魔王見習い様は揺られに揺られて (2)
「メイムなんて見るのは何年ぶりかしら。 良ければお話聞かせてもらっても良いかしら?」
茶の布張りのソファに腰掛けている白灰色の髪の女性は、柔らかい笑みで目の前の少女に問いかけた。
『ええ、勿論です! なんでも聞いてください!』
その言葉に、真向かいに座っている薄灰色のワンピースを着た少女は、輝くような笑顔で答えた。
「あら、嬉しいお返事。 お婆ちゃん、言葉に甘えちゃうわよ? …ま、でもまずはセンちゃんが近くにいてくれた事を、神様に感謝しなくちゃね。」
「…だからちゃん付けは止めろと」
【えー、応接間から愛をこめてお送りします。 現在子供扱いされています千尋です。 確かに身体年齢的には子供ですが、いい加減やめて欲しいこの頃です。
私の美麗なる通訳によって会話を可能としたお二人は、現在女子らしくきゃっきゃうふふとお茶会を楽しんでいらっしゃいます。 境界渡り自体はたまによくある事なので(こちらの者が渡る事は難しいのですけどね)、トリップなんてのであれば「またか」程度で済むのが楽です。
以前にも出てきたとおりに、そのような渡ってきた方々は一般的にメイム、正式にはメイムビト(霧に迷う人と書いて迷霧人)と呼ばれ、基本的にはこちらの言葉や常識を知らないとされています。 現に少しでもこちらの事を解する方々は、ほんのひとにぎりしか現れてはいないそうです。 そういう方々は、こちらに残るかお家に帰るかを選ぶ事ができますが、一度こちらの者になってしまうと同じように、他世界に行く事が非常に困難になります。
その事を踏まえましても、家に帰りたいとの意思表示も貰いましたし、そもそも葵ちゃんは一般人です。 次の都合がいい日に、適当な跳び地に連れていけば余裕で帰れるでしょう。 この世界は一般的に見て時間の流れ方が遅い方ではありますが、飛び地の管理者さん方ならば、ある程度時間もねじ曲げられると聞きました。 だからそこまで大きな問題にはならないと…信じたいです。 私の居た世界よりずっと平和なようですから、私の感覚で物を言っちゃいけないってのはわかってるんですけどね。
あ、跳び地というのはいわゆるワープポイントです。 色々と便利なのですが、よほどの理由がなければ他世界に飛ばしてもらえませんし、どちらにせよ海を挟んだ場所には跳べません。 たまに強行する人が出るのですが、管理者さん方によるとだーれも未だに発見されていないそうです。 怖いですね。
で、とりあえず今の事ですが、総勢四名となってテーナム島の主さんの一人…ミルドレッドさんの所にお邪魔しております。 立場としては彼女の賓客なので、滞在中はここに泊まります。 一応葵ちゃんの事でお伺いを立てたのですが、予想通り嬉しがりました。 孫も全員独り立ちしちゃっているので寂しいって言ってましたし、大丈夫かなーとは思ってましたけど。
ミルドレッドさんは、肩で切りそろえられた白髪に笑い皺の付いた顔、銀縁メガネに明るい緑色の目、そして常にシンプルかつ質のいいドレスに同じようなショールをかけていらっしゃいます。 性格はとても穏やかで、いつもにこにこ笑っていますが、本の事となるとなんでも知っています。 見ただけで品が良いと解るお化粧もご自分でされてる、まさに司書って感じの方です。
ちなみに彼女の言う神とは、リオスなどの神に成った系ではなく、フェランティアと呼ばれるこの世界の創造主です。 理を創り、命を生み出し、『終焉の鐘』…原初の魔王、を永遠に封印するため『福音の歌い手』…最初の勇者、に力を与え、『世界』に意思を持たせた神。 成った神々と違い信仰してもメリットがありませんし、喋らないので一部ではその存在を疑われてますが、今尚根強い人気を誇る教義です。
