宇宙人の宿題
宇宙人が来た。
二〇二X年七月十三日、日曜日。午前十一時五十二分。
場所は、東京都府中市の市役所前の駐車場。
巨大な母船が空を覆ったわけではない。光の柱が降りてきたわけでもない。ただ、駐車場の隅に、高さ二メートルほどの半透明な円柱が音もなく現れた。自動ドアみたいにスッと開いて、中から出てきたのは——
身長百二十センチくらいの、青白い肌の子供だった。
頭が少し大きい。目が大きい。指が六本ある。それ以外は、わりと普通だ。服装は白い半袖にハーフパンツ。リュックサックを背負っている。
——リュックサック?
府中市役所・市民課の鈴木一郎は、休日に忘れ物を取りに来て、駐車場に出たところだった。
宇宙人の子供と、目が合った。
「こんにちは」
日本語だった。イントネーションが少し変だが、通じる。
「……こんにちは」
「あのう、すみません。ここは地球ですか?」
「……はい」
「よかった。座標が合ってた。——あのう、自由研究で来ました」
「……自由研究」
「はい。夏休みの宿題です」
鈴木一郎、三十二歳。独身。府中市役所・市民課勤務。年収四百二十万円。趣味は特にない。特技も特にない。合コンではいつも空気だ。
その男が、人類史上初のファーストコンタクトの当事者になった。
運が良いのか悪いのか、まだ分からない。
* * *
当然、大騒ぎになった——と思うだろう。
ならなかった。
理由は単純だ。宇宙人の子供(名前はフィル。本名はもっと長いが、発音できない)が持っていた「認識調整装置」。半径五十メートル以内の知的生命体の注意を逸らすことができる。つまり、鈴木以外の人間にはフィルが見えない。
「なんで僕だけ見えるんですか」
「近くにいた人の中で、一番暇そうだったからです。認識ロックは一人にしか外せないので、効率的に一番余裕のある個体を選びました」
暇そう。
日曜の午前にわざわざ忘れ物を取りに来た自分が恨めしい。
——とはいえ、見知らぬ子供にいきなり「自由研究で来ました」と言われて信じるほど、鈴木も単純ではない。
信じたのは、フィルが見せた「文書」のせいだった。
半透明の板に、文字が浮かんでいる。日本語に自動翻訳されている。
『銀河連邦教育委員会 第四学年 夏季課題 自由研究テーマ承認書
テーマ:未開文明における社会構造の観察記録
対象惑星:地球(銀河カタログ番号:SOL-3)
観察期間:現地時間で七日間
指導教員承認済み
注意:対象文明への干渉は禁止。観察のみ。』
——市役所の書類に慣れている人間は、公式文書のフォーマットに弱い。「教育委員会」「承認済み」の文字を見た瞬間に、なんとなく信じてしまった。職業病だ。
「未開文明」。
鈴木は二回読んだ。
「……あの、未開文明って」
「はい。恒星間航行技術を持たない文明は、銀河カタログではCランクの『未開』に分類されます」
「Cランク」
「AからFまであります。Fは単細胞生物です」
「じゃあCは……真ん中よりちょっと上?」
「真ん中よりちょっと下です。AとBが多いので」
人類のプライドが、静かに砕けた。
スマホを作った。月に行った。ゲノムを編集した。AIが絵を描くようになった。——で、Cランク。真ん中よりちょっと下。
「……ちなみにAランクは」
「時間を折りたためます」
「……Bランクは」
「恒星を作れます」
「やめておきます。聞かなきゃよかった」
* * *
フィルの自由研究は、「鈴木一郎の一週間を観察する」という内容だった。
「なぜ僕なんですか。もっとすごい人——大統領とか、科学者とか——」
「先生が言ってました。未開文明の研究は、平均的な個体を観察するのが一番正確だって」
平均的な個体。
合コンで「特徴がないのが特徴」と言われる男としては、否定できない。
「一週間、普通に生活してくれればいいです。僕はメモを取るだけですから」
こうして、宇宙人の子供が鈴木の生活を観察する、七日間が始まった。
* * *
一日目。月曜日。
鈴木は朝七時に起きた。
「地球の生物は、一日の三分の一を意識を失って過ごすんですね」
「寝てるだけです」
「非効率ですね」
最初のメモが、「非効率」だった。
朝食はコンビニのおにぎり二個と缶コーヒー。
「栄養摂取に最適化されていない食事ですね」
「コンビニが近いので」
「近いという理由で最適ではないものを選ぶんですか?」
