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学園の中心で「邪魔しないでよ!」と叫ばれた少女 連載版  作者: 千条 悠里
第2章「騒動の中心で『絶対に!』と叫ばれた少女」
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第20話「九条勇人は、断ち切る」




 九条勇人は、今日、ケジメをつけることを決意した。

 どれだけ考えても、自分には杉野宮子への想いを捨てて、渚達の想いに応えることが出来なかったからだ。

 ケジメをつけるから待っていてくれ、と宣言してから早2ヶ月弱。

 本当に自分が渚達に好意を抱かれているのか自信なんてなく、中間テストなどを言い訳にずるずると先延ばしにしてしまったけど。

 このままではいけない、と自分でも思う。だから、覚悟を決めるしかなかった。


 渚達には事前に連絡しており、放課後に人が滅多に来ない旧校舎の空き教室で集合してもらうことになっている。

 宮子には用事で遅くなる旨を伝えたところ、友人達と先に帰るとのことだった。車で送ってもらえるらしい。

 勇人は一足早く空き教室に向かい、これまでのことを思い返しながら、彼女達に話す言葉を考えていた。

 彼女達との出会いは、一年前。勇者としての戦いを終えて、異世界から戻ってきた後だった。


 小野おのなぎさ。彼女との出会いは、街中で不良に絡まれているところを助けたのが出会いだ。

 性質の悪い輩で、強引にナンパして渚を連れて行こうとしていたのだ。

 勇者として戦い抜いた勇人にとって、大して鍛えてもいない不良を追い払うくらいどうってことはない。

 慰めながら話を聞いてみると、聖クリスティナ学園の中等部であるとのことで、それからは時間を見つけては「先輩」と慕ってくれた。

 助けられた恩を感じてくれているだけ、と思っていた勇人にとって、彼女が恋心を抱いているなんて思っていなかった。


 剣崎けんざき司紗つかさ。彼女は渚を不良から助けた際に勇人のことを見ていたらしく、女性を助ける姿に好意を持ったそうだ。

 同時に剣道を志す者として勇人の実力にも興味があったそうで、何度か剣道の試合をした。

 勇者として幾度も剣は振るったものの、剣道そのものは初心者である勇人は足運びや剣筋が剣道のそれではなかったが、培った実力は本物。

 もう一回、もう一回と何度も勝負するうちに、仲良くなったとは思っていたが、恋してくれているとは思っていなかった。


 式森しきもり花音かのん。彼女はその独特な喋り方や高圧的な態度から、いじめの対象になっていた。

 それをたまたま目撃した勇人が庇い、花音にも自身の態度を反省するよう諭して、クラスメイト同士の仲を取り持った。

 口調は今でも治っていないが、高圧的な態度はかなり軟化しており、クラスでは面白い喋り方のマスコット的な位置づけになったそうだ。

 彼女も、からかうような誘惑っぽいことは何度かされたものの、本人の「なんての! 冗談じゃ!」という言葉を真に受けて本当に冗談なのだと思っていた。


 蔵馬くらま皐月さつき。内気で寡黙な彼女はクラスで孤立していたのだが、勇人が話しかけたのをきっかけに徐々に彼女自身の交流の輪が広がった。

 今では嫌な愚痴話も黙って聞き役に徹してくれる良い人、としての地位を確立して、クラス内では困った時に話を聞いてもらう相手として頼りにされているそうだ。

 彼女は皆といっしょに勇人の傍にいることが多かったが、彼女はあまり自分の気持ちを喋らなかったので、単に友人として輪に入りたかっただけと思っていた。



 そして――前田まえだ加奈子かなこ

 彼女は勇人と共に異世界へと召喚されて、共に最後まで戦い抜いた大切な仲間だ。

 異世界での辛い日々を、相棒パートナーとして傍に寄り添い、支えてくれた。

 向こうの世界で出会った仲間達も、もちろん大切な存在だけど、加奈子は同郷の存在として、勇人の中でも特別な存在だった。

 

 だけどそれは、友人として、仲間として、相棒としての大切だ。

 勇者として召喚される以前から、勇人は杉野宮子のことがずっと好きだった。

 いつから好きになったかなんて分からない、昔の話だけど。その想いはずっと心に秘めていた。

 恥ずかしさや、関係を壊してしまうことに恐れて言い出せずにいたけど。

 

