第四話 【改稿版】
お金持ちの変態おじさんに拉致された女子高生がお城で監禁生活をする話、第4話です。完結にあたって見直してみたらシリーズ前半部分をテコいれする必要を感じ、このたび大幅に加筆修正しました。この第四話は新たに書き下ろしたエピソードとなります。
その夜、事件は起きたのだった。
美濃部があくまで私を家族として扱うつもりならば、差し当たり身の危険はないと判断してもよいのかもしれない。
そんな私の思惑を揺るがす出来事の果てに、まさかあんな事態が待ち受けているなんて。
――どうか、夏姫様ご自身ためにも向こう見ずな行動はご自戒ください。
夕食後、浴室で一日の汚れを洗い流した私は、バラの花びらがプカプカ浮かぶ浴槽で柔らかい香気に足を伸ばしながら、先ほどの紺子さんのセリフを反芻していた。
脱出を画策しても徒労に終わるどころか、露見すればただでは済まない。美濃部の性格を考え合わせれば、著しく自由の制限された環境下に置かれてしまうことは必至だし、私の身に怒りの矛先が向かわないともかぎらない、と彼女は言ったのだ。
紺子さんは私心抜きに私の身を案じているように感じる。あの神妙な態度が演技だとは思えないし、私の監督役である彼女がそうするだけの理由もないと思う。それに恐ろしい美濃部とは違って、彼女のことは嫌いじゃない。いざとなったら私を守ってくれるとまでは思わないけれど、彼女の言葉なら信じてもいい。そう思った。
でもそれを信じて受け入れるということは、自力脱出を諦めるということだ。果たしてそれでいいのか。他力脱出の目があるうちはそれもありもしれないけれど、その望みは薄いように思えてならない。
たとえ捜索届を提出しても緊急を要するものでないかぎり、警察は積極的な捜索は行わないと聞いたことがある。失踪当日は未成年の家出が急増する夏休みの初日であることに加え、両親の離婚、母娘の確執という家出少女にはおあつらえ向きの背景から事件性低しと判断されてしまう恐れがあるし、仮に捜してもらえたとしても、拉致現場の人目のなさや実行グループの手際の良さなどから目撃証言や遺留品が望みにくい以上、私とまったく接点のなかった美濃部の別荘にまで捜査が及ぶものか疑わしい。
かといって自力脱出の目は先ほど懇切丁寧に潰されたばかりだった。今も考えつくかぎりの方策を並べ立ててはいるものの、どれもこれも分厚いセキュリティの前に弾かれてしまう。
うーん、どうしよう。どうしたらいい。どうしたら――
思考はいつしかただの悩みへ、無意味な言葉のループへと変わり、そして――
「おほほ、良いお湯ですこと。疲れたお身体に染みわたりますわ」
現実逃避のはじまりである。人間とはかくも弱きものよ。
だって習い事と会食で疲労困憊のところに持ってきて、このお風呂でしょ。そりゃあ解放感から一瞬、我を忘れたりもするって!
などと目に見えない誰かさんに言い訳を述べながら、私はゆるりと浴槽の湯をすくって肩にかける。白々と立ちこめる湯気のなか、バラの花弁が肌の上をさらさらと滑り落ちていく。心なしか湯質まで上等になったように感じるから不思議なものだ。
寝室の手狭なバスルームじゃなくて、一階の浴室にしたのは正解だったな、私がそう確信したとき。
――がらり、と背後のガラス戸がスライドされる。
紺子さんが入ってきたのかと思った。なぜって私の入浴時間枠はあらかじめ定められており、その間、他の従業員は入浴できない決まりとなっていたからだ。今の時間に誰か入ってくるとしたら担当執事の紺子さん以外考えられない。きっと私に気を利かせて、何か運んできてくれたのだろう。冷たい飲み物でも用意してくれたら嬉しいな、と私が期待を込めて振り返ると――
ぬうっと。
何やら、黒くて禍々しいモノが目の前に差し出された。
…………。
初めは小首を傾げ、次いで目をすがめ、次第に顔を引きつらせ、しまいには、
「ぎょあああぁぁあああぁぁあぁぁああぁぁぁあああぁあぁあああ!」
火を噴くような私の悲鳴が浴室の壁にこだました。
なぜなら、なぜなら、私の視線の先には――
「ぬおっ!? 急に大声を張り上げるでない。首を絞められた鶏か君は」
耳を塞いで突っ立っている裸の――全裸の美濃部の姿があったからだ。
なんで!? なんでなんでなんで――なんで美濃部がここにいるわけ!?