「……人間ってそういうものです」
フィルがメモを取った。『利便性を栄養効率より優先する。非合理的だが、個体の意思決定として興味深い』。
満員電車に乗った。フィルは認識調整装置で他の乗客に見えていない。見えないが、乗客たちは無意識にフィルを避けるので、鈴木の足元にだけ不自然な空間ができていた。フィルはそこにしゃがんで、上を見上げていた。
——傍から見れば、鈴木は独り言をつぶやいている変な人だ。ワイヤレスイヤホンで電話していると思ってくれることを祈るしかない。
「なぜこんなに密集するんですか。不快ではないですか」
「不快です」
「不快なのに乗るんですか」
「乗らないと職場に行けないので」
「なぜ職場の近くに住まないんですか」
「家賃が高いので」
「なぜ家賃が高いんですか」
「職場の近くに住みたい人が多いから——あ、需要と供給は分かりますか」
「Bランク以上の概念ですが、Cランク文明でも発見しているんですね。すごいです」
褒められているのか馬鹿にされているのか分からない。
市役所に着いた。窓口業務。住民票の発行、転入届の受付、戸籍の証明書交付。
「同じ作業を繰り返していますね」
「そうです」
「それに対する対価が年間四百二十万円?」
「……はい」
「僕のお小遣いより少ないです」
聞かなかったことにした。
* * *
三日目。水曜日。
フィルの観察は細かくなっていった。
「スズキさん。さっき、窓口に来たお年寄りに、書類の書き方を教えていましたね。五分くらい」
「はい」
「あれ、業務ですか?」
「まあ、広い意味では」
「書き方の見本を渡せば十秒で済むのに、五分かけて横に座って一緒に書いていましたね」
「あのおばあちゃん、目が悪いので」
「非効率ですね」
「……非効率です」
「でも、おばあちゃんは笑っていました」
「……うん」
フィルが何か長いメモを取っていた。
その日の夜、鈴木はスーパーの半額弁当を買って帰った。アパートで一人で食べた。
「なぜ一人で食べるんですか? 群れで食事するほうが効率的では?」
「一人のほうが気楽なので」
「気楽?」
「誰かと食べると、気を遣うでしょう。何を話そうとか、変に思われないかなとか」
「でも、一人で食べている時のスズキさんの表情は、窓口でおばあちゃんと話している時より暗いです」
「……観察しすぎです」
* * *
五日目。金曜日。
残業だった。
フィルはデスクの下に座って、鈴木の足元からオフィスを見上げていた。
「スズキさん。今日、何時間働きましたか」
「十一時間くらいかな」
「昨日は?」
「十時間」
「一昨日は?」
「十一時間半」
「睡眠六時間で、労働十一時間。移動に二時間。食事と衛生行為に二時間。——残りの三時間で何をしてるんですか?」
「スマホを見てます」
「何を見てるんですか?」
「……特に何も」
「三時間を使って、特に何も見ていない」
「……人間ってそういうものです」
「この台詞、四回目です」
帰り道、フィルが小さな声で言った。
「スズキさん」
「はい」
「スズキさんは、楽しいですか?」
「……急にどうしたんですか」
「観察していて、疑問に思ったんです。スズキさんの生活は、客観的に見て、あまり楽しそうではありません。一人で食べて、長時間働いて、疲れて帰って、特に何もないスマホを三時間見て寝る。——でも毎朝、起きます。五日間、一日も休みませんでした」
「休日がないだけです」
「そうじゃなくて。——朝、目が覚めた時に、起き上がらないという選択肢もあるのに、スズキさんは毎朝起きます。なぜですか?」
鈴木は、しばらく歩いた。
「……分からない」
「分からないのに起きてるんですか」
「たぶん——起きて、電車に乗って、窓口に座って。そうしないと、なんか落ち着かないんですよ。習慣というか」
「惰性ですか?」
「かもしれない。——でも、窓口に来た人が『ありがとう』って言ってくれると、ちょっとだけ、起きてよかったなって思います」
「ちょっとだけ?」
「ちょっとだけ」
フィルがメモを取った。いつもより長いメモだった。
* * *
六日目。土曜日。
鈴木の休みだった。
「今日は何をするんですか」
「洗濯して、掃除して、スーパーに行きます」
「それは楽しいですか?」
「楽しくないです」
「じゃあなぜするんですか」
「しないと生活できないので」
