第14話「平穏な日常。そして」 『第一章エピローグ』
「……あ、み、宮子」
早朝のランニングから帰ると、九条家の玄関口に勇人が立っていた。
偶然、というわけでなく、何かを待つように立ち続けていたらしい。
だが宮子は彼を通り過ぎて、自宅に向かう。汗を流して登校の準備をしなければいけない。
勇人は彼女のその様子に顔を曇らせるが、勇人は躊躇いを振り切るように、叫ぶ。
「お、俺! お前に、ずっと言いたかったことがあるんだ!
けど、今のままじゃ、俺にそれを言う資格はないって、思う。
だから、時間がかかっても、ちゃんとケジメをつけるから……その時はどうか、聞いてほしい」
自宅のドアを開けようとしていた宮子は、立ち止まる。
そして……勇人の方へ振り返って、返答した。
「何を言いたいのか分からないけど……いいよ、その時が来るのを、待ってる。
それから……おはよう」
「! あ、ああ! おはよう!」
「それじゃ、準備あるから。……またね」
「……ああ、またな!」
今度こそ宮子は玄関のドアを開けて、自宅に入る。
勇人を大好きなグループの面々から、勇人がすごく反省している様子は聞いていたので、いずれ交流を再開しようかとは考えていたので、良いきっかけになったと宮子は思っていた。
何より、渚達から『勇人と話をしてあげてほしい』とお願いされていたということもある。
加奈子に関しては不明だが、渚達は宮子が勇人と接することに全員同意らしい。
彼女達の中でどのような意識の変化があったのか宮子には分からないが、徐々に勇人とまた関わっていこうかな、と思う。
それがきっと、勇人本人だけでなく、九条家の人々のためでもあるはずだから。
「お兄ちゃん! 朝っぱらから大声出して近所迷惑でしょーが!」
「ぎ、ぎにゃあああ!?」
お隣さんから聞こえてきた悲鳴については関わらないことにして、学園に向かう準備を始める宮子であった。
〇
「天城さん、おはようございます」
「ああ、おはよう。……昨日は大事にならずに済んで、よかった」
宮子が校門前に着くと、生徒会の仕事の一環らしく登校してくる生徒達を見守る天城鋼の姿があった。
その隣には望月高志の姿もあり、二人で仕事に当たっているらしい。
「杉野さん、おはようございます。昨日は災難でしたね」
「ええ、まあ。……西園寺さんは、あの後大丈夫でしたか?」
昨日の事件の直後、天城と望月は事件のせいで精神的なショックを受けたであろう西園寺伊織のメンタルケアを行っていた。
専門であるカウンセラーがたまたま学園内におらず、専門家に任せる前の応急処置ではある、が。
気丈に振舞ってはいても、あのような悪意を向けられて監禁されたとあっては、心に傷を負う可能性は十分にある。
宮子自身、あの後カウンセラーの先生にお世話になっていた。
ちなみにその先生に『この宮子って娘、あんなことあったのに落ち着きすぎて怖い。本当にただの女子高生?』と思われているのを宮子は知らない。
「ああ。……俺が彼女に栗原綾の案内を任せてしまったせいで、あのような事態に繋がったことを誠心誠意、謝罪した。
西園寺は、強いな。逆に俺のことを気遣って、慰めてくれたよ。自分の方が余程、傷ついているであろうに」
「やはり不安や恐怖は感じていたようで、泣いておられましたがね」
そうして話しているうちに、校門前に一台の車が停まり、車内から件の少女、西園寺伊織が出てきた。
どうやら自家用車のリムジンで、送迎されている様子だ。
車から降りた西園寺は、校門前に集う天城達を見つけて、嬉しそうな笑顔で、しかし少し緊張した面持ちで挨拶をした。
「お、おはようございます天城様! それと望月様に、杉野さん」
「おはよう。体調は落ち着いているか? 無理はするなよ」
「おはようございます。何かあれば、いつでも相談してくださいね」
「おはようございます、西園寺さん。あの後会えなかったから心配してたけど、元気そうで良かった」
一頻り挨拶を終えると、天城達は他の生徒への挨拶もあり、会話が途切れる。
ふと、宮子は西園寺からの視線を感じて、何か用だろうかと顔を向けた。
