第28話「世界の中心は」
「私の目の前で……いちゃついてんじゃないわよ!」
栗原綾は、宮子達へ敵意の溢れる目を向けて叫ぶ。
叫びが響くと同時、綾の身体から魔力が暴風のように吹き荒れる。
持ち主の激情に反応して増大したことで器から漏れ出した魔力が、術という型から逸脱した有様で顕現したのだ。
常人なら触れるだけで気が狂いかねない瘴気の嵐。しかし、勇人も宮子も怯むことなく構えを取る。
世界中の悪意にも負けないくらいの想いの力を、二人はその身に宿していた。
余力を感じさせる二人の佇まいに、栗原はさらに激昂して絶叫する。
「余裕ぶってんじゃないわよ! 雑魚のくせにさあ!!」
先程までとは桁違いの魔力で練り上げられた魔術の閃光が幾数も放たれる。
黒紫の弾幕の中、宮子達は互いに魔弾の暴雨を掻い潜り、弾き飛ばしながら身を守り続けた。
「くそっ、攻める暇がねえ!」
「――それでもいい!」
焦りを見せる勇人の叫びに、宮子は叫び返す。
魔弾の着弾音が原因で、叫ばなければ言葉が掻き消される程の騒音が鳴り響いていた。
「私達の目的は栗原綾を倒すことじゃない、無事にこの事態を終わらせること!
だから、攻めれなくてもいい! 必要なのは身を守りながらでも、この状況をなんとかすること!」
「……だけど、どうやって!? 魔力切れを狙おうにも相手は世界中から魔力の源を集めてる! 際限なんてねえぞ!」
勇人の返答に、宮子は考えを巡らせる。
ひたすら時間を稼ぐ、という訳にはいかない。
魔力を搾取され続けた人間は、やがて死に至る可能性もあるのだから。
「諦めないで、考え続ける! 例えば……魔力搾取術式を停止させる手段は!?」
「こういう大規模な術には魔法術式の核になる触媒が必要だから、それを破壊すれば……だけど、今はその核が世界中に散らばされているらしいんだ!」
「あっははは! どんだけ悪あがきしたって無駄なのよ! 諦めて跪きなさい!」
宮子は思考を停止させずに、考え続ける。
世界中に張り巡らされたという魔力搾取術式の核。その話は魔力の檻に囚われている際のまどろみの中でも聞いた覚えがある。
電子の海。インターネットにて今この瞬間も蠢いているという魔王の使い魔。その使い魔が核ということだろう。
杉野宮子は魔術の知識も、インターネットの知識も熟知していない。
魔術は母から聞いたわずかなもの。インターネットについても生活の中で調べものやコミュニティのために使用する程度。
それでも、その張り巡らされた規模が凄まじいものであることは分かる。
まさに世界中に広がる電子の海は、もうひとつの世界とも言える程だ。
専門的な知識のない宮子では、その電子世界に関することをどうにかすることなんて――。
「この世界、ほんっとわけわかんないけど……めんどくさいから全部壊してやる! そして新しく世界を作り直せばいいのよ!」
「てめえ……そんな勝手なこと、させてたまるかあ!」
優勢になったことで余裕を取り戻した栗原綾の、狂気染みたその言葉。
――そこに宮子は、天啓を得た。
分からない世界なら、壊してしまえばいい――その世界に存在するものと共に。
「そうか、もしかしたら……勇人! 少し時間を稼いで! なんとかできるかもしれない!」
「はあ? できるわけないじゃん! モブの分際で適当なことほざいてんじゃないわよ!」
宮子の言葉を即座に綾が否定する。
それは確かに、信じられなくても無理はない話。
杉野宮子は魔術のことを大して知らない。今は人々の想いをその身に宿して超常の存在へ至っているが、本来ならどこにでもいるただの少女だ。
ただの少女が、このような常識を逸脱した事態を収拾する手段を考え付くはずがない。
「――分かった、お前は絶対に俺が守る! 頼むぞ宮子!」
しかし、勇人は迷うことなく宮子の盾として仁王立ちになり、彼女の守護を担った。
