吉備田荘へようこそ!
紫色に光る珠玉の宝石。少女の右目から放たれる美しくも妖しい光。
それは、夜を向え、闇を孕んだグラウンドの中心をかすかに照らしており、小さな太陽のようでもある。
ナイトは身震いした。そして、輝鈴から目が離せなくなった。魅入られた。といったほうが正しいのかもしれない。
美しい輝鈴の右目。その美しさは、ナイトに恐怖を感じさせた。
輝鈴が地面に突き刺していた刀を右手で引き抜いた。すると、刀の刀身は輝鈴の右目と同じ紫色をした炎に包まれる。
ふと、輝鈴の口元がわずかに歪んだ。そして、戦鬼に向け一歩一歩ゆっくりと歩みだす。
それを見ていたナイトは背筋が震えた。震えているのは背筋だけでなく、膝もだった。膝を叩いて、恐怖ごと胸の中にしまいこむと、もう一度輝鈴を見た。
明らかな違和感。そこにいるのは犬神輝鈴であって犬神輝鈴ではない。少女の皮をかぶった別のナニか……。
人外の存在。
「犬神さん……?」
ナイトのつぶやきは、熱気を帯びた風にかき消された。
刀に宿った炎は陽炎を生み出し、春先の夜風を蒸し暑く熱する。その熱気を受けてナイトは後退した。
「鬼の目の開眼。輝鈴は鬼の力を右目に宿すことで、鬼火を自在に操ることが出来る。鬼火を刀身に宿し、霊的な攻撃力を倍化させると同時。数秒先の行動を予見できる……ま、見てみな?」
背後で大和がたばこ取り出すと、ライターで火を付け、煙を大きく吸い込んだ。煙を吐き出し、ニヤけるとナイトにあごでしゃくる。
輝鈴の戦鬼へと繰り出す無数の斬撃。それは、紫の残滓を生み、春の夜に咲き誇る紫陽花のようであった。
先ほどとは打って変り、すべてが命中している。大和の言うとおり、先の行動がわかっているかのように、輝鈴の斬撃は正確無比であった。戦鬼はまるで成す術がなく、おもちゃのように弄ばれている。
反撃の隙などまるでない。斬撃から蹴りへのコンビネーション。さらにそこを鞘で殴り上げ、相手を空中へ放り投げる。
血も涙もない。遠慮容赦のない、まさに鬼神の如き攻撃だった。
やがて、戦鬼は地上に帰還すると土煙を上げ、地面にめり込んだまま動かなくなる。しかし、まだ浄化の気配はない。
「ここまで頑張ったご褒美をやろう。我が犬神家に伝わる鬼火を用いた奥義……」
輝鈴は刀を鞘にしまうと一歩下がった。そして、再び引き抜き鞘を投げ捨てると、両手で地面に突き刺す。
刃の炎は一段と輝きを増し、紫の炎がグラウンドを昼間の如く照らした。
輝鈴の唇が再び歪む。
少し前かがみになると、スカートの裾をなびかせ炎の嵐となって輝鈴は駆け出した。
輝鈴の炎をまとった刃が、地面を焦がしながら目標へ向って突き進む。刀身を地面に突き刺し、それをそのまま地面ごと切り裂くようにして進んでいるのだ。
焼け焦げる土の臭いに顔をしかめつつ、ナイトは前を見た。
戦鬼との距離は零。輝鈴の炎刃が地面から姿を現すと同時、戦鬼を真一文字に下段から切り裂いた。
「瞬火終討。お前を討った技だ。覚えなくていい……」
輝鈴が戦鬼に背を向け、刀を横に振るうと、戦鬼から大量の黒い霧が吹き出て姿を消した。浄化されたのだ。
輝鈴がこちらに向ってゆっくり歩いてくる。それを迎えるように、大和が惜しみない拍手をして、労いの言葉をかけた。
輝鈴がまとっていた妖しい気配はどこにもなく、瞳の色は両目とも黒に戻っている。
「はーい、お疲れお疲れー。輝鈴、ちゃんと制御できるようになってるじゃないのー。俺ちゃん嬉しいよー。以降、『目』の使用は、輝鈴の一存に委ねちゃうかな?」
