第6話「宮子、激おこぷんぷん丸」
「み、宮子! 助けてくれ!」
昼休み、昨日に続いて食後の散歩をしていたところ、後ろから駆け寄る音と共に助けを求める声が聞こえた。
振り返るとそこには、しばらく疎遠になっていた幼馴染、九条勇人が何かから逃げるように必死で走ってくるところだった。
どうしたの、と聞く暇もなく勇人は宮子の近くの茂みに飛び込み、身を潜めた。
小声で「俺がここにいるって秘密で!」と言ってくるが、有無の返答をする前に騒がしい声と共に5人の少女が駆けてきた。
「そこのあんた! こっちに勇人来なかった!?」
先頭を走っていた女子生徒が宮子に、叫ぶように問う。
どうすべきか迷い、ひとまず相手と勇人の関係を聞いてみることにする。
「失礼ですが、貴女方は勇人とどのような関係で?」
「あんたに関係ないでしょ! それよりどうなの!? 来たのか、来てないのか!」
あまりに失礼な態度に、まともに接する気が一瞬でなくなる。
その不満を口に出すことなく、少女達を観察してみると面識はないが見覚えがあることに気付いた。
勇人と仲良さそうに過ごしているところを何度か目撃した少女達だ。
(……要するに勇人が大好きで昼休みも追い掛け回してるわけね)
とりあえず勇人を害する類の人物達ではないと判断して、茂みを指差し「そこにいるから煮るなり焼くなりご自由に」と伝えて立ち去ろうとする。
「ちょ、宮子! あっさり見捨てないで! 俺達、その……恋人だろう!?」
宮子達のやり取りを隠れながら見ていたのか、勇人が茂みから立ち上がり非難の言葉を叫んできた。
さらにはとんでもない嘘の言葉も。
「嘘をつかないで。私と貴方にそんな関係は一切ない」
「ちょ、ちょっとくらい話を合わせてくれても……」
「告白なんてされたこともないし、そもそも最近はまともに話してもないでしょう」
「そ、そんなこと言わずに助けてくれよ、俺とお前の仲だろう!?」
勇人の言葉に、少女達の視線がこちらを向く。
その視線に警戒心やら敵意やらを感じて、宮子はめんどくさそうに溜め息をついた。
「ただの幼馴染で、最近は疎遠。そんな仲でしかないでしょう?」
「さ、最近はたしかにそうだけどさ! 子供の頃はたくさん遊んだだろう!?」
「子供の頃は、ね。中学からもうぎこちなかったでしょう」
「そ、それは……けどほら、いっしょに風呂だって入った仲だしさ」
「いったい何時の話よ。幼稚園の頃じゃないのそれ」
否定した端から勇人に仲の良かった(過去形)アピールをされて、その度に少女達の視線が厳しくなる。
嫉妬、警戒、敵意……いずれにせよぶつけられて、嬉しくなる類の感情ではない。
なんとかこちらへの悪感情を緩和しなければ、と宮子は勇人の言葉の否定から、少女達のフォローに移ることにする。
先程の失礼な少女のフォローをするのはとても嫌だったが、このままだと少女達全員を敵に回すことになりかねないので仕方ない。
「だいたい何で逃げてたのよ。こんな見た目麗しい美少女の皆さんに好意を持たれてさ」
「こ、好意って……」
「好きでもなければ、こんな必死に追い掛け回したりしないでしょ。それとも何か嫌なことでもされたの?」
「そ、そんなことないけど」
「だったら逃げ回るなんて失礼でしょう。相手が可愛すぎて照れたのかもしれないけど、そんな態度じゃ彼女達がかわいそうだよ」
とにかく少女達を褒めたのが功を奏したのか、多少こちらにぶつけられる感情が和らいだ気がする。
先頭を切っていた少女はまだきつい視線だったが、後ろの方の大人しそうな少女などは既に照れた様子で「か、可愛いだなんてそんな……」と呟いている。
「きちんと彼女達に謝りなよ? それじゃ、私行くから」
「あ、ちょ、待って――」
宮子を呼び止めようと手を伸ばした勇人が、石に躓いて転ぶ。
そしてその手は、ちょうど後ろを振り向いて立ち去ろうとしていた宮子のスカートをとっさに掴んで――。
ビリッ……。
そんな音を響かせて、破いていた。
「……………」
「ご、ごめん宮子! こんなつもりじゃ……」
事態に気付いた勇人が顔を真っ青にして謝罪してくる。
だが、もう宮子の我慢も限界だった。
