弟だって言ってるだろ
最近このお兄ちゃんがN川D輔さんの声で喋るようになりました。末期か。
伯爵家の当主を若くして継いだ俺には、年の離れた可愛い可愛い弟がいる。
前当主……言ってしまえば種馬扱いだった馬鹿父がこっそり外で作った庶子だが、可愛いものは可愛いのできちんと父母の養子として迎えた。
弟の母御も迎え入れ、平民だったので母付きの使用人として働いてもらっている。刺繍とお菓子作りが得意とのことで、お茶の時間には俺もご相伴に預かっている。美味しいので俺の婚約者にも振る舞ってもらったところ、大好物となった。
ああ、原因であるところの実父は、俺が当主を継いだあとに領地の端にある小さな館に蹴り出した。そもそも伯爵家当主、及び領主としての仕事は母がやっていたものなので、まったくもって何の問題もない。家門一同の同意ももらっている、というか俺が跡継いだらそうしろと皆から言われていたし。
念のために使用人という名の監視付き、館の敷地内からは出られないようにしてあるけどな。種馬としての務めはこなしたために、今のところ現世から排除するには至っていない。その割に、生まれたのは俺と弟だけなのだが。
で。
「兄様、よろしいですか」
母とともに同年代の子女との交流会に参加していた弟が、帰宅後おずおずと顔を見せた。そういえばさっき、弟付きにしている侍従が今大丈夫か、って言ってきてたな。大丈夫だと答えたので、すぐに来たわけだ。その侍従は今、弟と共にここに来ている。
若い侍従に様子伺いに来てもらう、ということもきちんと覚えてこなしている。さすがは俺の弟だ。
「どうした? 先触れは来ているから、問題ないぞ」
「はい、ありがとうございます。……その、ちょっとご相談、といいますか……」
「相談? なんでもこの兄に言ってくれ」
「あ、ありがとう、ございます。実は、その」
その可愛い弟から持ちかけられた相談に、俺は……顔を引きつらせた。手に握っていたペンをへし折ってしまったので、侍従がいそいそと新しいものを出してくれる。
誰だ、この弟が俺の実子だなどというろくでもない噂を撒き散らしているのは。
いや実の子だとしても可愛いんだけど、そういう問題ではないわけで。
「ちゃんとそれは違う、兄様はあくまで兄様ですと答えたのですが、その……」
「外聞が悪いからそういうことにしているのだろう、とでも言われたか」
「……はい」
弟がしゅん、としょげた。憂いを含んだ表情も可愛いのだが、弟には笑顔こそが似合うと俺は信じている。
というか。
可愛い弟がもし我が子であれば、俺は十歳そこそこで子作りをしたことになるんだが。女性に興味がないわけではないし婚約者とも仲良くやれているはずなのだが、いくらなんでもそこまで早熟ではなかった。
これは兄として、伯爵家当主としてきちんと片付けなければならない事案だな。任せろ、可愛い弟よ。
「どこの誰に言われたか、覚えているか?」
「大体は……侍従も見てくれてたので、一緒にまとめてもらっています。あと、母上様にもお伝えしました」
「なるほど」
そうだ、母上が同行しておられたのだ。ならば、その当人あたりには軽く釘を刺してくれていることと思う。だが、それで噂が落ち着くとは正直、俺は思っていない。
……ちなみに弟は、実の母君のことは『母様』で養母となった俺の母上のことは『母上様』と呼ぶ。呼び分け方も可愛いな、うん。
「確かに、お前は可愛い可愛い俺の弟だ。目に入れても痛くない、というのは間違いないことだが」
「僕にとっても、兄様はとてもかっこよくてすごい兄様です」
「んんっ」
おおう、キラキラした目で兄を見つめないでくれ弟よ。全力で抱きしめてしまうではないか。
……親と子でも、こういう交流の仕方はあるのだろうか。俺の場合父がアレだったので、経験がないのだが。
『こほん』
う、咳払いが二重に聞こえた。ひとつは弟の侍従で、もうひとつはさっきペンを取り替えてくれた俺の侍従だ。
なお俺の侍従は、俺が馬鹿やったら軽い実力行使は構わないと母上から許可が出ている。俺自身もあの愚父の息子だからな……何かやらかしたら止めてくれ、と頼んでいるので問題はない。すまん、ほどほどにしよう。
「そ、そこまで可愛がっているからといって、実は俺の子なのだろう、などという妄言を吐く方々がおられる、と。なんと嘆かわしいことだ」
「あの、兄様」
「そのような噂は、お前とお前の母君と俺、我が伯爵家に対して失礼だ。兄として当主として、噂の出所を叩き潰さねばならんな」
この場合、俺の母上に関しては考えなくても良いだろう。自分で反撃できる方であるし。
だが、弟に関しては未だ我が伯爵家の庇護下にある未成年だし、弟の母君は平民で貴族社会ではあまり表に出られる立場ではない。家門の者に対して嘘を広められているのだから、当主である俺がなんとかせねばならん。