見つめ返されたことに気付いた西園寺が、口をもごもごとさせた後、意を決したように宮子に話しかけてくる。
「……最初は、すぐに助けにこなかった貴女に少し思うところはありましたの。
ですが冷静になって思い返せば、あの時慌てて行動していては、明確な証拠を提示できず泥沼の争いになっていたことでしょう。
こうして早期に事件が解決してわたくしがこうしていられるのも、貴女のおかげですわね。
だ、だから……その、ありがとう、ございますわ。おかげで助かりました」
照れたように顔を赤らめさせながら、西園寺は感謝の言葉を述べた。
証拠の動画と音声のデータを保存することを諦めれば、宮子がすぐに駆けつけることは出来ただろう。
だがそうなれば、栗原に『犯罪の証拠がない』という逃げ道を与えてしまうことになる。
次に何か犯罪を犯した際、その時にも決定的証拠を掴める機会があるのか不明である以上、すぐに飛び出すわけにはいかなかったのだ。
けど被害者側からすれば、犯罪者を捕まえるために見捨てられたと思われても仕方ないと、宮子自身後ろめたい思いがあった。
しかし西園寺は、しっかり自分で考えた上で『あれは必要なことだった』と判断して、宮子に感謝していた。
西園寺のその言葉に、宮子も気が晴れる思いだった。
「貴女が無事で良かった。もしよければ、今後とも友人としてお付き合い、お願いできますか?」
「ええ、もちろんですわ! 今後ともよろしくお願いしましてよ!」
そうやってにこやかに話している間にも、登校してくる生徒達は増えていく。
昨日の事件が嘘のように、明るい雰囲気の学園がそこにはあった。
〇
「……よお」
「おはよう、五十嵐君」
校舎に向かう途中、五十嵐裕也と廊下ですれ違った。
先日の喧嘩の目撃以来、あまり接点はなかったが隣のクラスなのだから、こうしてすれ違うのも不思議ではない。
短く挨拶をして立ち去ろうとしたが、裕也は「お前、本当に強いらしいな」と声を掛けてきた。
「昨日のこと、噂になってんぜ。ポン刀持った女に素手で挑んで、奥義がどうたら叫んで吹っ飛ばしたとかよ」
「噂に尾ひれがつきすぎて原型無くなってるよ?」
「噂なんざそんなもんだ。けどまあ、お前が強いのに変わりはないんだろう?」
目がぎらつき、闘志が剥き出しになっている五十嵐。
どうやら彼は強い相手と戦うのが大好きらしく、噂を聞いて宮子に興味を持ったらしい。
ただ、さすがに女にいきなり殴りかかるような真似はしないのか、じっと宮子を見ている。
「そんなに戦いたいなら、いずれどこかの道場とかで試合でもする?」
「おう、ノリがいいじゃねえか。……まあ、いずれ戦ろうや」
「そうだね、いずれ。……じゃあ、また」
「おう。またな」
授業の開始時間までそんなに余裕もないため、短い別れの挨拶で締めくくり、お互いの教室に向かった。
〇
「宮子さん、お怪我はありませんか!?」
「おっはよーう、みやちゃん! なんか色々噂になってるけど、身体は大丈夫?」
教室に入ると、真理冶と由美がまっさきに声を掛けてきた。
他のクラスメイトは少し遠巻きに話していたり、親しい友人は輪に加わろうと宮子達に近づいてきている。
「あの噂、マジなんかな……」
「俺ちょっと聞いてくるわ」
「いやいやおいらが行くぜ」
「じゃあ、僕が」
「「どうぞどうぞ」」
遠巻きに話されているとはいえ、避けられたりする心配はなさそうだった。
クラス内の雰囲気も、宮子を恐れるようなものではなく、学園の有名人に対する興味や関心の類を強く感じる。
「ちょりっす! 俺らも今朝噂で聞いてマジびっくりっしたっすよ!」
中田響がいつもの明るい調子で話しかけてきて。
「あんたはもう……杉野さん、大丈夫だった? 私達も詳しくは知らないんだけど」
鹿山穂乃香が響を叱りつつも心配そうに宮子へ声をかけて。
「わ、私達も心配してたんです! 何かとんでもない噂ばかりで……」
「拳銃を持ったテロリストを返り討ちにした、拳圧で遠くの敵を吹き飛ばした……あと何があったかしら?」
「微笑んだだけで相手が倒れたとか、日本刀を指一本で止めたとかもあったわね」
