第2話「賑やかな日常」
「ただいまー」
新学期最初のホームルームを終えて、宮子は自宅へと戻ってきた。
冷蔵庫で冷やしておいたオレンジジュースをコップに注ぎ、喉を潤す。
ふとリビングのテレビを見ると、母が何か見ているところだった。
「あら、おかえりー。今日は早かったのね」
「今日は新学期の式とホームルームだけだから」
すぐ部屋に戻って着替えるのもいいけど、母が何を見ているのか気になりテレビに近づく。
どうやらDVDを再生しているところのようだ。時々母がリモコンで巻き戻しや一時停止の操作をしている。
「晶子の子供の頃のDVDを見つけてねー。掃除の合間に見始めたんだけど、けっこう経っちゃった」
「お姉ちゃんの? これは……ええと、なんだっけこの玩具」
画面の中では小学生時代の姉、杉野晶子がレバーやボタンを操作して、ロボットの玩具を戦わせていた。
対戦相手は中学生くらいに思える少年だが、ほぼ互角の勝負を繰り広げている。
「ポケットロボット、通称ポケロボ。最近の玩具は凄いわよねー、お母さんの子供の頃とは大違い」
ポケットロボットは今も大人気の対戦型ロボットで、フィギュアサイズのロボット同士をユーザーが持ち寄り戦わせる。
この映像の時代には手動操作しかなかったが、最近の新技術で脳波を読み取り思考するだけでの操作も可能になっていたはずだ。
ただの玩具とは侮れず、この小型ロボットに使われている技術は様々な分野で活用されているらしい。
姉の晶子はそのポケットロボットの、初代日本大会チャンピオンだ。
とはいえその大会を最後に中学受験のため引退したはずである。
今ではポケットロボットは世界大会まで開かれるまでになったが、それはつい2,3年前のこと。世界的ブームになったのもその頃だ。
「実は最近、晶子がまたポケロボを始めたみたいでね。それでこのDVDのこと思い出したのよー」
「お姉ちゃん、大学の勉強は大丈夫なの?」
「あの子なら心配ないわよー。そもそも、大学の先輩に誘われて始めたらしいしね」
まあ、しっかり者の姉なら大丈夫かと宮子も思う。
「それより、おやつでも用意してあげるから着替えてらっしゃい」
「ありがと。お昼食べてきたし、軽めでいいからね」
お言葉に甘えて部屋に戻り、私服に着替えることにした。
〇
「そもそも、私が勉強してきたのはポケロボのためよ?」
夕飯の時に姉に直接聞いてみると、予想外な答えが返ってきた。
宮子のイメージの中で姉は、とても真面目で眼鏡の似合う勤勉な女性だったからだ。
「子供の頃に遊んでた時に、こう動かせたらいいのになーってイメージ通りに動かせなくてさ。
だったら自分で一から理想のポケロボを作ってやる、て意気込んで勉強を始めたのよ」
「そんなに好きなのに、ポケロボで遊ぶの止めてたんだね?」
「子供ながらに『ポケロボのために高い授業料の学校行かせて!』とは言えないと考えてね。
超真面目に装って真っ当な理由で勉強してますって演技してたの。
だからあんまり遊ぶわけにはいかなかったのよ。
まあ、演技も続けてるとだんだん素になっちゃって、今ではこの真面目ちゃんが私自身だけど」
「あらあら、それお母さん達に言っちゃってよかったのかしら?」
杉野家では夕飯は皆集まってリビングで食べることになっているので、当然ながら母もいる。
「もう今なら他の道でも就職できる実力有るって自信あるし、言ってもいいかなーてね。
それに世界的ブームになったポケロボ関連の職種は、十分真っ当な就職先だしね。
というか、父さんと母さんには高校くらいには正直に本音を話したでしょ?」
ただの玩具であったはずのポケロボが、今やロボット工学の最先端。世の中何が起こるか分からないものだ。
「姉ちゃん、マジでポケロボチャンピオンなの!? すっげー!」
弟の翔が、晶子を尊敬の眼差しで見つめていた。
聞いた話だと、翔もポケロボにはまっているらしい。まだまだ修行中のようだけど。
「それはもう随分昔の話だし、ブランク長いからそんなに強くないよ」
「けど元チャンプなんだろ? 今度さ、俺とバトルしてくれよ!」
「んー……今度の日曜なら空いてるし、いいかな」
「おっしゃー! 約束だかんな!」
「嬉しいのは分かったから、口に物入れたまま喋っちゃ、めっーよ? お母さん、怒っちゃうぞ?」
「ヒィ! ご、ごめんなさい!」
母が怒るととても怖い、というのは家族の共通認識だ。
翔もさすがにやばいと感じたのか姿勢を正した。
「そんなに大人気なんだね、あのロボットの玩具」
「噂だと医療用のナノロボットとしての開発も行われているそうだしね。
そのうち学校の授業でポケロボをする時代が来ちゃったりするかもしれないわよ」
「あはは、まさかー」
ふと、聖クリスティナ学園の在り方が頭に浮かんだ。
ありえないと言われる発想を実現して、今も成長し続ける学園。
その理事長は様々なコネクションを持ち、既存の常識を打ち破る経営者。
「……まさかー」
否定しつつも、学園の敷地でロボットバトルを繰り広げる未来が宮子には想像できてしまった。
あの理事長なら、やりかねない。そんな予感がする。
「晶子。あの時も言ったが、ここまで貫いてきたのなら最後までしっかり、な」
「うん、父さん。どうしても駄目なら生活のため他の道に進むのも仕方ないけど、最後まで夢に向かうよ」
理由はすごく意外なことだったけど。