私の入浴時間内だって注意書き見てなかったの!? 見たから入ってきたの!? 変態なの!?
うわ、うわわ、全裸で誇らしげに腰に手なんて当てないでよ!
隠せ! 前、隠せってば! あ~こっち見るなあ!
私は浴槽の縁にあるタオルであたふたと身体を隠すと、湯に浮かぶバラの花びらを引っ掴んで美濃部に投げつける。続けざまに。
「お父様のエッチ! ヘンタイ! なんで娘の入浴中に入ってくるんですかっ! 今すぐ出ていってください!」
辛うじて自分の立場を弁えているのが、せめてもの自制心だった。
美濃部は花びらの雨あられを受けるがままになりながら、心底不思議なものでも見るように首をひねる。
「何を言っておるのだ、夏姫。仲の良い父娘ならば裸の付き合いなど当然ではないか」
わはは何を恥じることがある、と仁王立ちで胸を張る美濃部。
いえそれは小さい頃の話でしょう、と切り返そうとしたが、彼があまりにけろりと言うものだから、なんだかこちらまで拍子抜けしてしまう。昨夜も紺子さんが冗談めかして言ってはいたけれど、ひょっとするとおかしいのは私の方なのか? 表沙汰にならないだけで、世間ではいい年こいた父娘がお風呂で裸の付き合いをしたり、セッ●スしたりするのが普通のことなのだろうか。いや、いやいやいやそんなわけがない! 雰囲気に流されるな夏姫! そもそも私と彼とは赤の他人で――
「久しぶりに我が娘に背中を流されに来てやったのだ。ほら、早くこちらに来なさい」
全身花びらまみれで貼り絵細工みたいになった美濃部が、鏡の前でシャワーヘッドを持って手招きしている。やおら風呂椅子に腰掛けると、鼻歌なんぞを口ずさみながら、上機嫌に湯を浴びている。
「夏姫よ。いつまで待たせるつもりだ」
こちらに背中を向けたまま、二人ぶん用意した風呂椅子を催促するようにこんこんと叩く。
「のぼせておるなら湯船から上がるのを手伝ってやるぞ」
「いえ……ただいま参ります」
放っておけば今すぐにでも浴槽から引っぱり出されそうな雰囲気に呑まれて、私はしぶしぶ承諾してしまう。ああ……またこの流れか。ペースを乱され混乱する私に畳みかけ、なし崩し的に己の主張を通してしまう。冷静さを失った私の方に問題があるのかもしれないけれど、最初から一貫して主導権を握られているというのが腹立たしかった。だいたい『久しぶり』ってなにボケているのさ。あんたとの裸の付き合いなんて後にも先にもこれっきりなんだから!
私はタオルで身体を隠しながら、おそるおそる美濃部に近寄ると、背中越しに声をかけた。
「それではお背中をお流しいたしますわ。その間は決して後ろを振り向かれないようお願い申し上げます」
「わははまるで鶴の恩返しだな」
「さようでございます。姿を見られたが最期、私は浴室から飛び立たねばなりません。くれぐれもご注意を」
だから絶対に見るなよ、いいな。
「では――失礼いたします」
大理石の風呂椅子の腰掛けると、目の前に肌色の絶壁が広がる。
ごくり……。
広い。厚い。あちこち角ばってる。肌きれい。
この年代の人ってもっとたるみまくってるのかと思ったけれど、ずいぶんと若々しい体つきだ。シミや吹き出物もほとんどない。
そういえば男の人の裸をこんな近くでまじまじと見るなんていつ以来だろう。やば、なんかドキドキしてきた……。
おいおい、相手はあの変態ストーカーおやじだぞ? との内なる非難も、まあいいやと一蹴する。背中には罪はないのだ。私はワンプッシュしたボディーソープでタオルを泡立てながら、美濃部の背中をまじまじと観察する。
「ずいぶんとたくましいお背中ですね。お父様は何かスポーツでも嗜まれておられるのですか」
よく泡立てたタオルで背中をこすりつつ、尋ねてみる。
「山登りが趣味でな。学生時代は山岳部だったこともある」
「まあ。素敵ですこと。私は登山といっても遠足や林間学校でしか経験がありませんけれども、興味はございますわ。お父様の想い出話、よろしければお聞かせください」
「うむ、そうだな。あれは大学三年の時分、二泊三日で北アルプスの某山に登ったときのことだったのだが、見通しの悪いやぶ道の曲がり角で出会いがしらに熊が――」
