智環はぽつりと漏らした。
「……アレが、私の理想なんて、絶対違う。あんな……。あれは、子供のときの憧れ、みたいなもので……、今は似合わないって、分かってるから……」
「では、チワの潜在意識かも知れませんね。フィールド内では、心が解放された状態にありますから、『ありたい自分』が仮初の姿になるのです」
「潜在、意識……」
「私は無理に変える必要はないと思いますよ。とても似合っていますし、派手な見た目のほうが変装にもなりますしね」
「……」
その後、明日以降の予定について10分ほど話し合ったあと、この日は解散となった。
暁雄と智環は、カナンたちに見送られてエレベーターに乗りこむ。
扉が閉じて2人きりになった途端、エレーベーター内の空気が重くなった。
どちらも口を開くことはなく、暁雄は階数表示を無言で見つめ、智環は伏し目がちに壁を見つめている。
(……まだ引きずってんのかな?)
フィールドでの確認作業を終えてからずっと、智環は暁雄と視線を合わせようとしない。よほど恥ずかしかったのだろうか。
マンションの敷地を出てしばらく歩いたところで暁雄が口を開いた。
「あー……、あのさぁ。さっきの格好だけど……」
智環の肩がビクッと震え、その場に立ち止まってしまうが、前を向いたままの暁雄は気づかずに話を続ける。
「似合ってたと思うよ?」
「ち、違うの! あれは、私は、あんな……!」
同時に発せられた肯定と否定の声が重なる。
「え……」
「ん? あれ?」
背後から声がしたことに驚いて暁雄が振り向くと、智環が顔をあげてこちらを見ていた。
「ほ、ほんと……? おかしくなかった……?」
「お? おおっ。似合ってたよ。アレ、『アリ∞アリ』のアリスだろ? 子供のころ見たことあるよ。明るくて、華やかな感じで、いつもと雰囲気が全然違ってた」
「……それって、ふだんの私が、暗くて、地味ってこと……」
(し、しまった!)
また智環がうつむいてしまったため、暁雄は焦った。
「いやいや、違う違う! 今のは言葉の綾ってやつで! いつもは、控えめっていうか、真面目っていうか、おとなしいっていうか……!」
何とか機嫌を治してもらおうと必死に言葉を重ねるが、智環は顔を上げようとせず、それどころか両肩が小刻みに波打っている。
「どっちがイイって話じゃなくてっ。いい意味で違うってこと……で、え?」
暁雄の熱弁は、強烈な呼気音によって遮られた。
巨大な風船の栓が抜けたような音は、目の前の少女が発生源であった。
今にも泣き出すかと思われていた智環は、盛大に吹き出すと、口に手を当てて笑い出した。
「ん? えっ? なにっ?」
事態が飲みこめずオロオロする暁雄をよそに、智環は口元を抑えて笑い続け、ようやく収まったときには目元に涙のあとがあった。
「ごめんなさい、冗談です。怒ってません」
智環は乱れた息を整えながら、ずっと不安そうにしていた暁雄に微笑みかける。
「な、なんだよ。焦らせんなよっ」
「ふふ、お返しです。地味なんて言ったから」
無邪気なイタズラを成功させた屈託ない笑顔に、暁雄は、顔が火照るのを感じて視線をそらす。
「杉山さん、『アリ∞アリ』好きだったんだ?」
「そうですね。小さい頃ずっと見てました。あのシリーズが大好きで、魔法使いに憧れたんです。だからかな。ずっと思ってた。いろんな魔法を自由に使えるようになったら、それで人助けしようって……」