「非効率ですね」
「知ってます」
スーパーに行った。半額シールの貼られた惣菜を買った。
帰り道、公園の前を通った。
小さな女の子が、鉄棒の前で泣いていた。逆上がりができないらしい。
鈴木は立ち止まった。
「……どうしたの?」
「さかあがり、できないの」
「練習してるの?」
「うん。でも、ずっとできないの」
鈴木は買い物袋を置いた。
「おじさん、ちょっと見ててあげるよ」
女の子が鉄棒を握った。足を蹴り上げる。回れない。もう一回。回れない。もう一回。
「腕を引いて。——そう、もうちょっと」
五回目。
くるん、と回った。
「できた!」
「できたね」
女の子が満面の笑みで走っていった。「ママー! できたー!」
鈴木は買い物袋を拾い上げた。
フィルが横で、ものすごい勢いでメモを取っていた。
「何書いてるんですか」
「これはすごいデータです。——スズキさん、今のに何の得がありましたか?」
「得?」
「対価がないです。報酬もない。あの子供はスズキさんの血縁ではない。社会的な義務もない。なのに三分間、自分の時間を使った。——僕たちの文明では、対価のない行動は非合理として記録しません。でも——」
「でも?」
「今のスズキさん、今週で一番いい顔してます」
「……そうですか」
「はい。データは嘘をつきません」
* * *
七日目。日曜日。最終日。
朝、フィルがリュックサックからレポート用紙を出した。半透明の板だ。
「今日中にレポートを仕上げて提出しないといけないので、スズキさんにちょっと読んでもらっていいですか?」
「僕が読んでも分からないと思いますが」
「被験者の感想欄に一言もらうと、加点されるんです」
——宇宙人にも内申点稼ぎがあるのか。どの世界も小学生は大変だ。
「いいですよ。読みますよ」
フィルが画面を見せた。日本語に自動翻訳されている。
* * *
『第四学年 夏季自由研究レポート
テーマ:未開文明(Cランク)における社会構造の観察記録
対象惑星:地球(SOL-3)
観察個体:スズキ・イチロウ(成体・オス・32地球年)
観察期間:7地球日
*
【序論】
地球は銀河カタログでCランクに分類される未開文明の惑星です。恒星間航行技術を持たず、エネルギー効率は銀河平均の〇・〇三パーセント。通信技術は電磁波依存で、情報伝達に光速の制約を受けます。
率直に言って、とても遅い星です。
【観察結果】
一、この星の生物は、一日の三分の一を睡眠に費やします。非効率です。
二、栄養摂取は最適化されておらず、「近いから」「安いから」という理由で食事を選びます。非合理的です。
三、移動手段は原始的で、毎朝、不快な密集状態を我慢しています。不可解です。
四、労働時間が長く、自由時間のほとんどを「特に何もない」情報端末の閲覧に費やしています。意味不明です。
五、対価のない行動を行います。見知らぬ老人に書類の書き方を教える。見知らぬ子供の鉄棒の練習を見守る。報酬はありません。合理的な説明がつきません。
【考察】
正直に書きます。
観察三日目までは、この文明がCランクに分類されている理由がよく分かりました。非効率で、非合理で、不可解です。
でも、五日目から分からなくなりました。
スズキさんは毎朝起きます。楽しくなくても起きます。理由を聞いたら「分からない」と言いました。分からないけど起きるんです。
それは、僕たちの文明では「惰性」と呼ばれるものに近いです。でも、惰性とは違いました。
窓口でお年寄りに「ありがとう」と言われた時、スズキさんの生体反応が変化しました。心拍数が二回だけ上がって、口角が少し動きました。本人は気づいていなかったと思います。
公園で女の子の逆上がりを見守っていた三分間、スズキさんの脳波パターンは、一週間の観察期間中で最も安定していました。対価のない三分間が、最も穏やかな三分間でした。
僕たちの文明では、すべての行動に合理的な理由が必要です。対価のない行動は非合理として記録されません。
でも、地球には、合理的な理由のない優しさがあります。
血縁でもない。義務でもない。報酬もない。なのに、隣に座って、一緒に書類を書く。鉄棒の横に立って、「もうちょっと」と声をかける。
この星の生物は、非効率です。
寝すぎです。食事は適当です。移動手段は原始的で、労働時間は長すぎて、自由時間の使い方は意味不明です。
でも——