追記しますと、最初の勇者さんの二つ名は歴史家がつけたものですが、原初の魔王さんのはそれそのものが名前だそうです。 名前が無いので自分でつけようとした結果、ああなったとかなんとか。 お酒でも飲んでたんでしょうかね。】
【…と、まあ、そのまま彼女らが喋るに任せ、適当に時期を見計らって私の用事へとミルドレッドさんの意識を向けさせました。 ミルドレッドさん、若い子相手だとすーぐ興奮するのでたまにめんどくさいんですよね。 つーかこの人達、どんだけ話好きなんですか。 …というか、私も一応は女子のはずなんですが、なぜかついていけません。
まあそんな事は置いといて、そのままお互いの近況報告と自分側の情勢、旬の資源などの情報の交換、そしてもう一つの来訪理由である(というか祭典への参加はこれのご褒美扱いのオマケです)貿易契約の更新をさっさと終わらせると、私にとって今一番興味がある葵ちゃんの言語問題に入りました。
境界渡りをするには星々の配置が重要なんですが、次にそれらの都合が良くなる時は冬二月の三週めあたりだとさっきミルドレッドさんに聞きました。 で、今日は秋四月の四闇日です。 つまり返せるのは最も早くて大体二ヶ月…って事は、本格的に寒い時期のど真ん中ですね。 冬ごもりの準備はそろそろ始めてはいますが、基本的には缶詰めになるのが気が重いです。
とりあえずその間あまり満足に喋れないってのは葵ちゃんの精神にも悪いでしょうし、でもお仕事あるので私がつきっきりって訳にもいきません。 ついでに人間とか大きいのはちょっともう許せないって言われてますし、葵ちゃんの事の言い訳も考える必要があります。 これらを同時に解決させる方法とは? そう、頭がいい人に聞けばいいんですね。 で、以下が今回のミーティングの模樣です:】
「あるわよ。」
「あるのか!」
「あるわよー。 センちゃん、あなたここをどこだと思ってるの?」
「ちゃん付けするな。 …知識の魔宮?」
「あら、いいわねその謳い文句。」
「だろ? で、『ある』とはどういう事だ? 翻訳魔法でもあると?」
「そんな物ある訳ないでしょう。」
ばっさりとセンを切り捨てながら、ミルドレッドは一瞬その意識を内に向けた。 本当に、そんなスキルがあったら、何をしてでも覚えるのに。 そんなありえない考えを振り払うために目を閉じて一呼吸し、彼女は目の前に座るどんよりとした顔の黒髪の男に再び微笑みを向けた。
「…ええ、だから私が知っている中で最も分かりやすい、共通語の勉強本を貸してあげるわ。 映像投射機能もあるから、言葉がわからなくても大丈夫な、絵つきで覚えられる代物よ。 次来た時に返してくれればいいからね。」
「それは本当に本なのか?」
「そんな事気にしちゃダメよ。 ああ、そうそう。 そういえばあなたに会いたいって言ってる方が居るのよ。 ここに地図もあるし、ちょっと会ってあげてくれないかしら。 えーと、そうそう。 ナオキさんって方からも、話が行っていると聞いたのだけれど。」
【葵ちゃんに絵本を手渡した後、彼女は傍らにあった本の中から一枚の折りたたまれた紙片を取り出し、私に差し出しました。 四枚折になっていたそれをかさかさと開けると、そこには見やすく癖のない地図が描かれていました。 これはミルドレッドさんの筆跡ですね。 しかし例の方ってミルドレッドさんともお知り合いだったんですか、探す手間が省けました。
ちなみに、葵ちゃんは絶賛渡された例の絵本に興味津々です。 …たしかに面白そうです。】
「一つ聞いていいか?」
「何かしら?」
「そのヒトに会うのはこちらとしても願ったり叶ったりなんだが、いつ頃行っても良いのか分かるか? 忙しい時間帯に行ってもあれだろうし。」
