没落
最悪とは言えないが最高とも言えない中途半端な目覚め。昨日の折檻を乗り越え新たな一日を無事に迎えた俺だが、疲労と足の肉離れに折檻で負った精神的苦痛。それらが開眼一番にのし掛かり、一日のモチベーションを下げていた。
ワンルームの物置のような部屋から外を見渡す。陽は既に昇っており、綿雲の間から指す夜明けの光が中庭を照らしていた。
中庭にある草花は変わらず咲き乱れているが、手入れを施す人間は最早俺だけであった。
部屋に唯一あるタンスから一張羅でもあるスーツ服に似た黒い伸縮性のある服を獣の皮で出来たインナーの上から着こなす。
元のボロボロの奴隷布切れに比べたら劇的な変化である。専属奴隷となった際に主からボロボロの布切れでは見映えが悪いとのことで用意してもらった唯一の服。これ以外の服を着ることは許されていない。
「『眼帯』よしと」
鏡を確認しながら右目に眼帯を確りと密着させる。今でこそ慣れたが右目を失った時は苦労したものだ。二つあった視界が一つになり、死角が広くなったのだから。
ある事が原因で俺は右目を失った。それについてもおいおい振り返るだろう。
因みに元々のチノパンやYシャツは奴隷商の所にいる際に没収され、テスタメント家に買われたときに一緒に持ってこられたが、返還はされず今はアリシア様が保管している。そして、地球の服にも魔法は効かない。正確な理由はこれも不明だが、材質が違い魔力が通っていない物質だからかもしれない。
俺が魔法に関して得た知識は、この世界の魔法は大気上や体内に蓄積されている魔力に反応して効力を得ているらしい。
ここに来て始めに受けた魔法。ここでは『ファイアーボール』と呼称しよう。そのファイアーボールも自分の体内の魔力を火に変換させ、相手にぶつけることで相手の中の魔力が火の魔力に反応。結果自分の体に火傷等のダメージを受ける。
勿論、きちんと調べた訳でもなく適当に物を言っているだけであるから、正しいとは言えない。物理法則や常識が通用しない世界なのだから無茶苦茶な現象でも不思議ではない。だから俺は魔法についてはそう位置付けている。
それ以外にも俺自身には魔法が効かないが、元々発生している魔力事象に対しては俺は介入できない。俺の身に降りかかるものは打ち消せても自分以外となると何も変わらない。
それ故に先日のかまいたち現象も純粋な自然現象であるためダメージを受けてしまった。何でもかんでも魔力によって発生している事象が全てではないと言うこと。台風や地震のように何らかのメカニズムがある。それの解明には莫大な時間が必要だがな。
着替え終えた俺は先ず朝一の日課は、中庭の草花への水やりから始まる。毎日欠かさず水やりや手入れをすることで中庭の草花の維持に務めている。
ここも元々は俺以外のメイド等の労働力で維持していたがもういない。
中庭が終わると次は敷地内の掃除。枝葉等を纏めて焼却する作業なのだが魔法が使えない俺は全て手作業で集め、袋に棄てるしかない。
外が終われば館内。ボロボロになった赤絨毯。装飾の一部が剥げているシャンデリア。埃が被った絵画。それら全館内を一人で掃除しなければならない。
だから俺の朝の目覚めは早い。遅くても朝の4時には目覚めてアリシア様を起こす8時までには全てを終わらせなければならない。朝食の準備も含めて。
日頃毎日掃除をしているから掃除事態にそこまで時間を割かなくて済む。
掃除が終われば次はいよいよ朝食の準備。お口に合わなければ容赦のない足蹴りがくる。
厨房に篭った俺は手を井戸から汲んできた真水で洗い、食中毒防止のために入念に専用の薬、石鹸のようなもので菌を殺菌する。
厨房は専属で雇われていた調理師10人でテスタメント家の全ての食事を賄う作業場。調理師10人ともなればファミレス並かそれ以上の広さが必要となる。いつぞやの料理長の大声を含めた和気あいあいと調理に明け暮れていた明るい雰囲気のした厨房も、今ではその面影はない。広い厨房も人がいなければ只の無駄に広いだけの空間となる。
買い置きして棚に納めていた食パンに似た『ルミーズ』を丸々一つ取りだし、窯で焼く。その間にトマトのような『コレル』をぶつ切りにして鍋に放り込み、火石で火を発生させグツグツ煮込んでいく。その他にも地球の食材によく似通った物をサラダや飲み物として準備していく。
