第1話「始まりは桜吹雪の中で」
杉野宮子は、校門前の桜咲き乱れる並木道の美しさに少し立ち止まって、しばしその風景に浸っていた。
去年の入学式の頃にも堪能した風景ではあるが、一年が巡り再び見た光景はまた格別のものであった。
昨年の思い出が頭を過ぎって行き、新たな年への期待と少しばかりの不安がこみ上げてくる。
宮子の通う聖クリスティナ学園は元々、いわゆるお金持ちのお嬢様やお坊ちゃましか入学できない学園だった。
だが何年か前に現理事長の就任に伴い、大幅な方針変更が行われて、一般家庭の生徒も多く取り入れるになったらしい。
その結果、超が付くほどのお嬢様から、縁側でお茶を啜るのが趣味の庶民まで、幅広い生徒層が集まっている。
現理事長の方針に反発も起こったそうだが、凄まじい経営手腕で学園に多大な利益をもたらしたことで反発勢力を抑え込んだそうだ。
『出生に囚われず、幅広く世界への見聞を深められる学園を作る』というのが理事長のポリシーなのだとか。
宮子はその学園の在り方に強く惹かれて、聖クリスティナ学園を受験したのだ。
宮子は一般家庭の生まれだ。裕福な方ではあるものの、大金持ちでは決してない。
それでも聖クリスティナ学園を選んだのは、母の教えを元に生きてきた自分の価値観とぴたりと合致したからだ。
『周りの色々な人達の話をよく聞いて、学び、そこから自分なりの答えを探しなさい』。
幼い頃からよく聞かされたその母の言葉が、宮子の生き方の指針となっている。
それを言う母親本人は口より先に手が出る性格らしく、さらには母直伝で護身術と称して喧嘩術を叩き込まれたのだが。
とにかく宮子は、周りの人達から学ぶということを率先して行ってきた。
理解できないことがあっても考えて、質問して、自分なりに理解しようと努めることで自身の能力を伸ばしてきたのだ。
色々なことに手を出す分、精通した一芸と言えるものはないが、幅広い事柄を学んできた。
そんな宮子にとって、新生した聖クリスティナ学園の在り方はとても魅力的だった。
お嬢様お坊ちゃま、なんて呼ばれる人達と交流できる経験はこれを逃せば一生ないかもしれない。
その交流からは、今までに学べていないことを学べるかもしれない。
そう考えて入学した学園では、確かに色々なことを学べた。
しかしテーブルマナーやダンスなど、今までに経験のないことも多く、授業についていくのも大変だった。
そのため、あまり交友関係を広げられないまま一年が過ぎた。
(今年は、もっと友達を増やせますように)
桜並木を通り過ぎながら、心の中で宮子は願った。
〇
新しいクラスの発表を確認するため、下駄箱前に設置された大型掲示板を見に行く。
しばらく文字を目で追うと『2-B』と記された枠に自分の名前を見つけた。
「みーやちゃん、おはよー!」
後ろから友達の元気な声が聞こえたかと思うと、背中に勢い良く少女が抱きついてきた。
去年いっしょのクラスだった、高野 由美だ。
活発な少女でクラスのムードメーカーだった彼女は、その機敏に動き回る姿と、しっかり整えてもぴょんと跳ねる癖毛の形が犬の耳みたいに見えて、わんこと渾名を付けられていた。
お嬢様な人達からは最初は煙たがられていたが、持ち前の明るさと細かい気配りでクラスメイト達の蟠りをほぐして、最後にはお嬢様方から「来年もいっしょのクラスになりたいですわ!」と言われる程に良好な関係を築いていた。
彼女の気配りには宮子自身助けられたことが多く、由美は大切な友人として恩を返したいと思っている。
「今年もいっしょのクラスだね、よろしくー!」
「こちらこそ、わんこといっしょだと楽しいよ。よろしく」
「わんわん! なんてねー。……ね、ねえ、また髪の毛はねちゃってる?」
「うん、かなり。ちょっと触らせてね」
一言断りを入れて、懐から取り出した櫛で由美の髪を梳く。
ひとまずは大丈夫かな、と思えるくらいに整え終えた頃に、別の友達の声が聞こえてきた。
「ごきげんよう。今日も仲がよいですわね」
「ごきげんよう、真理冶さん」
件の、最初は由美を煙たがっていたお嬢様の一人である新條真理冶。
綺麗なブロンドのロールヘアーと、いつも手元にある扇が特徴的な少女だ。
彼女はいわゆる大金持ちのお嬢様で、去年出会ったばかりの頃は「これだから庶民は!」が口癖のように思えるほど、ことある毎に由美や宮子、他のクラスメイト達を馬鹿にした態度を取っていた。