「……ああ。わかった」
「はい、けっこうけっこう。それじゃ、今度こそクリンネスタイム終了っと。帰るぜ、皆の衆。雫は事後処理を。残りはユメヒコに帰還して、狩り結果をレポートにまとめて俺ちゃんにメールで提出。さ、行くよ。スーパーに戻るまでがクリンネスタイムだからね」
大和はまるで家に帰るまでが遠足みたいなノリで言うと、たばこに火をつけ、くわえながら歩き出した。
ナイトを除く一同は大和の背中に頷くと、各々次の行動に移っていく。
いちごはさっさとグラウンドを後にし、スーパーへ帰還した。雫はメモ用紙になにやら書き込んでいる。
「桃山」
「犬神さん!」
ナイトの背中に語りかけたのは輝鈴だった。その声に振り向くと、輝鈴がふらふらとナイトに向って歩いてきた。
「これが、自分の……犬神輝鈴の力だ。貴様なんぞ取るにたら――」
誇らしげに話していた輝鈴だったが、まるで糸が切れた操り人形のように、その場に倒れこんでしまった。
「え? ちょっと! どうしたの、犬神さん!」
ナイトの慌てた声を聞いて、雫が近寄ると輝鈴の額に手を当て、一つ溜め息をつく。
「大丈夫。ちょっと頑張りすぎて、気ぃ失ってるだけだ。ナイト、悪いンだけど、どこかで休ませてやってくれねーか? 俺はここの片づけをしなきゃだし、手が離せねえ」
「うん、わかったよ。じゃあオレの家、すぐそこだから、とりあえずそこで休ませてくる」
ナイトは親指を、校門の向こうの吉備田荘に向けた。
「お前……あのボロアパートの住人だったのか。わかった、じゃあ頼むわ。店長といちごには俺から話つけとくから、そのままあがっていいぜ。しかし、偶然ってあるもンだな。これからもよろしくな、ナイト」
「え? ああ、よろしくね、木地さん」
「あー。俺のこと、雫でいいぜ。だってこれから先、嫌でもお互い顔を合わせることになるンだからな。堅苦しいのは抜きで行こうや」
「わかった。じゃあオレ、犬神さん連れて行くよ。またね、雫ちゃん」
「おう」
ナイトは雫に別れを告げると、気を失った輝鈴を見つめた。
気を失っている犬神さんも可愛い。ナイトは鼻を伸ばした。
とりあえず、自分の部屋に連れ込む。ではなく、連れて行かねばならない。ナイトは輝鈴を背中に担ぐと、ゆっくり歩き出す。
「犬神さんって、軽いな……」
輝鈴の体重と体温と柔らかさに、ナイトの思考は暴走しかける。
背中が輝鈴の胸に当たっていて、なんとも刺激的だった。そして、彼女の吐息が常に耳たぶにかかっている。
ナイトは今まで生きてきた中で、一番幸せな時間を満喫していた。
これだけ女の子に触れたのは人生初めてだ。このまま世界の果てまでおんぶして、背中に輝鈴をずっと感じていたいと思った。
そして、人気のない所で輝鈴と二人っきりになって……えへへ。ナイトの妄想は加速する。
「おっと」
輝鈴が少しずれ落ちそうだったので、担ぎなおすと、勢いが余りすぎて輝鈴の顔がナイトの右頬に迫った。
おんぶしているのだ。当然歩くたびに体が揺れる。輝鈴の顔も左右前後に揺れて、ナイトの右頬に接近しまくる。
擦れ合う頬と頬。
もう、死んでもいい。というか、幸せすぎて死ぬ。ナイトはそう思った。
「桃山」
「きゃああああ! ごめんなさいごめんさいごめんさいーーー!」
しかし、至福の時間は輝鈴の目覚めによって、唐突に終わりを迎えた。