朝食の準備が終えればそれを丁寧に更に盛り付け、テーブルクロスを敷いた食堂のアリシア様の席に置いていく。
「これで良し。後はアリシア様を起こすだけか......」
最後にして最大の障害。それはアリシア様を目覚めさせることである。これがまた神経を削る作業なのだ。寝相が悪いだけなら可愛いものなのだが、あの人の場合は寝相が悪いという規模の話ではない。
「どんな寝方をすればこんなに衣服が乱れてはだけるんだ......」
寝室を訪れてみたら案の定、アリシア様は抱き枕であるつぎはぎだらけのボロボロのぬいぐるみを抱き潰しながら寝ていた。
このぬいぐるみはアリシア様のお気に入り。6歳の頃から俺と共にアリシア様のそばにいる。ボロボロなのはアリシア様の遊びが原因。傷がつく度に俺が補修し、また傷がつく。その繰り返しの結果つぎはぎだらけになってしまったのだ。
話は戻り、アリシア様のみっともない格好にはほどほど呆れる。着ているショーツはたくしあげられ、隠すべき乳房や又布はモロ見え。
まだまだ成長を思わせる豊満とも貧相とも言えない俺からしてみれば丁度良いサイズの乳房は、アリシア様が寝返りを打つ度に上下に揺れ、同時に乳房の先端のピンク色の突起物も波打っている。
掛け布団は見事に蹴飛ばされ床に落ちている。暑苦しかったのか、胸元や脇、首筋、太股には汗が滲み出ておりそれがまた変な色気を出している。
「無防備過ぎるにも程がある」
その辺の男衆なら一瞬で野獣と化してしまうような状態であっても、俺は少しも靡いていない。それもそのはず、アリシア様が6歳の頃から既に奴隷としてこき使われ、アリシア様の成長を見届けてきた。謂わば俺にとってアリシア様は主でもあるが、親戚といった身内の妹みたいな存在。妙な気も起きず、過ちを犯そうとも思わない。
「アリシア様、朝です。起きてください」
起こそうと体を摩ろうとするが既にアリシア様の体はベッドの上には無かった。何処へいったのかと言うと、俺の真上。背中から踏みつけられていた。
「......もう朝なのね」
グリグリと踵で俺の背中を踏みにじりながら欠伸をするアリシア様。相変わらず触れようとすると一瞬で目を覚まし一瞬で女王様行為に働く。
本当は起きているのでは? と疑っていたが本人曰く、寝ていても気配や危険の察知は当たり前らしく、例え寝ていようが一瞬で目を覚ましては対処に当たれるとのこと。
「いつになったらそのような格好をされるのを止めるのですか?」
背中を踏みつけられながらも、冷静に乱れた格好に対しての指摘をする。これは決して俺がMで喜んでいる訳ではない。こんな感じのことを10年間ずっと受けてきてしまって、日常の風景として慣れてしまっただけである。
「あら? 主に対して文句を言うなんて随分と偉くなったものね。躾が足りないのかしら?」
「主の為を思ってのことです。早く格好を正してください」
うら若き女性がこんな格好をしていたらまともな嫁の貰い手が見つかりそうにもない。テスタメント家の為にもアリシア様にはそのことをもう少し自覚してもらいたい。
「ならハルトが直しなさい。私は寝起きで怠いのよ。ついでに今日の服も着付けなさい」
メイドや使用人がいない為に服の着付けや身の回りの世話も俺の仕事となっている。というよりもメイド達がいようがいまいが専属奴隷の仕事だけどな。
専属奴隷の仕事。それは使用人、メイド、コック、執事、それらの仕事を全てこなすこと。まぁ、専属奴隷なんて代物も主が勝手に作った非公式の存在。元々大勢に寄って集られるのを嫌っていたため、遊び道具になっていた俺をそのポストに着かせたのだ。
「では先ずは上から降りてください」
意見こそ言えるようにはなっているが、基本的に命令には我が儘であっても逆らうことは出来ない。この10年で生き残っていく為に徹底的に奴隷としての本質を体に染み込ませた結果である。
「まじまじと体を見つめているけど何かしら? 欲情でもしたの? 奴隷の分際で? 何なら襲ってみたら? 寛大な私は蔑んだりはしないわよ。奴隷として日頃の鬱憤や処理に困っているはずだし」
違うと否定すれば嘘になる。30過ぎでも男としての機能は些か衰えてはいない。
精神的に追い詰められたときに、常軌を逸脱した行為に走るのは10年前のあの時の少女に対して、俺がしてしまった罪で体験済み。