絶対的な信頼。幼い頃から長い時を共に生きてきた相手だからこそ、九条勇人は幼馴染の言葉を全力で信じた。
それは……栗原綾がずっと、ほしかったもの。
九条勇人のものでなくてもいい。誰のものでもいい。
誰かに、あんな風に信じてもらいたかった。愛してもらいたかった。認めてほしかった。
前世では真面目に生きても、誰も自分の本当にほしかったものをくれなかったから。
「……モブのくせに。モブのくせにモブのくせにモブのくせに――!!」
二人の絆の深さを見せ付けられた綾の目に泥沼のように底の見えない殺意が宿る。
その殺意の全てから守ってみせる、と覚悟を決めて構える勇人の背後で、宮子はポケットを探った。
杉野宮子の服装は至って普通の女子向けの私服だ。公園から連れ去られてから、ずっと同じ服装のまま魔力の檻に囚われていた。
ポケットには、外出時の必需品といえる財布や雑多な持ち物と――スマートフォンが入っている。
宮子はスマートフォンの電話機能を呼び出して、焦る気持ちを抑えながら電話帳リストに登録した名前を探す。
そして――久木野那岐の名前を見つけて、発信ボタンをタッチした。
数度のコール音。電波は問題なく、スマートフォンは幸い故障もしていない。
後は、通話が繋がりさえすれば――。
『もしもし、宮子さんですか!? よくぞご無事で!』
「理事長、無茶は承知でお願いがあります!」
那岐の声を遮る勢いで宮子は叫ぶ。
失礼も無礼も無茶も承知の上。しかし今、この事態を収拾する手段は宮子にはひとつしか思いつかない。
宮子は出来るだけ短い言葉に纏めようとしながら、久木野那岐への『お願い』を叫ぶ。
「世界中のインターネット、それをなんとか停止してください!」
そんな、ともすれば気が狂ったのかと思われるような要求を。
「今人々に異変を起こしている元凶はネットに仕組まれた存在が影響しているんです!
この瞬間にも移動を続ける意思を持つ存在として――なら、そんな存在にとっての世界であるネットを停止させることができれば、その存在も身動きがとれなくなるはずです!
こんな無茶ができそうな権力を持つ人を、私は貴方しか知らないんです……可能ですか!?」
叫びながら、宮子の心臓はどくんどくんと脈動する。
これが無理なら、もう宮子には何一つ手立てが思いつかない。せいぜい、決死の覚悟で勇人と共に栗原綾に突撃して、死傷覚悟の決戦に挑むくらいしかない。
あるいは、家族や仲間達が魔王を討伐してくれるまで粘るくらいしか、ない。
すごく長く感じる数秒の間の中。
『――なんとかしてみせます! しばらく時間をください!』
そんな、頼もしい言葉が通話口から響いた。
感謝の言葉を伝える前に、流れ弾に打ち抜かれてスマートフォンが破壊される。
しかし、宮子の表情に悲観の色はない。
用件は伝え終えた、なんとかできるかもしれないという希望も繋がった。
ならば後は、その希望を信じて持ちこたえるだけだ。
「勇人、なんとかなりそうだよ!」
「聞こえてた! とにかく耐え抜けばいいんだよな!」
宮子と勇人は、僅かながらも見えた希望に戦意を吹き返す。
「……何よそれ。何よそれ何よそれ! なんで、なんであんただけそんな特別なの!?
周りの人に恵まれて、ちょっとお願いすれば言うこと聞いてもらえて! 守ってもらえて、愛してもらえて!
主人公は、世界の中心はあたしなのに!!」
栗原綾はそんな彼女達の様子を見て、妬む様に叫ぶ。
この期に及んで尚、自分を主人公と信じて疑わない少女のその言葉を聞いて。
杉野宮子は自分を庇って消耗した勇人を庇い立ちながら、言葉を叫び返した。
「世界の中心、その言葉の意味を、ずっと考えていました!
あなたに捕らえられて、深いまどろみの中で、ずっと考えて……気付いたんです。
世界の中心が、どこであるのか!」
「はん、何よ! 私こそが世界の中心ですとでも言うつもり!?
