未知と好奇の塊
何年ぶりだろうか……
「これも違う......」
広々と横長いテーブルの前の椅子に一人腰掛け、ありったけの本の中からめぼしき用語、記述を探す。
いくつもの紙をめくり、吹き乱れる文字の嵐の中を突き進むけど手懸かりになりそうなものが見つからない。
駄目。"魔"について調べようにもどの文献にも記録されていない。図書館にも無いとなると、可能性があるのは王宮の資料室だけ。だけどあそこは一般人は勿論、貴族の中でも限られた者が限られた時でしか立ち入りが許可されていない。
かつて一度だけ両親が室内に入っていくところを見たことがある。子供の私は入ることが許されず、部屋に消えていく両親の背後から部屋の中を覗こうとしたが、特殊な魔法が張られていたのか、黒い靄のようなものが通路と部屋を遮っていた。
他にも、近づこうとするだけで力が抜け、扉にすら手を触れることができなかった。
あれだけ厳重に、立ち入りを制限している部屋に保管されているものなら、必ず私の知りたい情報があるはず。
問題は部屋に入る以前に、王宮に招かれなければならないこと。資料室同様に王宮は限られた人間しか招かれない。自由に出入りが出来るのは王から刻印を与えられし者。
"昔のよしみ"で入らせてはくれないだろう。
今の私はただの学生。貴族でも何でもないのだから。
あの日から一週間が過ぎようとしてる。あの後お互いに4、5日寝込んでしまった。その間学園は無断で欠席。音信不通だったせいで死んだと思われてたみたい。
「他には?」
「他に該当しそうな本はないね」
司書として従事する男性に、他に関係がありそうな書物につて訪ねるが、どうやら無いみたいね。
「そもそも"魔"?の生物って何なんだ? 魔物とは違うのか?」
違う。アレは魔物なんかとは次元が違う。もっと高位的で禍々しく違うナニか。
対峙したとき、私の奥底にひっそりと沈んでいた、私自身が忘れていた恐怖心が、まるで生物を形取り体を突き破らんとする奇妙な感覚が忘れらない。潜在的な恐怖。抑えるのに必死だった、なのにあの感覚を解放したい、飲み込まれたいという欲もあった。
しかし、不思議なことだが、あの恐怖はあの生物に対してのものではなく、かつて家族を失った時の孤独と悲壮による恐怖だった。
消し去ったはずのものを引きずり出された。
「もうここに用はないわね。片付けは頼むわ」
最後の一冊を閉じ、両目を左手で覆い溜め息をつく。かなりの時間飲まず食わずで本を読んだいたせいか、気がつけば夕刻間近。流石に疲れたわ。
何冊読んだのかわからない。私が座る椅子の周りと足元には、積み重ねられた無数の本から形成される山ができていた。
山に囲まれている私は山から抜け出すため、本の山を乱雑に切り崩していく。
「おいおい、手荒に扱わないでくれ。どれもこれも貴重な資料なんだぞ」
図書館の中心から司書の男が、呆れたように苦言を呈してくる。歴史的価値がある先人達の知恵に無礼なことをしているのは自分でもわかっている。そうと分かっていても私にはこの後やるべきこと、試すことがある。重要性が高く、それは本を一冊一冊書棚に戻す程度の、短時間の作業であっても割くのが惜しい。
「いい風ね」
そっと頬を撫でるような優しく心地のよい風が、学舎を抜けた先の、学舎を見下ろせるほどの丘に立つ私と草木を優雅に通り抜けていく。
今晩は日が落ちることのない終日なため、終日陽が夕刻のような薄い朱色の状態のままである。一月の間に数回ほど来る特殊な日であり、原因は何も分かっていない。この日が来ると魔物も活動が鈍くなり、旅行商人や吟遊詩人といった諸国を漫遊する人々にとっては旅日和となる。
そんな特別な日が奏でる煌やかな風景は、あらゆる場所を絶景へと様変わりさせる。現に、純白の学舎の半分を照らす陽と、庭園にある泉から涌き出る混じりけの無い純水が、近場を飛び交う鳥を誘致する。
何もかもが穏やか。神話における戦いの歴史の中に一際、だが、深くは浸透していない。
しかし確かな安寧は脈打っている。私のとりとめのない心境と見事一致している。
その認識が私を普段の平静に引きずり戻す。まだ始まったばかりだと。何も焦る必要はない。
平静を取り戻すと、悩んでいた自分をまるで殺して、成り代わったように、いつものように宙を駆ける。