 そうやって足踏みをしているのは、もう終わりにしないといけない。

 自分は、杉野宮子が好きなのだと、はっきりと示さなければならない。

 宮子にも、そして周りの人達にも。

 それが、九条勇人の考えたケジメであった。 


「せ、先輩。お待たせしました」


 がらりと空き教室の扉が開いて、渚達が入室してくる。

 全員、揃っていた。

 彼女達は皆、魅力的な少女達だ。見た目麗しく、勇人が落ち込んでいる時に慰めてくれた優しい少女達だ。

 だけどだからこそ、自分が彼女達に恋愛の対象として見られていると、信じられなかったのだ。

 ……しかし、頭では分からなくても、どこかで無意識に感じてはいたのだろう。

 彼女達の気持ちには応えられないけど、はっきりと言うのは気が引けて……だから『宮子が恋人』なんてとっさに嘘をついて、諦めさせようとした。

 焦っていたから、なんて言い訳にもならないと勇人は我ながら思う。しかしあの時は、それが最善と思ってしまったのだ。


 けど今度こそ、はっきりと言わなければならない。

 それで彼女達を傷つけることになったとしても……このままあやふやのままでは、また彼女達の心を踏みにじることになるから。


「みんな、忙しいのにごめん」

「平気なのじゃ。今日は兄上と共に車で帰るしの」

「わ、私達は大丈夫です。……大切な話が、あるんですよね?」


 渚の言葉に、勇人は頷く。

 彼女達にも勇人の真剣な様子が伝わっているようで、その表情が引き締まる。

 一瞬、勇人は躊躇った。

 本当に言うべきなのか。彼女達との穏やかで、温かくて優しい、心地よい陽だまりのようなこの関係を壊してもいいのか。

 けど、勇人は深呼吸して、意を決する。

 それでも、進むと決めたから。

 自分の想いを、大切な人に伝えるために進むと、決めたから。

 そして勇人は、口を開いた。


「俺の思い上がりでなければ、皆は俺に好意を抱いてくれているんだと思う。

 ――だけど、ごめん。俺にはずっと好きだった人がいるから、皆の好意には、応えられない」


 勇人がそう言った時。

 前田加奈子は、何かを押し殺すように拳をぎゅっと握り締めて。

 渚達は――ああ、やっぱり。とでも言うように、悲しそうな表情で、しかし納得したような顔をしていた。


「……知ってました」


 渚が口を開く。彼女は、涙を堪えながらも、自分の想いを口に出していく。


「勇人さんのことが、大好きだから……そんな勇人さんの想いが別の人に向いていることは、前から感じていたんです」

「ぶっちゃけ、ばればれじゃったぞ? まあわしは、それに気付かん振りをして、お主に言い寄っていたのじゃがな……」

「……悔しいが、私もそうだ。誰に想いを寄せていようとも自分に振り向かせてみせる、と。お前の気持ちを無視していた」

「4人に同意」


 渚が、花音が、司紗が、皐月が。それぞれの胸中を明かす。

 自分の想い人は、別の誰かを既に愛している、と薄々気付きながら。

 それでも、自分の恋心を捨てられなかったのだ、と。


「……宮子さんのこと、ですよね?」


 尋ねる渚に、勇人は静かに頷いて肯定する。


「良い女じゃの、あやつは。わしらの面倒な愚痴話も真摯に聞いて、夜遅くまで相談に乗ってくれたのじゃ」

「思えば彼女にも迷惑をかけた。いずれ、侘びをせねばならぬな」

「指詰める? それとも切腹?」

「そ、それはさすがに怖いです……」


 渚達は既に、呼び出された時点でこうなることを予想していたらしい。

 最近の勇人の思い悩むような態度。そして、真剣な様子で「大切な話がある」と、皆を呼び集めていれば、何もないとは思えない。

 一人だけの呼び出しなら、まだ希望は持てただろう。誰か一人を選んで、告白してくれるのかもしれない、と。

 あるいは全員の前で一人を選ぶ……そういう可能性だってあったかもしれない。

 けど勇人の想い人に思い当たる渚達には、その可能性は限りなく低いと思っていた。

 もしも最後の可能性として、全員を呼び出した挙句「皆、俺のハーレムになってくれ」などと言っていれば、全員失望していただろう。