だがそうやって周囲に敵を作り続けたことで困難に陥った真理冶を、宮子と由美が協力して助けたことがきっかけで徐々に真理冶の態度が改善されて、今では仲の良い友人として交流を深めている。
「わたくしは……あら、同じクラスですわね。今年もよろしくお願いしますわ」
「まーちゃん、今年もよろしくだよー!」
そう言って真理冶に抱きつく由美。
「こ、こら。まったく、はしたないですわよ。同じクラスになっただけではないですか」
「私は、二人と同じクラスになれてうれしいよ。今年もよろしくね」
二人で抱きついては迷惑だろうと、代わりに握手を求める宮子。
由美に抱きつかれたまま手を伸ばして、真理冶はその握手に応じた。
「ま、まあ。よろしくてよ。今後とも良いお付き合いをしましょう」
そっけない感じで答えつつも、頬が緩んでいる真理冶。
真理冶が内心『よっしゃあー』とガッツポーズをするくらい喜んでいることは真理冶の秘密である。
そして本人は隠しているつもりでも喜んでいるのがばればれなことは真理冶には秘密である。
さらに『由美がわんこなら、真理冶は照れ隠ししているつもりで尻尾をぶんぶん振ってる猫かな。にゃんにゃん』なんてクラスメイト達に思われているのは本人には絶対に秘密なのである。
特に真理冶をにゃんにゃんと最初に称したのが宮子であることはばれたらとってもまずいのである。悪気はなかったのである。
「さて、じゃあまずは教室に行かなきゃね」
「今年から2階だから、ちょっと楽だねー」
「わたくしとしては、最上階のままの方が気分がよかったのですけどね」
他に去年と同じクラスメイトはいなかったので、3人でいっしょに教室へ向かうことにした。
〇
教室には今年からクラスメイトとなる生徒達が集まっており、先生が来るまでの空白の時間に談笑が行われていた。
宮子達のように去年までのクラスメイト同士での少人数でのグループを組む者が多いが、段々と他グループとの交流も始まりつつある。
一年間、聖クリスティナ学園の雰囲気に触れてきたためか、金持ちだから庶民だからといがみ合うような場面は見られない。
内心で快く思わない人物もいるかもしれないが、表立って差別を行うような人物は見当たらなかった。
由美は他のクラスにも友達がいたようで、すぐに打ち解けていった。
自分達以外と生徒と楽しそうに会話する由美を見て、真理冶が少し寂しそうな様子になったのを察して、宮子は真理冶といっしょに他のクラスメイトと交流して過ごした。
由美のようにあっという間に打ち解けれるほどのコミュニケーション能力は持ち合わせていないが、概ね好感触を得られたと思う。
そうこうしているうちに由美も他の生徒達の輪から帰ってきた。
「いやー、今年のクラスは賑やかでいい感じですなー」
「去年と比べると、学園に慣れたからかみんなの雰囲気が明るいよね」
「そうですわね。皆様リラックスされているようで何よりですわ」
しばらく3人で話しているうちに、担任の先生が来る予定時刻になった。
がらり、と教室の扉が開いて入ってきたのは女性教師。彼女が今年の担任のようだ。
「おっし、みんな集まってるなー。席は……まあどうせすぐ新学期の挨拶で体育館に行くから、着席はあとでいいか。
今からさくっと自己紹介してくぞー。まずあたしは早野茜だ、今年一年よろしくなー」
随分フランクな先生だ。不真面目な態度とも取れるが、するべきことを手際よくこなそうとしている様子で、段取りに慣れているようだ。
今も、談笑で盛り上がっている生徒達に会話を止めさせて席順を決めて着席させるよりも、明るい雰囲気を維持したまま自己紹介を終わらせて体育館への移動を済ませようとしているらしい。
「ああ、視力の弱い奴は自己紹介の時に遠慮せず言ってくれよー。前の席になるよう割り振るからなー」
(なるほど、一度決めてから席を交代させるんじゃなくて、先にある程度決めておくのか)
視力が弱くて後ろの席からは黒板の文字が読めない生徒がいた場合、その生徒が気弱だと席の交代を言い出しづらいということがあり得る。
特にこの学園では、緩和されているとはいえお金持ちの家同士の格などの問題で接しづらいという場面もあるかもしれない。
そういう問題を解決するために、教師側から調整を行うのだろう。