父に答える姉は、目標を持って進路を選んで進んでいる、やっぱりしっかり者の姉だった。
「進路、かあ」
翻って自分はどうだろう、と宮子は思う。
高校2年生、進学にしろ就職にしろ、進路を考えなければいけない時期だ。
もっと多くのことを学びたいので進学したいと思うけど、何を学びたいのか、それをもっと絞るべきなのかもしれない。
学園には大学も付属しているが、このまま聖クリスティアの大学部に進むべきなのだろうか。それとも別の専門学校などに行くべきか。
「宮子は、将来の夢はあるの?」
「特にないんだよね。夢というか、もっと色々学びたいとは思うけど」
「まだ時間はあるんだ、焦ることはない。大学に通いながら目標を探す者もいる」
うん、と答えながらも考えてしまう。
来年の今頃、自分は目標を見つけて進んでいるのだろうか。
「将来もいいんだけどねー、お母さんとしては二人に恋人がいるのか気になっちゃうなー」
「ぶっほぉ」
お茶を飲んでいた父が盛大にむせた。
「な、なな何を言うんだ母さん、まだ早いだろう」
「いやいや、宮子はまだこれからとして晶子はそろそろ頑張んないと、行き遅れちゃうわよ?」
「行き遅れって……わ、私だって彼氏の一人や二人くらい」
「複数なんてお父さん許さんぞ!」
「も、ものの例えだってば! 今はあれだけど、そのうち……うん、今年の夏こそ初彼氏を……」
彼氏かー、と宮子も考えてみる。
とはいえ恋愛経験はなく、初恋の相手と言われてもぴんとこない宮子では、ドラマなどを元に空想することはできても現実感が沸かなかった。
(高校2年生くらいは、たしかに少女漫画とかでは恋愛するキャラが多い年代だけど、実感ないなー)
まったく興味がないわけでもないが、かといって焦って恋をしなければ、とも思えない。
そういうのは成長すれば分かるかと思っていたが、この年齢になってもいまいち分からないままだった。
「だったら我が家で一番恋人が早くできそうなのは翔かしらねー。この前遊んでた子、可愛かったわね?」
「あ、あいつはそういうんじゃねえし!」
そう言いつつも翔の頬は真っ赤だ。照れているのは隠せていない。
どうやら恋愛に年齢は関係ないらしい。
「翔の恋人は幼馴染の愛ちゃんだと思ってたけど、本命はあの子なのかなー」
「いや愛はもっと違うし! あいつは幼馴染で、友達で、ええっと……」
「両手に花だなんて、我が弟ながら羨ましい。バトルでぼっこぼこにしてやる」
「さすがに大人気ないよ姉さん」
騒がしくも賑やかに、夕飯の時間は過ぎていった。
〇
翌日の朝。
日課の早朝ランニングを済ませて家に戻る途中、お隣さんの愛ちゃんが新聞を取りに来ている所に出会った。
「あ、宮子さん! おはようございます!」
「おはよう、愛ちゃん。今日もお手伝いして、偉いね」
「えへへー、そんなことないですよ」
可愛らしい笑顔の九条愛ちゃん。彼女は翔と同じ小学生で、家のお手伝いも積極的に手伝っているお利口さんだ。
色々と話をしたいところだけど、汗を流して学園に行く準備をしなければいけないので話を切り上げることにする。
「じゃあ準備があるから家に戻るね、勇人にもよろしく」
「はい、遅刻しないようにしっかり叩き起こしちゃいます!」
勇人は、愛の兄であり宮子の幼馴染だ。
妹と違ってだらしないことが多くて、愛にもよく叱られている。
ただけっこう運動神経がよくて勉学の成績も悪くはなく、持ち前の明るさや面倒見の良さからクラスメイトにも人気があるそうだ。
勇人が聖クリスティナ学園に合格した時は妹から「う、うそ! お兄ちゃんがこんなに頭良いわけがない!」と叫ばれていた。
宮子の登校時間が早くて勇人はぎりぎりのため一緒に登校する機会は少なく、クラスは去年も今年も別々のため、同じ学園に通う上にお隣同士なのに接する時間はあまりないが、昔はよく遊んだものだ。
(……身近な男性となると、勇人だけど)
ふと昨日の夕飯の時の、恋人云々の話を思い返す。
勇人と恋人になり、共に登下校したり、休日には遊びに行ったりする自分を想像してみる。
それはなかなか楽しそうだけど、幼馴染であり友達であるという感覚が抜けず、恋人に思えるかと思うと否である。
(それに勇人、昔からやたらともてるしな。もう付き合ってる人、いたりするのかも)
別々のクラスになったとはいえ同じ学園に通う以上、廊下ですれ違うことくらいはある。
そういう時、だいたい誰かしら女子生徒が隣にいたりして、何やら賑やかそうな雰囲気になっていた。
(……よく考えると会う度に別の女の子と仲良くしてるって、相当モテモテだな)
ますます自分の入る隙間はなさそうだ、と宮子はため息をついた。特別、隙間に入りたいわけでもないけど。
ぼんやり考えながらも身支度を整え終えると、いつもの出発時間になっていた。
悶々と考えていても仕方ない、と気持ちを切り替えて、ひとまず今は登校することにした。
「お兄ちゃん! いいかげん起きなさーい!!」
「ぎ、ぎにゃあああ!」
何やら悲鳴が聞こえてきたけど、無視して登校することにした。
短編の頃には想定していなかった要素を投入。
短編内でゲームソフトとして出した「ポケロボ」を、別の世界観の短編で書こうと思っていましたが、どうせなら混ぜてしまえーと設定をねるねるねるね。
いっそポケロボを主体にした別連載とかも面白そうですが、ひとまずは宮子さん視点のお話が続きます。