その5
カナン・シュラインの顔が変わったというのは正しい表現ではない。
より正確を期すならば、顔の造形はそのままで、目や髪、肌の色、髪型などが変わっただけだ。だがそれだけでも随分印象が異なる。
「お嬢様は、お前の傷を癒やしただけでなく、衣服の修復までしてくださったのだぞ。そんな義務はないというのにだ。それを貴様は、感謝するどころか謝罪しろだと? 恩知らずにもほどがある」
「き、傷は消えたって、痛い思いしたんだぞ! 謝るのが筋じゃないのかよ!」
「その点もご安心なさい。この建物を出れば私たちに関する記憶は消えます。痛みの記憶も消えますから、精神的な後遺症の心配もありません」
「ハ、ハァ~……!?」
あまりに話が咬み合わなすぎて、暁雄は激しい徒労感を覚えた。
暁雄が瀕死の重傷を負った被害者であり、リヨール・ノーダンがその加害者であることは、2人とも認めている。にも関わらず、2人には罪の意識が無いという。
(なんなんだコイツら? 人を殺しかけておいて自分に責任は無いって、そんなのあるかよ! ゲームだの、管理委員会だの、別の世界だの、魔法だのって、そういう話じゃないだろ! 問題は誰がやったかって話で……ん、んん?)
少女たちの発言から得られた重要な情報を、いくつもスルーしていたことに、暁雄は今さらながらに気づいた。
傍若無人な2人の言動に振り回されたことに加え、死に直面したショックも引きずっているのだろう。自問自答を重ねるうちに、ようやく落ち着いてきた。
(いやいや、待て待て。魔法? 杉山さんと同じ系の人たちなのか? けど、別の世界から来たともいってたよな? 杉山さんとは全然違うのか? それとも、人間界と魔法使い界みたいな区切りで、大昔に袂を分かった的なアレなのか?)
杉山智環とこの2人の間には何らかの関係性がある。何の根拠もないが、暁雄はそう結論づけた。
(そうじゃなきゃ、2日連続で魔法使いに遭遇するなんてありえないだろ)
そうやって暁雄が自分の考えに没頭していると、不意に襟首を引っ張られ、足が床を離れて宙に浮く。
「気が済んだのなら行くぞ」
「うぇっ!? ちょっと、なに? えぇ!?」
驚いて振り返ると、暁雄の襟首をリヨール・ノーダンが左腕一本でつまみ上げている。暁雄より身長があるといっても、細身の体型からは想像できない怪力だ。
リヨール・ノーダンは暁雄を吊り上げたまま部屋を出ていこうとする。
「ちょっとタイム! 待って! まだ、聞きたいことがあるんだけど!」
「無用だ。お嬢様はお忙しいのだ。下らんことでお手をわずらわせるな」
暁雄の懇願をリヨール・ノーダンはバッサリと切り捨てるが、その彼女をカナン・シュラインが引き止める。
「リヨール、離してさしあげなさい」
「ですがお嬢様。何を聞かせたところで、この者は記憶を失うのですよ?」
「よいのです。理由はどうであれ、こちらの不手際で迷惑をかけたのは事実ですから。例え忘れるにしても、知りたいことは教えてあげましょう」
「承知いたしました」
暁雄が元の場所に下ろされるのを待って、カナン・シュラインは続きを促した。
「聞きたいこととはなんでしょうか?」
「あー、はい、えっと別の世界から来たって言ってましたけど、それってどういう意味なんですか?」
「言葉通りの意味ですよ。私たちの世界クァ・ヴァルトは、こことは異なる場所、時間と空間の概念を超えた先にあります」
「それって、つまり異世界から来たってことですか?」
「イセカイ?」
暁雄の言葉に小首をかしげたカナン・シュラインは考えこむように目を閉じる。その右手には、先ほどの光る球が現れていた。
光の球はほんの数秒で消えたが、ほぼ同時に少女も目を開ける。
「そうですね。そのように受け止めていただいてよいでしょう」