「切れ端、返せ」
「あ、あの……宮子さん?」
「返せ、と言った」
自分でも声が低くなっていることを自覚した宮子だが、もうさっさとこの場から立ち去りたかった。
おそるおそる、と差し出した勇人の手からスカートの切れ端をひったくり、無言でカーディガンを脱いで腰に巻く。
破れたのは後ろ側なので、それでなんとか大切な部分は隠せそうだ。
動き回ることを想定したスパッツを下着の上に穿いているとはいえ、丸見えのままではさすがに嫌だった。
教室に置いてある自分の裁縫セットでさっさと修繕してしまおうと、教室への道を急いだ。
背後でまだ勇人が何か言っていたが、もう宮子の知ったことではなかった。
〇
「おい貴様、なんだその格好は。ファッションのつもりか?」
教室に向かう途中、偉そうな声で呼び止められる。
無視しようにも進路を塞がれる形で対面しているので、どうしようもない。
宮子の記憶ではその男は、たしか生徒会副会長の天城鋼という人物のはずだ。
大企業の御曹司、文武両道の優秀な能力の持ち主だが、唯我独尊すぎる性格が災いして会長選挙では敗北していたはず。
だが熱狂的なファンも多く、今も後ろに取り巻きを引き連れて歩いている。
「校則で禁じられているわけではないが、だらしがないぞ。さっさとその腰の上着を脱いで身支度を整えろ」
「そうですわ! まったくこれだから庶民は……」
声の調子が偉そうなだけで言っていることは最もだ、と宮子も思う。
多少厳しいかもしれないが、自分の今の格好が正しくないのは確かだ。
ファッションとしてのコーディネート的にはありなのかもしれないが、正しい服の着方ではない。
だがこちらとしても事情があるのだ。それを伝えるしかない。
「先程スカートを破かれましたので、上着で隠しているんです。後で服装は正しますので見逃してください」
「……おい、それは言い訳のつもりか? いいからさっさとしろ」
「言い訳など見苦しいですわ! ほら、天城様の命令よ、さっさとなさいな!」
どうやら信じてもらえなかったらしい。
もう少し着衣に乱れがあれば事件性有りと判断してもらえたかもしれないが、スカートが破けている以外宮子は普段と変わらない。
なんと話せば理解してもらえるか、と考えるも取り巻き達の騒がしい声や鋼の無言の威圧、そして先程から溜まったストレスに宮子はもう一刻も早く立ち去りたいと思い、腰に巻いたカーディガンを外した。
そして衣服を整えて無言で鋼に了承を求める。
「ふん。さっさと正せばよかったのだ。行っていいぞ」
「どうも……」
今度こそ立ち去ろうとする。
が、鋼の横を通り過ぎてしばらくした後、「――なっ!? ま、待てっ!」と呼び止められた。
「……まだ何か?」
「お、おまえ……本当に破かれていたのか」
背後が見えたことで、スカートの破かれた箇所に気付いたらしい。
誤解が解けたようだが宮子にそれを喜ぶような余裕はない。
「だからそう言ったじゃないですか」
「い、いや、その……すまん」
「申し訳なく思っているなら立ち止まらせないでください。このまま晒し者にされるのは耐え難いです」
「ぼ、暴行を受けたのなら生徒会が対処するが……」
「事故ですので。というかもう早く教室へ行かせてください。早く修繕しないと授業に間に合いません」
「……すまん」
二度目の謝罪にはもう答えず、宮子は教室へと向かった。
取り巻き達もさすがに、この状態で呼び止めるつもりはなさそうで遠巻きにひそひそと会話していた。
〇
「みやちゃーん、おかえ……どうしたのそれ!?」
教室に入ると由美が話しかけてきたが、スカートの破損に気付いて驚きの声を上げていた。
何事かと教室中のクラスメイトの視線が集うが、宮子は「破かれた」とだけ答えて自分の机に近づき、裁縫セットを鞄から取り出す。
「や、破かれたって……事件!?」
「一応は、事故。相手は知り合い」
答えながら、先に体操服のズボンを穿いてからスカートを脱ぎ、修繕を開始する。
糸の跡が残るのはこの際仕方ないとしても、午後の授業までに修繕を終えたいところだ。
「宮子さん、このような卑劣な行いをする相手を庇う必要などないのですよ!
