第22話「宝物のような想い」
「凛、さん……?」
宮子の呟くような呼び声に、その男性――九条凛は、頷いて。
「……久しぶり。宮子ちゃん」
嬉しそうに、寂しそうに。困ったように。
柔らかくて優しい微笑みを浮かべた。
「わ、私……なんでこんな、大切なことを忘れて……!」
宮子は次々と蘇っていく記憶を辿りながら、眩暈を覚えた。
九条凛。九条家の長男であり、勇人の兄。
幼馴染として宮子は、子供の頃から凛に憧れを抱いていた。
子供ながらに、好きという感情が芽生えるくらいに。
そんな大切な人のことを、どうして、完膚無きまでに忘失していたというのか。
戸惑う宮子に答えを示したのは、他ならぬ凛であった。
「僕がそう願ったんだ。皆が、僕のことを忘れますようにって。
あの日、居眠り運転のトラックの前に飛び出して、僕が死んだことを皆が悲しんでいるのが耐えられなくて。
……皆が僕のことを忘れて、笑って生きていけますようにって、神様に願ったんだ」
凛は遠い昔に思いを馳せる様にしながら、語り続ける。
それはまるで御伽噺のように現実味がなくて。だけど、本当の話だと凛の真剣な瞳が物語る。
「僕は死後、天使にあって事情を聞く機会を得たんだ。何から話そうか……。
まず、僕は運命に干渉する素質がすごく高くて、無意識に色々な運命に関わっていたらしいんだ」
暗闇の世界に、とある風景が浮かび上がる。
それはとある公園。凛が死亡した公園ではなく、まったく別の場所の公園の風景だった。
そこでサッカーボールで遊んでいる子供が蹴ったボールが、道路の方へと転がっていく。
それを追いかけて別の子供が、無邪気な様子で追いかけていこうとした。
道路は歩行者側の信号が青。問題はないはずだったが、一台の乗用車が信号を無視して突っ込んでくる――。
『おっと。……あの車、危ないなあ』
そのボールを、映像の中の九条凛が受け止めた。
たまたま通りがかった様子だった凛はボールを受け止めて、駆け寄ってきた子供に手渡した。
『はい、これ。危ないから飛び出しちゃだめだよ?』
『ありがとうなのじゃ! わしはしきもりかのん! おぬしのなは?』
『あはは。名乗る程の者じゃないってことで。それじゃ、気をつけて遊びなよ』
そう言って、映像の中で凛は、しきもりかのんと名乗った子供に微笑みながら手を振って、その場を立ち去った。
しきもりかのん。式森花音。昔、車に轢かれそうになったという話は聞いたことがあったが、それに凛が関わっていたことは知る由もなかった。
「式森花音ちゃん。宮子ちゃんの友達、だよね。
そしてこの時、ボールを蹴っていたのは、この日たまたま公園で出会って遊んでいた少女――」
凛が映像をじっと見つめると、少し離れていたところにいる少女の姿がズームアップされる。
「大園椿ちゃん。彼女も、宮子ちゃんの友達だね。
彼女は今回、自分の蹴ったボールのせいで人が死ぬという事故のショックのせいでサッカーの道を閉ざすはずだった。
だけど僕が関わったことで運命が変化して、花音ちゃんは死なずに、椿ちゃんはこの先もサッカーの道を駆け上がっていく。
成長した椿ちゃんのプロ選手としての活躍に影響を受けた子供達もまた、サッカーの道を目指していく――そんな運命に変わったんだ」
学園での現在の友達が、幼少期このような形で凛と関わっていたことを知って、不思議な縁を感じる宮子。
しかし気になることは、もっと他にある。
その宮子の感情を読み取ったのか、凛は話を先へ進める。
「他にも、色々な運命と僕は関わっていたんだけど、そこは省く。
……あの日、宮子ちゃんは死ぬ運命にあった。それは、神様ですらどうしようもないくらいの確定事項として。
だけど僕が関わったことで運命は変化した――その運命が余りにも強すぎて、僕は死を避けられなかったけど」
「それじゃあ……私は、凛さんを身代わりに……!」
宮子の悲痛な叫びに、凛は静かに首を横に振る。
「宮子ちゃんのせいじゃない。神様のせいでもない。
運命は、神様が創るわけじゃなくて、世界に刻み込まれた物らしいんだ。
そしてこの世界は、様々な可能性が交わりあうことで生まれた、無数の運命が刻まれた世界」
ぶうん、と電子音に似た音と共に宮子達の前に球状の発光体が出現する。
それは地球儀にも似ていたが大陸は刻まれておらず、代わりに無数の文字列らしきものが駆け巡っていた。
文字と文字が触れ合い、別の文字列を形成したり輝きを増す。あるいはぶつかりあい磨耗して、消失していく。
「この世界には元々、ポケロボと呼ばれる機械はなかった。『アルカナ能力者』もいなかった。変身ヒーローも魔法少女も勇者もいなかった。
それらは元々、別の世界で別の人物達の運命として存在していたもの。それが形を変えて、別の人物達に関わる形でこの世界に影響を与えた。
良くも悪くも、無数の運命同士が出会うと別れを繰り返すことで形作られた。それがこの世界なんだ。