 ありえそうな答えとして、全員振られるというのは、想像するのは容易かった。



「――何よそれ!? あんたたち、なんでそんな簡単に諦められるのよ!?」



 ただ、前田加奈子だけは叫んだ。

 渚達が、恋心を簡単に諦めているように見えて、納得がいかなかったのだ。

 自分はまだ、諦めることなんてできないのに、と。


「簡単に……なんてわけ、ないじゃないですか」


 渚はその叫びに静かに、しかし確固たる意思で答える。


「諦めたくなんて、ないです。私を、見てほしいです。

 ……でも、これ以上は先輩を困らせちゃうだけって、分かっちゃったから。

 だから……先輩が大好きだから、きちんとお別れして、送り出してあげたいんです」


「私は、勇人の優しさと芯の強さに惚れたのだ。

 ここで、私達が引き止めたからといって自分の心に嘘をつき、立ち止まるような勇人など、見たくない」


「勇人は私を助けてくれた。だから、今度は私が助ける番。……それがせめてもの矜持」


「わしは、勇人の笑顔が好きじゃ。皆を笑顔にしてくれる勇人が好きじゃ。

 そんな勇人に縋りついて、困った顔をさせたくないのじゃ……」


 渚達は、かなり以前からこの日を予感して、覚悟を決めていたのだろう。

 だからこそ勇人の言葉に、心を痛めながらも納得して恋心に決着をつけようとしている。

 加奈子とて、覚悟をしていなかったわけではない。

 異世界で共に戦っている頃から、それらしき言動はあった。

 窮地の中で「生きてあいつの元に帰るんだ!」と叫んだり、「まだ、死ねない……あいつに、伝えるまで、死ねない!」と歯を食いしばり立ち上がったり。

 既に誰か、好きな人がいるんだろうとは思っていた。だけど、それでも好きになってしまった。

 共に命がけの戦場を駆け抜けて過ごす日々の中で、勇人への恋心が、加奈子にとって心の支えだったのだ。


 異世界から帰還してからも、その想いは続いた。

 あれだけ好きだとか伝えるとか言っていたのに、何時まで経っても恋人らしき影がないことに、チャンスではないのかと強引なアピールも行った。

 勇人があれだけ必死に見せていた想いに、目を背けて。


 だけど今、現実を突き付けられて、加奈子の心は揺れた。

 諦めたくない。諦めきれない。けど、諦めずにこれ以上縋ったところで、自分が惨めになるだけだ。

 異世界で旅する中、恋心を拗らせて醜い行いに走る連中を見たこともある。

 あんな風にはならない、と思っていたが実際にはどうだ……ここで諦めなければ、あの日々の中で見た醜い者達と同類になってしまう。

 捨てたくない、けど捨てなければならない――そんな状況に苦悩した加奈子は、耐え切れず涙を零しながら教室を飛び出した。


「加奈子! ……っ」


 追いかけようとして、しかし渚達のことを思って立ち止まってしまう勇人。

 その背を押したのは、他ならぬ渚達の言葉だった。


「追いかけてあげてください、先輩」

「け、けど……」

「私は、私たちは大丈夫なのじゃ。加奈子の奴もちゃんと納得させて、想いを遂げておくれ」

「男なら信ずる道を往け。それでこそ、私が惚れた男に相応しい」

「……ファイト」


 皆の、思いやりに溢れた言葉に勇人は躊躇いを振り切って、駆け出した。


「みんな、ありがとう! 行ってくる!」


 加奈子を追い、教室から飛び出していく勇人。

 渚達はそれを黙って見送り……そして、がっくりと項垂れた。


「ああ、振られてしもうたのう……」

「これが失恋か。……中々に、きついな」

「……ぐすっ」


 花音達が涙を流す中、渚は胸の前に両手を組み、何かを祈るように目を閉じていた。

 その様子を見て、花音が声を掛ける。


「正直、渚が一番泣きじゃくると思っていたのじゃがのう、意外じゃ」

「……私、勇人さんのこと、今でも大好きですよ。けど……」


 渚は問いかけに、目を開いて花音に振り向く。

 その瞳には涙が溜まっていたが、しっかりと前を向いていた。


「宮子さんのことも、好きですから。

 好きな人同士が結ばれて、幸せになる……それは、お祝いしたいじゃないですか。