以下、興奮して襲い掛かる熊をいかに退けたかを語りだす美濃部。熱のこもった声で時折アクションを交えながら、機嫌よく話に没頭している。愛娘に若かりし頃の武勇伝を披露するのが嬉しくて仕方がないと言った様子だ。私としても気品あるお嬢様を演じ続けるのには骨が折れる。彼が自分語りに夢中になってくれれば興味深げに相づちを打つだけで済むため、多少気が楽だった。それにしても、こうしているときの彼はただの気のいい老紳士(全裸だけど)で、道で行き会った女の子を数年間ストーキングした末、拉致監禁行為にまで及んでしまうような危険人物にはとても見えない。
私が話の内容よりもむしろ背中洗いの作業に魅了されはじめたとき、美濃部の肩に傷跡があることに気がついた。ケロイド状の古傷が一筋、肩から胸のあたりまで刻まれている。何か鋭利な器物との接触で切れたような、かなり深々とした傷で見るからに痛そうだ。登山の最中に負傷したものだろうか。美濃部の話が一区切りついたところで、なんの気なしに尋ねてみる。
「ところでお父様、このお肩の傷もクマさんとの決闘で負傷されたものでしょうか?」
一瞬、鏡に映る美濃部の表情が凍りついたように見えた――が、気のせいだったようだ。彼はすぐまたもとの上機嫌な顔を取り戻し、
「ふはは、そのようなものだ。猛獣の奇襲に防戦一方だったが、最後には肉を切らせて骨を断つ! の精神で一矢報いてやったのだ。名誉の負傷と呼ぶがよい」
「あらあら、まあまあ」
それにしては傷跡が綺麗すぎるような気もするけれど……まあ、いいか。と軽く受け流そうとしたら、
「ところで夏姫。背中が済んだら今度は前の方も洗ってはくれぬか?」
聞き捨てならないことを言いだした。
「夕刻、夏姫がテニスに励んでいる姿を逐一カメラに収めていたら、たいそう汗をかいてしまってな。湯船に浸かる前にしっかりと洗い流したいのだ」
――へ?
「ええと……お父様? ベランダにはお姿がお見えになりませんでしたが、どこからご覧になられていたのですか? それに撮影って……」
「気づかなくとも無理はあるまい。数十メートル手前の物陰から望遠レンズで撮影していたからな。やはり撮影対象に意識されてしまうと、よりよい写真が撮れぬのでなわはは」
「…………」
「今思い返してもゾクゾクするわ。翻ったスカートから覗くアンダースコートと、うっすら肉のついた太ももとのコンビネーションといったら、なんと芸術的なことか……! 三テラバイトのハードディスクいっぱいにこれまで撮り溜めた夏姫の写真と動画が保存されているから、今度見せてあげよう」
……すっかり忘れていたよ。こいつが私に数年間存在を悟らせないほどのストーカーだってことを。
「それはそうと、早く前を洗うがよい」
「でも……」
いつの間にかお願いは命令へとクラスチェンジしていた。私がもたもたしているのが気にくわないのか、少々いらだちの含まれた声で美濃部は言う。
「わかったわかった、では先に君の体を洗ってやろうぞ。父としてはテニスウェアの下がどれほど成長したのかも気になるところでな」
やばい、変に渋っていたら事態が悪化してしまった……!
美濃部は今にも椅子から腰を上げて、こちらを振り向きそうな勢いだ。あの太い腕で無理矢理タオルを剥がされ、ねちねちと身体じゅうをまさぐられるのを想像してぞっとする。それならまだ――
「やはりお体を洗わせてください!」
という言葉が喉まで出かかったが、ぐっと堪えた。これでは結局また美濃部のペースに乗せられてしまうことになる。かといって露骨に拒否するのも怖い。ならば――
「あの……恐れ入りますが、どちらのご提案もお受けしかねます」
「む、なぜだ?」
「私は機織りをする鶴ですので、人様に姿を見られるわけにはいかないからです。それがたとえお父様であっても」
「ぬう、その設定はまだ続いておるのか。では僕が目隠しをするから、その間に体を洗ってもらうことにしよう。これならば姿を見ずに済むぞ」
ぐぬぬ……ああいえばこういう。そこまでして私に前を見せびらかしたいのか、このド変態が! だったらお望みどおりにしてやろうじゃない!
