第17話「奥様は武道家」
「お母さん。それとパパと、九条さん夫婦の4人でね。
異世界で勇者とその仲間達として、戦った経験があるのよ」
宮子は自分の母のとんでもない言葉に、驚きを隠せなかった。
異世界。勇者。そんなの漫画や小説の中だけの、フィクションであるはずだ。
「勇者、ですか……? あの、それって、所謂剣と魔法のファンタジーみたいな感じですか?」
「そうそう。優菜ちゃんはそういうの詳しいかしら? 宮子はあんまりゲームとかしない子だったから、ピンとこないかもしれないわね」
「……いや、ちょっとは分かる、けど」
しかし母が嘘をついている様子ではないことを、宮子は感じていた。
母はあまり嘘が得意ではないらしく、日常で過ごす中でついた嘘は大抵家族の皆が見破っていた。
その日常での様子が全て演技であるなら話は違うかもしれないが、今まで見てきた何もかもが演技だとは思えないし、思いたくなかった。
「まあ、信じられないのも無理はないけどね。私だって他の人から聞いたら耳を疑っちゃうわ。
……けど、お母さん達が宮子達くらいの年代だった頃、それは本当にあったことなのよ。
魔王が復活して世界を征服しようとする世界をなんとかするためにって、向こうの世界の人々に召喚されてね。
九条信也さんが勇者。園子が魔法使い。パパ……杉野 徹が戦士。そして私が武道家。
召喚された時に、向こうの神様から不思議な力を与えられて、なんとか戦い抜いたわ……色々、嫌なことや辛いこともあったけど」
聞けば聞くほど、現実味のない話だった。
だけど自分達自身が先程、現実味のない体験をしたばかりである。何より、母に嘘をついている様子は今も感じない。
感じるのは、昔を思い出して、色々な感情を噛み締めているような、複雑な表情だった。
「悲しいこともたくさんあったけど、かけがえのない思い出もたくさんできた。
最後には魔王を倒して、こっちの世界に戻ってきたのよ。神様からもらった力も、残ったままね。
もちろんこっちで魔法とか使うわけにいかないし、隠して生活してるけどね。
まあ『アルカナ』の事件の時とかに、人助けに使ったりはしたけど。それ以外ではまず使わないし、使えないわ。
他の人に見られたら、大騒ぎになっちゃうもの」
それは当然だろう、と思う。
どれほどのことができるのか分からないが、存在を社会的に全否定されている魔法なんて街中で使えば、大騒動が巻き起こるだろう。
「お母さん達が『アルカナ』に関われたのは、そのためね。
神様からもらった力のおかげで、魂が守られているのよ。だから痛くたってへっちゃらよ。
……だけど、宮子。貴女は違う。この力は、遺伝なんてしないんだもの」
そこで母は、宮子をじっと見つめた。
宮子の心を見通そうとするように、観察しているのが宮子自身にも分かる。
母もそれを隠すつもりはないのだろう。堂々と観察してから、言葉を発する。
「貴女はたぶん、優菜ちゃん達がまた戦うことになった時、自分も手伝いたいって言うと思うけど……だめよ。
宮子には、『アルカナ』やお母さん達みたいな特殊の力はない。
戦闘ができたとしてもそれは、今日という日までひたすら積み重ねてきた努力があってのものだもの。
さっきも、後一歩間違えば、貴女は死んでいたんだからね」
そう言いきって、母は宮子の座るベットに歩み寄って。
「……本当に、心配したんだから」
ぎゅっと、宮子の身体を抱きしめた。
その身体が、震えていることに宮子は気付く。
娘を失いかけたことに怯え、震えながらも、我が子を抱きしめるその姿に、勇者の仲間として戦ったような勇ましさはない。
我が子を大切に想う、母親の姿であった。
どこにでもいる、優しい母親の姿であった。
勇ましくなくとも――杉野宮子の大切な、母親の姿だった。
「……おかあ、さん」
宮子も、今更ながら恐怖が蘇り、母の身体を抱きしめ返した。
杉野宮子は、普通の少女でしかない。
どれほど努力を積み重ねて、同年代の人々より優れた面が多くても。
天才でも特殊でも何でもない、普通の女の子でしかなかった。
宮子の口から嗚咽が漏れて、涙が零れ落ちる。
そんな宮子を、颯はただ黙って抱きしめ続けていた。
〇
母が乗ってきた車に乗って、宮子は家に向かっていた。
一頻り泣いて、落ち着いた頭で考える。
優菜には「困ったことがあれば連絡して」というくらいしか、協力できることはなかった。
けど、このまま何もしないままでいいのだろうか。
優菜達を助けたいという思いはある。しかし今のままでは足手まといでしかなく、逆に今回のように助けられる側でしかない。
自分には、母の言ったように特殊な才能や技能なんて、ないのだから。
だけどこのまま、日常に戻ってもいいのだろうか。
何もなかったかのように振る舞い、大変なことを友人達に任せきりにして、それでいいんだろうか。
「宮子、悩んでるわね」
車を運転しながら、颯が宮子に話しかけた。
じっと俯いて黙っていれば、目を見るまでもなく心中を察せられたらしい。
颯はそんな宮子に、続いて話かける。
「色々言ったけどね、お母さん嬉しいのよ。貴女が友達のために頑張ってるのが分かって。
もちろん、だからといって危険なことに関わってほしくないとは思うわ。