 だから、祈っていたんです。お二人が、幸せになりますようにって」


 その言葉を聞いて、花音は渚の頭をぐしぐしと撫で回した。


「お主、良い奴じゃのう~。振られた者同士、これからも仲良くなろうではないか」

「あ、あはは。……これからも、よろしくお願いします」

「うむ。恋破れども我らの絆は破れず。共にやっていこうではないか」

「傷の舐め合い。だがそれがいい」


 お互いを励ましあい、笑いあう4人。

 いずれは加奈子も加えて、また仲良く過ごせたらいいなと、思いながら。


「しかしあれじゃのう、女子が加奈子も入れれば5人もおるのじゃ……せっかくなのじゃし、合コンとやらでもしてみるかの?」

「合コンなんてお兄ちゃん許しませんよ!!」


 突然、男の叫び声が響き渡る。

 すわ幽霊か、と旧校舎の怪談話が頭に思い浮かぶが、花音はその声がとても聞き覚えがあるものだと気付いて、声がした方へ歩み寄る。

 そこは窓枠であり、人影は見せなかったが……花音が窓をがらりと開けて下を覗き込むと、声の主がそこにいた。

 窓の外、旧校舎の外壁の僅かな出っ張りを掴んで張り付いている、兄の式森凍夜の姿を。


「何をしておるんじゃ兄上、ここ2階じゃぞ!?」

「や、やあ花音ちゃん。見つかっちゃったねえ」

「え、ええい、もう……とにかく危ないから上がってくるのじゃ!」


 凍夜の腕を引っ張り上げて窓枠を掴ませて、空き教室へと入らせる花音。

 花音一人では力が足りなかったが、事態に気付いた司紗達が手伝ったことで何とかなった。

 その後、当然のように激怒した花音が凍夜を正座させて叱り始める。


「覗き見なんて悪趣味なのじゃ! しかもあんな危ない真似をして、怪我したらどうするつもりじゃ!?」

「い、いやあ。花音ちゃんがあの男に呼び出されたって聞いて、お兄ちゃん心配でねえ。こっそり見守ろうかと……」

「心配性もここまで来ると気色悪いわ! 勘弁してほしいのじゃ!」

「き、気色悪い……僕が、気色悪い……」


 ショックを受けたらしい凍夜が顔を真っ白にしているが、庇ってくれる人はこの場にはいなかった。

 この場でなくても、いなかっただろうが。

 ――そうして騒いでいたため、気付かなかった。

 加奈子を追いかけていった勇人が、旧校舎の屋上でどんな騒動に巻き込まれているのか、なんて。



   〇



 加奈子は、旧校舎の屋上で一人、泣いていた。

 誰かが開けたまま放置したのか、鍵はかかっていなかった。

 誰も来ない場所を探して辿り着いたその場所で、加奈子はぼろぼろと泣き崩れている。


「勇人……勇人……」


 振られてしまった今でも、好きだ。素直に口に出せなかったけど、大好きだ。

 困った時に助けてくれて、異世界で不安に泣いた時は傍にいて慰めてくれた、そんな彼が大好きだった。

 だから、他に好きな人がいると言われても、諦めきれない。

 けど自分が諦めないせいで勇人を困らせてしまうことも、分かっていた。

 頭でどれだけ自分の行いが間違っていると分かっていても、心が納得できなかったのだ。


「私……勇人が、好き……」


 呟いても、小さな泣き声は風に散らされて消えるのみ。

 ――消えるだけの、はずだった。


『なら、奪ってしまえばいいじゃない』


 何者かの声が響く。誰もいないはずの、屋上に。


「だ、誰!?」


 加奈子は慌てて周囲を見渡すが、誰も見当たらない。

 強いて言うなら、屋上入り口付近の給水タンクの影なら、加奈子からは死角となって見えないが、加奈子のいる場所からは離れている。

 声はすぐ間近で……耳元で囁くように聞こえた。給水タンクに誰か隠れていたとしても、あのように声は届かない。


『欲しいんでしょう? だったら奪っちゃえばいいのよ。我慢することなんてないわ』

「そ、そんなこと……!」

『素直になりなさいよ。私には貴女の気持ち、全部分かるのよ? だって――』


 突如、背後に気配を感じて振り返る。

 先程まで誰もいなかったはずのその場所に、それは立っていた。

 黒紫の瘴気を漂わせて、不気味に光る赤い目をした、人の形をした化け物。

 しかしその姿は――。


『――私は、貴女なんだから』