早苗優菜が、前原真琴が、大園椿が。友人達が次々と宮子に声を掛けていく。
宮子の無事を喜び、安堵する友人達に宮子も笑顔で話していく。
「もう、噂が自由すぎて訳わかんないことになってるよ」
「だよねえ。有り得なさ過ぎてもう笑えてくる――」
「全部できるけど今回はしてないよ」
『う、うそお!?』
「もちろん嘘」
宮子の言葉に、教室中のクラスメイト達がずっこける。
その様子にクラスメイト達といっしょに笑いながら自分の席に着くと、青木洋介が小声で話しかけてきた。
「大丈夫、だった……?」
「うん。怪我もないし、いつも通りだよ」
「……良かった」
それだけ言って、彼は再び口を閉ざした。
言葉は短くとも身を案じてくれたことに、宮子は感謝の言葉を伝える。
「心配してくれて、ありがとう」
こくり、と。洋介は黙って頷いて、少しだけ微笑んだ。
がらがら、と音がして、教室の扉が開く。いつの間にか、始業の時間になっていたようだ。
「おっし、おまえら席につけー。朝のホームルーム始めるぞー」
担任教師である早野茜が号令を掛けると、起立と礼が素早く済まされて、ホームルームが始まった。
ふと、開いていた窓から風を感じて、宮子は横目で窓の外を見た。
穏やかな春風が吹き、まだ咲き誇っている桜の花びらが遠くで舞い散っている。
初日からの一週間で色々とあったけど、平和で心癒される光景に、ほっと溜め息をつく。
まだまだ新学期は始まったばかり。これからも色々とあるだろうけど頑張っていこうと、宮子は気持ちを切り替えて先生の話に集中することにした。
〇
「ありえない、こんなバットエンドありえない……ありえない、ありえない……」
ぶつぶつと呟く声が、拘置所の独居房の中に小さく響いていた。
栗原綾の声だ。
「ヒロインが刑務所行きとかどんなクソゲーよ……リセットよ、リセットさせなさいよ。ゲームならやり直させなさいよ……」
空虚な瞳で虚空を見つめながら、延々と呟いている。
あれから、どれだけの時間が流れただろう。
数日な気もするし、数ヶ月のような気もする。
確認すればすぐ分かることではあるが、綾の脳内からは既に時間の感覚が消えつつあった。
朝起きて、現実感のない時間を過ごして、気付けば就寝の時間。その繰り返しでしかなかった。
何でも思い通りになるはずのゲームの世界で、こんな扱いを受けるなんて、有り得ない……それが栗原綾の認識であった。
ここに至って尚、綾にとってこの世界はゲームであり、自分こそが主役であった。
頼りにしていた叔父も、頻繁に面会には来ても、綾の期待するように権力で綾を救い出すことはなかった。
叔父は、綾に対して悔い改めて出所する日を待っていると、繰り返し伝えていた。
いつまでも待つ。お前は一人じゃない。罪を受け入れてやり直そう――。
それらは損得で発せられた言葉ではなく、ひたすらに栗原綾を家族として大事に思っての言葉であった。
今回の件で莫大な損害を受けたというのに、叔父は綾の未来を考えて、優しく語りかけていた。
しかし、綾の心には届かない。
どれだけ思いやりに溢れた言葉を投げかけられても、綾にとって叔父は既に『使えない奴』でしかない。
最早頼れるものなど自分だけだ、と見限って、しかし状況を打破する術などなく、延々と自身の揺りかごに閉じこもり、逃避する日々。
「ああ……魔法でも超能力でもいいから、都合よく力に目覚めて華麗に脱出、なんてできたらなあ……」
それは、空想でしかなかった。
栗原綾はこの世界を、自分の大好きだったゲームの世界で信じているからこそ、『この世界に魔法や超能力がない』と知っている。
だから自分を主人公と信じて疑わない栗原綾でも、妄想しているような力に目覚めることなどないと、ただの現実逃避の空想だと、理解していた。
――だが。
「力が、欲しいか?」
牢屋の中に、男の声が響く。
びくり、と栗原綾の身体が震えた。
この部屋は独居房であり、中にいるのは綾一人だけだ。
部屋の中には自分以外誰もいないはず。ましてや男の声が響くことなど、有り得ない。
だが現に声は聞こえた。幻聴の類かとぞっとした綾だったが、声がした背後へ振り返ると。
「力が欲しいか、と聞いたのだ。人の子よ」