わたくしが力になります、しかるべき処罰を与えるべきです!」
「ありがとう。気持ちはありがたい。だけど……」
宮子は、勇人との先程のやり取りを思い出す。
久々に会った勇人。思い出の色々とある勇人。家族ぐるみの付き合いのある勇人。
だけど、先程の出来事で、どうしても。どうしても納得できないことがあって。
「今は、関わりたくもないから」
はっきりと、宮子の心には拒絶の意思が宿っていた。
〇
「宮子! 本当にごめん!」
だが、相手から教室に飛び込んで来られてはどうしようもなかった。
教室に飛び込んで宮子の姿を確認するなり、駆け寄って頭を下げる勇人。
けど宮子は視界に入れようともせず、黙々と裁縫を続けていた。
「……貴方が、犯人ですのね」
「え、ええっと、その……」
「よくも面を出せましたわね! 貴方、自分が非道な行いをした自覚はありますの!?」
宮子に代わり、真理冶が激昂した様子で勇人に食って掛かる。
止めに入るべきか一瞬考えるが、もう少しでスカートの修繕も終わるのでそちらへ集中することにする。
「ほ、本当に悪かったと思ってる! とにかく謝りたいと……」
「謝罪ですむとお思いですの!? 故意なら器物破損、過失でも民事で損害賠償請求はできますのよ!」
「う、うう……」
「……真理冶。ありがとう。けど大事にするつもりはないから」
ようやく修繕の仕上げが終わり、宮子は真理冶に礼を述べて勇人に向き合う。
関わりたくなくても、ここで無視したところで問題を引きずるだけと判断したからだ。
「み、宮子……その」
「そもそも、何に対して謝ってるの?」
宮子はじっと勇人を見据えて、問い質す。
「す、スカートを破いてしまったこと……」
「それから?」
「え? ええっと……こ、恋人って嘘ついた、こと?」
「……はあ」
わざとらしく、目に見えて落胆した様子を見せて溜め息をつく宮子。
そして今までで一番きつい視線で勇人を睨みつける。
「あなたは、気付いてすらいないのね。私が何に怒っているのか」
「……え?」
「今言ったことも間違いではないけど、肝心なことが抜けている。
何が悪いのかも分かっていないのに謝られても許せない。
本当は分かるまで考えろ、って言いたいところだけど……」
宮子は勇人から視線を外して、教室の扉を見る。
そこには勇人を好いているらしい少女達がこちらの様子を伺っていた。
ここで時間を空けても、彼女達との確執が生まれてめんどくさいことになるとしか思えない。
だったらさっさと片をつけよう――そう思ったとき、午後の授業開始のチャイムがなった。
「放課後、各自の予定が空いてたらあの5人を連れてこの教室に集合。
そこで話合って、さっさとケリをつけましょう」
それだけ伝えて、宮子は午後の授業の準備を始めた。
まだ何か言おうとする勇人だったが、真理冶に「さっさと行きなさいな!」と教室を追い出されて退室を余儀なくされた。
〇
放課後。
部活や用事がある生徒は退出していたが、何人かの生徒は残っていた。
真理冶や由美、響に穂乃香に真琴と、宮子の友人達も残ってくれている。
「みんな、用事とか大丈夫?」
「このまま宮子を置いたままでは、何も手につきませんわよ!」
「友達を見守ることも立派な用事さー」
力強い言葉をくれる友達に宮子は感謝する。
残った生徒の中には野次馬根性の者もいるが、昼の騒動の一部始終を知って宮子を心配そうに見守る人達もいた。
しばらく待つと、勇人達が扉を開けて教室に入ってきた。宮子のクラスメイト達の視線が一斉に向けられてたじろぐが、やがて意を決して宮子の待つ机へと歩み寄る。
無言で、机の対面に置かせてもらった椅子に座るよう顎で促す。その傍らには件の5人の少女が控えていた。
「まず最初に、私はこれから勇人の何に対して怒っているのかを話します。
話を途中で遮ることは許しません。勇人が遮ったならその場で会話を終了して、今後の接触を全て拒絶します。
そして後ろに控えた方々が遮った場合には、ペナルティがありますのでそのつもりで」
「あ、あんた偉そうに何を一方的な――」
忠告を聞かず遮ってきた少女……前田加奈子。昼間、先頭を走っていた失礼な少女だ。
彼女達5人の名前が書かれたメモの中から、加奈子の名前に大きく×印をつけて彼女達に見えるように置く。
そしてそれ以外には一切リアクションを取らずに、話に戻る。
「勇人。まず昼間に行っていたように、私のスカートを破いたことはいけないことよ。
それに対して怒りを覚えたのも本当。だけど、肝心なのはそこじゃない。
次に、恋人と嘘をついたこと。これは半分正解だけど、肝心なのはそこじゃない。
私が本当に怒っていたのは――」
宮子はそこで、勇人の後ろに控える少女達を見回しながら、はっきりと告げる。
「彼女達の想いを、踏みにじったことよ」
「……え?」
呆然、としたように思わず呟いた勇人。
後ろに控えていた少女達も何かしら驚いているが、宮子は構わずに話し続ける。
「貴方自身、彼女達が君に好意を抱いていることには薄々気付いているんでしょう?
