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没落貴族と共に歩む異界の奴隷  作者: オリジン
それぞれの時間
15/25

鍛冶屋のユークリッド

「気が付いたか?」


 何処だここは? 目の前に初老と思われる男性の顔がある。無精髭を生やし、彫りが深く整った顔の大人の魅力全開の紳士のようだ。若い頃はぶいぶいいわせていたであろう。男性の清んだ水面のようなコバルトブルーの瞳を見つめるだけで、何故か安心する。他者を釘付けにする鋭い目付だが。

 俺が目を覚ましたのを確認すると男性は囲炉裏の周りに腰掛け、自在鉤で吊るされているグツグツと沸騰している鉄鍋の中身をおたまでかき混ぜ出す。

 

 味噌汁に似たいい匂いを出す汁物。その匂いが食欲をそそる。


 グー。


 腹の虫が閑静な木造家屋の中に響き渡る。 


 自分が寝ている所は男性と囲炉裏がある同じ場所。畳が引かれ、ベッドではなく布団の上で寝ている自分の姿は何とも懐かしいものだ。

 自分がいる所から一段下がった所には土間が広がっている。家の出入り口であろう大戸口。反対側には背戸口がある。よくよく見れば家の壁は土壁たなっている。屋根は恐らく茅葺き屋根。古典的な日本の古民家の姿がここにある。


 しかし、長い間眠っていたようだ。木隙間から外が夜であることを告げる薄暗い風景。唐突に取り戻した意識に頭がよく回らない。記憶も曖昧だ。どうしてここにいるのか? 目の前の初老の男性は? それにこの体の状態は一体......


 木造の屋根を見上げていた俺が上半身を起こすと、全身が包帯で巻かれていた。衣服を着ていない一糸纏わぬ生まれたままの、全身をを全て隠すように巻かれている包帯姿の自分は木乃伊その物。

 立ち上がろうとするが、体に鋭い痛みに見舞われ立ち上がることすら出来ない。


「無理に動くな。左足の骨が折れている。クマリス達にやられた傷もまだ塞がっていない」


 起き上がろうとする俺の体を押さえ付ける男性。


 クマリス......? そうだ......俺は、武器を受け取りにこの山に入り、ミーシャに化けたクマリスとその父親に追われボロボロにされて......


 自分の身に何が起きたのかがフラッシュバック。


 もうダメかと思った時に助けられたんだ。そうだ、助けてくれた人の声はこの人と一致する。俺は助けられた後に傷の手当てをするためにここに運び込まれたのか。


「ありがとうございます。あなたがいなければ私は死んでいました」


 ここに来るまでの経緯と過程を思いだし、目の前の人物に感謝の意を伝える。


「礼を言われるようなことではない」


 鉄鍋で煮込まれている汁物を木のお碗によそい手渡してくる男性。お碗を両手で受け取り中身を見る。豆腐と人参と葱が入った白味噌の味噌汁そのものだった。

 ずっと昔に忘れたはずの物がここに。懐かしき故郷の品に触れ、俺は感慨深くなる。もう二度と触れることなど出来ないと思っていた。

 それと同時に俺はやるせなかった。過去と故郷の全てを忘れて新たな生活を始めていたのに、それを掘り起こされたからだ。

 

 10年間必死に帰る方法を自分なりに探していた。けど手掛かりの一つさえ見付からなかった。何時しか俺は帰ることを諦めていた。


 静かにお碗の中身を啜る。あぁ......本当に懐かしい味だ。喉から胃へ、胃から腸へと流れていく味噌汁は心の底に沈めていた日本の思い出を思い出させてくれる。


「すまない、口に合わなかったか?」


「えっ?」


 頬に伝わる雫。無意識だった。自然に涙が溢れ落ちていた。無い筈の右眼からも。


 歓喜と悲しみ双方が入り交じった複雑な感情。触れたことによる懐かしさの喜び。喜ぶが故に遠い存在となってしまった故郷への悲しみ。

 友人や両親の事を思わなかった日はない。切っても切れぬ縁である限り、その人達のことを忘れることはない。


「てっきり口に合わなかったのかと」


 確かにこの独特の味を好むのは日本人と一部の異国人だけだろ。有名であっても実際に口に含むことなどほとんどないのが実情。


 今現在の日本の現状は知らないが、少なくとも俺のいた時代は和食など世界から見れば物珍しものだった。


「いえ、そんなことありませんよ。ただ昔を懐かしんでいただけで」


 だが、なぜこの人は味噌汁だけでなくこの古風的な古民家を知っているのだろうか。この人は何かしら知っているのかもしれない。日本のことを。強いては帰る手段ももしかすれば。


 かつて一辺足りとも情報を掴めなかったハルトにとって、彼との出会いは諦めていた日本への思いを再び抱かせる理由と希望しては大きい。


 だが、現実はそんなに甘くはない。


「あなたは『日本』のことを何かご存知なのでしょうか? この家とこの汁物について教えてください」


 単刀直入だった。遠回しにする必要も何もない。ただ知りたいだけだ。この人が何かを知っているかも知れない。何かのヒントに繋がるかもしれないと。


「これか? これは私が最近独自に作ってみたものだ。この家も。それがどうかしたのか?」


 淡い希望だった。希望とするには儚過ぎたのかもしれない。淡白に返ってきた返事に落胆は大きい。折角10年越しに掴めるかと思ったのに......思い出させてくれたのにぬか喜びに終わることになるとは。