 前田加奈子の姿と、瓜二つであった。



  〇



 勇人は加奈子よりかなり遅れて、屋上へと辿り着いた。

 まっすぐ屋上に向かった加奈子と違い、他の空き教室も探していたため、時間が掛かったのだ。

 校舎内を探し終えて屋上へと辿り着いた勇人は、加奈子の姿を見つけて駆け寄ろうとする。


「加奈子!」

「……来な、いで!」


 加奈子が制止の言葉を叫び、勇人はいったん足を止める。

 少しずつ歩み寄ろうと、ゆっくりした足取りで加奈子へと歩を進めた。


「加奈子、俺は……」

「おね、がい……勇人」


 しかし、明らかに加奈子の様子がおかしいことに遅まきながら気付く。

 苦しそうに肩を震わせて、抑え込むように両手を胸に当てている。

 その額には汗が滲んでおり、それは決して階段を駆け上がったために噴き出たものとは思えなかった。


「お、おい。加奈子、どうしたんだ!?」


 加奈子の急変に、慌てて駆け寄ろうとする勇人。

 しかし。


「――来ないでえええ!!」


 加奈子の絶叫が響く。

 そして――その身体から、黒紫の濃霧が放たれ、嵐の如く吹き荒れた。


「――な、これは……瘴気!?」


 勇者としての戦いの中、見慣れたそれに勇人の顔が驚愕に歪む。

 それはこの世界に有り得ないもののはず、だった。

 魔力が薄く、魔法も魔物も存在しないはずの勇人達の世界には、有り得ないはずの悪しき存在。

 しかし現に今、勇人の前には禍々しい瘴気が現れて、周囲を瘴気の霧が檻のように囲っていく。

 そしてそれを生み出しているのは、他ならぬ加奈子だ。

 勇者として共に戦い、人々を救ってきた――大切な仲間、加奈子なのだ。


「そんな……加奈子、加奈子――!」

『あ、あああああああ!?』


 勇人の呼びかけに対して、加奈子の返答は悲鳴のような雄たけびであった。

 咆哮と共に加奈子の身体に纏わり付く濃霧が、触手のような形を成して勇人へと襲い掛かる。

 その場を飛び退いて回避する勇人。しかし魔力の触手はさらに伸びて、追撃を仕掛けてくる。


「くそっ……『抜剣』!」


 勇人がそう叫ぶと、光と共に勇人の右手に純白の剣が表れる。

 勇者の魂に宿り、命運を共にするという聖剣『勇気の剣』だ。

 その剣は勇者の魔力に応えて形を成す。本来は実態のない心を、具現化することで剣と成すのだ。

 形は歴代の勇者によって様々であるらしいが、勇人の場合は片手剣と盾である。剣に続いて盾も具現化して、左手に持つ。


 具現化した剣で触手を断ち切り、危機を回避する。しかし幾度も触手は伸ばされて、何度斬り落としても終わる気配がない。

 加奈子を殺すことで事態を終わらせる――その選択肢は勇人には有り得ない。

 大切な仲間の命を容易く諦めて切り捨てるような人物であれば、そもそも勇者に選ばれることなんてないのだから。


「目を覚ましてくれ、加奈子! おまえは、そんな瘴気に負ける奴じゃないだろ!!」


 触手を切り伏せながら、勇人は必死に加奈子へ叫ぶ。

 実際、加奈子は異世界でこのような事態に陥ったことはない。

 ただ勇人の傍にいたのではなく、その危機を何度も救ってきた、心強い相棒だ。

 しかし今、加奈子はその心に大きな隙間が生まれて、そこに瘴気が入り込んだ。

 異世界で己を支え続けた恋心が叶うことがないと知り、深い悲しみに付けこまれたのだ。

 本来なら、失恋したところでこのような事態になるはずがない。この世界には人の心を侵す瘴気なんて、ないはずなのだから。

 だが、勇人の知らないことではあったが、この世界に魔王が渡ってきたことで、この世界に瘴気が生まれた。

 それは微弱ながら存在したこの世界の魔力と『魔物』に影響を及ぼして、様々な影響を与えている。

 今回のように、人の心に入り込み蝕む瘴気が世界に広がりつつあるように。

 人々の知らぬ間に、魔王の影響は確実に世界を侵しつつあるのだ。


 だが今の勇人に、そんなことは知る由もない。

 分かるのはただ、大切な仲間が危機に陥ったということだけだ。

 おそらくは、自分の決断がきっかけとなって。

