魔王見習い様とお祭り騒ぎなお菓子の家。(1)
猫人のカーターを交え、三人となった千尋の一行は、未だにこの可笑しな空間に居た。 とはいっても何とか出口を見つけようとしているのはクィエル一人であり、リビングでソファに寝転がっているカーターと、キッチンのダイニングテーブルで嫌な事はさっさと終わらせてしまおうとばかりに戦利品を読みふけっている千尋の二人は、事情を知らないものが見ればここに定住しようとしているのかと思うほどに寛いでいた。
しばしの合間、家の中は千尋がページを捲る音と時折聞こえる衣擦れの音に支配されていたが、やがて砂利道を踏みしめる音が聞こえ、ついで家の表口が思い切り開け放たれた。 静寂を破った張本人はそのまま煩わしそうに目線を上げた大きな猫には目もくれず、一直線にキッチンに向かいそこに居る者に喋りかけた。
「ねぇ、せんさん。」
「なんだね婆さん。」
「せめて爺さんにしてください。 それはともかく、いい加減手伝ってくださいよ。 出口が見つからないどころか、この空間の端っこすら見つからないんですよ? 貴方お得意の力押しでも無理ですよこんなんじゃ。」
「んー、特に危険もないようだし、今のうちに読んどいた方がいいじゃないか。 抜け出せたとして、盗られたらどうするんだ? ある程度覚えてないと私が怒られるんだぞ?」
「せんさん自身のお目当てならいざしらず、こんな時に来てるような人はそんなこども向けのなんて見向きすらしませんよ。」
「私だってこんなん読みたかないわ!」
「文句ならマスターに言ってください、僕は命令にしたがってるだけですから。」
「たまにはこう、俺の運命は俺が決めるっ!みたいな事をやっても良いんじゃないか?」
「今のところ、そんな気にはなりませんので。」
「だからお前、未だに恋人の一人も居ないんだぞ?」
「…友達すら居ないせんさんよりはマシだとおもうんですけどー。」
「い、今は居るし! ほんとだし!」
それを尻目に、長い茶毛の猫は面倒臭げに帽子を顔に載せた。 千尋の耳はやがて、カーターがなにやら小声でつぶやいているのを捉えたが、彼自身はその事を頭の片隅で認識しただけに留めた。 目の前の悪鬼との舌戦に勝つ事に意識が行っていたためもあるが、それ以前に特に危険な臭いを感じなかったせいである。
「…お前達、そろそろ止めた方が良いぞ。」
何時の間にかキッチンの入口に立っていたカーターの言葉に、二人は口論を止めた。
「どうしました?」
「ん、なにか面白いイベントでも起きるのか?」
「面白い、かもしれないな。」
「詳しく。」
千尋の目が、一瞬きらりと光った。 大きな猫は目ざとくそれを見つけ、一瞬面倒くさそうに尻尾を揺らしたがそのまま言葉を続けた。
「あー…うん、仲間と連絡を取り合ってたんだが、それが急に切れてな。 後、さっきから何かおかしな感じがする。 警戒するに越したことはないと思う。」
「それなら、警戒はしておきましょうか。 カーターさんは見たところ、通信具を持ってませんし、という事は魔術のたぐいでしょう。 それが妨害されたとなると、相手は結構な術士かそれに準ずる者となりますしね。」
「へぇ、そうなのか。」
「ねぇせんさん、マスターがこの事を貴方に教えてたの、僕きっちり聞いてたんですけどね?」
「…ああ、そいつに向けてたのか。 良くあるのか?」
「残念ながらあるんですよねー。 この人興味が無い事はほぼ忘れるからマスターが時々すごい疲れてますし、縄張り内の事だって、まあ使える事もありましたけど、出入り自由とか一歩間違えたら崩壊への道を転がり落ちますし、しかもそれをほぼマスターに任せてるんですよ。 せんさんの元々の気質が気質ですから魔物はまあ問題ないんですが、そうでないの相手だとせんさんの影響を受けてくれないから色々しなきゃなりませんし、でもサボりまくるし」