母上がこちらに言ってきていないのは、当事者たる弟が申し出るのが順当だからと考えているのだろう。兄である俺は、弟に頼られればいくらでもその力になることが分かっているのだから。
ただ、弟は優しいからな。俺に申し出てくるのにも、躊躇したのだろう。大丈夫だ、兄はお前のためならばできることは何でもしてやるから。
「僕はなにか言われても仕方ない身の上ですし、母様も常々そう言ってくれてます。でも、僕たちを引き取って面倒を見てくださった兄様と母上様にすまなくて……」
「ああ、ほんとうにお前は優しい子だな。自慢の弟だ、兄はとても嬉しいよ」
この弟に血を分けた愚父のことは頭から排除しておく。婚約者として選ばれた母上がたまたま優秀であったから、伯爵家嫡流の血を残すためだけの種馬として選ばれた……とは本人が酒飲んで管巻いてる時に聞いたな。少しは努力しろ、と俺が思ったのは当然だろう。
「だからこそ、根も葉もない噂はきっちりと片付けてしまわねばならん。お前の兄として、貴族家の当主として当然のことだからな」
任せておけ、と笑ってみせると弟は「僕に力がなくてごめんなさい」なんて謝ってきた。馬鹿だなあ、兄だってまだまだ力はないぞ。
さて。
弟の侍従からリストを受け取り、部屋で休ませるよう言いおいてから俺は、事情を知るもうひとりである母上にお話を伺った。もちろん、先触れには行ってもらったぞ。
そうしたら。
「わたくしも尋ねられたわね。実際にはお孫さんなのでしょうとか」
にっこり、と微笑みながら答えてくださった母上だが、目が笑っていなかった。まあ、俺ならそんなことを言われたら笑顔すら作れない自信はあるけれど。
「十年ちょっと前のあなたにそんな甲斐性があるわけないわ、って笑って答えたわよ。それと、当家の現当主に対する侮辱ですかとも、遠回しにだけどね」
「……母上……」
「あら、間違っているかしら?」
「…………いえ……まちがってません……それと、ありがとうございます」
当家の現当主、つまり俺を侮辱する気かと釘を刺しておいてくれたのだ。きちんと礼は伝えないとな。
あと、十年少し前の俺に甲斐性も何もないって……そういうことも、遠回しに言ってくれたわけなのだけれど。
「その方々の名前とお家は、きっちりリスト化してありますからね。お伺いした噂の内容も」
「あの子に噂について尋ねた者たちについても、侍従がリストを作ってあります。こちらに」
母上のリストと弟のリストを突き合わせて、気がつく。というかまあ予想通りだった、というか。
このような噂を持ち込む家が、我が家門なわけがない。どちらかといえば対立派閥だったり、いろいろな意味でライバルだったりする家門だろうと当たりをつけたわけだが、うん。
「……ま、わかりやすいこと。こちらの方の寄親は、うちの評判を落としたい家門よ」
「こちらのご当主夫人は、我が婚約者の母君とはあまり仲が良くないという話を聞いたことがあります」
「あらいやだ、その方向性もありね」
まだ独身な俺だが、これでも婚約者はいる。弟とは違う方向に愛しく思っている彼女の実家はうちと同じく伯爵家で、別に政略だの何だのという間柄ではないんだが……まあ、当人同士の相性が良かったもので、縁が結ばれたわけだ。
そちらの家に対する間接的な攻撃、という線もあったのには正直閉口するな。確かあの家、うちと事業提携したがっているという話は聞いたことがある。先ほど母上にお伝えした通り、俺の婚約者の母君と先方の当主夫人が仲が良くないので結ばれてはいない……つーか、向こうさんが一方的に婚約者の母君に突っかかってきてるとか何とか。
「……そうすると、あちらのお家にもお話が行っている可能性はあるわね」
「確認してみます」
はあ、どこまで噂広がってるんだ、これ。黒幕見つけたらただじゃおかないぞ……社会的に。物理的に潰しに行ったら、反対にこちらが悪党にされかねん。
ひとまず、婚約者に手紙を出そう。そうして、詳しいことを聞きたいのでそちらに向かいたいとも。
「ええ、わたくしの方にも口さがないお話を向けてきた方々がいらっしゃいましたわ。こちらがその一覧になります」
俺が向かう前に、婚約者のほうが家に来てくれた。これまたリスト付きである……えー、どこまで広がったんだこの噂。
「中にはわたくしに、このような子がいるお相手よりは自分のほうがわたくしの夫にふさわしい、などとおっしゃってこられた方もいらっしゃいました」
「へえ?」
俺の愛しい婚約者を横取りか……良い根性してるな、どこの誰だ。
「でも、わたくしはあなたが良いのです。たとえお子様がいても……いいえ、あの子は可愛い弟なんですから何の問題もありませんし」
「うん、ありがとう」
婚約者が俺と続いている、というのは彼女が弟とも仲が良いのが理由のひとつである。