「承知いたしました、お父様。それでは準備をいたしますので、私が合図をするまでしばしお目をつむっていただけますか?」
「うむ、こうか?」
美濃部のまぶたが閉じられるのを確認すると、私はすぐさま脱衣所に取って返した。未使用のタオルを数枚と、洗面台の背もたれつきの椅子、さらに用具庫からも目当ての品を拝借する。それらを抱えて浴室に引き返し、美濃部が律儀に目をつむっていることを確かめると、私はにやりと口の端を上げた。
「ではタオルにて目隠しをさせていただきます。……はい、もうお目を開けてもよろしいですよ」
「ぬう、ようやく目を開けるかと思えば……何も見えん! 夏姫はどこだ!?」
目隠ししろと言いだしたのはあんただが。
「こちらにおりますよ、お父様。夏姫は貴方のすぐ後ろに控えておりますのでご安心ください」
くんかくんか。小鼻をひくつかせる美濃部はハッとしたように、
「うむ、確かに! すぐ後ろから夏姫の肌の匂いがするぞ!」
「さてお父様、そのままの格好で一度お立ちいただけますか?」
私は立ち上がった美濃部の膝裏に背もたれつきの椅子をくっつけると、そのまま腰を下ろすように指示を出した。
「次にお体を洗いやすいようお両手を背もたれの後ろで組み合わせ、おみ足は踵同士を合わせてくださるようお願いいたします。……はい。はいそうです。姿勢が崩れないよう、お両手足はこちらで措置させていただきますね」
「ううむ、体を洗う準備にしてはずいぶんと仰々しくはないか、夏姫よ」
「お気になさらずに。すべて必要な措置ですわ。……では最後に、お口を開けてくださいますか?」
「こうか――ふがっ!?」
私は美濃部の大口に丸めたタオルを押し込んだ。
「ご協力ありがとう存じます。すべての準備は完了いたしましたので、これよりお体の洗浄に並行して特別マッサージをさせていただきます。少々くすぐったいかもしれませんが、お体の疲れをお癒しするためですので、どうかご辛抱願います」
さぞかし凄絶な笑みを浮かべているであろう私の目の前には。目隠しをされ、両手両足を椅子に縛り付けられ、猿轡をされた全裸の美濃部の姿があった。昨日の意趣返しに少なからず溜飲を下げた私は、目が汚れないよう、黒くて禍々しいそれをそっとタオルを覆う。
「――ではお父様、失礼いたします」
美濃部の胸板は北アルプスにそびえ立つ岩稜のようにごつごつしている。背中ほどではないにしても、なかなかに悪くない。悪くないのだが。
私は金たわしを握りしめ、そのちくちくとした刺激ににいっと笑うと、浴室の照明に鈍くギラつくそれを、
「えいや!」
思い切り胸板に食い込ませた。
「もごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
猿轡にこもった悲鳴が湯気のなか反響する。私はそれを無視して、登山家が岩稜を登り降りするように、ゴシゴシと力いっぱい磨きはじめる。
「えい! えい!」
「もがっ! もがもががっ!」
「てい! てい!」
「ふごご! ふごっふごっ!」
「えいや! ていや!」
「ごももっ! ごもごもっ!」
うっひゃー! 愉しい! 愉しい愉しい愉しいすっごく愉しい!
私は身体に巻きつけたタオルがはだけ落ちるのにも構わず、美濃部の胸を腹を太ももを夢中でこすり、こすり、こすり倒し、
「――いったい、何をされておられるのですか?」
はたと振り向くと、紺子さんが冷たい目でこちらを見ていた。
まるで身内の変態趣味を目撃してしまったときのように顔を引きつらせながら。
それもむべなるかな。私たちは互いに全裸で、目隠しと猿口輪をされ椅子に縛り付けられた美濃部はピクピク痙攣しながら真っ赤な上半身を晒しているし、私は私で金たわしを握りしめたまま笑顔で固まっている。もはやどこからどう見ても――
「なにやら大きな声がすると思えば……」
「いや――あの、これはマッサージですから、ね?」
「お楽しみのところ失礼いたしました。それではどうぞお続けになってくださいませ」
――がらり。
「うわわ! 違う! 違うんです、紺子さーん!」
あとで知ったことだが、このとき美濃部は失神しており、浴室での記憶は曖昧なままなのだそうだ。
私にとっては言うまでもなく――黒歴史の一ページである。