あの時のことを只の過去の過ちとして捉えるのではなく、一生拭えない傷として正確に記憶しておくことで俺自身への戒めとしている。
その一件や主が妹みたいに見えることもあるが、はっきり言えば欲情はする。ただそんなことをすればどうなるのか。嫌と言うほど理解もしている。欲情していてもそれ以上の命の危険、恐怖の方が感情として勝っているのだ。主もそのことを解っていながら聞いているのだから質が悪い。
「......お戯れを」
苦笑しながら返答する。困っていることに代わりはない。まともに処理もしていないから本当にどうしたものか。
「つまらないわね。まぁ、本当に襲ってくるものならば、切り落とし兼ねないけど」
立場を理解していて本当に良かった。アリシア様ならばやりかねない。生命と性命の危機を脱しても冷や汗が止まらず、恐怖が二重に増えたことに際悩ませれながらも、乱れた着衣を元に戻し、クローゼットの中から衣服を着付けていった。
◆ ◆ ◆
「本日の予定はどうされるのでしょうか?」
ヘビーな朝を迎えた後の朝食。時間にして1時間も経過していないが、濃密な時間は体感的に半日程度の精神的疲労を与えていた。
深紅のドレス姿のアリシア様は今は亡きテスタメント家当主だったユーリ様の席でトーストをかじっていた。
当たり前だった食堂の机の座席にはアリシア様だけ。空いた三人分の席を見るたびにやりようのない思いを抱いてしまう。
奴隷としてこき使われてきたが、テスタメント家は奴隷にも寛大だったのは事実。10年も住んでいれば第2の家としての愛着が沸く。環境や過程がどうあれ、住めば都。正にその通りであった。
家族を失って誰よりも辛いのはアリシア様本人。齢8つにして家族を一度に失う辛さは想像しがたいもの。
家の状況や人気の無さで解るように、テスタメント家は8年前にアリシア様一人を残し没落した。理由は至って単純。当主であるユーリ様と伴侶であるリューネ様。そして世継ぎでもあったアリシア様の兄上のシドルフ様が亡くなったのだ。
実のところ、この世界では大きな争いこそはないものの、他国同士での小競り合いが各地で起きている。
テスタメント家も先発隊として遠征に参加し、そこで3人は命を落とした。
8つのアリシア様にテスタメント家を継ぐ能力は無かった。結果テスタメント家は没落し、治めていた領地も別の家へと移っていった。
テスタメント家に使えていた使用人も没落共に行き場を無くし、各地へと流れた。忠誠心がないかと思われがちだが、彼らも生活の為の仕事として仕えていた身であるため、力を失った家に未練を残すこともないのだ。奴隷も同様にテスタメント家消滅で烙印は効力を失い消滅し、奴隷は解放された。そもそもユーリ様達は自分達が死ねば奴隷は解放する。そのつもりで烙印に効力を持たせていた。
烙印もまた魔法の一種であり、烙印によって管理されていた奴隷。その烙印に死ねば解放するという機能を持たすのは難しいことではない。
同僚であった奴隷達が今何処で何をしているのかは分からない。故郷に帰ったか。また別の所で奴隷になっているか。
俺が解放されなかったのはアリシア様の専属奴隷になっていたからだ。権利がアリシア様に移ったことで烙印もアリシア様のものとなったからだ。
魔法が効かない俺に烙印による管理能力は発揮されない。それでも俺が残っているのは一人残されたアリシア様を見捨てることが出来なかったからだ。何だかんだ言ってお人好しだったのだ。
「この家での予定はもうないわ」
「......? どちらかに参られるのですか?」
「『ニーブルス学園』に通うことにしたわ」
ニーブルス学園。テスタメント家が所属していた『皇国ファンネンブラ』の中央街に設立されている唯一の教育機関。小等部から高等部までのエスカレート式の学園であり、途中編入も可能。大抵の民はここで早くから教育を受け、その後の人生を見据える。
「それはまた随分と急なことで」
今ままで学園の『が』の字も出さなかったのに。一体どういう風の吹き回しなのだろうか。剣術、魔法の鍛練も教養も全て独学でなされていたのに。
「家を建て直す為にはもっと見聞が必要。独学だけでは限界があるのよ」
どうやらテスタメント家の建て直しの為に入学を決意されたようだ。テスタメント家が没落して以来、アリシア様は復興の為に奔走していた。学園に通うことで見識を深め、再興の糧とする。立派なお方だ。
