その7 たったの5か……ゴミめ……的なアレ
「リヨール、貴方もいっしょに見てください」
「はっ」
カナン・シュライセンの求めに応じて、リヨール・ノーダンは主人のかたわらへ移動する。
少女たちのやりとりを、暁雄は無言で見つめていたが、その目には「劇的な展開」への期待が宿っていた。
(英雄は無理にしても平均は越えたいよな。部活やって無かったヤツよりは上だろ? そこそこいいトコいくと思うんだよな。まず無いだろうけど、1,000越えたら闘技兵に立候補してやってもいいかな、さすがに無いとは思うけど。でも800くらいなら)
宝くじの当選発表を待つ心境だ。かかっているのは大金ではないが、人生観が変わるという意味では似たようなものだ。
そして、計測結果を覗きこんだカナン・シュライセンたちは、暁雄の期待通りの反応を示した。
「……!? お嬢様、これは!」
「まぁ……っ」
「え? 何? 何か変なトコあった?」
興奮を抑えながらたずねる暁雄に、2人は衝撃の事実を告げた。
期待とは真逆の方向で。
「闘技値250。予想をはるかに下回る数値ですね」
「え……?」
暁雄は耳を疑った。リヨール・ノーダンが口にした数値は、平均どころか、その半分にも満たない。
「鍛錬の足りない未熟者なのは分かっていましたが、ここまで酷いとは……。これではクァ・ヴァルトの幼児にすら勝てません」
「およしなさい、リヨール」
リヨール・ノーダンの呆れた声も、それをたしなめるカナン・シュライセンの声も、今の暁雄の耳には入らない。
(またかよ。また、このパターンかよ……)
さんざん期待するなと自分に言い聞かせておきながら、目の前に美味しい話をぶら下げられるとすぐに飛びつく。飛びついて、現実の厳しさを見せつけられて、落胆する。
(ここんトコ、その繰り返しじゃないか。ダッせぇなホント!)
あまりの情けなさに、足が震え、その場にへたりこみたい気分だ。
「しかしこれは妙ですね。パワー105、スタミナ115……、ステータスはどの数値も平均値を上回っている。それでこの闘技値は、普通では考えられない。どういうことでしょう?」
「……! 理由が分かりました、お嬢様。ポシビリティを御覧ください」
「ポシビリティ? ……え、0?」
「そうです。生まれたての赤ん坊でもあるまいに呆れたものです。この者は、よほど怠惰な生き方をしてきたのでしょう」
「な、なんだよ? どういうことだよ」
「いえ、待ってください。闘技の計測では1ケタ台は切り捨てのはずです。より詳細な数値を表示させれば……」
まだ何かあるのかと不安になる暁雄を無視して、少女たちは、計測結果の映像を見ながら何やら調整を施している。
映像内の十数ある項目のひとつで、再び文字が回転し、やがて止まった。
「……5ですか。羽虫並ですね」
「リヨール、およしなさいと言ったでしょう」
「な、なぁ、どういうこと? ポシビリティってなんだ? 0だと何か問題なのか?」
「ポシビリティとは、その者が持つ可能性です。闘技では、この数値が最も重視されるのです」
「可能性……?」
「ここで言う可能性とは、未来を引き寄せる力のことです。ですから、最初は誰もが0です」
カナン・シュライセンが指を振ると、暁雄の目の前にだだっ広い荒野の映像が現れる。
「つねに高い目標を持ち、自身を磨き続ける者ほど、ポシビリティの数値は高まります。日々の充実度を測る尺度とも言えますね」
少女の説明に合わせて、映像の中の荒れ果てた地面の下から、緑色の小さな芽が顔を出す。ひとつだけではなく、ふたつ、みっつと増えていく。
「可能性は未来の選択肢でもあります。ひとつの目標に向かって、体を鍛え、技を磨き、知識を蓄え、多くの出会いを重ねるとき、初めは存在しなかった別の選択肢が生まれることもあります」
小さな芽が伸びて、やがて木となり、四方に枝葉を広げていく。ひとつの枝が2つに分かれ、さらに4つに分かれてを繰り返し、何もなかった大地が緑で埋め尽くされていく。
「これが一般的なポシビリティのイメージですが、貴方の場合はこのようになります」
白魚のような指が空中で翻ると、映像が切り替わり、赤茶けた土から伸びた2本の若木が映しだされる。どちらもほっそりとして見るからに弱々しく、枝もほとんど生えていない。
「ひどいものだな。いったいどれほど無駄な時間を生きてきたのやら」
「お、俺は、無駄な努力が嫌いなだけだ! できるかどうか分からないことに手を出すのは効率が悪いからな! 『やりたいこと』と『やれること』がピッタリ合ったときに本気を出せばいいんだっ。今は、たまたまそれが無いってだけで……!」
プライドをボロボロにされたせいか、暁雄の声には力がなく、座右の銘ともいうべき人生哲学にもいつもほどの自信が感じられない。
リヨール・ノーダンは冷笑を浮かべてさらに何か言いかけたが、主人の目配せに気づき口を閉じる。
カナン・シュライセンは、うつむいている暁雄に歩み寄ると、一枚の羊皮紙を差し出した。
「こちらが闘技兵の契約書になります。契約の条件や金額を確認してください」
契約書に記された内容はおおまかに以下のようなことであった。
●契約金は1ヶ月につき500円。
●戦闘1回につき追加報酬として500円。
●契約中はミーティング兼トレーニングに参加すること(最大で週3回)。
●契約破棄は即時有効。ただしその時点でクァ・ヴァルトに関する全記憶を抹消。
(月500円て、小学生のこづかいかよ。その程度ってことなんだろうけどさ……)
暁雄の顔に笑みが浮かぶ。
陽気さとは無縁の自嘲的な笑いであった。
「貴方にお渡ししておきます。もし内容に満足していただけるようならサインをしてください。それで契約完了です」
暁雄が羊皮紙を機械的に受け取ると、その額にカナン・シュライセンが人差し指を当てる。
「それと、契約保留中は、私たちのことを口外できないよう制約をかけさせてもらいます。他のプレイヤーへの用心です。どこから情報が伝わるか分かりませんからね」
とくに痛みは感じず、体にも変化は無かったが、暁雄は、頭の中に鍵をかけられたような気がした。
その後、リヨール・ノーダンに玄関まで連れていかれた暁雄は、ドアから直行するエレベーターで1階まで下りた。
ベランダから見下ろしたときには分からなかったが、こうして地上に降り立つと周りの風景に見覚えがある。武蔵駅からそれほど離れてはいない。
駅まで向かう道すがら、暁雄は、今日体験したできごとについて杉山智環に伝えようかと思ったが、その途端、頭に霞がかかり、話そうとした事柄を思い出せなくなってしまった。
(あー、これ、杉山さんの結界と同じだ)
そう気づいたのは、駅のホームで電車を待っていたときだ。頭にかかった霞みは数分で消えるようだ。前後の記憶が戻ったことで、カナン・シュライセンにかけられた制約の効果が理解できた。
(誰かに相談もできないってことかよ。……まぁ、ちょうどいいかな)
今日一日で体験した出来事は、あまりに荒唐無稽すぎて、誰かに伝えるにしても、まずは自分の頭の中で整理する必要がありそうだ。