 自身の行動の結果に歯を食いしばる勇人。だが立ち止まっている暇なんてない。

 今は、何としてでも加奈子を助け出さねばならないのだから――。



「……ああ? なんだ、随分騒がしいと思ったら妙なことになってやがんな」


 突如、男の声が聞こえたのはそんな時だった。

 その声は勇人の背後――屋上入り口の、給水タンクの上から聞こえて。

 その姿を確かめる暇もなく、その人物は軽やかに屋上に飛び降りて、勇人の横に並び立つ。


「あ、あんたは……?」

「2-A、五十嵐裕也だ。ちっとばかし昼寝するつもりがもう放課後かよ、たくっ……」


 こりを解すように首の骨を鳴らしながら、目の前の事態に驚くでもなく見据える裕也。

 彼はあくまで自然体で、加奈子の現状を見て口にする。


「こんな明るいうちから瘴気かよ。ったく、夜だけじゃなかったのか?」

「何らかの要因で瘴気の影響が拡大したと推測されます。事態は想定以上に深刻なようです」


 ふと、裕也の後ろに先程までは存在しなかったはずの少女が立っていることに勇人は気付く。

 その背中には、人の身には有り得ないはずの漆黒の翼が生えていた。

 それは異世界で何度か勇人も目にしたことがある存在――。


「……墜天使?」

「あー、知ってんのかおめえ。まあ、こいつは訳あってこんな姿してっけどよ、人間を襲ったりはしてねえぜ?」

「故あって墜天した身でありますが、我が魂は天の使い。人を救うことこそ我が宿命です。襲うなど有り得ません」


 ――墜天とは、神に背きし者に与えられる罰である。

 そして神に背くとは、人に害を成したり罪を犯すことばかりではない。

 救われざる者を救った天使でも、神の定めたことに背いたとして墜天させられることを、勇人も異世界の出来事で知っていた。

 無論、だからといって彼らが真実を話しているとは限らない。

 勇人に嘘をついていて、実際には人に害を成している可能性はある。

 だが、今はその真偽を問い質しているような時間はなかった。

 こうやって話している間にも触手は伸びてきている。迫る脅威を勇人は切り捨てて、裕也は身軽に避けているが、のんびりお話なんてできる状況ではない。


「あ、あいつ、大切な友達なんだ! 絶対に助けたい、何とかできないか!?」


 瘴気のことを知っていて、墜天しているとはいえ天使が傍についていることから普通の人物ではないと判断して協力を仰ぐ。

 裕也達は加奈子をじっと見て、指し示したように裕也と墜天使は頷きあった。


「瘴気の魔物をぶちのめすのは得意なんだが、祓うのはな……まあ、戦いの手伝いくらいしてやる」

「人払いの魔法完了。一般人は近づいてこれません。術式待機中。いつでもいけます」

「うっし、じゃあいっちょやるかね……変身トランスフォーム!」


 裕也がそう叫ぶと、彼の傍に立っていた墜天使の姿が光の粒となり掻き消えた。

 その光は裕也の身体を覆い、光が弾けるように瞬いた時――裕也の姿は、黒い鎧のようなものに包まれていた。

 機動性の高さを意識させるスリムな外装。しかし決して薄い装甲とは思えない重厚感を感じさせる。


「へ、変身ヒーロー!?」

「ヒーローて柄でもないんだがよぉ、まあ色々あってな。……おら、いくぜ!」


 裕也が叫ぶと同時に前に踏み込む。

 振りかぶられる触手の群れを置き去りにするように素早い動きで突撃して、瞬く間に加奈子へと肉薄した。


『ああああああああ!!』


 しかし加奈子の絶叫と共に放たれた瘴気に弾かれる。

 裕也はダメージを減らすため自分から後方へと飛び、床を滑りながら体勢を立て直した。


「ちっ、なんて濃度だ。近づくのも一苦労だぜ、おい」

『おそらく、彼女自身に高い魔法適正があると推測。瘴気との癒着率が高いのでしょう』


 先程の墜天使の声が、勇人の脳内にも響くように聞こえた。

 姿は見えずとも魔法的な手段で意思を伝達しているのだろう。


「か、加奈子は魔法使いなんだ! 異世界での話だけど、特に氷属性が得意で――」


 そう叫ぶ勇人の眼前で、加奈子の周囲に氷塊が多数生み出される。

 その只ならぬ様子に身構えた勇人達目掛けて、無数の氷塊が散弾の如く放たれた。