「ごめん、マジごめん、帰ったら頑張るからもうやめてくださいお願いします。」
「ほんとうでしょうかねぇ…?」
「月に誓って!」
無言で見つめ合いはじめた二人をカーターはしばし眺めていたが、やがてぴくぴくと耳を動かし何かを探っているかのような行動を始めた。 やがて彼の耳は何かが琴線に触れたのか動きを止め、表側に集中しだした。
彼はそのまま扉に近づき、ついですぐ横の窓から外を覗き見た。 彼の目と鼻は特に変わったものを捕らえず、元からあった草原と大木、この家とそれが乗っている小高い丘、そして周りから漂ってくるそこそこ甘い香りしかカーターには感じ取れなかったが、しかし彼の第六感と仲間との連絡のありえない切れ方は、何かが起こっている事を雄弁に物語っていた。 そして彼はクィエルがため息を付いた頃を見計らい、相手の数は結構多そうだという事を二人に伝えた。
「そうなんですか、でもなんでそんな事わかるんですか? 私が見まわってきた所、この空間は完全に切り離されてるみたいでした。 それでもう中に入ってきているというのならともかく、相手がまだ外側に居るのならそこまで分かる訳がありませんよね?」
即座に疑問を返したのは、一見無邪気な顔のクィエルだった。 カーターにとって最も警戒するべきなのは目の前の男の主である事は間違いないのだが、一人でも側についていられるだけあってやはりクィエルもそれなりには厄介な相手なのだな、と彼は改めて脳に書き留めた。 彼の仲間から聞いた話では、どちらかと言うと金髪の人間が護衛であり、この人形は単に世話役として付いてきているのだろう、との事だったのだが。
「普通はそうだろうな。 だが、長く一人でやっていると、色々な小細工も覚えるものだ。 後は、仲間が偶に役に立つ事を教えてくれたりもする。 アレは長く生きてるだけあって、蓄えてる知識の量が半端ないからな。 聞いたら教えてくれる訳でないのが欠点だが。」
「ん? 仲間がいるのに『一人で』?」
そこで今まで黙っていた千尋が彼の言葉に興味を示した。 クィエルとは違い単に興味津々であるだけのようにも見えるが、カーターはそちらの方が余程厄介である事を知っていた。 特に幼い子供を相手にしている時の、矢継ぎ早に繰り出される質問なぞ、彼にとっては面倒事の最たる物であるからして。
「…ああ、仲間といっても利用価値が出来たらつるむ程度の仲間だ。 アレは自分で動く事が嫌いだからな、しなきゃならない事はほぼ他人を動かしてやってるらしい。 部下みたいなのも居るらしいし、大抵の事はそいつらにやらせてるとか言ってたが、俺はそうじゃないから依頼を成功させる度に報酬を貰ってる。 金とかな。」
「つまりあれか、ギルドみたいな感じなのか。」
「そうだな、まさにそれだ。 ギルドの専属契約みたいな感じだな。」
「いいなぁギルド。 一度行ってみたいんだよなぁ。 家から遠い所にしかなくてなー。」
「だからダメですってば、悪い人達もいっぱい居るんですから。」
「たしかに坊ちゃんだと食い物にされて終わるだけだろうな。 やめといたほうがいいぞ。」
「…え、坊ちゃん? 私が?」
「坊ちゃん……たしかに温室育ちのお坊ちゃまにしか見えませんよねー。」
笑い始めたクィエルとは裏腹に、千尋の顔は段々と険しい物になっていき、ついにはリビングのソファに些か乱暴に寝転がった。 そのソファは甘ったるい臭いとは裏腹に柔らかく滑らかな素材でできており、千尋の機嫌は少々ばかり好転したが、それもクィエルの笑い声と共に霧と化し、彼はカーターのような尻尾があったら必ず不快を表すために使っていた程の気分をもてあます事になった。 そしてクィエルがひとしきり笑い終わった後、カーターが再び声を上げた。
「…まあ、とりあえず俺だけでもやれそうな相手だし、何か来たら俺が行って様子見を…」