婚約を打診した時に、俺は弟のこともきちんと説明したんだ。そうしたら一度会いたい、って言うので会わせてみたところ。
「まあまあまあなんて可愛らしい! それにマナーもきちんとできているし、さすがですわ!」
「優しい方で嬉しいです。義姉様になってくださるなら、この方がいいなあ……と思いました」
にこにこ笑って話が進む、俺の婚約者と俺の弟がとてつもなく可愛かったのだ。母上も弟の母御も納得してくれて、あちらのご両親も理解をくださって、故に結ばれた婚約である。
よって、今回の噂周りの話は婚約者及びそのご両親に事情をお伝えしてある、ので。
「こちらの対処は父にお願いしてございます。任せよ、とそれはそれは楽しそうに笑っておりましたので問題はないかと」
「お父上にも感謝の意をお伝えせねばならないな……うちのことでご迷惑をおかけしているというのに」
「大丈夫ですわ。父も母も、弟くんのことはとても気に入ってくださってますもの」
あちらのご家族がそう動いてくださって、ほっと胸をなでおろした。これで婚約はなしにしましょう、などと言われてしまったら凹む。俺も、弟も。
「わたくしがあなたの妻になったら、次はあの子の婿入り先をこちらのお母様と一緒に選びましょう、という話もしていますのよ」
「はっ」
……そうだ。
可愛い可愛い弟とて、いつまでも家にいるわけではない。いや、いつまでもいてくれて構わないのだが……それではきっと、あの優しい子は気に病んでしまうだろうから。
「弟の良き日のためにも、この問題はきれいに片付けてしまわねばならないか……ふふふ」
「ええ、ええ、そういうことですわ。うふふ」
……それはそれとして、俺と彼女の相性も大変に良いようだ。うん。
で。
結論として、噂の大元は婚約者の母君に突っかかっていたかの貴族家当主夫人であったようだ。
要は、嫌いな女の娘の嫁ぎ先がろくでもないという噂を流してまとめて潰れてしまえ、という目論見だったらしい。そこに、当の嫁ぎ先であるうちの評判を落としたい家門が乗っかった、ということになる。
だが、かのご夫人の夫である当主殿はどちらかといえばうち寄りの立場だった。その当主殿は、我が婚約者の母君に対するご夫人のライバル視は若い頃のもので、最近は収まったと思っていたようだ。そこに、この話である。
まーブチギレたらしいね、ご当主殿。うちから事実関係やら弟の存在理由やらをお伝えした、その結果。
「だって! 隣国の王子殿下は十歳で庶子を作ったじゃないの! だったらあの子どもだって若当主の子どもかも、って考えて何が悪いのよ!」
「そんなゲスな考え方をするから、お前は友人が少ないんだ!」
「ゲスなんて、実際にある話だと思っただけよ!」
「実際の話だったとしても、口さがない噂を撒き散らすなんて家の評判を落としかねないのに! 裏付けも何もないただの噂で、さらにただの好き嫌いで家門をかき回すな! 事業提携が上手く行かなかったのは、お前のせいだー!」
とか何とか叫んだらしくて、ついでにご夫人を本邸から叩き出して田園のどまんなかにある小さな別荘に押し込んだとか。周囲360度見渡す限り田圃と畑、馬にも乗れず馬車もない屋敷から貴族の夫人が逃げ出せるかどうか、なんていう環境だとさ。
その話は一瞬で母上のもとに届いて、母上は高笑いされていた。
「好き嫌いを否定する気はないけれど、表沙汰にしては駄目よねえ? ほほほほほ」
「……まあ、外面を作れないのはどうかと思いますよね……」
一方、俺の顔は分かりやすく引きつっていただろう。んだよ隣国の王子殿下、そんな噂もちらっとは聞いたけれど実話だとは思わなかったぞ。
ただ俺が言うのも何だが、貴族社会は外面でできていると言っても過言ではないだろう。弟の母御曰く、平民社会でも外面作るのは大変ですよ、なのだそうでこのあたりは貴族も平民も同じか。
「そちらのご当主様が責任を持って噂を打ち消してくださるとのことで、手打ちにしたわ」
「事業の提携は……どうしましょうね。こっちとしては悪くない話なんですが」
「邪魔がいなくなったことだし、前向きに検討してみても良いとは思うわよ」
母上の言う通り、あちらがこちらと提携したい事業はこちらにとっては前向きに考えてもいい話だ。なら、もう少し練ってみるか。
「兄様、母上様! お茶の時間ですよ!」
「これこれ、急がなくてもお茶もお菓子も逃げませんよ」
あ、弟が弟の母御と一緒にお茶の準備を持ってきてくれた。お茶のいい香りと、焼き立ての菓子の香ばしさが漂ってくる。せっかくだから、皆で楽しむことにしよう。
「ふふ、あなたのお菓子は逃げる勢いでなくなっちゃうからね。さあ、いただきましょうか」
「はい!」
うん、やっぱり俺の弟は可愛い。
兄は弟にふさわしい兄になるように、これからも精進しよう。