とても一生懸命です。
理由も分からないのに朝起きて、不快な電車に乗って、誰かの「ありがとう」のために窓口に座る。得にならないのに逆上がりを見守って、一人で帰って、半額の弁当を食べる。
非合理的です。非効率です。説明がつきません。
でも、僕はこの星が好きです。
【結論】
地球は、Cランクの未開文明です。
でも、Cランクの星にしかない良さがあると思います。効率化されていないから、一つ一つの行動に感情が残っている。合理化されていないから、理由のない優しさが生まれる。
僕たちの文明は、たぶん効率化しすぎました。対価のない行動をしなくなりました。理由のない優しさは、コストとして削減されました。
地球の人は、まだそれを持っています。
A評価をお願いします。
——フィル(第四学年三組十七番)』
* * *
鈴木はレポートを読み終えた。
「……感想、ですか」
「はい。一言でいいです」
「一言って言われても」
「スズキさんは感想を求められると困るタイプですか」
「……三十二年間ずっとそうです」
鈴木はしばらく考えた。
非効率。非合理。不可解。意味不明。——全部その通りだ。否定できない。
でも。
「フィルくん」
「はい」
「A評価、取れるといいね」
フィルが目を丸くした。六本の指でレポート用紙を握り直した。
「……感想、それだけですか?」
「それだけです」
「もうちょっと何か……被験者としてのコメントとか」
「『とても一生懸命です』って書いてくれたでしょう。——あれで十分です」
フィルが何か言いかけて、やめた。代わりにリュックサックからもう一枚の半透明の板を出した。
「これ、お礼です。調査協力費」
「何ですか?」
「銀河連邦の発行する感謝状です。地球の通貨に換算すると——四百二十万円くらいの価値があります」
「僕の年収と同じじゃないですか」
「偶然です」
「偶然にしては正確すぎませんか」
「……スズキさんの一週間の笑顔の回数から逆算しました。非効率な方法で」
フィルが照れたように目をそらした。宇宙人も照れるのか。
外に出た。アパートの駐車場に、円柱が現れた。フィルがリュックサックを背負い直した。
「スズキさん」
「はい」
「明日の朝も起きますか?」
「たぶん」
「理由は?」
「分からないです」
「——やっぱりこの星、好きです」
フィルが円柱に入った。音もなく消えた。
駐車場には、鈴木だけが残った。
その夜、アパートに帰った。静かだった。一週間、隣に誰かがいた。メモを取る音がして、質問が飛んできて、「非効率ですね」と言われる日常があった。
——うるさかったな、と思った。
思ったのに、缶コーヒーを二本買ってしまって、一本が余った。
月曜日の朝だった。
鈴木は鞄から缶コーヒーを出した。昨夜余った一本だ。いつもと同じ電車に乗った。いつもと同じ窓口に座った。
最初のお客は、杖をついたおじいさんだった。
「すみません、この書類の書き方が分からなくて」
鈴木は立ち上がって、おじいさんの隣に座った。
「一緒に書きましょう」
——非効率だ。見本を渡せば十秒で済む。
でも、おじいさんは笑った。
それで十分だった。
(了)
お読みいただきありがとうございます!
「未開文明のくせに、いい星じゃないか」——そんなお話を書いてみました。
宇宙人の子供に「非効率」「非合理」「意味不明」と言われたら、たぶん否定できません。でも、その非効率の中にしかない温かさがある。合理化されていないからこそ、理由のない優しさが生まれる。——効率を追い求めるほど、何かを失っていくのは、どの星でも同じかもしれません。
☆評価・ブックマーク・感想——どれか一つでも、ものすごく励みになります。
***
長編連載、毎日更新中です。
排水溝を直し、台帳を作り、十三歳の少女領主に予算の組み方を教える——チートなしの元地方公務員が、ぶっ壊された領地を「普通の行政」で立て直す全三十九話。 短編版を読んでくださった方にも、初めての方にも楽しんでいただける構成にしています。
→【連載版】チートで荒らされた領地に赴任したら、前世が地方公務員だったので普通の行政で立て直すことにした
***
別の短編もあります:
→ 才能オークション
→ 悪役令嬢、断罪されたので反対尋問します ~前世が弁護士なので、法的思考で王子に和解を呑ませてもいいですか?~