「騒ぐな、この駄馬が。自分をどこへ連れて行く気だ?」
「えっと、吉備田荘! オレの家!」
「吉備田荘……だと?」
「う、うん。そこで休ませようと思ってたんだけど……」
「自分ならもう大丈夫だ。降ろせ」
「ええ!? そんなもったいない! じゃなくて、もう少し休んでいたほうが……」
ナイトの言葉が終わる前に、輝鈴はナイトの背中を蹴って飛び降りた。背中に感じていたぬくもりと、胸の感触は鈍い痛みに早変わりして、ナイトの幸福感もどこかに羽ばたいて行った。
「屈辱だ。男の背に乗るなど……男は女に守られるものなのに……こんな奴に体を預けることになろうとは……」
「じゃあさ、犬神さんはオレがピンチになった時、助けてくれるの?」
「無論だ。女に二言はない。自分は日本女児だからな。か弱き男を守ることくらい、どうということはない。お前一人くらい鬼から守ってやる。弱きを守るは強者の務めだ」
輝鈴はフっと男前に笑った。そのカッコ可愛い笑顔に、ナイトはシビれる。
「しかし、ここが吉備田荘……お前の家だとは……」
すでに二人は冥土喫茶こと、喫茶メイの入り口前に立っていた。
輝鈴は吉備田荘を見上げ、感慨深く溜め息をつく。
「ねーねー、寄っていきなよ! お茶ぐらい出すからさ!」
「……そうだな。挨拶くらいしておくか」
「え? 本当!?」
「ああ。これから世話になるのだ。それくらいしておいても、バチは当たらんだろう」
「え、世話って……?」
一人頭を悩ませたナイトを押しのけ、輝鈴が喫茶メイのドアを引いた。そして、暗闇に包まれた内部に足を踏み入れる。ドアには営業中の札が張り付いているのに、店内は人の気配がまるでない。
「何だ、真っ暗だな」
ナイトも輝鈴の後を追って、店内に足を踏み入れた。すぐに電源を探し当て、スイッチを入れる。
薄暗い照明に照らされた店内は、まるで強盗が入った後のように荒れ果てており、イスはひっくり返り、テーブルは足が一本折れて傾いている物があったりと、何を営業しているのかと問われれば、十人が十人とも『お化け屋敷』と答えるであろう惨状だった。
「あれ? お~い、ばあちゃ~~ん!」
ナイトはカウンターまで歩いて叫んだ。しかし、返事はまったくない。
「おかしいなあ。どこ行ったんだ?」
「お帰りナイト」
「うぎゃあああああああああああああ! 出たアアアアアアアアアア!!」
いきなりカウンターの影から現れた老婆を見て、ナイトは腰を抜かした。
「下がれ、桃山。ここは犬神輝鈴が引き受ける!」
とっさに輝鈴がナイトの目の前に出てきて、懐から短刀を取り出した。刀は雫に任せてあるので、もって来ていないのだ。
「来るがいい、物の怪め。鬼を狩るのも、妖怪退治も似たようなモノだ。成敗してくれる」
ナイトは輝鈴をなだめつつ、老婆を指差す。
「ちょ、ちょっと待ったああああ! 待って、犬神さん、この人は違うんだ。確かに見た感じアンデッドだし、闇属性で光に弱そうなビジュアルだけど、れっきとした人間なんだってば! 足も二本付いてるし!」
「ほう? だが、自分にはわかるぞ。あの物の怪からは、並々ならぬ妖気を感じる。このまま捨て置けば、やがてこの街に大きな災厄をもたらすだろう」
輝鈴のセリフを受けて、老婆のこめかみに血管が浮き出た。そして、輝鈴に詰め寄ると、睨みつけて叫ぶ。
「この小娘ぇ。誰が物の怪だい!? あたしゃ川原井メイ。この店の店主様で、そこのボンクラの祖母だ。やるってんなら、表へ出な」