美丈夫が、そこにいた。
全身を漆黒の衣服とマントに身を包み、堂々と佇んでいる。
鉄格子付きの窓から差し込む月明かりが、その秀麗な青年の姿を照らしていた。
「禍々しき魂を感じて赴いたが、このように若い小娘であるとはな。
しかし、この幼さにしてこれほど深く濃く、極上のワインの如く成熟された邪気……くくっ、この世界は実に面白いな」
「あ、あんた一体何よ!? それに看守は……」
「貴様以外の人間は眠らせた。いちいち騒がれては面倒なのでな」
さらりと告げるが、それは正に有り得ないことだった。
厳重に監視されているはずの拘置所に誰にも知られず忍び込み、看守を物音ひとつ立てず眠らせるなど、それこそ……。
「この程度、我が魔法に掛かれば児戯に等しい」
「ま、魔法……!?」
そう。それこそ魔法のように。
空想でしかないはずの、この世界に存在しないはずの魔法。
それなのに目の前の男は、当然とばかりにその名を口にした。
「信じられぬか? ならば――」
男が壁に手を向けると、その掌に黒紫の光――黒い光とは矛盾した言葉だが、そうとしか表現できない光が――生成され、壁に放たれる。
頑丈に作られたはずの壁が、凄まじい破砕音と共に破られる。
栗原綾は目の前で起きた超常の光景に、怯えるどころか興奮した様子で男に詰め寄った。
「す、すごい! すごいすごい! あなた本当に魔法が使えるの!?」
「今は力の大半を失い、この程度しかできぬがな。なんとも口惜しいことよ。再起を図るためとはいえ我自ら配下とする者を探さねばならんとは。
しかしこの世界は魔力が薄いな。これでは策を弄さねば、我が器を満たすのにどれほどの時を必要とするか……」
独り言のように呟く男を、綾はじっと見る。
所謂、美形の男であった。
さらさらとしたストレートロングの金髪に、すっきりと引き締まった顎。鋭く細められた目の色は鮮血の如き深紅の瞳。
(きた、きたきたきたー! イケメンとの遭遇イベントきたー!
こんなキャラあのゲームにはいなかったけど、隠しキャラ……? いえ、これだけイケメンなら攻略キャラじゃなくてもいいわ!
訳わかんないけど脱出できそうだし、このチャンスを逃す手はないわね!)
――栗原綾はこれを好機と捉えた。
が、このまま脱走したとあれば、罪はさらに重くなる。今ならまだ、真面目に更生して社会復帰を目指せば、時間はかかっても再び生きていくことはできる。
綾のせいで深い痛手を負って、それでも居場所を用意してくれている叔父もいる。彼女はそれを救いと思い、罪を償うべきであった。
しかし栗原綾の思考に、そのような人生は存在しない。
あるのはただ、目の前の男とこれから始まるであろう物語を夢想して、そこに行き着くための選択肢を選ぶことだけだった。
「あ、あの。あなたのお名前は……?」
問われた言葉に、男は堂々とした振る舞いで答える。
「――魔王。ルシフェル」
その日、栗原綾の姿は拘置所内より姿を消した。
どのような手段を用いたのか不明ではあるが、独居房の壁が破壊されており、栗原綾の姿がなかったことにより、故意に壁を破壊しての脱走と結論付けられた。
看守達は総じて意識不明の状態で発見されており、命に別状はなかったものの、脱走発生時と思われる時刻の記憶は誰も持っていなかった。
さらに他の収容者も意識が途絶えていたらしく、壁の破砕音などの物音も聞いていないと証言している。
監視カメラにも何も映っておらず、まるで魔法のように姿を消した犯罪者に、世間は大いに騒がれることになる。
そして、彼女が再びここに戻ってくることはなかった。
罪を償い、再び社会へ復帰するための施設に。
もう二度と、戻ってくることはなかったのである。
そして、日常の裏で闇が蠢き始める。
そんなわけで第一章エピローグ、でした!
ただの学園物で終わるはずだったこの物語が、バトルロボット物が混ざり、さらには予定よりすごく早く悪役を撃破して……さあ、これからどうなってしまうのでしょうか!?
混迷する世界と宮子達の物語、そして作者の頭の中(待て)を、これからもどうぞよろしくお願いします!




