「元英雄の末路」その2
「元英雄の末路」の続きです
寂れた廃墟。窓は割れ、屋根には穴が空き、外壁の八割は崩れている。もはや、住居としてその役割を果たすことはできないだろう空間。そこに、二つの影があった。
「……ここ、は」
その内の一つは長身の男の影。彼の名は御剣天也、かつて英雄と呼ばれた軍人。彼が起きてからまず最初に思ったことは、非常に大きな疑問である。
……俺は何故生きている?
そう、彼はこの崩壊しかけている星を救うと言われている者を逃がす為に囮となり、そして一際強力なフェアリーに叩きのめされた筈。
そうして彼が思考の渦に囚われそうになった時、その背後から聞き慣れない女性の声が聴こえ、彼の意識が表面に戻ってきた。
「あら、ようやっと起きたみたいね。
あんまり起きないようだから、治療が手遅れだったのかと心配していたところよ」
天也が振り向いた先に居たのは、一人の女性。いや、おそらくは少女と呼ぶのが正しいであろう人物がいた。驚くほど白く綺麗な肌と透き通るようなその白髪。そして、紅く澄んだその両目。
ああ、こんな綺麗な人も世界中捜せば一人くらいは居るもんなんだな。
そんな呑気なことを考えながら、とりあえず彼女に礼を言う。この少女が何者であるかはわからないが、あのままだといずれにせよ今頃ここに生きていることもなく、あの場所でとうに死に果てていただろう。そのことについては彼女に感謝しても仕切れない。だが、そこに混じる違和感。一体、この少女は何者だ? 長年の経験からわかるが、この少女は見れば見るほど異常だ。普通の人間ではありえないまでに安定している重心。俺から見ても限りなく完璧に近い身のこなし。そして決定的なのが、あの感情の著しく欠落した顔。少しでも感情を表そうてしているのだろうか、自ら積極的に話し掛けてはいるが、効果はあまり無いようだ。能力を手に入れ異常なまでに高揚していたあの時や、まだ意識に靄がかかっていたような先程までとは違い、今の頭は冴え渡っている。そして、その頭が叩き出した答えはただ一つ。彼女は人間ではない(・・・・・・・・・)。であれば、彼女は一体何者なのか。その正体は、人の手によって造りだされた超越者。天より生まれた完全なる生物。そう、フェアリーである。
――――その答えに至った瞬間。彼は、思わず跳びはねるように今まで寝ていたベッドから離れ、そして身構えていた。
「……何故助けた」
軋む身体を抑え、武器を構える。天剣『楽土切裂魔之剣』。別名、アルセオルタ。御剣家に代々伝わるこの天剣は古代に実在していたと言われる神話、『セイネリア神話』。その中に登場する国内最強の剣士の使用していた剣。そのレプリカであるとされているこの剣は、御剣家だけでなくもはや世界遺産並の国宝であり、その為今回の大戦で使用されるまで一度も振るわれたことはなかったと言われている。
「……何故って」
彼女はわけがわからないといった風に天也を見つめる。その顔に悪意は一つも見えず、ただ善意のみが見える。おそらくは、真実その通りなのであろう。
その事実に苛立つ。
「お前はフェアリーだろう?」
お前になんて救われたくなかった。俺は、別にあのまま死んでもよかったんだ。
手元の剣を構え直す。もはや剣の強さなど関係無い。なまくらでも何でもいい、とにかく構えることによって自らを落ち着かせようとする。平生の彼が今の自分を見たのならば、こう言っていたであろう。なんて不様、愚かにも程があるだろう。
「私は人間が好きだ。……それに、貴方にも家族がいるでしょう?」
「家族なんてものは俺にはもういない。父は革命戦争で死に、母と妹はお前らフェアリーに殺された。
此処で俺が死んでも、悲しむ人は誰もいないのさ」
そう呟く彼の顔は、後悔に満ちていた。
自分のせいだ。父さんも、母さんも、星那も。自分がもっと強ければ、誰一人として死なずにすんだ。俺がもっと頑張っていれば……!
実際問題、天也がいくら強かったとしても、彼等を死から救うことは不可能なことであった。だが、それに半ば気づいていながらも、彼の後悔は止まることはない。これは彼自身も気づいていないことだが、彼の異常なまでのフェアリーへの憎悪、拒絶感。それらは、天也がこの事実から逃げる為に――――この事実を目の当たりしたのなら、彼はきっと壊れてしまうから――――無意識の内に作り出した心の防壁であったのである。
「…………」
俯く少女。相変わらずの表情の欠けた顔に、悲しみの色が微かに浮かぶ。
だが、そんな相手の感情の動きなど関係ないとばかりに、なおも天也の言葉は続こうとする。
「もう充分だろ? 俺の目の前から去れ」
それは拒絶。明確に、強い意志をもって。天也は目の前の少女を拒絶した。
だが、それに対する少女の返答はあまりにも予想外で。
「……なら」
その表情は何か大事なことを決心したようで。
「なら?」
「なら、私が貴方の家族となろう。いつまでも貴方の傍にいて、……貴方のことを覚えていよう」
そうしてその言葉は紡がれた。
その言葉はあまりにも衝撃的で。思わず泣きたくなって。けれど、寸前でそれを思い留まり。何とか苦し紛れに言葉を吐いたけれど。
「……正気か? 俺はフェアリーのことが嫌いだ、いつお前を殺すかわからないんだぞ?」
けれど、どうやらそれは見透かされていたらしく。張っていた虚勢は、続く一言で完全に溶けきった。
「貴方はそんなことをする人じゃ無い、そんな気がするんだ」
その言い放つ目は、こちらを完全に信頼しているようで。天也にとって、もう耐えることは不可能だった。
「……お前馬鹿だろ?」
その言葉にも力を入れることはできず。
「馬鹿でも何でも良い、それで貴方を助けれたなら」
もう、泣いてもいいよな? 俺はもう、休んでもいいよな?
その言葉を聞いた途端、天也の目から一粒の涙が落ちた。それはとても静かに、しかししっかりと彼の頬を濡らす。そのことを感じながら、天也は少女の腰を抱き留め、そのまま深い眠りへと落ちていく。その寝顔は、安心しきった幸せそうな顔だった。