だいぶグダグダな感じだが、この一言で、今朝方、暁雄の想像していた非日常的イベントはあっさりクリアされた。マンネリな日常に沈んでいた放課後までの時間が嘘のようなスピード展開である。
しかし、単純に喜んでばかりもいられない。
「この世界へは何をしに? まさか観光ってわけじゃないんだろ?」
「目的はゲームです。ゲームの管理運営を司る委員会が、この世界のこの惑星を舞台に設定したのです」
「さっきから言ってるゲームってなんなんだ? わざわざよその世界でやるほどのことなのか?」
「ではまず、私たちが興じている『トゥルノワ』について知っていただきましょう。リヨール、お願いします」
カナン・シュライセンが言い終えたときには、リヨール・ノーダンの手が暁雄の頭を鷲掴みにしていた。
「えっ!? な、なにっ?」
「動くな、すぐに済む」
暁雄の頭に乗せられたリヨール・ノーダンの手が淡い輝きに包まれる。
やがて、その光はリヨール・ノーダンの指を伝って、暁雄の頭に吸いこまれていき、それに合わせて暁雄の中に未知の知識が書きこまれていった。
●トゥルノワとは――
管理委員会の指定した世界で、プレイヤー同士が戦い、最後の1人になった者が優勝。
ただし、戦闘は必ず闘技形式で行うこと。
プレイヤーは、敗北するか、リタイアするまで、クァ・ヴァルトへの帰還は許されない。
なお、現在の総プレイヤー数は48名。
●闘技とは――
魔法で生み出された擬似空間で行う決闘のこと。
擬似空間内では、すべてが仮初の存在であるため、どれだけ損傷を負っても現実の肉体には影響しない。
魔法や武器の使用は無制限。
プレイヤーは、闘技将として、闘技兵による軍団を編成してもよい。
●闘技将とは――
闘技におけるプレイヤーの呼び名。
どれだけ闘技兵が残っていたとしても、闘技将が戦闘不能になった時点で敗北。
●闘技兵とは――
闘技において闘技将の指揮下にある者のこと。
プレイヤーは、クァ・ヴァルトから闘技兵1名を同行してもよい。
プレイヤーは、現住生物を闘技兵にしてもよい。
「どうでしょう。私たちのゲームについて理解できましたか?」
リヨール・ノーダンが暁雄の頭から手を離したところで、カナン・シュライセンが具合を確認する。
「あ……、はい。ちょっとボーっとしますけど、なんか、分かっちゃいます」
「では、先ほどの質問の件はご理解いただけましたね。『トゥルノワ』は非常に人気のあるゲームで、主催組織によってルールが微妙に異なりますが、プレイヤー間の公平を期すために異世界を舞台にすることは珍しくありません」
カナン・シュライセンは事も無げに語っているが、知識を埋めこまれた暁雄には、このルールには看過できない事実があることも「知って」いた。
「いや、ちょっと待ってよ。この世界の現住生物って、俺ら人間も含むんでしょ?」
「ええ、もちろんです。むしろ最有力候補ですよ。闘技兵の適性は、人間が最も高いですからね」
「もちろんって……。それ、どうやって決めるの? 話し合い?」
そんなわけないと分かっていても確認せずにはいられない。
魔法を使う異世界の住人たちによる人間狩りなど、考えただけでゾッとする。
「闘技兵の獲得手段はプレイヤーに任されています。知性を持った相手なら、交渉も有効な手段ですね」
「……もし、断られたら?」
「現住生物への過度な虐待は法で禁じられていますので、手荒な真似をする者はいないでしょう」
こっちの世界の人間にも法の保護があると知り、一瞬安堵しかけた暁雄だったが、その後に続く言葉で血の気が引く。
「――それくらいなら洗脳したほうが早いですし」
顔色も変えずに恐ろしいことを言う少女を見て、暁雄は恐怖すると同時に確信した。「この異世界人たちには、暁雄たちの常識は通じないのだ」と。