"あれ"が何であれ私とアイツの立場は変わらない。それだけで十分だった。
・ー・ー・ー・ー
主が勤勉に励んでいる間、俺の仕事も何も変わることなく勤勉に励まなければならない。
仮暮らしとはいえ、いつまでもオンボロのままの状態で住まわせるわけにもいかない。家の修繕を始めとした工作も歴とした仕事の一部。
何一つ疑うことなく仕事に打ち込むことができるのも、見事な奴隷根性を形成したお陰と言える。自分が目指していたものから遠く離れてしまったようではあるが、これはこれである意味楽しむこともできている。
純白に似た純粋な思いに馳せながら、作業に従事する異界の奴隷は元の世界では到底理解されないような、本人自身も理解していなかっただろう心境に今は染まりきっている。
彼が思いを馳せるのには当然理由がある。諸国を漫遊し、知見に触れる機会が奪われている今の状態に満足してしまうだけの理由が。
"木材が切れたか、買い出しに行かなくては"
無言で木片を木槌で打ち込む彼は、作業用の道具が切れたため、街へと買い出しに行くことになる。
彼が今従事している作業は廃墟同然のオンボロ屋の修繕、その床の朽ち果て大きな穴を覗かせてる床板の修繕。ボロ屋は木材で成り立ち、石工が必要な鉱物の有無は見受けられない。それ故に、作業も素人で何とかなるものであった。
素人の作業を助ける更にありがたいことは、木材を打ち込むのに釘やビスといった前の世界に必要な道具がいらないということ。大工が寸法を計り、職人芸で木材と木材を合わせ組み立てる技法は必要としない。
木材を穴のあるところに打ち込むだけで、勝手に木材が穴を埋めるべく広がり、塞いでしまうのだ。
おそらく、これもこの世界だから魔法という理屈が通じないものがあるから成せることだろう。
木槌を床に置いた彼はそう理解するしかなかった。こうした非科学的な現象が日常でも体感できることが、彼をよりポジティブな思考にさせているのだろう。
だけど、それをするための木槌といった道具は必要なようだけど。
置いた木槌を見ながら、彼はそれについても不思議そうに思う。木材を置いただけでは勝手に塞がらない。何かの道具で打ち付けないといけないという、この奇妙さも面白いものであると認識している。ただの変哲もない木槌にそんな特異な力があるようには見えない。見えないだけで何かの力が働いているのかもしれない。そうした二重の思考を張り巡らせるだけでも十分に時間は潰せる。
これらの道具はボロ屋の庭の、納屋のようなそうこに転がっていたのを、つい最近発見した。作業についても、釘も何もなかったが、魔法というものがある世界ということで、試しに打ってみたところ、偶然発見した。当然三度見ぐらいした。
前の持ち主が使用していたあまりだろう。これだけ簡単なら手間隙もかかることなく、誰でも修繕ができる。この世界ではきっとリフォームや修繕事業は根付かないだろう。
備蓄は尽きたが、まだ穴は至るところにある。全てを塞がないと流石に何日も穴だらけの家に、元ととはいえ、貴族の令嬢を住ませるのは気が進まない。何より折檻を受けるおそれもある。
ボロボロの何の生地で作られたかわからないローブから、街に出ても周囲から浮かない、綺麗なローブを羽織る。肌触りからして、良いものが使われているのだろう。ただ、触り心地は今まで感じたことないものだ。
押すと僅かながら石のような硬度を持ち、擦るとその硬度が消え、しっとりしつつ滑らかな肌触りに様変わりする。最早何が何だかわからない素材だ。動物のものか、植物性なのか、その両方が用いられているのか、これも魔法のものなのか。
その下に着込む下着のようなインナーとパンツは共に白色で、こちらはローブと違い普通の絹のような感じがする。
これらの一張羅は、アリシア様が用意して下さったもの。どんな風の吹き回しなのか聞くのも考えるのも恐ろしくて、敢えて気にはしてこなかった。しかし、改めて着てみると、ただの安物のようには思えない。それなりに身なりを整えさせようとしてるのだうけど意図は不明。
ボロ屋から商業区に向かうのは久方ぶりだ。大抵の備品は一気に買い込んで、不足してからまた買いに行くのサイクル。食料品を買い込んで2週間は街に出てなかった。