だけど、心配よね。友達のこと。お母さんも、そういうことで悩んだこと、多かったから」
遠い日々を思い出すように語る母の目は、悲しそうであり、それでも前に進み続けた確かな力強さを感じさせた。
簡単に言葉で言い表せないような苦労が、たくさん、本当にたくさん、あったのだろう。
「そういう時はね、宮子。開き直っちゃって、考えてみなさい。
細かい事情はひとまず置いておいて、自分がどうしたいのか。
自分だけで分からなかったら相談しなさい。一人で全部やる必要なんて、ないんだから」
「私が、どうしたいか……」
宮子は、今一度考える。
自分がどうしたいのか。どうするべきかでもなく、何ができるのかでもなく。どうしたいのか、を。
「私は……強くなりたい」
「それは、友達を助けるため?」
「それもあるけど、それだけじゃなくて……」
頭の中に思い浮かぶ、自分のしたいことを、言葉として紡いでいく。
「後悔しないために。必要な時に力が足りなくて、後悔しないでいいように。
……優菜ちゃんが言ってたことの、真似みたいになっちゃうけど。
また何かあった時、逃げるくらいはできるように、できることはやりたいの」
それが素直な気持ちだった。
逃げることも戦うこともできず、「もっと努力していればよかった」と、自分の無力を嘆きながら諦めなくていいように。
そう、強く心に思った瞬間。
ザザザ、と思考にノイズが走る。
チャンネルを掛け違えたテレビのように、頭の中が砂嵐に襲われる如き不快感。
砂嵐になった記憶の、その向こう。
そこに、何か、忘れてしまった、大切なことが――。
そう。自分は。杉野宮子は。
あの時みたいに……自分のせいで大切なものを、失わず済むように、ならなければならない――。
ならなければ、ならないんだ――!!
「……宮子? どうかしたの?」
母の言葉に、はっとする。
また、何か自分の中に眠っている何かの記憶に、思考を奪われていた。
「……お母さん、私ってどうして、護身術とか頑張るようになったんだっけ」
「んー? ……そういえば、なんでだったかしらね」
浮かんだ疑問を尋ねてみても、母からは明確な答えは帰ってこなかった。
「宮子が子供の頃に、ある日急に「強くなりたい」みたいなこと言われて、それで始めたんだったと思うけど……。
そういえばなんであんなに、強くなることにこだわってたのかしらね。遊びたい盛りだったろうに。
護身術だけじゃなくて色々学んでほしかったから、周囲の人の話をよく聞いて学んで……っていうポリシーの話をしたら、すごくたくさんのことを学ぼうと頑張ってたわね。
お母さんも不思議には思ってたんだけど、アニメにでも影響されたのかなーて思ってたら、それがずーっと続いて……気付けば、こんなに大きくなっちゃったわねえ」
母も、当時の宮子がどのような想いで努力を始めたのか、知らないらしい。
それから家に帰るまでの間にも、理由を思い出そうとした宮子ではあったが。
結局、霧に包まれたかのような自身の記憶からは、当時のことを何も思い出せなかった。
「私は、何か大切なことを忘れている?」
その小さな呟きは、母の耳に届くことはなく。
微かに空気を振るわせた後、静かに消えた。
〇
「ねえ、宮子。貴女がその気なら……明日から修行でも、する?」
車を停めて玄関に向かう途中、母はそんなことを言い出した。
「修行って……今やってる護身術のトレーニングとは、別で?」
「うん。お母さんもどうするか迷ったんだけどね……」
そう言いつつ、今も悩んでいるのか一瞬言いよどんだ母だったが、意を決した様子で宮子に語り掛ける。
「お母さんが学んだ、魔力を活用した格闘術――それを、教えてあげる。
とはいえ貴女は、お母さんみたいに神様から力をもらった訳でも、特別な才能があるわけでもないから、同じことができるわけじゃない。
それにこの世界には魔力があんまりないから、その世界で生まれ育った貴女には修行したって、そんな強い魔力は宿らない。
今まで学んできたこととはまったく別のことを一から覚えることになるから、難しいこともたくさんあると思う。
……苦労の割りに大したことはできないと思うわ。それでも、やる?」
母の言葉は、真剣であった。
その言葉を聞いて、宮子は再び自分の本心が何なのか考える。
どこまでできるかなんて、分からない。
魔力なんて欠片も感じたことはないし、今でもそんなものが実在するなんて、半信半疑だ。
……それでも。努力できることがあるというのなら、やれるだけやってみたい。
「才能がない。苦労する。大したことはできない。
そんなの、いつものことだよ。
今までだって、才能があったから色々なことができるようになったんじゃない。
出来るように、分かるように、周りの人に助けてもらいながら頑張ってきたから、今の私があるんだ。
――私、やるよ。お母さん、明日からよろしくお願いします」
宮子は頭を下げる。
心はもう決まっていた。
友達のため。そして自分のため。やれる限りのことをやるのだ、と。
「うふふ、おーけい! 厳しく行くから、今日はしっかり休みなさいよ」
「……うん!」
迷い込んだ非日常の中での挫折と、その中で得た想いを胸に。
杉野宮子の新しい努力の日々が始まる。