「ああ、ええ。 いつ行っても大丈夫よ。」
「ふむ?」
クスクス、クスクス。 ミルドレッドはとても可笑しそうに、いたずらをしている無邪気な子供のように笑った。
「あのヒト、めんどくさがり屋だもの。 むしろお仕事をサボる口実ができて、喜ぶんじゃないかしら。」
「ふむ…?」
本格的に笑い出した島の主を不思議そうに見つめる異邦の少女を横において、魔物の主は訝しげに顔を歪めた。
こん、こん、こん、こん。
そのまま五歩程後ろに下がり、十五秒あたり反応を待つ。 返答が無いので、もう一度四回。 今度は少々お待ち下さい、と反応が来たので千尋は下がったままその場で待った。
祭りは明日から、そしてまだ日も高い、という事で。 アレイジエルへの言い訳を何パターンか作ってもらった千尋は葵を部屋に送り二人に彼女を託した後、その足で地図に従い、ヒーツ館と名付けられた場所に赴いていた。 ヒーツ館とはミルドレッドの家から西に歩き、いくつか階段を登った先にある【正式名称保管所】の名前である。
ただ、この島の公共施設の例に漏れず、ヒーツ館も大書庫への入り口を所有しているが、大抵の者は最大であるが故にほとんどのメジャーな本が近くにある、ローフィア塔を利用する事が多い。 さらには、基本的に物事の正式名称と云うものは、ほぼ高位の魔術使いや魔法使いに成ろうとしている者達しか使う機会がなく、おそらくではあるがその線もありここにはあまりヒトが寄り付かないのだろう、と千尋は思った。
そうして少々ばかり彷徨った後、千尋は館内のある部屋の前にたどり着いた。 濃茶色の木の扉についている金属のプレートには、地図に【目的地】と書かれていたのと同じく〈503 レクス・ミレニアム〉の文字が間違いなく浮き彫りにされていた。 ここが目的地で間違い無いだろう。 千尋はそう思い、目の前の扉をノックしたのだった。
声がしてから少々ばかり待った後、ようやく扉が開かれた。 そこに立っていたのは、短い茶色の髪と灰色の目、ありふれた色の上下と靴、そして深い紺色のローブを纏っている人間だった。 彼は千尋を見ると目を瞬かせたが、目の前に居るのが誰か理解するやいなや驚きに目を見張り、ついで跪いた。
「セ、セン様であらせられますか?! 態々出向いて下さったのですか! 私はレクス・ミレニアムと申します。 どうぞレクスとお呼びください。」
…ああ、ミルドレッドが笑っていたのはこういう事か。 立ち上がろうとしない彼を見て千尋はそれに思いいたり、若干困った顔をしながらそう畏まらないでくれ、と言った。
「私に礼儀なぞ必要ありません陛下、呼び捨てにしてください。 呼びつけてしまい本当に申し訳ございません。 いかなる罰でも」
「いや、そうは言われてもな。 私は厳密には未だ王ではないし、そもそもここに来たのだってミルドレッドから地図を貰ったからだ。 つまりあいつのせいだ、お前のせいではない。 …それにそう緊張されると非常に話しにくい。 直樹の知り合いなのだろう、あそこまでとは言わんからもう少し楽にしてくれ。」
己を遮ったそのゆっくりとした言葉に、まだ跪いたままのレクスは目を見張り、すぐに顔を青くし謝罪した。
「ももも、申し訳ございません!」
「何故に謝る。」
「ナオキは私の友です。 ですからわかります、貴方に何らかのご無礼を働いたのでしょう。 しかし彼とて悪意を持ってそのような行動を」
「…あ゛ーもういい!」
冊子を持っていれば良い音とともに床に叩きつけていたであろう程に声を荒げた千尋に、レクスは身を竦ませ息を呑んだ。
