その6 『ふしぎワンダラー アリス∞アリーナ』
「……すごい」
カナンとリヨールの暮らす50階建て高層マンションに着いてから、2人の住戸に入るまでの間に、自分が何度そう口にしたか、智環は覚えていない。
明確な記憶として残っているのは、道路の向こうからマンションの外観を目にしたときと、洋風の細緻な装飾で飾られた住民専用のゲートを見たときと、そのゲートの先にある広い庭園に足を踏み入れたときと、並木に囲まれた庭の小路を通って広壮なグランドエントランスホールに入ったときの4回だが、実際にはもっとあったはずだ。
これが二度目の来訪になる暁雄にしても似たような心境だ。昨日の初訪問時は気絶していていたし、帰るときには周りを見回す余裕など無かったのだから。
(ホントに日本か? ここは……)
都心の住宅事情をあざ笑うかのような光景には、ただただ呆れるばかりだ。
カナンとリヨールたちの私邸に至っては、最上階の5層分を丸々専有するという「天空のお屋敷」であり、ごく一般的な庶民感覚からすれば非常識極まりないシロモノだ。
文字通り開いた口のふさがらない暁雄と智環を、私邸のホールへ招き入れたカナンは、壁に並ぶソファを指さし、2人に荷物を下ろすよう告げた。
カナンの変装魔法は、玄関に入った瞬間に解除されていて、服装もお嬢様スタイルになっている。
「では、さっそくチワの能力を確認しましょう」
カナンが右手を振り上げると、少し離れた場所に魔法の壁で覆われたドーム状の空間が生まれた。大きさは半径5mほどもある。
「模擬戦用のフィールドです。まず私が中に入り、それからチワを召喚します」
そう言ってカナンがフィールドの壁に向けて手をかざすと、瞬きする間もなくフィールドの内側へ移動していた。
「では、次はチワ、貴方の番です。今から貴方をこちら側へ召喚しますので、心の中で賛同の意思を示してください」
「……はいっ」
覚悟を決めたように智環がうなづくと、寸前まで暁雄の隣にいた少女の姿が消え、ほぼ同時にフィールド内に新たな人影が現れる。
「まぁ可愛らしい」
「なっ、え……っ!?」
フィールド内に現れたのは杉山智環ではない。晴れ渡った空のように青い髪をなびかせた少女であった。
その姿に暁雄は目を疑った。
少女は頭に銀色のカチューシャをつけ、腰のあたりまで届く長い髪を同じ色の髪飾りで束ねていた。
リボンとフリルに彩られたピンク色のファンシーなミニスカドレスをまとい、手には背丈よりも長い銀の杖を持っている。
明らかに智環とは別人だ。なにより背が低すぎる。
智環も高校生にしては小柄な方だが、フィールド内の少女はどう見ても小学生だ。
何かのコスプレをしているのだろう。その派手な出で立ちは、暁雄の記憶にも引っかかるものがある。
だが、今はそれを追求している場合ではない。姿を消したままの智環の行方が心配だ。
「お、おい、カナ! そいつは誰だ? 杉山さんはどこへ行った?」
「はい?」
暁雄の声にコスプレ少女が振り返る。真正面から向かい合ったことで、暁雄はコスプレの元ネタに思い至った。
(なんだ、『アリ∞アリ』のアリスじゃん)
それは暁雄が小学校に上がる前にやっていた女児向けアニメだ。
(今でもこんな古いアニメの格好する奴がいるのか?)