(やっぱりこの先生、経験豊富でしっかりしてるんだな。去年の先生はいまいち自信なさそうだったし)
去年のクラス担任の先生は、正直言って少し頼りなかった。
スケジュール通りに生徒を動かそうとするあまり、生徒間への気配りが行き届いていなかったと思う。
とはいえ問題行動があったわけではないし、別に免職になるようなトラブルもなかったけど。
「んじゃ教室の左端前側から、適当に自己紹介開始なー、はいそこのイケメン君、トップバッターよろしく」
「僕は後からがいいかなあ」
「イケメンかー。なら俺からだな」
「いやいや、ここはおいらだろ」
「……じゃあ、僕からやるよ」
「「どうぞどうぞ」」
「お前らが仲良し3人組なのは分かったから、てきぱきやっとくれー」
先生の手際の良さとクラス全体の明るい雰囲気のおかげで自己紹介の時間も賑やかに過ぎていった。
テンション高くボケを狙う人もいれば、恥ずかしそうに照れ笑いしながら話す人もいて、人によってそれぞれではあるけど。
このクラスで過ごす一年は楽しくなりそうだな、と宮子は嬉しく思った。
「……青木洋介、よろしく」
ちょっと暗い雰囲気の男子もいたけど、まあそういう人もいるよね、と宮子は特に気にしなかった。
〇
皆の自己紹介が終わり、体育館へと移動する。
新学期に向けた挨拶が理事長と、生徒代表として生徒会長から行われるのが通例だ。
まずは理事長の挨拶からだ。
「皆様、新学期おめでとうございます。
昨年は皆様にとって、どのような一年となったでしょうか。
生徒間での価値観の相違、能力の差、時にはトラブルなどもあったでしょうか。
大いに壁に、困難に、思い切ってぶつかりなさい。学生とはそうやって、己を磨くことが本分です。
無論、他人を徒に傷つけるような悪行は論外ですけどね。
……さて、あまり長話をするのもなんですし、このくらいにしておきましょう。皆様、新学期も励んでください」
理事長、久木野那岐。
その経営手腕と固定概念に囚われない発想により、聖クリスティナ学園に大改革を行うと共に、反発を押しのける程の利益を出すという結果を残す。
噂では様々なコネクションを活用して、学園のさらなる発展と共に別の学園への支援も検討しているのだとか。
そんなすごい人なのに偉ぶった様子もなく、生徒達への分け隔てない対応を行うことで人気が高い。
特に女子生徒達には、その端正な顔立ちもあり絶大な人気を誇る。
(私の場合は、尊敬の想いの方が強いかな)
理事長のポリシーと、それを綺麗ごとと嗤われてもやり遂げて結果を残した実力。
そして周囲の意見を切り捨てず受け入れて、組み合わせることで有用なものを生み出す頭の柔らかさ。
宮子は理事長の在り方に、自分の目指したい生き方のひとつの完成系を見ているような気持ちを抱いていた。
理事長ほど立派にはなれずとも、あのように人に慕われる人物でありたいと強く思うのだ。
次に壇上に上がったのは、新生徒会長の望月高志。
宮子達と同じ2年生でありながら生徒会長になるくらい、行動力と人気のある好青年だ。
生徒会に入る前から、生徒間の揉め事などを止めるなどの活躍をしていた。その功績が認められて、1年生の後期には生徒会へスカウトされて書記に。
いつも微笑み、柔らかい態度でありながら毅然と学園の問題解決に尽力していた。そして新学期からの生徒会長に抜擢されたのだ。
「皆様、ご清聴に感謝します。新生徒会会長、望月高志です。
若輩者ではありますが、皆様とより良い学園生活を過ごせるよう努めますので、どうぞよろしくお願いします」
ぱちぱちぱち、と盛大な拍手が送られる。
高志もまた女子生徒への人気が高い。
誰にでも優しく接して、問題を起こした生徒へも根気良く説得を行い、間違いを正すように諭す。
それでも態度を改めないようなら毅然と立ち向かい、問題児による被害から他の生徒を守ろうとする。
彼に助けられた生徒達はとても多く、彼を慕う人達による親衛隊なるグループまでできているらしい。
その後もしばらく式は続いていったが、やがて終わりがくる。
「――これにて新学期の挨拶を終わります。皆様、各自の教室へお戻りください」
アナウンスと共に担任の先生達による誘導が始まり、宮子達も順番に教室へ戻り始めた。
桜咲き乱れる季節、期待と少しばかりの不安を胸に、新しい日々が始まる。