「......いえ、私の思い違いでした」


 あからさまにトーンダウンした俺の声色。沈黙が場を包み込むが、その沈黙を破ったのは俺だった。


「......あなたの名前は?」


 命の恩人に傷の手当てに、食事まで奮って貰って起きながら嫌悪な雰囲気にさせてしまうわけにはいかない。何よりも俺はこの人の名前すら聞いていない。


「ユークリッドだ。鍛冶屋のユークリッド」


 鍛冶屋のユークリッド。納品予定の武器を受け取りにこの山に入山したわけだが、数奇なことだ。まさか命の恩人が尋ね人とは。

 しかし、この人が鍛冶屋とはな。失礼ながら職人側の人間には見えない。寧ろ、自ら率先して剣を振るい、矢面立って戦場を掛ける騎士のイメージがしっくりくる。

 

「私はハルトと申します。この度は命の危機に瀕しているところを助けて頂き何とお礼を申し上げたらよいか分かりません」


 考えてみれば俺はこの人に礼の一つすら言っていない。それに併せて自分の名前も明かす。元々はキリヤマという名字があったが、この世界では名字というものは高貴な者達にしか存在しない。一端の平民には名前しかない。

 貴族でも何でもない俺がキリヤマの名を使うことは出来ない。アリシア様の専属の奴隷となった時からキリヤマは一度も使っていない。

 目の前の人も自分の名前しか名乗っていない。隠しているのかもしれないし、本当に平民なだけなのかもしれない。どうであろうが、変に姓を名乗り変な気遣いをされても困るし、使わないと決めたものは使わない。


「ハルトというのか......聞かぬ珍しい名だな」


「遥か遠方の国の出なため、この国では滅多に聞くことはないかと」


「そうか」


 お互いに名を名乗ったところで、本題に移ろう。当初の目的である武器の受け取りを。そしてそれを持って店まで帰らなければならない。今から帰れば日を跨ぐこともない。しかし、この体たらくでは自力では不可能だ。


「ユークリッドさん。私を街まで送り届けてはくれませんか? 納品する武器と共に。命を助けて貰っておきながら更なるお願いをすることは厚かましいことと承知のことですが、何卒お願いします」


 図々しいことは承知だ。それでも俺が本日中に店に戻らなければならないのは仕事への責任もそうだが、アリシア様に無駄な心配を掛けないためである。


 たかだか奴隷に主人が心配することなど常識の範疇では考えられないことであるが、アリシア様はそこのところが他の方と違う。

 それだけではない。俺がいなければアリシア様の身の回りをお世話する人間が誰もいないのだ。だから俺は何としてでも帰らなければならない。どんな状態であれ。


「無茶を言うな。そんな体でこの山を降りさせる訳にはいかない。私が送り届けるとしてもだ」


「しかし!」


「こんな夜更けで、手負いの君を連れた状態でこの山を降りれるほど私は手練れではない」


 ダメか......。俺も同じ立場なら同じことを言っているだろう。この人は手練れであることは間違いない。だが、手練れであろうが負傷者を連れた状態で最低限の安全が担保されない状態で魔物が群がる危険地帯を渡るわけがない。それは手練れであれば手練れであるほどよくわかる。

 年の瀬もあるだろうが、慢心が毒であることを理解しているからこんなことが言える。


 それに引き換え、俺は自分の力を見誤り、舐めていた。その結果がこれだ。結果的に大勢の人に迷惑を掛けることになる。


「傷が癒えるまで様子を見よう。下山はそれからだ。一刻も早く体を癒したいのであればもう寝ることだ」


 囲って貰っている身である俺が、これ以上の我が儘を言うわけにはいかない。ここは大人しく寝るしかない。身から出た錆びだ。その戒めは甘んじて受け入れなければ。


 火の灯った囲炉裏に灰を被せ、ユークリッドさんもその場に横になる。火の消えた室内は暗闇そのもの。今夜は新月のようで月明かり一つない。


 静まり返った室内。そう易々と寝れないと思っていたが、俺は簡単に意識を手離すことになった。


    ◆ ◆ ◆


「朝か......」


 朝日が木隙間から覗いている。畳の居間の上にユークリッドさんの姿はない。


 昨日よりも体が軽い気がする。両手で畳を押し上げ何とかその場に立ち上がることが出来た。昨日は立ち上がろうとするだけで体に激痛が走ったのに今は足に痛みがあるだけだ。

 流石に一晩で骨折が治っているわけはなく、折れている箇所が燃えるように熱く、動こうとすればするだけ痛みが増す。

 土壁に寄り添いながら、左足を極力使わないようにして大戸口の前まで来る。土間の隅に細長い竹が置いておる。あれを松葉づえの変わりにしよう。


 竹を拝借し、外に出るとユークリッドさんは4つの盛り上がった土の前で手を合わせていた。


「何をしているのですか?」


 松葉づえの変わりにしているとはいえ、半ば左足を引き摺るようにしているため、足が地面につく度に脳髄まで痛みがくる。


「驚いた......もう動けるのか」


 ユークリッドさんは心底驚いているようだ。一日寝ただけで動けるようにはならない程の重症だったのだから。だからこそ自分でも少々驚いている。ここまで俺は自然治癒が高かったか?