幼かった暁雄は知らないが、当時、ターゲット層の女児はもとより、男性オタクの間でも熱狂的に支持された作品で、1年目の放映終了直後に発表された続編を皮切りに、現在までに派生作品も含めて十作以上のシリーズが生み出されてきた。
そのアリスの格好をした少女が、不思議そうな顔で暁雄を見返す。
「私は、ここにいますけど?」
「え? その声……、もしかして、君、杉山さん……?」
近くまで寄ってみると、確かに顔立ちには智環の面影がある。身に着けている衣装や小道具も、アニメで見たデザインとは若干違うようだ。
「そうですよ? え? なんです? どうかしたんですか?」
当の智環は自分の身に何が起きたか分かってないらしく、暁雄にまじまじと見つめられ困惑している。
「カナ、姿見を出してあげては?」
「ああ、そうでしたね。チワ、こちらをご覧になって」
そう言うと、カナンのすぐそばに巨大な鏡が現れる。背の高いリヨールでも悠々と全身が映る大きさだ。
「うん、ありがとう。…………?」
鏡の前に立った智環は、しばらく無言で手足を動かしたあと、自分の着ている物を見比べる。
そこでようやく、目の前のコスプレ少女が、今の自分の姿だと気づいた。
「@★$%●△#¥♭▲%&☆◎!!? ――なっ、なななな何ですか!? この格好!? 誰!? なんで!? どうして!?」
狼狽と驚愕の二重奏を奏でながら、智環は両腕で前を隠し、その場にしゃがみこむ。
「どうかしましたか? その姿は、貴方の理想が反映されたもの。とても可愛らしいですよ?」
「ち、ちちち違いますっ! こんな……、これは、私じゃありませんっ! お、大友君!? 違うんです! これはそんなんじゃ! み、見ないでください!」
「お、おうっ!」
智環の剣幕に圧され、暁雄は即座に回れ右をする。
そんなリモシー人たちのドタバタをよそに、カナンはテキパキと作業を進めていく。
「チワ、右手を出してもらえますか? 貴方の能力を拝見したいので」
「は、はい……?」
智環が縮こまったまま、そろそろと右腕を伸ばすと、カナンはその手に自分の手を触れさせる。
闘技値を計測するときと同じ方法で、智環の能力が読みこまれていく。
「……なるほど。チワ、どうやら貴方は索敵能力に長けているようですね」
「え? はい? 何がです?」
「落ち着いてくださいチワ。心を集中させてください」
最初のパニックからは抜けだしたものの、まだ智環にはカナンの説明を聞く余裕は無さそうだ。
「俺、いったん席外すよ。昨日の部屋、使っていいかな?」
その場にいる人間が減れば、多少は羞恥心が薄まるかもしれない。そう考えた暁雄は、そばにいるリヨールにたずねた。
「ま、待って、大友くん! 大丈夫、そこにいてくれても大丈夫だから。……でも、こっちは見ないで」
「あ、そう、なの? じゃあ、うん、分かった」
智環の言葉に矛盾を感じなくもないが、そこまで言われて席を外すのは失礼かと思い、暁雄はその場に残った。
暁雄を呼び止めた智環はといえば、今ので決心がついたのか、何度か深呼吸すると、ゆっくりと立ち上がった。
「落ち着きましたか?」
「はい、なんとか……」
カナンは智環の表情を確かめてから、中断された説明を再開した。
「チワ、目を閉じて、私の言葉にだけ集中してください。何も恐れることはありません」
言われるまま瞳を閉ざした智環は、暗闇から聞こえるカナンの声に身を委ねる。
「自分の存在を強く認識してください。全身に意識を届けるつもりで……。そう、そうです。すべての指先の感覚を意識するのです。どうです? 分かりますか、貴方の存在が。感じますか、貴方の身に宿る力の存在を」
カナンに導かれるまま、体の奥深くへと意識を張り巡らせた智環は、やがて自分の中で胎動する未知の熱量を感じ取った。
「……あ、分かります……、これが、そうなんですね……、私の、ちから……」
まるで、それまで誰も辿りつけなかった深く冥い海溝の底で、巨大な海底火山を発見したかのように、その存在をはっきり感じとることができた。
「その通りです。それが闘技兵としての貴方の力です。まだ扱い方が分からないと思いますが、大丈夫、これから学んでいきましょう。その力は、磨き方次第で、より大きく、より強くなります。ですが、そのあたりのことは明日以降にしましょう。今日のところはこれで十分です」
カナンはそう言うと、ホールに張られたフィールドを解除し、智環の姿も元に戻った。