「そういうことはもっと早く言えや!」

「言う暇なんてなかっただろう!」


 裕也は悪態を吐きながらも氷塊を拳撃や蹴りで迎え撃ち、勇人も盾で身を守る。

 しかしいつ終わるともしれない暴雨の如き氷塊の散弾に、勇人はやがて盾を弾かれてしまう。


「し、しまっ……!」


 代わりに剣で叩き落しながら回避に専念するが、厚すぎる弾幕にやがて逃げ場を失い――。


「――アルカナ!」


 直撃する、と思わず目を閉じた瞬間。少女の声が響き、勇人の身体が光に包まれた。

 突如現れた光の壁は、迫り来る氷塊の散弾を全て弾き飛ばし、勇人の身を守り抜いてみせた。


「み、皆さん! 大丈夫ですか!?」

「これは……魔物の気配を感じてきてみましたが、人に憑依しているということでしょうか」


 屋上への入り口の扉がいつの間にか開け放たれており、そこには優菜と高志の姿があった。

 勇人にとっては面識のない相手だが、相手の様子からどうやら援軍であるらしいと判断する。


「友達が、瘴気に乗っ取られてるみたいなんだ! なんとか助けたい、頼めるか!?」

「え、ええと、魔物を倒したことはありますけど人に乗り移るなんて聞いたことが……」

「優奈さんはひとまず先程のように障壁での援護防御を、僕は遊撃に回ります!」


 慌てる優菜に高志が指示を出して、やるべきことを示す。

 そうして高志もまた前に進み出るが、相手が人間であることからいつものように攻撃するわけにも行かず、思い悩んだ。


「僕達も、人に憑依した魔物を祓うような技術は持ち合わせていません。宿主ごと殺すわけにもいきませんし、どうするべきか……」

「――私にまかせて!」


 突如、幼い少女の声が響く。

 その声の主は、周囲を覆い尽くす瘴気の壁を突き破り、屋上へと舞い降りた。

 明るいピンクの衣服に身を包み、羽飾りのついた靴と、大きな杖を手に、空を駆けてきたその少女は、勇人のよく見知った人物だった。


「あ、愛!? お前、なんで……!?」

「お、お兄ちゃん!? ええと、せ、説明は後で! 今はあの人を助けよう!」


 杖を構えながら、愛は自分のできることを話す。


「私、人に乗り移った悪い魔力を追い出せます!

 けどそのためには準備にちょっと時間がかかるから、その間あの人の攻撃をなんとかしてください!」


「マジだろうな、信じるぞ!」

「じゃ、じゃあ私は準備の間、この子を守ります!」

「僕は皆さんの援護を――勇人君、貴方はできるだけ彼女に呼びかけてください! もしかしたら友人の声なら届くかもしれません!」

「あ……ああ! 分かった!」


 勇人は、異世界で勇者として戦い抜いてきた。

 それは人に信じてもらえないような非現実的なことで、きっと知り合いに話したところで信じてもらえないと思っていた。

 しかし、目の前の状況はそれを上回るほど非現実的だ。


 墜天使を引き連れた変身ヒーローが拳を振るい氷塊を砕き、黒霧の触手を蹴りで打ち払う。

 アルカナと呼ばれている超能力らしきもので生徒会長が、見知らぬ女の子が、自分の妹を守っている。

 その守られている妹は、魔法少女のような姿で、淡い色の魔力光を放ちながら詠唱を進めている。

 そしてそれら全てが立ち向かうのは、瘴気に身体を乗っ取られてしまった女の子で、自分の大切な仲間だ。


 作り物の物語にしたって信じられないような、奇妙な光景。

 現実味も何もなく、夢だと言われたら信じてしまいそうな空間。

 だけど、これは夢じゃない。目が覚めればそれで終わる夢ではなく、現実だ。

 だから、投げ出してはいけない。逃げ出してはいけない。

 これは全てが都合よく終わる夢ではなく、抗わなければ大切なものを失ってしまう現実なのだから――!


「加奈子! 俺は、お前のおかげでこの世界に戻ってこれた!」


 迫る氷塊と触手を打ち払い、勇人は叫び続ける。

 声よ届け、と。大切な友達に想いよ届け、と。祈りを込めて。


「お前が何度も助けてくれたから、俺はこうしていられる! すっごく、感謝してる!

 だから今度は、お前を助けてみせる! 俺一人では無理だけど、ここにいる皆で助けてみせる!