「私も戦るぞ?」
ソファから顔だけを起こし、千尋が言った。
「…いや、坊ちゃんは…」
「こう見えてもお前よりは強いぞ。」
「んー……坊ちゃん、力押しでヤるタイプだろう。 今回の相手にはいくらか心当たりがあるんだが、もし予測があたってたとしたら、坊ちゃんのやりかたじゃ難しいってレベルじゃないと思う。 悪い事は言わん、おとなしくしといてくれ。」
千尋はその言葉に跳ね起きカーターを不満気に睨めつけた。
「搦め手だってなんだって、力の差さえあれば叩き壊せるものだろう。 私を誰だと思っている、私に敵うやつなど居はしない! お前だって私にかかれば―」
「坊ちゃん、実は結構プライド高いな?」
カーターは千尋の言葉の終わりを待たず、若干笑うような声音で遮った。 彼の声は殊更低く、ゆっくりとした音に変わり、何時になく荒れている千尋と対比をなしていた。 そしてそれは巧をなし、彼は憮然としながらも会話をする気になったのか、己から視線を外し長い毛を繕っている猫の言葉に返答を投げかけた。
「…それが、どうした?」
「まあ、それ自体は良い事だ、己を高く保つ為の原動力になる。 俺も自分の力に誇りを持っているし、俺が見てきた中でそれが低かった奴に良い奴も、強い奴も、尊敬すべき奴も居なかった。 そんな奴らは、他人を騙して欲しい物を奪おうとする詐欺師か、自分の足で立とうともしないで強者に尻尾を振る弱者か、大事な物を守ろうと思う事すらしない卑怯者のどれかだった。」
「そうだろうとも。 だから私は」
「だけども、それが高すぎた奴らが自分の身を滅ぼしてきたのも、俺は同じように見てきた。」
「…」
「それでもまぁ、坊ちゃんが意固地になるのも分かる。 そりゃ苛立ちを解消もしたくなるだろうし、その上自分の強さに凄い自信を持っている。 現にそんじょそこらの輩は坊ちゃんに対して降参する事しかできないだろう。 しかし今回は敵の数が多いらしい上、いつも何とかしてくれる奴も信頼出来る部下も居ないし、得体のしれない変な猫は居るし、自分に傷を付けられるぐらい強い奴は自身の身すら守れない子に付けてきた。 そりゃあいくら相性が悪くても、自分が出るしかないと思うだろうな。」
「…え?」
また我儘を言いはじめたか、と呆れた目で千尋を見ていたクィエルが、驚いた顔でカーターを見た。
「やっぱり兄さん、気づいてなかったのか。 八つ当たりもあるにはあるが、大本はほぼ一般人なお前さんの為だぞ。 方法は褒められたもんじゃあないが、可愛いじゃないか、なぁ?」
「……うるっさいわ! もう黙れお前! つーかなんでそんな事まで知ってんだ?!」
「坊ちゃん、顔が真っ赤だぞ。 言い当てられたのは初めてか? ほら落ち着け、良い子だから。」
「うるせぇ! 黙らんなら黙らすぞ! クィエル、こんな馬鹿野郎信じるなよ! 良いな!」
千尋の打撃を尽く避けているカーターを見ながら、クィエルは混乱していた。 人に迷惑を掛けるのが生きがいだと豪語していた、興味のない事には一切目を向けないあのヒトが、自分の為に何かをしようとしていた事が、彼には信じられなかった。 マスターの言う事は何一つ聞こうとせず、問題児どもと山を下っては迷惑をかけ、もうそろそろ元服する年齢であるのに仕事をサボりまくり、自分がしたい事しかしようとしていなかった、彼が。 しかしいつまでもそうしている訳にもいかなかったので彼はとりあえず口を閉じたが、だからといって混乱が収まった訳でもなかった。 だからクィエルは、一旦全てについて考える事を放棄した。
それと同時に大きな爆音が鳴り響き、辺りは薄暗闇に包まれ、クィエルは思考すらできなくなった。
以前の後書きに書き忘れておりましたが、カーターさんのイメージはノルウェージャン・フォレスト・キャットです。