4 ―逃避―
8.26-193.55+74.28=
29×216×7=
3827÷163=
5/6+34/27=
……
ホワイトボードに数式が並んでいく。
「これを解いてみてください」
言って、まさおはペンをホワイトボードの前に置いた。
「いいけど、あんた誰?」
席を立ち、ペンを取りつつ天才作者が問う。
「誰って、ずっと博士たちと一緒にいたじゃないですか!」
「あ、お手伝いの人だ」
「せめて助手って言ってください」
「平凡助手?」
「ジョシュと同じ括りにしないで下さいっ。平凡ですけど!」
「分かった分かった。じゃあ、ヘイボンって呼べばいいな?」
「嫌ですよ! 僕はまさおです! よろしくお願いします!」
「……ヘイボンの方が良くない?」
「どういう意味ですか!?」
「でも、俺なんて天才作者だよ?」
「そ、それは……ともかく、問題をお願いします」
真っ赤に染まった顔の汗を手の甲で拭いつつ、ホワイトボードを指し示すまさお。
天才作者は、筆算しながらスムーズに解答を記していく。まさおは慌ててストップウォッチを動かした。
「合ってる?」
「合ってますよ。速度はまあまあですね」
天才作者が憮然とした表情をする。
「本当に天才になったか確かめるテストだよな?」
「その一環です。今後しばらくは生活そのものがテストみたいなものですから」
まさおが数式と天才作者の走り書きを全て消していく。
天才作者は呟いた。
「面倒臭いなあ」
ホワイトボードに、xの交じった数式が並んでいく。
「天才作者さん、学校で方程式は習いましたよね?」
「そういえば、れみは?」
「ジョシュの散歩に行きましたけど、方程式って分かりますか?」
「あれー、博士は?」
「表の研究で出掛けてますけど、数学苦手なんですか?」
「知らん!」
天才作者が言い放ち、部屋の隅へとペンを投げ棄てる。
ペンを拾って戻ると、まさおは天才作者を睨んでから、ホワイトボードに簡単な方程式を書き足した。
「x-1=0なら、x=1。こういう問題です。お願いします」
言って、ペンを差し出す。渋々受け取る天才作者。まさおが再びストップウォッチを手にする。
一次方程式を考えながら解いていき、二次方程式に差し掛かったところで、天才作者の手が止まった。
「うーん……」
ペンを宙に留めたまま、沈思黙考する。目蓋を閉じ、唸る。
「うっ、うう……」
額に皺を浮かべ、頭に手をやる。
まさおがそっと、天才作者の背に手を掛ける。
「無理なら、別にそこまで――」
「うああっ!」
まさおの腕を振り払い、天才作者は咆哮した。開いた双眸は酷く血走っていた。
「うぉおおおお! ヘイボンがあああーっ!!」
「なぜ僕ぅ!?」
その名を認めてしまっていることにも気付かずまさおが呻く。
天才作者の手が、再び動き出した。凄まじい速さで。
「くぁああっ!」
細かい文字の羅列で空いた所を埋め尽くしていく。方程式など無視して。
ホワイトボードが真っ黒になると、そのままの勢いで白い壁に文字がはみ出していく。まさおが慌ててコピー用紙を差し出すと、天才作者はペンを持ち直すこともなくその用紙に書いていった。
天才作者がペンを置く。
「はあ……」
深く息をつく。まさおがグラスを差し出すと、天才作者は水を一気に飲み干した。
「妄想、ですか?」
「ああ」
まさおが床一面に散らばったコピー用紙を拾い集めると、数十枚の束になった。
「す、すごい……」
ホワイトボードから読み始め、用紙を3枚ほどめくった所で、まさおは読むのをやめた。
「ちょっと書いてみたんだけど、どうかな?」
天才作者が問いかける。
「これ以上読んだら頭がおかしくなりそうです」
「そうか……」
まさおの答えに、天才作者は小さく笑みを浮かべた。
「湧き上がる妄想。書けばそれを表現できる。常軌を逸してることは自分でも分かる。それだけに……これは金になるかもしれない」
「はい?」
「ヘイボン。博士に伝えてくれ」
言って、まさおの肩に手を置く。まさおには反論する余裕もない。
「俺には、難問を解くだの人類の可能性を示すだの、そんなことはできそうもない。こんな所にいても俺の衝動を処理することはできない。悪いが、俺は出ていく」
「ええっ!? とにかく、まずは博士にお話を」
まさおが声を荒げる。しかし、天才作者は頭を振って、彼に背を向けた。
「感謝はしてるよ。博士が金貸しに払ってくれたお金も、いつか必ず返しに来るから」
研究室の扉を開け、廊下に出ていく。
「待ってください!」
まさおが追うと、天才作者は走り出した。
「じゃ」
天才作者はドアを開け、外へ駈け出した。
まさおはコピー用紙を踏んで転び、光の中へ消えていく天才作者の後姿を蒼ざめた顔で見送った。
「どうしよう……」
こぐまです。
……はうっ、集中して書いてたらいつの間にか限界に!
というわけで私はトイレに行って参ります!
ますますもって亀の更新ですが、読んで笑っていただければ幸いです。