「もういいから落ち着け、必要以上に傅かれるのは好まんと言ったろう! それに私は道化に怒るほど心は狭くない。 故にお前が気にせねばならん理由はない。 そんな事より、あれからの手紙を預かっているそうだな。 今日はそれを受け取りに来たのだが、引渡しはしてもらえるのか?」
「…あ、ええ、はい! 確かに言付かっております。 …その、それで、もし良ければ、ですが、お茶でもいかがですか?」
怒鳴られた事で逆に力が抜けたのか、レクスは若干呆けた顔で千尋を誘った。 若干頬を膨らませていた彼はそれに満足そうに頷き、レクスが足すままに部屋に足を踏み入れた。
〈…ヤッパリ怒ッタカー。〉
何人もの微かな笑い声が漆黒の空間に響いていた。
「…あら、やっぱりレクスちゃんと会わせる事にしたのはそういう事?」
〈アラ居タノ? 気ヅカナカッタワァ。〉
誰に向けた訳でもなく闇に囁かれた音に答えた声は、ゆるりと世界に浸透していくような女性の物だった。 そこにす、とローブを目深に被った人のような姿が淡い橙のランタンを持って浮かび上がる。 しかしその光で見えるものといえば、両側にそびえ立つ本の壁、等間隔に設置されたシンプルかつ磨き上げられた木造の机と椅子、そして人物の唇に引かれた紅いルージュと漏れ出る白い息のみだった。 彼女の周りには人影なぞ一つもなく、しかし音はたしかにそこにあり、彼女はそれに答えていた。 一気に消えた複数の笑い声に気を留めること事もなく、彼女は軽快な笑い声を漏らし、ついで抗議の言葉を口に乗せた。
「嘘ばっかり、ここで貴方方の知らない事なんてある訳ないでしょう。」
帰ってきたのは答えではなく、一つの女性の笑い声。
〈…マァダイタイ貴方ノ思ッテル事デ合ッテルワヨ。 結構見タ目ト違ウカラ良イ影響与エテクレルダロウシ。〉
「ああ、お友達にさせる気なのね? …そうね、あの子この間なんて犬に吠えられて動けなくなってたし。 趣味も似通ってるし、変な所で強引なセンちゃんなら良い感じに引っ張ってくれるかもねぇ。」
かたり、と手近にあった椅子を引いて彼女は座った。 ランタンはそのまま横のテーブルの上に置かれ、変わらずそのままちらちらと動く影を女に投げかけた。
〈ソレハ少シ違ワナイカシラ…マアイイワ。 ソレデ何ノ用?〉
「ああ、そうそう。 またあれが欲しいの、頂戴?」
〈アレネ。 ンードウシヨウカシラネェ。〉
「お願いよ。」
〈ショウガナイ子ネ。 良イワアゲル。 デモワカッテルデショウネ?〉
「ええ、わかってるわ。 契約は守る物だもの。」
〈ナライイノヨ。 ジャアチョット入レ物探スカラ待ッテテネ。〉
「探す?」
〈エ? …アア今大掃除シテルカラネ。 イロンナ物ガドコニ行ッタカワカラナクナッテルノヨ。〉
「貴方方でもそういう事があるのね。 びっくりしたわ。」
〈貴方ハ私達ヲイッタイナンダト思ッテルノヨ。 偶ニハ物ヲ無クシタリダッテスルワヨマッタク。〉
その若干拗ねたような音が響き終わった後、少々の合間静寂が場を支配した。 そしてそれを破ったのは、訪問者の問いかける声だった。 しかしそれはさっきまでの声音と違い弱々しく、聞く事をためらっている事が容易にわかる物だった。
「…ねぇ、ちょっと聞いていいかしら。」
〈聞ク事ジタイハ貴方ノ自由ネ。 答エルノハ私達ノ自由ダケド。〉
即座に帰ってきた、そう返してくるだろうと予測したそのままの言葉に。 彼女はふるりと一瞬だけ肩を震わせ、ついですいと顔を上げ紅い唇を開いた。
そして彼女は眼前に在る、底の見えない黒々とした一つの瞳に覗き込まれながら、己の判断を心の底から呪った。
―好奇心は、猫をも殺すというけれど。 殺してさえくれない場合は、どうしたらいいんでしょうね。
次話に戦闘が入る予定。
戦闘描写は超苦手ですので、矛盾などは生暖かい目で指摘してくださると嬉しいです。