ボロ屋は街の住居区に位置しているが、丘の上(丘というには高低差がある、軽い山のようなところ)にボロ屋はある。山の斜面に建つ家のように、通常の家屋よりも高低差があるため、山道のような坂道を往復することになる。街そのものはその丘よりも高い外壁で、その外は見えないが、街は見下ろせる。この丘を中心に街を作っていったのだろう。堀と水を流し、外壁を作り。どんな理由かはこの街の歴史を読めばわかるだろうが、それは時間があるときになるだろう。
商業区ファルバンに来るのも2週間ぶり。たったそれだけでは街並みは変わらないが、中身の商人や商品の顔ぶれは変わっていた。前まで乱立する出店があったところに出店はなく、馬車を引いた(その馬も鹿のうな2本の角が生えている)行商人が行き交っている。
住居区の反対側が商業区であり、そこに繋がる坂を下って直ぐのところだった。だからこそ買い物は短時間で住んだが、今は出店はない。また入学前同様に商業区全体を回ることになる。
街は丘を中心とし、西側が住居区、東側が商業区、北側が行政区、南側が保存区となっている。保存区には数々の書物やこの国の歴史に関するものが保管されている。街の歴史に触れる機会があるときに立ち寄るだろう。あんなところに屋敷があった理由も気になるところだし。
商業区を歩きながらこの街の歴史や、屋敷の存在に意識が傾く。しかし、今の目的は必要な道具を揃えること。それ以外のことはあまり考えないようにしないと。
道行く行商人を見回しながら、あの材木と同じものがないか探す。が、目当ての材木は見つからない。打っているのはこれまた見たとこのないものが多い。火を吹く雀サイズの鳥や、何かを発しながら体全体を震わせる謎の人形、独りでに跳び跳ねる豆といった意味不明なものが多い。少なくとも2週間前には見たことがなかった。比較的前の世界と共通点が見いだせる食材とは違い、今回乱立するものは全く共通点が見いだせない。用途も不明。
「すいません、この辺で打ち込んだら独りでに広がって穴を塞ぐ不思議な材木は知りませんか?」
何て説明すればいいのか、名前もわからない材木について聞くにはありのままの現象で説明するしかなかった。
「********」
ところが返ってきた返事は、この街で使われ、アリシア様とも会話に必要な俺が必死に覚えた言葉と違った。聞いたこともない異国の言葉だった。
当然そんな言葉理解できるわけもなく、左手をあげ、「結構です」というアクションを取る。
まさか、ここに来て違う言語がくるとは予想してなかった。てっきり全て共通の言語だと思っていた。しかし、俺はこの世界の広さを知らない。世界地図があるわけでもない。この街がこの国が、この世界において、どれだけの広さでどこに位置してるかも知らない。そうすれば、異国があって違う言語があることも何ら不思議ではない。
やり取りができないと悟った行商人も、特に何も思うことのないような、興味がない真顔とも抜けた顔とも言える表情で去っていく。黄色いポンチョみたいなものを着た、この街でもよく見る白人のような顔のような人物だった。
言葉は通じないが、元々は同じ民族だったのかもしれない。
行商人はよくよく見れば顔立ちは皆似ている。東洋人のような顔立ちはおらず、そうした意味ではかなり俺は浮いてるだろう。
別の行商人が俺の前方で街の人間と会話してる姿が目に入る。言葉は別々だが、意思疏通が取れているのか、商売が成り立っている。何かが入った袋を町人が受け取り、対価の貨幣が支払われている。しかし、その貨幣も妙だった。知っている金、銀、銅ではなく、赤、青、緑の色をした貨幣だった。
全く別の言語で意思の疏通が計られ、それが成り立ち、おまけに自分の知っている貨幣とは違うものを当たり前のように出している。
知らないことが多すぎる。ここは紀元数年の辺境の街に集まる古代人達と同様なことが行われているのか。かつてのフェニキア人(ギリシア人)とガリア人、ペルシア人、アーリア人、といった人々が、辺境の港町で集まりやり取りしていたらしいが、目の前で行われてる光景はそれを彷彿させる。
そして、その現実がまたもや俺の好奇心に火をつけることになる。
再燃したから続けたい(切実)