その5 彼女の◯◯は50万です
緊迫した空気を和らげるために、暁雄はおどけてみせた。
「じつはさ、俺の闘技値、メチャクチャ低かったんだよね。自分でも笑えるくらい。決心つかないのはそれが理由なんだけど、杉山さんは違うわけで。せっかく才能があるのに、もったいないなって思うんだ」
「大友くん……」
説得の言葉としてはありふれている。誰でも簡単に口にしそうな内容だ。
しかし、暁雄にとっては違う。自分の非才を認め、言葉にするには、相当の努力が必要だった。一語舌に載せて吐き出すたび、苦い記憶が蘇り、言葉の棘となって胸を刺す。
暁雄の過去を視た智環には、その痛みと辛さがよく分かる。
「闘技兵の契約って、いつでも解除できるらしいからさ。とりあえずやってみて、それでやっぱダメってなったら、辞めればいいんじゃないかな?」
平凡な少年の平凡な言葉から伝わる温かい感情が、非凡な少女の背中を押す。
「……うん。大友君がそう言ってくれるなら……、やってみよう、かな」
「ありがとう、チワ! 感謝しますっ!」
智環が言い終えるより早く、黄金の髪をなびかせたカナンが、その両手を握り締める。
勢いよく引き寄せられたせいで、息が触れ合うほどの距離で接し、智環は顔から火が出そうな勢いで上気している。
カナンは熱烈な言葉で智環への感謝を捧げたあと、右手を一振りし、空中から羊皮紙を取り出した。暁雄がもらった契約書と同じものだ。
「それでは、こちらが闘技兵の契約書になります。内容をよくご覧になって、納得していただけたらサインをしてください」
羊皮紙を受け取った智環は、興味深げに、表面をなでてみたり、裏返してみたりしている。
「すごい、これ、本物の皮? ……あ、私、羽ペン持ってない」
「筆記具は何でも構いません。これは魔法の契約書ですから」
「そうなんですか? クァ・ヴァルトの魔法ってスゴイですね」
別世界の魔法技術に感心しながら契約書を読み進めていた智環は、詳細な条件が列挙された箇所へ来たところで急に固まった。
「……!? これ……、これって……?」
「どうかしたの? ……おぉ!?」
少女の肩越しに契約書をのぞき見た暁雄は、智環の指先が示す報酬の金額を見て驚いた。
●契約期間中は1ヶ月につき50万円支払う。
●戦闘1回につき追加報酬として50万円支払う。
「すげー……。そこらのサラリーマンの給料より高いんじゃない?」
高いというレベルの話ではない。年収に換算すれば、毎月一回戦闘をこなすだけで、サラリーマンの平均年収を軽く凌駕する。
バイト経験も無い高校生に、社会人の経済事情など分かるはずもないが、毎月のお小遣いと比べてはるかに高額だということは分かる。
「これ、間違いだよね? ケタを間違えてるんでしょ?」
「いいえ、この国の物価をふまえて算出した金額です。間違いありません」
報酬を受け取る側の智環が金額の大きさに狼狽しているのに対して、支払う側のカナンは平然としている。
「で、でも、こんなにもらえないよぉ。ゲームに参加するだけなのに」
「チワ、私たちにとってトゥルノワはそれだけ重大なイベントなのです。そしてチワ、貴方にはこの収入に見あうだけの力がある。そう私たちは思っています」
「で、でも……」
「闘技兵の収入としては、これくらい普通ですよ。我々の世界では、闘技兵を生業にする者もいますからね」
リヨールの説明を聞いていて、暁雄にも思い当たることがあった。
「そういえば、向こうでは人気のゲームって言ってたっけか。野球やサッカーみたいなものだと思えば、これくらいは普通かもなぁ」
「そう、なのかな……?」
暁雄の例え話でいちおう納得し、契約の確認を再開した智環だったが、すぐに別の疑問にぶつかった。
「あの、ここにある『優勝時の願い』っていうのは……? 空欄になっているけど?」
「ん? そんなのあった?」
智環の言う項目は、契約破棄条件の手前に書かれていた。昨日、暁雄が自分の契約書を確認したときには読み飛ばしてしまったようだ。
「それは、私が優勝できたときにお渡しするボーナスのようなものです。優勝に貢献していだいたみなさんに、感謝の証として1人ひとつずつ願いを叶えてさしあげます」
「願いごと!?」
そう言われて、暁雄が最初に感じたのは期待よりも不安であった。
魔法使いや妖精が人間の願いを叶えるのは、おとぎ話の王道的展開だが、その手の話では、たいてい欲にかられた者がヒドイ目に遭う。