その中で、神様にだって操作も干渉もできない、どうしようもない運命が少ないながらも確かに存在している。
そんな運命のひとつが宮子ちゃんの死の運命で……僕は、それを変えたんだ。そのことに、後悔なんてあるはずがない」
「で、でも! それじゃあ凛さんが――!」
「僕は宮子ちゃんが生きていてくれて、嬉しい。
それは、運命でも揺るがせない、僕の真実だよ」
自分のせいで死なせてしまった。そう嘆く宮子に、凛はただ優しく微笑み、話しかける。
その言葉に嘘の響きはなく、泣きそうな宮子の頭を子供をあやすように撫でながら、凛自身の思いを言葉に乗せていく。
「僕は死後、皆の事を見ていた。幽霊っていうのかな? そんな感じで、皆の様子を見ていたんだ。
悲しみにくれる家族や友人。そして……目の前で僕が死んだ瞬間を見たせいで、心に傷を負った勇人と宮子ちゃんを」
先程、映像が映っていた場所に幼い勇人と宮子の姿が浮かび上がる。
宮子は、その瞳からは光が消えて、大人達に呼び掛けられても何も答えず、まるで人形のように生気のない顔をしていた。
そんな宮子を、勇人は何とか励まそうとして、けど、どうすることもできなくて、悔しがっている……勇人自身、心の傷はとても深いものだというのに。
「こんな二人を僕は見たくなかった。だから、願ってしまったんだ。
僕のことなんか皆が忘れてしまえばいい。悲しむことなく、生きていってくれればいいって。
……その願いは叶えられた。天使と神様達に、僕の運命を変える素質を貸すことを対価にして」
映像が切り替わる。御伽噺の勇者のような格好をした凛が、剣を手に戦っている。
その相手は人の身に叶うとは思えない、巨大な化け物だというのに……凛はそんな化け物の群れを、次々とただ一人で倒していく。
「神様による転生、ていうのかな。神様達に協力した分、色々な願いを叶えてもらう契約で僕は戦い続けているんだ。
だから、あんまり死んだって実感はなかったかな。色々な人と出会えて、悲しいことに負けないくらい、嬉しいこともあったしね。
……ただ、僕は今回の件で、最初の願いを間違えたことを思い知らされたよ」
再び、映像が変わる。
今度は勇人の姿がまず見えた。幼い頃の勇人だ。
彼は必死に、ドアに向かって叫んでいる。
『みやこー! がっこういこうぜー! なあ、いつまでとじこもってるんだよー!』
なんとか、ドアの向こうで毛布にくるまって蹲る宮子に、声を届けようとして。
「この時点で僕の記憶は世界から消失していた。宮子ちゃんも、覚えていない。
……ただ、強い想いが神様の干渉を跳ね除けることもあるらしいんだ。
宮子ちゃんは確かに僕の記憶を忘れた。ただ、漠然とした『親しい人を失う恐怖』と『絶望的な無力感』だけが、魂に刻み込まれていたんだ」
記憶の中の幼い宮子は、何度勇人に声を掛けられても、部屋から出ようとはしなかった。
その小さな身体を恐怖に震わせて、ただ自分の身体を抱きしめて、理由も分からず心に襲い掛かってくる、理解できない感情の嵐に耐えようとしていた。
だんだんと、今の宮子も思い出していた。
――誰かを愛してはいけない。その人を失うことに、耐えられないから。
――誰かを守れるようにならなければならない。己の無力が誰かの命を奪うかもしれない。
子供ながらに、そんな感情が心に沸きあがり続けていた。
何故そんな風に思うのか、記憶を忘失した宮子にはまるで分からなかったけれど、確かに思っていたのだ。
「時間はかかったけどやがて宮子ちゃんはその恐怖を振り切って、強さを追い求めるようになる。
それは単に、戦うための力ではなく、誰かを守るための力。それこそが自分の求める強さだと信じて」
別の映像では、母の指導の元で護身術に打ち込む宮子の姿があった。
同時に浮かぶ別の映像では、母から忠告に似た助言を受けている。
『いい? 宮子。周りの色々な人達の話をよく聞いて、学び、そこから自分なりの答えを探しなさい。
時には分からないこともあるだろうけど、そうやって思い悩むことも、きっと貴女の力になるわ』
それは宮子の人生の指針となっている、母から受け継いだ人生観。
周りの人との繋がりを大切にして、その絆の中から得たものを、自分を磨くことに生かす。
そうやって磨き上げた自分は、きっと前より強くなれるから。
その言葉を信じて、生きてきた。ずっと、ずっと。たくさんの大切なことを、色々な人から教わりながら。
「僕は、皆の強さを信じることができなかった。
いつか皆、僕の死を忘れることなく、それでも強く生きてくれるはずだったのに。
僕が辛いから。たったそれだけの理由で皆の記憶を奪って、心の傷を隠してしまった。
そしてその傷が、今回のことで宮子ちゃんの心を再び傷つけたんだ。
癒されることなく隠され続けた傷口を、深く抉りながら。
――僕の心の弱さが、宮子ちゃんを傷つけたんだ。本当に、ごめん」
そう言って頭を下げる凛に、宮子は泣きながら答える。
「凛さんは、悪くなんて、ないです!
