分岐
「不味いわ。こんなものを私に食べさせるとは私も低く見られたものね」
干して乾燥させた保存食の肉が盛り付けられた皿が乗るテーブルを足蹴り。
乱暴に扱われたテーブルは90°後方に直角に倒れると、乗っていた皿は床で割れ、他の食事と共に破片は床に散乱。
朝一の朝食での出来事である。
舌の肥えているアリシア様は中途半端な食事や安物には口をつけない。
残念なことに今は口にして貰うしかなかったのだ。まともな食事を回せるような金銭的余裕がない。晴れて貧乏生活を送ることとなった新居では、今回のように当分の間は保存食で身を繋いでいかなければならないのだが、それがアリシア様には我慢出来ない様子。
没落後もなんとか遺産で食い積めて食事にも問題は生じず、不満を聞くことも無かったのだが、いよいよ食事に関しても問題が浮き彫りとなってきてしまった。
全てにおいて金が無いのが問題。早い段階で何かしら金策を講じなければ。食事に限らず今の俺達の立場は金が非常にネック且つ最優先。その名の通りの死活問題。
アリシア様自身で稼がさせるわけにもいかない。主人であるアリシア様にも悩んで貰いたい直面だが、アリシア様には今は家の再興とそれに準ずることだけに専念して貰いたい。
自動的にこれは俺が解決しなければならない問題となる。俺自身も何とかしなければならないと重々承知しているが、その手段に困っている。
奴隷の俺がまともな人脈やコネなどあるはずがないからである。自営をしようにも、コネも人脈も資金も無しに出来るような簡単なことではない。
人脈とコネを作らなければならない。
それには先ず何処かしらで働き口をを見つける必要がある。そこでこの街のルールや仕組みを理解し、それに付随して街の人達の把握と友好な関係を築く。
何ヵ月単位での話ではなく、何年単位の話になってくる。
縁も所縁もない土地でやっていくには地道に積み上げていくしかない。テスタメント家の再興も一年や其処らで出来るような事でもないし。
アリシア様の頑張り次第で期間は短縮出来るかもしれないが、元以上の勢力とするまでには5年は掛かると見積もっている。
その5年の見積もりの間で俺はアリシア様に不自由がないように資金力だけでも何とか獲得したいところだ。
「今日は見逃してあげるわ。ただし、次はないわよ」
ご立腹な様子で席を立たれ、自室へ向かうアリシア様。その後をつける俺。
今回は見逃して貰えたが明日は見逃して貰えない。最低でも明日の分......いや、夕食か。何としてでもまともな食事が出せるようにしなければ......
昼食を必要としないのは学園で昼食......給食のような物が一応あるからだ。自分の所持金で食事を取れたりも出来るようだが、生憎そんな金もないということで、必死に状況説明して昼食だけはそれで我慢してもらうことになった。
その代わりに朝食と夕食は俺が負担。早速ボロクソにされてしまったが。
「ぼさっとしていないでさっさと服を着せなさい」
散乱した食事を処理せずにアリシア様ついていったのは服を着せる役目があるため。メイドの仕事も俺の仕事なのは新居でも変わらない。
部屋着の白いドレスを脱ぎ半裸になるアリシア様。これも日常の光景であるため、俺も特別な感情を彷彿させることはない。
学園でのことも考えて動きづらい服装は避けたいが、動きづらさが仇となるような場面の方が少ない気もしたため、無難に今着ていた部屋着とは別の白いドレスをひっぱりだす。
袖もとや腰回りに赤色のフリルが付いている服を丁寧にアリシア様の体に通していこうとするが......
