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第六話 失われた日々を求めて

 ある少女がいた。髪はボサボサで、表情は暗く、声も小さい。誰かに見られたいと思いながら、誰にも見られたくないという矛盾した願いを持つ。

 私はその少女が嫌いだった。誰よりもよく知るその少女を、誰よりも嫌っていた。それなのに、その少女の幻影は私から離れず、逃げられない。

 鎖に繋がれているかのように。


 ◯


 私――香山咲は、ここ最近毎日見る悪夢から逃げるように目を開いた。この夢のせいで、目を覚ますとあの頃の地獄のような日々に戻っているんじゃないか、あの頃の醜い自分に戻っているんじゃないかという不安に駆られて、不眠に悩んでいた。


 医者に処方された眠剤を飲んでも、あの夢は纏わりつくように出てきて、私の心を蝕む。

 額に手を当ててみると、じっとりと汗が滲んでいるのが分かった。まだそんな暑い季節じゃないというのに。


 重い体を起こして、部屋の隅の壁に立て掛けてある姿見の前に立ち、自分の姿を確認する。

 ……よし、大丈夫だ。あの頃の私じゃない。

 そう自分に言い聞かせて気合を入れる。これは最近ではすっかり朝のルーティンになっていた。

 

 「咲ー!朝ご飯できたわよー!」


 そんな、はたから見たらナルシストがしていそうなルーティンをこなしていると、一階の階段下からお母さんの声が響いた。


 時計を確認してみると現在の時刻は七時半……七時半!?


 まずい、遅刻する。最近はあの悪夢のせいでむしろ起きるのが早くなってたのに、なんでこんな寝坊を……そうだ、今はテスト期間で昨夜は夜遅くまで勉強してたんだ。


 急いで身支度を整え、一階のリビングに向かう。リビングではすでにお父さんと小学生の妹、弟が食事を摂っていた。


 「おはよーお姉ちゃん。」

 「おはよー」

 「おはよう、咲」


 妹の美奈みなと弟のひろ、お父さんが同時に挨拶をする。お母さんはキッチンで洗い物をしているようだ。


 「どうしたのよ、咲。寝坊なんて珍しいじゃない」

 「その……最近テスト期間だから夜遅くまで勉強してたの」

 

 恐らく二年前なら絶対信じてもらえないような理由だが、お母さんはすんなりと信じて納得してくれた。


 「咲、勉強するのはいいけどやりすぎて体調崩したり寝坊するんじゃ元も子もないんだから、程々にしなさいよ」

 「わ、わかったよ」


 勉強はあの夢から逃れるいい口実だったが、お母さんに注意されたんじゃ抵抗のしようもない。渋々だが受け入れるしかなかった。


 ◯

 

 教室のドアを開けると、真っ先に1軍グループの笑い声が聞こえてきた。私が教室に入ったことなど誰も気付かない。


 所詮、私はこの程度なのだと言われている気分だった。変わろうと決意したのに、そんなものより保身を取ってしまった。それを咎めているかのようだった。


 席に着くと、見覚えのある人物が視界に映った。

 葉月楓。明晰な頭脳に、端麗な容姿を持ちながら孤独を選んだ。私にないものを持ちながら、私と同じ位置にいようとする、腹立たしい存在だ。


 しかし、彼女とはクラスだけでなく部活も同じだ。この部はどこか距離感のおかしい能天気な部長に、頭が筋肉で出来ていそうな男子部員。それに極度の男嫌いで毒舌がひどい彼女。変人の掃き溜めもいいとこだろう。


 いくら高校デビューに失敗したとしても自棄にならず仮入部期間にもっと積極的に動いていればこんなところに流されることはなかったのだが……


 そういえばもう一人いた。

 鈴原優。同じクラスの驚くほど特徴が無くて印象の薄い男子。自分と同族の匂いがして思ったより簡単に話しかけられたけど、それ以降の関係は全くと言っていいほど変わらない。

 たまに本に関しての話をするが、いつも彼の周りは薄っぺらい壁で覆われている感じがする。

 

 彼は口数が少なく周りに見向きもされない。その姿が昔の自分と重なって若干の親近感を覚えたが、彼はその状況をむしろ歓迎し受け容れてるようで、 不快感もあった。


 「お前らー席につけー」


 三嶋先生の入室と同時にチャイムが鳴る。ずいぶん長いこと考えていたらしい。三嶋先生は私をあの掃き溜めに突き落とした張本人だ。「お前に丁度いい部活がある」と言って言葉巧みに騙してきた。あの人は自分が楽するためにあの手この手を使うのだ。本当に教師としてどうかと思う。


 けれど今更文句を言って転部したところで周りに馴染めないのは目に見えてる。話し相手のいる文芸部に留まっていた方がまだマシだろう。


 ◯


 「部誌の編集ですか?」


 テスト期間も終わって静寂に包まれた部室に僕の声が響き渡る。今日は珍しいことに真島先輩がいない。


 「そう、今までは私が一人でやってたんだけど、後輩にも経験積ませた方がいいって三嶋先生に言われてね。あ、もちろん二人とも嫌ならやらなくていいんだよ?」

 「いえ、それは構いませんけど……」

 「私も、大丈夫です……」

 

 僕と香山さんの2人で、部誌の編集をしてくれないかと依頼されたのだ。なお葉月楓は頼まれることなく本を読んでいる。まあ彼女を誰かと組ませてもろくなことにはならないのを、流石の日村先輩もわかっていたのだろう。

 

 正直面倒だが、拒否して心象が悪くなるのは避けたい。それにこの人は本当に一人で何でもやる質なのだ。自分でも心配になるぐらいに。恐らく三嶋先生もそのことを心配して適当な口実をつけたのだろう。三嶋先生がこんな教師らしいことをするなんて、1ミリくらい見直した。


 しかし一つ文句がある。僕が入部する前に三嶋先生は「文化祭の時に文集出すくらいで、その他の課題はないぞ」的なことを言っていた気がするのだが、おかしい、普通に月刊の部誌を出しているぞ。全員書かなきゃいけないやつ。あの人騙しやがったな。


 さっき1ミリ上がった先生への評価は今ので百メートル下落した。


 「それで、部誌の編集ってどんなことすればいいんですか?」


 そう尋ねると日村先輩はカバンから文芸部に関するノートを取り出してパラパラと捲った。


 「えーっと、各部員への原稿依頼と回収、過去の部誌のアーカイブ整理、写真や挿絵の素材集め、テーマとタイトル決め、掲載順の構成、レイアウトのデザイン案、フォントや余白とかの体裁決め、表紙デザイン、目次作成、レイアウト作業、校正と誤字チェック、印刷費用の予算確認、印刷手段の検討、製本作業……ざっとこんなもんだね」


 ………え?何?これを一人で全部やってたのこの人?ちょっと本気で体調が心配になってきたぞ。

 というかこれ……終わるの?


 「ちなみに日村先輩、提出期限って……」

 「ああ、えっと…1週間後かな?」


 ………今からでも入れる保険って、あります?

 

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