命に代えて私を守ってくれた、そんな貴方を責めることなんて……絶対にしません!
記憶のことだって、あのままだと私や勇人が耐え切れないかもしれないって、考えてくれたんでしょう?
そのために自分の生きていた記憶が消えてもいいと言える人の心が弱いなんて、そんなことありません!」
叫ぶ宮子の言葉に、凛は深く目を閉じた。
「ありがとう。そう言ってくれると、救われる思いだ。
宮子ちゃんは、強くなったね。それに、優しい良い子に育った」
ふと、凛の身体が眩い光を放った。
それをきっかけにしたかのように、凛の身体は光の粒になって溶けていくように、だんだんと薄れていく。
「……そろそろ、時間みたいだ。もう行かないと」
「い、行かないで、凛さん! 私、貴方のことがずっと――!」
記憶と共に蘇った初恋の想いが、思わず口から飛び出しそうになる。
だけど凛は首を横に振って、宮子に優しく微笑みかけた。
「宮子ちゃんはもう、思い出しているはずだよ。
君が今、その想いを向けているのが誰なのか」
その言葉に、宮子は自身の胸に手を当てる。
心に浮かんでくる、いくつもの思い出。
『みやこ、ようやく出てきやがったな! ほら、がっこういくぜ!』
消えた記憶に翻弄された心を吹っ切って前を向けるまで、何度でも声を掛けてくれた男の子。
『みやこ、きょうはなにしてあそぶ? ……しゅぎょー? なにそれかっけえ! おれもやる!』
遊びに誘ってくれたのに冷たく接した宮子に、それでも嫌な顔ひとつせず付き合ってくれた、幼馴染。
『みやこ、ほら! はぐれないように、てをつなごう!』
どこまでも明るくて、落ち込んでる暇もないくらいに、陽だまりの中へ手を引っ張ってくれた、勇人。
(……ああ、そっか)
胸の中に、あたたかい心が芽生えていく。
それはずっと、好きな人を失う恐怖に怯えて、鍵を閉めて閉じ込めていた感情。
だけどそれはすごく大切なもので、宝箱に隠すみたいに、そっと大事に秘められていた想い。
――おまえはだれかをあいしてはいけない。
――あいしたひとをうしなうのは、こわいから。
心の奥底から、鍵を開けるなと悲鳴のような声がする。
けどその叫びは、きっと幼い自分の心の叫びそのものだ。
大切な人が目の前からいなくなるのは、すごく怖くて、痛くて、嫌だから。
だからもう、誰かを好きになんてなってはいけないのだと――ずっと、知らないうちに蓋をしてきた心。
(私は、ずっと昔から、勇人のことが、好きだったんだ――)
だけど、その感情を認めてもいいのだろうか。
ずっと押し殺してきた感情を解き放つことに怯える宮子に、凛は告げる。
「例え、世界が、運命が、神様が、君のその想いを許さないと言ったとして。
僕が、許すよ。君の想いを、願いを――恋を、許すよ。
だからさ、宮子ちゃん。どうか、幸せになって。
僕はずっと、それを願ってきたんだ」
その言葉に、背中を押されて。
宮子は心の中に迸る想いを、解き放つように叫んだ。
「私は、勇人のことが、好きなんだ!」
その叫びは、高らかに響き渡る。
心の闇を晴らすように、周囲の暗闇を引き裂いて。
精神の中の風景が光に満ちていくのを感じながら、宮子の意識もまた光に包まれていった。
「がんばれ、宮子ちゃん。僕もがんばるから」
そんな、優しいお兄ちゃんの言葉に、励まされながら。
宮子は心の奥底の世界から目覚めるために、目を閉じた。