「それじゃない......『アレ』を出しなさい」
「学園に通うのにアレを着るのですか!」
服装をアリシア様自らが選ぶことはない。だが『アレ』だけは別物。普段着や部屋着で着る可愛らしいドレスや女性らしい服装ではなく、何故か旧テスタメント家を出る際に着た甲冑をご所望している。
「何を言っている。私は学園に遊びに行くわけじゃない。学園の事を何か勘違いしているのか?」
認識の違い。俺の持つ学園のイメージとアリシア様の持つ学園のイメージが違うのだろう。
俺の持つ学園のイメージは元の世界での学生生活の風景。それをそのまま当て嵌めていたが、どうやらそんなに穏やかな場所ではないようだ。
甲冑のような重装備に身を包んで学園に通う光景など、誰が想像できる。自慢ではないが俺には無理だ。
「分かったらさっさと着せなさい」
再度両手を横に伸ばし、着付けをされる姿勢を取る。
新居でのアリシア様の自室は、元の部屋と可能な限り同様の再現をしてある。家具や置物は旧テスタメント家から持ち運んでいるが、ベッドといった持ち運こびが不可能な物は新居にあった備え付けを、放置されていた物をそののまま使っている。
幸いにも保存状態は良好であり、修繕を必要としていない。それだけでも俺の労力は大分減っていた。ベッド等の修繕に当たる時間を別のことに回せる。
甲冑はその再現された部屋の奥隅に異質を放ちながら添え木に被されていた。
甲冑を手に取ると、籠手につけられている銀色のプレートの重厚な重みが両腕に伝わってくる。
戦闘衣。文字通り戦う為に着る物。着用者の身を守る為の加工や装飾が施されている物が例えドレスのような物であっても軽い筈はないのだが......
プレートが装着されているところを除けば、この甲冑は白と黒のシルクのような布地が大半を占め、
端から見れば甲冑とは思えないほど軽装で露出も多い。しかし、これが女性の甲冑らしい。男性用の甲冑は全身が鉄に埋もれる程の重装備。
女性と男性どこでここまで装備に差がついてしまったのか。
推察だが、女性が矢面立って戦場に出ることは皆無に等しく、敢えて甲冑も最低限の身を守る為の装備にしているのかもしれない。
女性は男性に比べて筋力は劣る。男性と同じ装備では重量に負けて身動きがとれなくなる。それか、戦場において女性は男性達の癒しを与える立場であり、視覚的での保養が目的なのかもしれない。或いはその両方かもしれない。
どちらにせよ、女性の甲冑は非常に軽装であり露出も多いのが特徴なのだ。
「やはりこれを着ている方がしっくりくる」
甲冑姿で手足を動かすことで体への馴染み具合を確認している。
甲冑を身に付けるのはこれが二回目である。一回目はこの街に来るとき。そして二回目が今日。
元々この甲冑はアリシア様が16歳になるときに、亡きユーリ様とリューネ様がプレゼントとして鍛冶師に依頼していた品。二人が死後も鍛冶師は依頼通りに甲冑を鍛え、約束の16歳になった今年の春に送られてきた。
アリシア様にとってこの甲冑は形見でもあるのだ。しっくりと体に馴染むのも特注品であるのに加えて二人の思いが詰められているからかもしれない。
「それから『ユーリ』と『リューネ』、この二本も持っていくから」
壁に掛かっていた二本の剣『ユーリ』と『リューネ』を取り、二本の剣の鞘を両腰に甲冑の上から落ちないよう紐で固縛し、そのまま鞘に納める。
聞いてわかる通り、二本の剣は亡きユーリ様とリューネ様から名前が取られている。
対をなす銀色の直刃の剣は鏡面加工をしたかのような艶と光沢を放っている。剣の中心表裏にはテスタメント家の紋章、盾の中に羽の生えた蛇とその盾を交差する二本の剣が彫られている。
甲冑だけではなく、この二本の剣もアリシア様へのプレゼント。本来ならこの二つの品はご夫妻が直接手渡しすることになっていたが、それは叶わなかった。
「気になっていたのですが、どうして剣に二人の名前を付けているのですか?」
元々この剣には名前は無かった。後からアリシア様が二人の名前を付けたのだ。それがずっと純粋に気になっていた。
「親をも支配するという意味で付けただけよ」
第三者が事情も知らずに聞けば、とんだ親不孝者だと蔑むだろう。
けど俺は忘れてはいない。二つの品は渡した時のアリシア様の顔を。
当時の顔はよく覚えている。絶対に見せることのない力の籠っていない弱りきった眼光と、唇を噛み締めて悲しみを堪えていたあの顔を。
体裁を取り繕うための只の強がりとは言わない。勿論それもあるが、やはりまだ10代の少女。悲しみを拭いきれず、いつまでも側にいて欲しい、心の中に残留思念としてでもいいから残っていて欲しい現れも含まれているのだろう。