皆に愛されて、受け入れられて、認められて! そんな自分こそが世界の中心で、主人公なんだって!」
「世界の中心は――」
一際大きい魔力弾を払いのけて。
朦朧とした意識の中で辿り着いた答えを、宮子は叫ぶ。
「私達、みんながそれぞれの世界の中心!
生きてる人みんなが、それぞれの世界の中心で、自分の人生の主人公なんです!
どれだけ相手の気持ちになって考えたつもりでも、それは自分の世界から見た相手のことでしかなくて!
相手のこと、分かったつもりで、とんでもなく間違えてしまうこともあるけれど!
そうやって間違えながら、相手の世界と触れ合って、自分の世界を広げていく――人間はそんな生き物なんです!
……私も、たくさん間違えて、勇人のこと傷つけてしまったけど、それでも勇人が触れてくれたから、世界は広がった!
今まで出会ったたくさんの人々と傷つけあいながらも触れ合ってきたおかげで、私は自分の世界を広げることができたんだ!
だから、栗原綾! あなただって、確かに世界の中心で、主人公だけど!
相手を自分の世界に閉じ込めて、都合のいい人形にしようとする貴女の世界は広がることなんてなくて……とても狭くて、浅いんだ!」
「――えらっそうに説教たれてんじゃないわよ!!
主人公は私一人でいいの! 他のやつなんて脇役でしかないのよ! みんな私を輝かせるために存在すればいいのよ!」
「そんな世界、貴女だけしか存在しないのと変わらない! どこまでいっても人形に囲まれた孤独な世界よ!」
「うるさい、うるさい、うるさいのよクソモブがあああ!!」
癇癪を起こしたように叫びながら魔弾を放ち続ける栗原綾。
――その肉体に異変が起きたのは、それからしばらく膠着した戦闘が続いてからのことだった。
寸前まで猛威を振るっていた瘴気の嵐が止み、身体から黒紫の霧を零れるように漂わせながら、栗原綾が膝をつく。
「な、なにこれ……力が、力が抜けていく」
瞬く間に栗原綾に宿っていた得体の知れない威圧感が萎む様に消えていく。
その様子を見て、勇人が呟いた。
「……魔王の気配が、消えた。みんながやってくれたんだ」
〇
栗原綾に異変が起こる少し前。
魔王城での決戦は熾烈を極めるものとなっていた。
勇者の仲間達と新たな参戦者である晶子と翔の未知の武装。
そして、かつて遠い昔に魔王を打ち倒して封印した勇者である九条信也。
さらには勇者のものと似て非なる神聖の力を身に宿した九条凛。
彼らがまとまったパーティは、この世界における最大戦力といっていい。
だが、それでも尚魔王は余裕すら残して戦っていた。
それほどまでに、この世界の人間の業は深い。
どれほど正義が叫ばれようとも、悪は確かに人の生きる世界に根深く刻まれている。
戦争。陰謀。欲望。怠惰。嫉妬。劣情。
挙げればきりがないそれらの存在は、どれほど目を逸らそうと、蓋をしようと、決して消えはしない。
それら人の負が呼び起こす魔力の身に纏った魔王を打ち倒すことは、決して容易なことではなかった。
――しかし、その戦況が大きく動くきっかけが生まれた。
杉野宮子に連絡を受けた久木野那岐の働きで、世界中のインターネットがその機能を、一時的にとはいえ停止したのだ。
それは、魔力の搾取を全て封じる効果はなかった。核となる存在は未だ健在なのだから。
しかし、搾取した魔力を魔王へと伝達するためには、インターネットが健在でなければならなかった。
使い魔達はその電子の海を通じて世界中を動き回っており、搾取した魔力を届けるには魔王の傍まで戻ってこなければならなかったからだ。
ネット接続された電子機器を経由して移動していた魔王の使い魔達は、ネット停止により身動きがとれなくなる。
それは即ち、魔王へ無限に供給され続けていた魔力が途絶えることに他ならなかった。
「ぐっ!? これ、は……!」
「――チャンスだよ! 魔力搾取術式が停止した! 今なら削りきれる!」
