第3幕:再評価と新しい調和(Resolution)
12. 混乱の収束と分析
静寂が戻ると、ケイロンがただちにグランド・フィルターを再起動させた。一瞬にして、感情的なノイズは集合意識から遮断されたが、解析室の3人の顔には、まだ「驚き」という、フィルタリングが間に合わなかった表情が残っていた。
レオンは、自分の手がエコーの肩に与えた衝撃を分析した。
《私は、混沌を止めようとして、より原始的な手段である「暴力的な接触」を行った。これは、人類の行動原理、つまり感情の過剰な流入を防ぐための「防護壁」として、物理的なノイズや接触が機能していることを示しているのではないか?》
彼は、音声言語を再評価した。人類が「元気です」と嘘をつくのは、悪意からではなく、「過剰な感情の流出」から自分自身を守るためなのではないか。
エコーが、長老ニューロに問いかけた。
《長老、あの「ノイズ」(音楽)は、我々の集合意識を破壊しませんでした。むしろ、我々のシステムが欠落させていた「予測不能なパターン」を提供しました。》
長老ニューロは、疲労は感じていないものの、数千年間使っていなかった肉体的な反応に満足感を覚えていた。
13. 家族写真の再解釈
長老ニューロは、円盤の「家族」の画像を再表示させた。それは、地球人の両親と子供が、互いに寄り添い微笑んでいる画像だった。
ケイロンは、以前の論理で断罪した。《この生命体たちは、非効率な「愛情」という感情的結びつきで遺伝的供給源を維持し、プライバシーのない共同育成を拒否している。これは我々の社会の論理的破綻だ。》
しかし、エコーが新しい視点を提供した。《待ってください、ケイロン。彼らは「嘘」をつく能力がある。それは、彼らの感情が保護されていないことを意味します。彼らは、テレパシーの防護壁を持っていません。だからこそ、彼らは物理的な隔離(家)と感情的な防護壁(愛情)*という非効率な手段を用いて、個人の精神の完全性を維持しているのではないでしょうか?》
長老ニューロの視線が、画像の中の、唇を合わせた男女(「キス」の音声データ)の画像に固定された。テレパシーなしで、音と接触だけで感情を交換する、この奇妙な行為。
《彼らにとって、この「愛」と「家族」は、感情を共有する手段ではなく、感情を遮断し、選ばれた相手とだけ共有するための、極めて強力な「防護壁」なのだ。》
ケイロンは、反論できなかった。彼が最も恐れた「嘘」と「非効率性」が、実は人類の「個の精神」を維持するための、最も重要なシステムとして機能しているという論理的帰結を受け入れざるを得なかった。
14. 長老の結論
長老ニューロは、解析室の静寂の中で立ち上がり、全構成員にテレパシーメッセージを送った。その声には、かつての退屈な「調和」ではなく、微かな、新しい「発見」の響きが宿っていた。
《我々シンクロニア人は、真実と論理の奴隷となることで平和を得た。しかし、その代償として、我々は「不完全さ」を恐れるようになった。》
《この異星人、人類は、我々が排除した全ての要素を持っている。嘘、感情の過剰な流入、そして非効率な音声。だが、彼らはそれらを「構造化されたノイズ」である音楽と、「選択的な感情の保護」である家族という芸術的なツールで乗りこなし、混沌を美に変えた。》
《彼らは、宇宙に科学技術を伝えたのではない。彼らは、「我々は、感情と不完全さを乗りこなす、ユニークな種族である」と自己紹介したのだ。》
《我々は彼らを「脅威」と見なすことはできない。彼らは「教師」だ。》
15. 地球への応答
長老ニューロはエコーに目を向けた。エコーの頭部には、まだわずかに、先ほどのロックンロールのリズムの残響が残っていた。
《エコーよ。我々は彼らの論理的知識に匹敵する、あるいは上回るデータを持っている。しかし、それを送り返すのは、無意味だ。我々が人類のレコードから学んだ、最も重要なことは、「ノイズの構造」だ。》
《我々の返信は、これまでの全ての論理を否定するものとなる。》
レオンは、戸惑いながらも、長老の意図を理解した。《我々が最初に創造した、新しい「ノイズ」を…》
エコーは、叩いた解析装置の筐体の残響を思い出し、そのリズムをデータに変換した。それは、人類が聞けば、あまりにも単純で原始的な、たった数秒間の音のパターンだった。しかし、それはシンクロニア星における「予測不能な喜び」が構造化された、最初の芸術作品だった。
この原始的なメロディーは、長老の指示により、外宇宙に向けて発信された。
シンクロニア星には、完全な調和の時代は終わりを告げた。長老ニューロは、会議の終わりに立ち上がり、誰も見ていないところで、数秒間だけ**「不必要な動き」(ダンス)を行った。そして、彼は、自分の内面で、かすかに「面白くなるぞ」**という予測不能な感情が湧き上がっているのを感じた。グランド・フィルターは、それを平和に影響しない「個人的なノイズ」として、黙って通過させたのだった。
— 完 —