「これは一体......」


 ユークリッドさんの真横に立つと、4つの盛り上がった土を見下ろす。その大きさは人間一人分の大きさぐらいはある。


「昨日君の他に見つけた亡骸だ」


 昨日の亡骸。きっとミーシャとその仲間達だろう。俺も一歩間違えばこの土の中で眠ることになっていたのかもしれない。

 俺もその場にしゃがみこみ、死者に対して祈りを捧げる。会ったことはないとはいえ、死者に対しての礼儀は人として欠かせない。


「......君も死人に祈りを捧げるのか」


 その言葉が何を意味しているのかは敢えて聞かない。一つ言えるのはこの世界では死に対して無頓着であるということだけ。


「......山を早く降りたがっていたな。私の準備が整い次第で良いのであれば今日にでも送り届けよう」


 俺の体の回復具合を見て考え直したのか、それとも俺が居ては迷惑なのかもしれない。


 店主の話では弟子が何人かいると聞いていたが、昨日の様子や朝一人でいることから弟子はここにはいないのかもしれない。

 茅葺き屋根の古民家の隣に野晒しの竈門と鉄の机。作業用の工具が無造作に散乱。屑鉄が作業場らしき場所の周辺に転がっている。あれが鍛冶屋ユークリッドの作業場なのだろう。


 準備するといい家の中に入っていくその背中は悲壮感が漂っていた。人に歴史あり。あの人も過去に何かあったのかもしれない。けど他人同士である俺がその領域に踏み込むことはない。


    ◆ ◆ ◆


「さぁ、着いたぞ」


 あれから鎧甲冑を着て剣を携えたユークリッドさんの馬に揺られること30分。昨日俺が入山することになった山道に出ると、門の前で衛兵の他に人と馬車が一つ待っているのが見える。


「ユークリッド、うちのモンが迷惑をかけたな」


「気にするなコータス。私も久々にお前以外の人間に会えて良かったのだから」


 門の前で立っていたのは俺が働き始めた武器屋の店主のコータスだった。二人が旧知の間柄なのは本当であるようで、出会い頭に二人は握手を交わしていた。


「これが頼まれていた武器だ」


「悪いな」


 背負っていた革の包みを店主に手渡す。中身の武器についてはどんなのものなのかは知らされていないし、見てもいない。


「ハルトといったな。大事にしろよ」


 用件が済むと馬に跨がり早々に立ち去る。二人の間に募る話等もなく、店主も荷物を馬車の中に入れ、運転席に座る。対して歩けない俺も荷物と同じ荷台に入る。


 馬車はゆっくりと門から、山から遠ざかっていく。


    ◆ ◆ ◆


 さて、一日ぶりに家に帰ってきたが、どうしようものか。不可抗力だったが、無断で外で一晩を過ごしてしまった。おまけにこんなザマだ。全身木乃伊ではないが、取れていない包帯はまだまだある。おまけに左足は完全に折れている為、完全復帰は時間がかかるだろう。


 その間にアリシア様の身の回りの世話しなければならないのだが、この体では作業の支障でしかない。そもそも何て言い訳をしたらよいものか。


 店主からは体が全快するまで休んでいて良いと言われたが、それは収入源が一旦無くなると言う死活問題に直結する。一刻も早く全快させなければ。


 すると家の扉が内側から開かれていく。


 ......ん? 内側から?


「あっ......」


 不意に声が漏れてしまった。開かれた扉の先には完全フル装備のアリシア様が眉間に青筋を立て、笑顔を引き吊らせながら仁王立ちしていた。


 アカン、これはダメなやつだ。


「お帰りハルト。聞きたいことは山ほどあるけど先ずは家に入りなさい。話はそこからよ」


 物凄く家に入りたくない。入ったら最後な気がしてならない。


「ア、アアリシア様! もう学園に行っていなければならない時間ですよ!」


「今日は欠席することにしたの」


 まさか学園を欠席してまでお説教!?


「何を考えていらっしゃるのですか! 今ならまだ間に合います。直ぐに学園に向かって下さい!」


 鎮まりたまえアリシア大明神様。どうかそのお怒りをお沈めに。


「口答えする気?」


 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと歩み寄るアリシア様。逃げたいのに逃げれない。骨折しているからではない。本能的な恐怖で足がすくんでいるのだ。

 恐怖を振り払い背を向けても、それは時既に遅し。がっつりアイアンクローを食らい、尋常じゃない握力によって頭蓋骨に指がめり込み、痛みに悶え、脂汗を垂れ流しながらそのまま俺は家の中に引き摺り込まれるしかなかった。


 今度から無断で外泊するのだけは避けよう。ありとあらゆる手段を講じて便りだけでもだそう。


 無駄かもしれないけど。


 




 



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