 だから――頼むよ、目を覚ましてくれ!!」


 勇人は、必死に叫んで加奈子へと語りかける。

 やがて、その叫びに応えるかのように。


「……ゆうと?」


 加奈子の顔が正気へと戻り、いつもの彼女の声で、小さく勇人の名前を呟いた。

 今だ瘴気は晴れぬものの、荒れ狂っていた攻撃が止む。

 それは一瞬のことかもしれない。すぐにまた瘴気に飲み込まれてしまうかもしれない、瞬きの空白。

 だけど、それで充分だった。


「準備、できました! いきます!」


 愛が詠唱を終えて、杖の先を加奈子へと向ける。

 そして声高に、叫ぶ。


「悪いの、どっかに、飛んでいけー!!」


 杖先から眩い魔力光が迸り、加奈子の身体を包み込んだ。

 人の肉体も周囲の建物も破壊しない、邪に連なるものを打ち払う神秘の光が、少女の身体を貫いた。

 一瞬の間の後、光の奔流が過ぎ去ったあとに残る加奈子の身体からは、瘴気は完全に消え去っていた。

 加奈子の身体からだけではなく、周囲を囲っていた瘴気の膜も消え去り、元の屋上に戻っている。

 氷塊の散弾を受けた床や壁は元通りとはいかなかったが、人的被害はないようであった。

 気絶して崩れ落ちる加奈子を、勇人は慌てて駆け寄り抱きしめる。


「加奈子、加奈子!」


 完全に気を失っているようで、目は開かれない。

 だが、脈や呼吸を確認して、少女の無事を確認した勇人が胸を撫で下ろす。


「やれやれ、派手にやりましたね」


 扉を潜って、理事長の那岐が屋上に入ってくる。

 一応、屋上は立ち入り禁止のはずであり、ここにいる生徒には注意がされる決まりなのだが……今回の事態を高志からの連絡で把握していた那岐は、はあと溜め息をつきながら生徒達に声を掛けた。

 


「屋上の後片付けはしておきますから、そちらのお嬢さんを医務室へ連れて行ってください。もちろん、今回のことは秘密でね」


 連絡を受けた際は遠方にいたため、戦闘には間に合わなかったが、せめてもの責任を果たすために駆けつけたのだからと後始末を買って出る。

 というか早急に壊れた壁や床の修繕を行わないと、一般人に見られると非常にまずい。 

 理事長の言葉に、勇人はお辞儀してから加奈子を背負い、医務室に向けて歩き出した。




  〇




 加奈子は、医務室のベットで目を覚ました。

 ぼんやりとした視界と記憶の中、自分が何故寝ていたのかを思い出そうとして。

 自分が行ったことを、鮮明に思い出した。

 瘴気に身体を乗っ取られて暴れ回り、下手をすれば誰かを殺してしまっていたかもしれない――そんな愚行をしてしまった、自分のことを。


「加奈子! よかった……目を覚ましたんだな」


 勇人は加奈子の目覚めに気付いて、嬉しそうに声を掛けた。

 加奈子は、そんな勇人の笑顔が眩しくて……自分が情けなくなった。

 自分はそんな笑顔を向けられるべき人物じゃない。異世界で見た、色恋に狂って醜いと思っていた人達を見下すことなんてできない。

 自分もまた、恋に狂ってこのようなことをしてしまったのだから。


「わ、わたし……なんてことを」

「――大丈夫」


 勇人は震える加奈子の手を取って、ぎゅっと力強く握った。

 それは異世界で何度も加奈子を慰めてくれた、勇人が誰かを励まそうとする時によく行う所作であった。


「誰も、怪我ひとつしていない。さっきのは、瘴気のせいで起こった事故みたいなもんだ。

 皆は加奈子を責めようとしてなかったし、理事長だってフォローしてくれてる。だから、大丈夫」


 安心させるように加奈子を見つめて、優しく語りかける勇人。

 加奈子が好きになったのは、勇人のそんなところだった。

 自分が苦しい時でも相手を思いやり、励ましてくれる。そんな優しさに、何度も助けられてきたのだ。

 だから自分は、彼に恋をした――それが叶いそうにないことを気付きながら。


「勇人……私、ね。ずっとあんたのこと好きだった」


 最後に。せめて、できなかった告白の言葉だけでもと、加奈子は呟いた。

 勇人はその言葉を聞いて、目を閉じて。


「――ごめん。俺には、その想いに応えられない」


 目を開いて、きっぱりと言い切った。

 分かっていても、諦めようとしても、加奈子の瞳からは涙が溢れる。

 勇人はただ、黙って少女の手を握り締めて、傍に寄り添っていた。

戦闘シーンて難しいですね(汗

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