「そろそろ迎えが来る頃ね。家のことはハルトに全て一任させるから。その代わり、修繕、清掃、庭の手入れ、改装、それら全てを終わらせなさい。それから食事についてもなんとかしなさい今日中に」
通学には送迎の馬車が用意されている。基本的に学生は寮に入るのだが、本人の希望によっては自宅からの通学も可能。近ければ送迎も出してくれる。
態々自宅から通うのにも理由がある。学園の寮への入寮も金がいるのだ。学園に入るのとは別で。別払いの分、寮では豪勢な何一つ不自由のない生活が出来る。
大金を叩いて入学させて更に金が別口でいるため、寮へ入れるのは必然的に裕福な家庭に絞られる。
極々自然なことであり、そもそもが学園に通えるのも家柄が良くて富裕層な人間だけだ。生活水準が低かったりと低所得の階級身分が低いとまともな教育は受けれない。
教育機関はあれど、福祉、福利厚生、社会保障等といった内政が整っていない。整っていないというよりは考慮されていない。
では、その他の者達はどうしているのか。単純なことだ。読み書きと働き方しか学ばないのだ。政事等は一般国民には縁がない無関係なこととなっている。
王族や貴族等の一部の人間が全てを動かしている。
それが当たり前の世界。
どれだけ共通点があろうが所詮は異世界。
俺の知っている常識が通用しない。
本来ならアリシア様も遺産がなければ学園に通うことは不可能だった。それを費やして初めて学園に通える。
取るものを取っているだけあり、教育基準は高い......そう願いたいものだ。アリシア様の為にもそうであってもらわないと困る。
「お任せください」
無理難題であっても二つ返事を快くする。出来る出来ないではなく、やらなければならないのだ。
それが奴隷なのだから。
「帰りは夜になる。夕食は私が帰ってきてから用意すればいい」
正確な時間は不明だが、夕食を用意してなくていい分それだけ俺の作業の時間が増える。
修繕と手入れと清掃を午前中に終わらせ、最低限今日の夕食を何とか出来る金額を稼ぐ。一日の予定はこんなところだろう。
「じゃあ、行ってくるから」
「お気をつけて」
「......ところで、ハルトはもうインターバル走? とか自重トレーニング? とかいうモノをしないのか?」
ドアノブに手を掛け、扉を半分まで開ききったところでピタリと動きを唐突にそんな質問をを投げ掛けてきた。
俺に背を向けたままで表情をが見えず、声のトーンや張りも平時と変わらないため質問の意図も心情も察せれない。
「......特に理由はないです」
かつては自分の歩測で400mトラックを模したコースを作りインターバル走での走り込みや、敷地内をLSDで走ったり、自重での低負荷トレーニング、壁の縁や石や木等の自然物を使っての筋トレをしていたが、最近は全くといっていいほどしていない。
単純に忙しくて時間がないのが理由ではない。時間が無いときでも自分で時間を見つけては、夜とかのすることがなくなった時を見計らってやっていた。
「そう、つまらないわね」
そう吐き捨て、振り替えることなく家を出ていった。『つまらない』、何をもってつまらないのか、何故つまらないのか。意味深な言葉を残すだけで、その言葉の真意は分からずじまい。
捨て台詞に何も言い返せず、そのままアリシア様の無事を祈りながら執事のようにお辞儀をし、家を出るのを見届ける。窓の外には坂を下っていくアリシア様の後ろ姿がある。
街の外れの高台の森の中にある邸であるため、馬車は家の近くまで来てはくれない。
後ろ姿が見えなくなり、1分もしない内に馬の鳴く声と、ガタゴトといった、馬車の荷台が砂利と段差のある凸凹道で走る際の軋む音が颯爽と聞こえてきた。
やがて馬車の走る音は離れていき、邸付近の物音が止まり、邸周辺は一時静寂に包まれる。
これから先、アリシア様は学園で学生としての責務を全うする。俺は俺で邸アリシア様を裏から支えるべく、内面での事情に専念しなければならない。
今までは二人で共に過ごす時間と空間がほぼ毎日であったが、これからは違う。互いにすべきことをそれに相応しい場所で消化していく。
互いに干渉しない、決して交わることのない別々の時間と空間を過ごしていく。そういった意味では、本当新しい生活は今日から始まるのであった。
これから先は学園でのアリシア様と学園外でのハルト視点と別れていきます。
二つの視点が交わることはない予定です。
分かりきったことですが、アリシア様は二刀流です。女キャラで二刀流です。