呻き声をあげる魔王。その様子から異変を感じ取ったクラリスが魔力搾取術式の現状を解析して、仲間達に宣言する。
今こそ、長きに渡った戦いに終止符を打つときなのだ、と。
「完全回復魔法! ……皆さん、後は託します!」
残された力の全てを使い切り、仲間達の活力を回復させる術式を放つフィーナ。
それを受けた仲間達は死力を振り絞り、魔王へと殺到した。
「トール殿! 今こそ切り込む時でござる!」
「応! 遅れるんじゃないぞ!」
素早く駆け抜けながら、杉野徹とカオルの剣閃を放つ。
先程までは魔王の纏う魔力の鎧に弾かれていた刃が、確かに魔王の肉体へ届いた。
魔王は一撃で離脱していく徹達を忌々しい表情で睨みながら魔法を放とうとしたが、それは阻まれる。
クラリスと九条園子、そして前田加奈子による魔術の連撃だ。クラリスが魔王の攻撃を阻み、園子の獄炎の鋭槍と加奈子の零氷の弾丸が魔王を穿つ。
「今度こそ終わりにしてやるわ!」
「もうこれ以上、貴方に人々を思い通りにさせない!」
徹達の離脱が終わるとクラリスもまた攻撃に転じた。彼女の放つ魔力が空中に球状の魔法陣を編み、監獄のように魔王を閉じ込める。
やがて内側へと収束していく魔力が臨界点を超えて、爆裂した。
爆風は晶子達が穿った天井の穴から大空へと舞い上がり、天まで焦がせとばかりに獄炎の柱を作り上げた。
「インペリアル・フレア……フルドライブ!」
単身で国を滅ぼせるとまで畏怖された大魔道士の渾身の魔術は、魔王の肉体に極大の痛手を負わせた。
しかし、まだ魔王にとってそれは致命傷足り得ない。幾度もの死を乗り越えた魔王にとって、まだこれは痛手でしかない。
――だが、勇者の総攻撃に耐え切れるような万全の状態でもなかった。
「秘剣――飛燕の太刀!」
勇者の力を漲らせた信也の居合い切りが、魔王を一瞬の内に切り刻む。
膝をつく魔王。しかし、その顔には未だ絶望の色はない。
「く、くくっ……見事。しかし我は滅びぬ。ここで果てようと、いずれまた我は蘇る。
我と貴様らとの戦いの因果は、永劫に終わらぬ運命だ――」
「僕は、その運命を終わらせるために来たんだ!」
叫ぶ凛の身体から、閃光が迸る。
その光は、彼が握る光剣へと注ぎ込まれるかのように収束していき、剣は眩い輝きに包まれていく。
――同時に、凛の肉体からは光が薄れていく。その、身体すらも亡霊のように薄れて、消えてなくなりそうになりながら。
「き、貴様……身体を構成するエーテルを全て注いで……我と共に果てる気か!?」
「終わったりしない! 僕は、貴様を倒して先へ進む! この世界の未来と共に!」
初めて焦りを見せる魔王へと、凛は一瞬で間合いを詰めて肉薄する。
大上段へと掲げられた光の大剣が、太陽の如く光り輝いた。
「魂の悉く、消え失せろ! 魔王ルシフェル――!」
太陽が、振り下ろされる。
その輝ける神力の閃光は魔王の肉体を焼き滅ぼし、魂を溶かし尽くして、断末魔すら残すことを許さなかった。
「……これで、本当に終わった」
凛はそう呟きながら、気力が尽きたかのように仰向けに倒れこむ。
その肉体は――光そのものが肉体となっていた彼の身体は世界に溶けるように、消えつつあった。
「凛! 凛、しっかりして!」
「……大丈夫。ちょっと疲れて、眠るだけだから。この世界には残れないけど……」
駆け寄ってくる母に答えながらも、凛の身体は消えていく。
けれど彼の顔は、やり遂げた者の満ち足りた顔であり、命尽きる者の絶望感は存在していない。
「いずれ、きっとこの世界に戻ってくれるように、頑張るから。それまでどうか、元気で――」
その言葉を言い切る前に、凛の身体はぱっと弾けるように光の粒となって。
この世界に最初から存在しなかったかのように、痕跡も残さず消えていった。
――勇人と宮子ちゃんのこと、お願いします。
そんな呟きだけを、僅かに世界に響かせて。