まったく気付いていないなら、追いかけてくる彼女達に対して『杉野宮子は恋人である』という嘘をつく必要がない。
向けられる好意に気付きながら、君はその想いを嘘の恋人を用意して遠ざけようとしたのよね」
どん、と。宮子は思わず机を叩いていた。
びくりと勇人の身体が震えるが、構わずに叫ぶ。
「女の子の恋心を、何だと思ってるの!」
それこそが、杉野宮子がどうしても許せないことだった。
今だ初恋もまだである自分でも、そんなことされれば傷つくことぐらい分かる。
それを躊躇いもせずに行い、それなのに自分のしでかしたことに気付きもしない幼馴染のことが、本当に許せなかった。
「スカートが破られた? 縫えば仕舞いだし、私が昼間の恥ずかしさを我慢すればそれですむことよ。
嘘の恋人に仕立て上げようとした? そんなの周囲に誤解さえされなければどうでもいい。
だけど、自分のよく知った幼馴染が、たくさんの女の子の心を傷つけるような男になったと見せられて、私がどれだけ怒ったと思う!」
「お、おれ……そんな、つもりじゃ……」
「そんなつもりじゃなければ、許されると思わないで!」
再び、ばあんと机を叩いて勇人を制する。
「……せめて放課後までに気付いていればと思ったけど、それもなし。
せいぜいこの後、彼女達にしっかり謝りなさい。
これで勇人に言いたいことは終わりよ。次は、貴方達へ」
そこで勇人に言いたいことは終わり、今度は少女達の方へ視線を向ける。
何を言われるか身構える少女達に対して、宮子は。
「……私の幼馴染が、大変ご迷惑をおかけしました」
立ち上がり、深々と頭を下げた。
「え、ええ!?」
相手方の少女達が驚きの声を上げる。
「宮子さん!? 貴方が謝ることなんて――」
真理冶が宮子に非はないと静止しようとするが、宮子はそれに優しい声で否と応える。
「これは私が納得するためのケジメだから、真理冶は見守ってて。ね?」
「……もう、そんな風に言われたら、止められないではないですか」
そして改めて、宮子は少女達に顔を向けた。
謝られるとは思ってなかったのか、彼女達には動揺が見られる。
「お詫びの品、というのもおこがましいですがこちらをお渡ししたいと思います」
そう言って差し出したのは、宮子の連絡先を記入した紙だった。
それを彼女達に渡していき――加奈子だけは、素通りする。
「な、え、ちょっと、私には?」
「これを渡さないこと、が先程のペナルティです」
それだけ言って、彼女達の元から席へ戻り着席する。
「まだ初恋もしていない私では頼りないかもしれませんが、皆様の恋をサポートさせていただきたいと思います。
そのために私の連絡先を伝えることが、幼馴染をこんなになるまで放置して貴方達を傷つけた私の侘びとさせていただきたいです。
こちらからは皆様の連絡先を聞きませんので、私との関係を望む方だけご自分の意思でご利用ください」
「わ、侘びっていうなら私にも渡しなさいよ!」
文句を叫ぶ加奈子に対して宮子は、じっと彼女を見据えて。
「昼間、貴方は『あんたに関係ないでしょ!』……そう力一杯叫んで、私を拒絶されてましたね
ついさっきは『あんた偉そうに何を一方的な』とも、ね」
「い、いや、それは……」
「関係なくて偉そうで一方的な私のサポートなど、貴女も嫌でしょう。独力で、頑張ってください」
そう言い捨てて、宮子は席を立った。
「私からは以上です。何か質問があればどうぞ」
宮子がそう問うと、おずおずと手をあげる少女が一人。
昼間、後ろの方にいて照れていた、気弱そうな少女だ。名前は、小野渚。
「あ、あの……杉野さんは、勇人さんのこと、結局どう思ってるんですか?」
「はっきりいって恋愛対象外どころか論外です」
ためらいなく切り捨てる宮子。
勇人はその答えを聞いて、完全にうなだれて机に突っ伏した。
勇人:幼い頃から宮子に恋心を抱き、同じ学園に入学するために必死で勉強して、別のクラスになったこともあってなかなか会いにいけず、休日にデートに誘おうにも照れてしまい言い出せず、そうこうしてるうちになんかハーレムができていて、どうにかしたいと思ってましたし、どうにかなると思ってました(過去形)。