そこまで語ったところで不意に言葉が途切れた。さり気なく少女の表情を伺うと、思いつめたような顔で唇を噛み締めている。
智環が昔のことを話していて黙りこむのは、これで二度目だ。よほど辛いことがあったのだろう。
2人とも黙りこんだまま20mほど進んだところで、暁雄は思い切ってたずねてみた。
「……何かあったのか? その、魔法のことで……」
「……小学校に入ったばかりのころでした。占いくらいなら大丈夫かなって思ったの。みんなもやってるし、バレないかなって……」
智環はまっすぐ前だけを見つめて、ポツリポツリと話しだした。
「最初はみんな喜んでくれたよ。私の占いはよく当たるって。でもね、そのうち気味が悪いって言われだして……」
子供は残酷だ。すぐに一部の生徒から、心ない言葉を浴びせられるようになった。
智環が占いをやめても、彼らの行動は続いた。子供は純真すぎるゆえに歯止めが効かず、いったん遊び心に火がついたら飽きるまで執拗に繰り返す。
しかも事態はそこで終わらなかった。鎮火することなく燃え続けた火は、ついには周囲の大人たちにまで飛び火してしまう。
ある日、教室内の騒ぎを担任が目撃したことから、職員や父兄をまきこむほどの事態となり、最終的に全校生徒に対して「占い禁止」が言い渡されたという。
さらに、この事件をきっかけに、智環の両親は不和となり、半年後に離婚。
智環は母に連れられ、今のアパートへ引っ越してきたのだという。
「バチが当たったんだよね。みんなに褒められて、いい気になってた報い……。母にはスゴく叱られたし、祖母は何も言わなかったけど、失望させたと思う。それで決めたの。人前では魔法を使わないようにしようって」
「それで部室を隠したのか。ゼッタイ知られないように」
智環は暁雄の言葉にうなづいた。
「だからね、大友君が入ってきたとはホントに驚いたんだよ? 結界を破るくらいだから、きっとスゴイ魔法使いなんだって」
「あ~……、それについてはホント申し訳ない。期待を裏切ってダマした挙句の逆ギレだからなぁ……」
暁雄が神妙になったのを見て、智環は両手を左右に振る。
「ううんっ、違う、そうじゃないのっ。大友君が入って来たときね、予感がしたの。これまでとは違う、なにかステキなことが始まる、って」
眩しそうに語る智環を見て、暁雄は対照的までに力なく笑った。
「じゃあ、やっぱ期待ハズレだよ。杉山さんを新しい世界に連れ出したのはカナンとリヨールだ。俺じゃない」
「そんなことないっ。2人を紹介してくれたのは大友君だよ。大友君が、あの部屋の扉を開けてくれたから、私たちは会えたんだよ? だから大友くんのおかげなのっ」
いつになく強い語調に、暁雄は思わず目を見張った。
沈みかけた暁雄の心を強引に引き上げるほどの力強さ。小柄で内気な彼女のどこからこんなエネルギーが溢れ出てくるのかと驚かされた。
<彼女が信じたのは我々ではなく、我々について語ったお前の言葉だ。それだけの信頼を得ているという自覚が、お前にはあるのか?>
リヨールの言葉がリフレインし、智環の強さの源が、あるいは自分にあるのではという思いが脳裏をかすめる。
(そんなわけあるかっ、うぬぼれるな!)