「そうと決まれば諸々の準備をしなければ。アリシア様がご通学中のテスタメント家の管理はお任せ下さい。責任を持って護り、アリシア様のお帰りをお待ちしております」
例え主がいなくとも家は護り続けていく。アリシア様が卒業し、この家に帰ってきたときに再興の基盤とするためにも。
「何を言っているのかしら? お前も付いてくるに決まっておろうに」
予想外な展開に俺は思わず聞き返してしまった。
「もう一度お願いします」
「何度も言わせるな。お前もついてくるのだ」
聞き違いではなかった。アリシア様は俺にもついてくるように命じたのだ。俺の年齢で学園に通うには少々無理があるのに。年齢以外にも奴隷としての立場上。
「心配しないでも誰も学園に入れとは言ってないわ。ただ、拠点を移すからそこに来いと言っているのよ」
「拠点を移す? 家を空けるのですか!?」
廃れたとは言え、ここは由緒正しいテスタメント家。アリシア様達の代より以前から栄えていた。そこを丸々空ければいつ賊に荒らされてもおかしくはない。
「出発はこの後よ。必要なモノを準備なさい」
アリシア様がそう仰るのなら従わなければならない。
朝食を終えたアリシア様は準備の為自室に戻る。俺も皿を下げ、移動の為の必要なモノの荷造りを始めた。仮拠点に必要な生活品を主に。高価な家具や装飾品は泣く泣く置いていくことにした。
◆ ◆ ◆
「準備は出来たようね」
両手にアリシア様の衣類品の入ったボストンバックのような鞄と、背中には必要な生活品を詰め込んだ背嚢を背負っている。
アリシア様は移動の為に動きやすい銀色の鎧甲冑に着替えていた。鎧甲冑と言ってもアリシア様は最低限の急所にしか防御の重点を置いてなく、後の部位は極限まで軽量化された紙装甲。見掛けは普通の鎧だが中身は脆い。それはアリシア様自身の力の自身の現れでもあり、アリシア様の戦闘スタイルの為でもある。
「しかし、本当に宜しいのでしょうか。家を無人にして」
俺一人だけでも残っていれば何とか護ることは出来る。しかし無人では何も出来ない。家族との思い出が詰まっている家を他人に荒らされるのはアリシア様も忍びないはず。
「大丈夫よ。誰にも荒らさせたりはさせない。だけど、この家が私の枷になっているのも事実。この家がある限り私は巣立ち出来ない。だからこうするのよ」
アリシア様が両手を合わせ、詠唱を始める。するとテスタメント家の敷地内の地面にペンタクルが浮き上がっていった。
ゴゴゴと地響きと共にペンタクル内で業火が発生した。発生した業火の火の手が屋敷を瞬く間に飲み込み、屋敷は見るも無惨な焼け跡になってしまった。
丁寧に手入れしていった草花も、修繕と掃除をしてきた屋敷も一瞬で燃えカスの灰と化した。
一瞬の出来事であったが、俺は倒壊していく屋敷の光景を黙って見つめることしか出来なかった。
「まだよ」
引き続き詠唱を続けるアリシア様。焼け野原となった敷地に隆起が起き、焼け跡となった場所を地面が飲み込んでいった。やがてテスタメント家があった場所は何もない更地となった。
「これで誰にも荒らされることもなく、私自身の踏ん切りにもなった。それに再興する時は私の家であり、見知らぬ先祖の建てた家など不要」
強がってはいるが少し悲しそうになっていたアリシア様の目を俺は見逃さなかった。
「私は必ずここに戻ってくる。戻ってくる時は今より大きくなって」
暴君で我が儘でドSな主。それでも俺が嫌気を指さないのはアリシア様の中にこう言った確固たる信念があるからでもある。
「ぼさっとしてないでさっさと行くわよ」
何時ものように空中を蹴り上げ上空に上がるアリシア様の後を走って追いかける。
「因みに新しい住居とか何も考えてないからハルトが見つけなさい。基準として、清潔でシャワー付きで一室の広さが最低でも私の部屋並みの場所を」
「そんな突然告げられても、そんな物件は都合よくありませんよ」
「無かったら有るところからぶんどってでも用意しなさい」
「そんな無茶な!」
冗談が冗談ではなく本気な為、どうやら新しい拠点でも俺の苦労は絶えなさそうだ。
この作品での主人公の奴隷としての立場を出来る限り明確にしてはみました。
最善を尽くしてはいますが、期待に答えれないところもあるかもしれませんが、何卒ご配慮の程を。