強欲な者が痛い目に遭うだけならまだしも、ちょっと欲を出しただけで理不尽な罰を受けることもあり、子供心に「やりすぎじゃね?」と疑問を感じだものであった。
そんな暁雄の不安など知るよしもなく、カナンは説明を続ける。
「とはいえ、私たちの魔法も万能ではなく、無理な願いの場合はご再考いただくことになります。せっかくご協力いただいておきながら、最後にご期待を裏切るのも申し訳ないので、事前におうかがいしておければと。『この世界の王になりたい』とか『不老の体が欲しい』といった簡単な内容なら問題ないのですが……」
「……簡単なんだ」
「……簡単なの?」
カナンがトンデモないことを事も無げに言い切ると、呆気にとられた暁雄と智環が異口同音につぶやく。
「でも、願いか……。うーん……」
「そこは今すぐでなくても構いませんよ。トゥルノワが終わるまでなら、何度でも変更を受け付けますし」
「あ、そうなんだ。じゃあ、とりあえず空欄にしておきますね」
最後まで読み終えた智環は、筆箱からシャーペンを取り出すと、羊皮紙の記名欄にサインをした。
「あ、ホントだ。ノートと同じ感触。すご~い」
智環から契約書を手渡されたカナンは、サインを確認後、くるくると巻き上げていく。
「ところでチワ、今日は何か急ぎの用事はありますか?」
「え? いえ、とくには」
カナンの手元に巻き上げられていた羊皮紙は、いつの間にか手品のようにかき消えている。
「そうですか。ではよろしければ、これから私の家にいらっしゃいませんか? チワの能力を見せていただきたいのです」
「これから? か、カナの家に?」
「はい。ここだと少々手狭ですから」
「えっと、大丈夫、ですけど……」
このとき、暁雄は、2人のやりとりを耳にしながら、頭ではまったく別のことを考えていた。
(このパターンだと、お約束の『願いごと増やして』は無理だな。とすると、やっぱお金をもらっておくのが一番か? いや、ダメ元で『魔法を使えるようにして』って言ってみるのもありか?)
童話的なオチは無さそうだと分かった途端、願いごとについて取らぬ狸の皮算用が始まっていた。
そのため、カナンの招待を受けた智環が、不安に揺れる目で暁雄を見ていることにも気づかない。
「お前も来たらどうだ? 闘技兵がどういうものか、その目で見るよい機会だぞ」
リヨールの冷め切った声が暁雄を現実へ引き戻す。
「え? あ、俺も? いいのか?」
「構いませんよ。リョウの言うとおりですからね」
同行を認めるカナンの隣では、智環が期待をこめて首をうなづかせている。
「そう? じゃあ、せっかくだし、そうさせてもらおうかな」
そうと決まれば話は早い。
今日の班活はここで切り上げて、カナンたちのマンションまで移動することになった。
智環が帰りの支度をしている間、リヨールが意味ありげな視線を暁雄に向けてきた。
「な、なんだよっ?」
視線に気づいた暁雄がふてくされたように応じたのは、その意味をおおよそ察したからだ。
「何も言っていないが?」
「どうせ、さっき杉山さんに言ったコトだろ。自分でも偉そうなこと言ったって分かってるよ。どうせ……っ」
「なにを卑屈になっている? 上手く説得してくれたと感謝しているくらいだが?」
「そ、そうか? なら……いいけど、さ」
「お前と彼女の関係に興味はないが、彼女がお前を信頼していることは分かる。始めにクァ・ヴァルトについて話したときもそうだが、もしお前が口添えをしなければ、彼女は我々の言葉に耳を傾けることは無かったろう。当然だ。彼女からすれば、到底信じられない話だからな」
「……」
「打ち解けたように見える今でも、せいぜい半信半疑といったところだろう。そんな彼女が、我々に理解を示してくれているのは、お前がいるからだ。彼女が信じたのは我々ではなく、我々について語ったお前の言葉だ。それだけの信頼を得ているという自覚が、お前にはあるのか? あるのなら相応しい行動を心がけることだな」
「なんだよ、それっ。なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないんだ」
「事実を言ってるだけだ。お前が今のままなら、いずれチワの幻想が覚めるだけのこと。そうなったところで誰も困らんがな」
「……なんだよ、それ……」
冷たく突き放すような口ぶりだが、リヨールの言っていることは、おそらく正しい。それが分かるからこそ、暁雄には何も言い返せなかった。