理性がそう否定しても、抑えようのない高揚感が胸の奥から湧き上がってくる。
「あー……、そう、かな? ……そっか、うん、ありがとう」
何に対する感謝なのかは暁雄にもよく分からない。今の気持ちを素直に表そうとしたら、自然と口にしていた。
「家族以外で魔法のこと話したの、大友君が初めてだよ。ずっと秘密にしてたから……。班活の申請書を出すときにズルしちゃったけど……」
「まぁ、それくらいはいいんじゃない? 誰が損したわけでもナシ。キセイジジツだよ。カナンたちに話せば名前くらいは貸してくれるだろうし。そうしたらあと一人じゃん」
「ふふ、そうだね。……え? 4人……?」
指折り数え直した智環が、隣にいる暁雄を見ると、耳まで真っ赤になっている。
「お、俺も入る。いいだろ?」
「うん! 大歓迎だよ」
夕暮れの道を智環と並んで歩きながら暁雄は思った。こんな風に誰かに頼りにされたのはいつ以来だろうか。もうずいぶん前のことのような気がする。
乗り換え駅で智環と別れたあとも、高揚感の余韻は続いた。帰路の会話を思い返すだけで顔が熱くなり、家についたあとも鎮まることはなかった。
暁雄たちが帰宅したあとのカナン邸でも、美貌の主従が、今日の出来事を振り返っていた。
「リヨール、今日はありがとうございました」
「どうされました? 突然……」
主のために新しい飲み物を用意していたリヨールは、不意にかけられた声に手を止めた。
「チワのことです。貴方に嫌な役回りをさせてしまいました」
リヨールが智環を闘技兵に勧誘し、カナンから叱責を受けた件だ。
「もったいないお言葉。ですがお気遣いには及びません。万難を排しお嬢様をお守りすることが私の使命。露払いなどお任せくださればよいのです」
智環が押しに弱そうな性格だということは、カナンも会ってすぐに気づいていたが、相手の弱みにつけこむような真似はできなかった。
リヨールが不躾な真似に及んだのは、そんな主人の代わりに汚れ役を買って出たにすぎない。
深い絆で結ばれたこの主従は、言葉に出さずともたがいの真意を理解できたが、それでも、カナンは言葉にして謝意を伝えたかったし、そういうカナンに仕えられることをリヨールは生涯の誇りと感じていた。
「チワの件では、アキオにも助けられましたね」
「はい。意外な用途がありました。痩せ枯れた雑木でも添え木くらいには役立つようです」
辛辣な表現を用いる従者に、カナンは苦笑未満の表情を浮かべる。
「またそのように……。少しアキオに厳しくありませんか? 今日一日で、ずいぶん気が合うようになったではありませんか」
「お嬢様こそお戯れをおっしゃられる」
リヨールはカナンの前に陶製のカップを置いた。カップの中から芳香を放つ紫の液体はクァ・ヴァルト産の茶だ。
「アキオを同道させたのは、チワと我々の間を取り持つ緩衝材として利用できるからです。 闘技兵に不向きな性格の彼女を支えるにあたり、現時点では、アキオが適役というだけのこと。いずれチワが我々に信頼を置くようになれば用済みです」
「ふふ……、そうですね。アキオの存在価値はそのくらいでしょう。現時点では」
カナンは優雅な仕草でカップを手にとリ、立ち上る香気を堪能する。
主の言葉に含みがあることをリヨールは察したが、彼女が口にしたのは別の話題であった。
「チワといえば、彼女の闘技兵姿をどう思われましたか?」
「意外でした。あれほど印象の変わる例は聞いたことがありません」
「仰るとおりです。これもリモシー人の特徴なのでしょうか?」
「結論を出すには早すぎますが、その可能性はありますね。もっと多くのサンプルが集まれば、検証できるのでしょうけれど」
暁雄たちがクァ・ヴァルトの魔法技術に驚かされているのと同様、カナンたちにとってもこの世界は未知の発見にあふれていた。
魔力に頼らない文明技術、平等を掲げる社会体制と各種制度、驚異的なまでに円熟した大衆文化など、いずれもクァ・ヴァルトでは想像できないものばかりだ。
何より衝撃だったのは、そのような世界に魔法使いが存在したことである。
(中央も管理委員会も把握していなかった。つまり、この世界を正しく理解するには、記録を鵜呑みにしないほうがいいということか)
今回のトゥルノワの舞台が告げられたとき、カナンは、現地の情報を可能な限り集めた。
それらを総合した結果、リモシーに対しては、未開の辺境という程度の印象しか持たなかったのだが、どうやら認識を改める必要がありそうだ。
窓辺に立ったカナンは、眼下に広がる夜景を眺めながら、そんなことを考えていた。




